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アニメはアートになりうるか?

1 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/29(金) 14:08
アニメは『集団芸術』らしいが、商業目的でつくられたものが果たしてアートと呼べるものなのか?

2 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/29(金) 14:56
呼ばんだろ

3 :its:2001/06/29(金) 15:10
アニメって映像、音楽、シナリオ(文学)の三拍子揃ったいわば総合表現でしょう。
その意味では一般的な映画と似てますね。
このスレの問いはそのまま「映画はアートになりうるか?」という問いにも敷衍
できるかもしれない。
脊髄思考的偏向的私見では、芸術は物理的制度的制約が少なくなるほど、
クラシックな意味での「芸術性」が希薄になっていくものだと思うので(只今、
勝手に現代美術を想像中)、かなり難しいと思う。
というか、総合芸術であるはずの映画がほとんど娯楽に堕している現状を見るに、
楽観的な見解を持ちようがありませんね。
アニメの中にも「芸術的な」モノもあるとは思いますが。。。

商業目的云々は、普通の美術にも当てはまるものだし、別問題として、
『集団芸術』という言葉の出自どこなんでしょうか。

4 :1:2001/06/30(土) 13:44
>>3
キングレコードの大月さんがどこかで発言をしていたようです。

5 :空耳:2001/06/30(土) 15:30
ヤンシュヴァンクマイエルとかは、
明らかに芸術としてのアニメを狙っていますね。

6 :its:2001/06/30(土) 16:39
>>1
そうですか。
けれど、僕の知識ではこれ以上掘り下げようがありません。。。
(文章かなり乱雑でスマソ)

>>5
シュヴァンクマイエルを初め、チェコ系のアニメは僕も好きです。
かなり以前に草月かどこかでやってたオランダ映画祭で
出てたオランダのアニメもシュールで好きだった。
あと、これまた数年前にシネ・ラ・セットのレイトショーでやってた
クレイ・アニメも馬鹿馬鹿しくて面白かった。
誰か見た人いませんか?

今、中野で「新世紀アートアニメーション」というのがやってるらしいけど、
これも見た人感想希望〜。

7 :lllll:2001/06/30(土) 17:37
アートという言葉がこれだけ広義的意味合いが含まれると
アニメももちろん含まれると思う。
もちろんアートという言葉だけを跪拝するという現象は
少なくなると思うけど。
けど、どっちにしろ僕には都合がいい。

8 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/01(日) 23:49
大友の<メモリ−ズ>の大砲の町は今見ても凄いと思う。
メトロポリスも綺麗だったけど、手塚キャラであの内容は違和感アリ。
あれだけ視覚効果やカメラワ−クに凝ってるのに、ドラエモンと同じアニメって一括りにされるのは可哀相。
実写で出来ないからアニメでやってるだけだし。

9 :月読:2001/07/02(月) 00:24
>>8
あれってロシアアバンギャルドあたりのカリカチュア
(オマージュ?本歌取り?)だよねえ。
なにかアニメの域を超えようとしてるような。
元ネタがわかっていないと割と意味不明に映るようだね。
うーんやはり大砲やファシズムへの「敬愛の情」のようなものを
感じたけど。ちがうかな。

>>3
アニメって複数のマンパワーが複雑に分業化されていて、
作者の直截的な感情や思想が多少歪んだり、フィルタがかかったりするとのこと。
感情や思想の実現をできるだけ忠実に目指す職人的メディアである、と。
えてして作家と作品と直接向き合うメディアだと無意識に頼ったりするような
喜ばしい事故が起きない。多くの人手に渡るので創造性の表出が難、というとらしい。
そういう意味での「集団芸術」では?
映画も似たようなジレンマを抱えているのかも。
1さんどうでしょうか。(違ったら訂正してね。)

あと、文脈

10 :月読:2001/07/02(月) 00:25
切れてしまったので続けます。

あと、文脈

11 :月読:2001/07/02(月) 00:38
あとオタクアニメと宮崎/大友/押井/庵野らの独自路線
ジャパニメーションと区別したほうがいいかな、みたいなこと
書いたんだけど??表示機能が壊れた??

12 :∵汚卓∵:2001/07/02(月) 00:50
ぼくはおとなになったら射撃手になるんだ
おとうさんみたいな装填手じゃなく

13 :月読:2001/07/02(月) 01:53
なんか登場人物がやたら醜く描かれて無かった?
庶民性かそれとも間接的にファシズムのなんちゃらを描いたのだろうか。
精気を抜かれて萎みがちな肌色・

最臭兵器はオタク的な感ジだった。

14 :ナナシノ:2001/07/02(月) 02:13
<メモリ−ズ>の大砲の町は、個人的には「ブリキの太鼓」
〜「1984」あたりを彷彿させたな。下敷きにどんなコンテン
ツがあるのか、恥ずかしながら指摘できる知識がないけど、
でも完成度はそれほど高くないと思う。
「メトロポリス」未見だけど、押井にしても大友にしても、
最近ちょっと気負い過ぎではないか?アニメに拘るならアニメ
本来のダイナミズムに自覚的でなきゃいけないと思う。

個人的な「アニメ名場面」を挙げとくと、「ナウシカ」で馬鹿
ガラスの風防が紙のようにパリパリ割れるシーン。

15 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 03:41
なる

16 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 03:41
なる

17 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 03:42
なる

18 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 03:42
なる

19 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 03:42
なる

20 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 03:42
なる

21 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 03:42
なる

22 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 03:42
なる

23 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 03:43
なる

24 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 03:43
なる

25 :月読:2001/07/02(月) 03:48
>>14
相変わらずフェティッシュなとこ見てるね。
「動きの表現」だよね。あれって実際の物理的な動きではないらしいね。
脳内で再構築するってやつ。リアリティって何だろう?と。
ディズニーアニメの滑らかさと宮崎アニメの動きをくらべるのも
面白いかも。
宮崎アニメは緩急の付け方が鋭いと思う。
ナウシカが飛ぶシーンとか、オームに跳ねられるシーン、
真っ黒黒すけが飛び出るシーン。
あとラピュタで滅びの呪文を唱えた後とか。
効果音もいい感じ。それこそパリパリ音とかさ。
オームの抜け殻の音、いとをかし。

26 :1:2001/07/02(月) 09:12
>Its様、月読様
レス遅れてスマソ。
詳しく説明してくれて何か申し訳なく思います。
>>9>>11の説明の通りかと思います、って主体的な意見が何も含まれてない、俺の発言(死)
確か「アニメの骨壷」とかいうHPで何かそれに関しても詳しく書いてあったようです。

俺自身の意見が何もなくスマソ。ここまで盛り上がるとは思わなかったよ。

27 :ナナシノ:2001/07/03(火) 01:17
>>25
緩急の付け方ってとても基本的なことだけれど、個人的にはそれ
さえあれば世の中渡っていけるんじゃないかと思う。(笑)ベーコ
ンスレでもちょっと触れたけど、ブラシが強烈に画面上を走る場所
と、全く放置される場所とのコントラストにこそ萌えるのだと思う。
動画である以上、静止の中に絶妙な振幅の移動を予感させる魔法が
無いと退屈だし、サウンドだって、正にその部分に奉仕してほしい。

28 :its:2001/07/03(火) 04:36
>>25
アニメーションの原義に立ち返ってみれば、「動きの表現」ってことが
一番重要なのかもしれない。その意味ではアニメのエッセンスは映像の
部分にこそ凝縮されるのが本意なのかな。
確かに押井の「攻殻機動隊」や大友の「大砲の町」は、シナリオ重視のあまり
動きがおろさかにされている感を持った。
前者の中で、登場人物がウダウダと台詞をのたまい続けるのにはさすがに辟易。
何を今さら「コギト〜」についてわかりきった顔して語っているのか。
そういった思想(らしきもの)を挿入することが、「芸術的」アニメだと思って
いるとしたら勘違いもはなはだしい。

「メトロポリス」は大友の脚本が失敗しているおかげで、映像表現に
重点が傾いていてアニメとしては成功の部類に入ると思う。
登場人物も群集も機械も全てが(全編を通して静的だが)動く。
思い返してみれば、動くことの喜びを全身に感じた一作だった。
映画としては失敗なのだろうが、そこにあえて「映画」と「アニメ」との
違いを見たような気がした。

29 :訂正:2001/07/03(火) 04:39
動きがおろそか→動きがおろそか

30 :訂正の訂正:2001/07/03(火) 04:40
動きがおろさか→動きがおろそか

31 :F大美術部:2001/07/03(火) 07:38
現時点ではアニメはまだエンターテイメントの範疇かも。

32 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/03(火) 12:43
アスパラガス

33 :考える名無しさん:2001/07/03(火) 12:51
劇場板ばかりでなく、TVアニメはどうなんだろう…
「永久家族」とか「serial experiments lain」とか
割と鑑賞に耐えうるものがあると思うが…

34 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/03(火) 13:55
美術から見ると、
アニメ界でつくられたアニメはアニメ。
美術界でつくられたアニメはアート。

そういう仕組みで美術は動いているのさ。

35 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/03(火) 16:08
アニメ界で最初からアート指向でつくられたアニメはどうなんだろう?
それにそういうアニメってあるのかな?

36 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/03(火) 16:16
それを追求すると、アートとはなに?という形而上的な問いを
呼びこむことになりますよ。

37 :35:2001/07/03(火) 16:28
>>36
う〜む…

38 :ナナシノ:2001/07/04(水) 01:24
>>34
ただ美術業界やらアニメ業界やらの政治的思惑を、我々「鑑賞者」が
意識する必要は無く、単純にアニメとしての強度を有した作品の列挙
に励むだけでも決して無意味では無いと私的意見。たいがいの「優
れた表現」って、それ自身が如何にカテゴライズされるかに無頓着な
素振りをするじゃないですか。
ただし前述の如く、列挙するほどの「体験」が僕には無い。ここいらで
超カルトなアニメ啓蒙主義者が登場すると良いのにね。

以下、個的名場面その2
押井「甲殻」も良いけどプレステ「甲殻」OPムービーも良かった。
呼吸する暇すら与えぬハイスピードシークェンスの果て、トドメを刺さ
れたフチコマの爆発音がまるで紙風船を潰したみたいな 「ぱん!」
脱力的に恍惚で参りました。

39 :わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/04(水) 08:08
アニヲタがいる限り、ムリだな。
アニメは幼児向けのものだよ。

40 :its:2001/07/05(木) 00:48
そういえば都現美でやってた「アニメの時代」展の反響って
どうなんでしょうね。かなり広範に取り上げてたと思うんですが。
あれで、「アニメはアートだ」なんて思った人いるんでしょうか。
まあ、一時盛んだったマンガの展覧会にしても、美術館という権力
からのサブカルチャーの掘り起こしは、結局根付かないというのが
持論ではありますが。左寄りの発想だけど。

41 :its:2001/07/05(木) 00:52
そういう意味で在野の我々がアニメについて能書きたれるのも
無駄ではないという点で、>>38ナナシノ氏の意見に賛成。

42 :ナナシノ:2001/07/05(木) 02:30
>>41
賛成ありがとうございます。
反対の賛成は賛成なのだ。意味の無意味の意味なのだ。

そもそも映画だって動画だ。動画である以上、「動き」が突出してなきゃ
しょうがないと思うのであります。

まあそれはともかく、そもそも手塚治虫が映画へのコンプレックスを剥き
出しにして、根性でアトムを動かしたときから、少なくとも日本のアニメは、
映画が産み落とした鬼子としての成長を宿命付けられていたと思います。
押井も大友も、彼らの仕事はそんな視点から見つめると、実は極めて魅
力に富んでいるし、アイデンティティを喪失したまま迷走するすべての諸
ジャンルにおいて、アニメはもはや象徴的な文化として規定せざるを得
ないですね。ほとんど10年前の半導体に取って代わる、日本の貴重な
「誇り」と言えます。でも実はそんなこと、どうでも良いわけです。

アニメは「アートか?」なんて言ったって、そもそも、この国で今、真に
「アート」なものなど無いのだし、更にこの国で今、真に「アート」なシロ
モノが必要とされているとも思えない。

アニメはアニメなのだ。『だからこれでいいのだ。』
いや、良くないですよ。質問 >>もっとすげーアニメはないか??

43 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/05(木) 02:37
イエローサブマリンが良し!

44 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/06(金) 00:09
花右京メイド隊に芸術を感じた。

45 :月読:2001/07/06(金) 00:59
>>27
「コントラスト」。
そうだよねえ。基本中の基本といえば基本中の基本だったね。そういえば。
明暗/対立色補色対比/緩急/遠近/鋭鈍/怜悧愚昧/富貧/聖俗/美醜
/清澄汚濁/静騒/軟硬/厚薄/寒暑/有機無機/未来過去/東洋西洋/
善悪/秩序渾沌/有無


あらゆる対比が物語を詩を盛上げるのだった。そうだった。あ〜
 

46 :ナナシノ:2001/07/06(金) 01:03
>>39
アニヲタがいる限り、アニメは「アート」になリ得ないとしたら、美術ヲタが
いる限り、美術は「アニメ」の強度を持てないんだろうね。

ヲタってなんだろう?上野俊哉は「社会性を欠いたまま、ひたすら細部
に拘る者」ってな意味のことを言ってた(ような気がする。間違ってたら
指摘してください。) それってもしや俺?それはともかく、自分の感動や
興味が「世界」と繋がらず、ひたすら内面的に回転するだけだったら確
かに寒いよな。そんな「孤独」耐えがたいと思う。でも価値ある孤独だと
は思うな。
 批判されるべきは、小さな世界を全世界と見なして、そこで充足するこ
とだろう。そうはなりたくないよね。2chに書き込んどいて、こんな話、説
得力無いかな?

アニメは幼児向けのもの。かもしれないし、美術も所詮厨房の慰み物に落
ちる要素をいっぱい持ってる。今、目の前に現れてるイメージの前で、僕
らは、どれほど「大人」としてそれらを受容できるのだろうね?

47 :ナナシノ:2001/07/06(金) 01:17
>>45
そんな「二元論」を越え、別の岸へと向かう人々もいるよね。でも僕はまだ
それに拘り続けると思う。それだけで人生終わると思うね。僕のちからで
はそれが関の山。でも問題ない。充分って感じ。感動と幸福はいくらでも
用意されているからね。

48 :月読:2001/07/06(金) 01:44
>>47
別の岸か。彼岸かな(稾
さっきビデオでグリーナウェイの「zoo」見たんだけど、
すごいね!あれ。シンメトリーと退廃美のフェティシズム。
生物は左右対称にできているが、腐敗によってそれ瓦解する、、
みたいなこと言ってたような。
なんか映像のための物語なんだね。物語のための映像じゃなくて。
最後とか衝撃的だったね。えがった〜。

49 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/06(金) 02:16
ユーリー・ノルシュテインのような個人製作に限り無く近いアニメはどうなの?

50 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/06(金) 16:35
>>49
あれは「アニメーション」ですね。
いわゆる「アニメ」とは、日本製のリミテッド・アニメーションのことを指すもので。

51 :50:2001/07/06(金) 16:40
失礼。>>50の補足です。
個人製作の場合には本人の意向が如何無く発揮されるのでこれはアートと呼べるでしょう。
問題は集団作業で製作された日本アニメなどが果たしてアートになるかどうかですね。
ここでは比較的好意的な意見が多いようですが。

52 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/06(金) 18:16
江戸時代の版画が個人制作でなくてもアートを感じさせるように,
集団作業で制作されたか否かは関係ないと思う。

53 :w:2001/07/06(金) 23:38
江戸時代の版画をアートとするのも、難しいように思える事も有ります、
もちろんアートをどう採るかによるのですが、
ちなみに、現在使われている”美術”とか”芸術”という言葉は、
明治政府が作った言葉という側面もありますので、、
もちろん、そこから遡って、発見されたという見方があってもいいとは思いますが、

54 :ナナシノ:2001/07/07(土) 02:53
>>48
グリーナウェイのZOOでは死骸の腐乱が、がーっと早送りされるシーン
あったよね。
映画が、「自分はたかだか映画」なんだってことを、あえて露呈するかの
ように振舞うのに対して、アニメは「自分はアニメを越える!」ってな素振
りを誇示しようと、やたら勿体ぶってるように見える。アニメは幼児のモノっ
てな話にぶつけて極論すれば、実はアニメって、まだまだ「高級」なんじゃ
ないか。未だ限定された鑑賞者しか持たず、映画のような自己言及性を
持つには全然、若すぎる。とはいえ家庭用ヴィデオゲームがひたすらハリ
ウッド志向を標榜した幼稚さを、そろそろアニメは脱してくれても良いので
は無いかと感じる。
いずれにしても「アート」定義付けは後回しで問題無いと思う。とりあえず
自分はアニメという表現のどこに惹かれるのかってとこだろう。その意味
では「ヲタ」とは別次元でアニメに骨の隋までヤラレタ人って、いそうでいな
いんだよね。

55 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/07(土) 10:29
>>52
確かに商業目的で作られても後にアートになるものはたくさんあるし。
少しずれますがアール・ヌーヴォーやアール・デコの作品群も今ではアートになっているし。
旧ソ連の構成主義的プロパガンダポスターもそうかな?

56 :lllll:2001/07/07(土) 12:27
>>53

たぶんwさんが仰るそれは制作する側のアートに対しての
意識的な面だと思うんですけど。
けど、アートという言葉がこれだけ肥大されたのって
いつ位からかなあ。
デュシャンあたりからか。
それ以前って、東西問わず、制作する側のアートに対しての
意識的な面って、いまのアートという語彙をベースにすると
違うような気がする。
だから、江戸版画がアートといえなくなると
デュシャン以前のアートもアートといえなくなる側面が
出てきてしまうような。

57 ::2001/07/07(土) 21:34
アートつていうのはは近代の発明品なのね。
そう考えるとデュシャン以降のアートって作品と制作者の手との
あいだにみょうな厭らしい距離があるようにも思える

58 :techno pop:2001/07/08(日) 01:11
 オスカー・フィッシンガーやノーマン・マクラーレンや『老人と海』の人は?
ttp://homepage1.nifty.com/gon2/cartoon/index.html
アニメの歴史途中まで。

59 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/08(日) 01:49
>>57
そのいやらしい距離が近代以降の生の姿だと思われ。
素直に受け入れませう。

60 :ナナシノ:2001/07/08(日) 02:06
>>58
ス晴らしい!!拝読させていただきますありがとうございます。
でもすごいボリュームだ。。

61 :its:2001/07/08(日) 02:52
>>51
「集団作業の結果生まれた芸術」という意味なら、西洋(日本や東洋にも
あるけど)では「工房」というのがピッタリだね。ウォーホルやコスタビなんかは
それをある意味あからさまにやって見せたんだろうけど。ルーベンスは下書き
だけ書いて大量に工房作品作ってたよね。で、ルーベンス自身が手を入れた
度合いによって価格に差をつけてた。凄い商売上手。
話題それてスマソ。

アニメの話に戻って。今では原作本のアニメ化に躍起になってる東映動画(宮崎
も高畑も昔はここにいたよね)がかつて作った「白蛇伝」なんかはどうなんだろう。
レンタルビデオ店行ってもなかった。

62 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/08(日) 14:40

    / ̄ ̄ ̄ ̄\    10歳で鏡を見るのをやめた。 
   (  人____)   12歳で恋愛を諦めた。
    |ミ/  ー◎-◎-)   13歳で妄想の世界に住むことに決めた。
   (6     (_ _) )   負け惜しみを言うのはいやだった。
  __| ∴ ノ  3  ノ   だから愚痴はかみ殺してた。
 (__/\_____ノ     「無理なものは無理」が口癖。
 / (   ))      )))   15歳でアニメの女の子を見つけた。
[]___.| | どれみ命 ヽ    自分を相手にしない日本女は糞以下だったと気づいた。
|[] .|_|______)    言えば僻みになるから負け惜しみになるからダサいから、
 \_(__)三三三[□]三)    ずっとかみ殺していた。
  /(_)\:::::::::::::::::::::::|      でも言ったら最高に笑えた。
 |Sofmap|:::::::::/:::::::/       「生身の女は糞以下!!」
 (_____);;;;;/;;;;;;;/
     (___[)_[)         本当に心の底から笑えた…。

63 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/08(日) 18:53
白蛇伝よりもわんぱく王子とかホルスとか猫とかの方がいいべ

64 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/08(日) 18:55
>「ヲタ」とは別次元でアニメに骨の隋までヤラレタ人って、
>いそうでいないんだよね
「ヲタ」っていうのは「骨の随までヤラレタ人」を指す言葉だと思われ。
だから「ヲタ」以外の「骨の随までヤラレタ人」というのはナンセンスだと思われ。

65 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/08(日) 22:04
>白蛇伝よりもわんぱく王子とかホルスとか猫とかの方がいいべ
この評価はヲタクの評価。当時の売上は白蛇伝が上。
ホルスは宮崎好きは絶対見るべきだが……。

66 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/08(日) 22:14
けっきょくただのアニメスレ。

67 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/09(月) 00:06
猫の売り上げは相当なものだったと聞いたが?

68 :ナナシノ:2001/07/09(月) 00:45
>>64
常軌を逸した情報量を吸収する力のある、すげー人物ってのは各分野に
いると思うのだけど、そういう人ってきっちり別のかたちで出力するん
だよね。彼らも何かに「骨の随までヤラレ」てることは間違いない。あ
こがれとか興味のレベルが、常識を超えてるような人々。
「骨の随までヤラレ」ていて、なおかつ社会性を失わない人ってのもい
るじゃない?その手の人と、>>62のデヴを一括りに「ヲタ」と呼んで差
し支え無いのかな?とは思うんですよね。

69 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/09(月) 04:35
そういう出力を持った人間がアニメ制作者になったりするんじゃないの?

70 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/09(月) 11:36
>>62はヲタというよりひっきーのような・・・

71 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/09(月) 13:28
http://www.otakon.com

72 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/09(月) 14:59
>>71
なんじゃこら?
住んでる世界が・・・

73 ::2001/07/09(月) 23:59
>>56
どうですかね。。
訳語として、美術とか芸術とかという言葉が作られる、
そのとたん、東洋芸術、とかいう言葉もできてしまう。
そこで、本来何の関係もない、水墨画だの、大和絵だのが、
芸術になったり美術になったりして、
欧米のそれらと同列に鑑賞されるようになる。
それって、便器を美術館に並べるのと然程変わらないという気もするのです。

70年代、コンセプチャルアーティストが、絵を描きだしたときに、
一番最初に手を付けたのが、そこらだったりしたではないですか。
掛け軸に、抽象的な文様を描くとか、そんな感じでしたが、

あるいは、会田のような作家は未だにやってるではないですか。。

74 :ナナシノ:2001/07/10(火) 00:23
>>69
そういう出力を持った人間が間違って美術作家になったり。
西洋古典美術にやたら詳しい人がアニメ制作者になったり
情報処理のエキスパートが急に小説家になったりすると、
ひょっとしたら面白い存在になるかも知れないけどね。。

75 :なな〜し:2001/07/10(火) 10:25
小中千昭ももともとアニメの人ではなかったんだげどね。

76 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/10(火) 12:54
>西洋古典美術にやたら詳しい人がアニメ制作者になったり
>情報処理のエキスパートが急に小説家になったりすると
別に珍しいことじゃなさそう。
ある意味川本喜八郎もそういうタイプでは?
>>75
誰それ?

77 :なな〜し:2001/07/10(火) 12:56
>>76
http://www.konaka.com

78 :lllll:2001/07/10(火) 14:38
>>73

別に芸術とか美術とか言葉自体にへんな興味がないんで
それらが芸術とか美術といわれなくてもいいんだけど
じゃあ、wさんの定義ではデュシャン以前(←この区分けが
おかしかったらwさんの区分けでいいです。)の西洋の
作品はどう捉えてるの?
話は変わるけど僕は、もちろん作品を作る側の意思みたいなものが
背景に見えるのは、それはそれで当然だと思うんだけど、
それってそんなに崇高なものかなあ。
最近の現代美術ってそれ自体をねらって目的化して、
それだけしかなく騒々しいって感じです。
まあ、けど、しょうがないですね。芸術とか美術とか言葉だけでも
跪拝してる一般通念があるかぎりだと
その通念、権威を異常に意識する方が自然か。
けど、それだったら、逆説的かもしれないけど
その一般通念はまだ江戸版画のほうが合致してるような気がします。

79 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/10(火) 20:45
森村のパファーマンスなんぞよりも
吉本新喜劇の方がよっぽど芸術的だべ

80 :w:2001/07/10(火) 21:20
>>78

>別に芸術とか美術とか言葉自体にへんな興味がないんで
>それらが芸術とか美術といわれなくてもいいんだけど

しかし、その言葉がなければ、”泉”は単なる小便受けでしょ?

>おかしかったらwさんの区分けでいいです。)の西洋の
>作品はどう捉えてるの?

主観抜きには、芸術はありえないという認識は、
デュシャン以前からあったのではないかと思うのです、、
勉強不足で、実例をここで上げられないのがつらいのですが、、
そして、”泉”はそのような時代の中の一出来事に過ぎないと思っています。
デュシャンそれ以前と無理に比較をするのであれば、
メディアに対して意識的だったということはあるのはないでしょうか、
誰かの出品した”泉”が無審査展?にて展示されなかったことに関して、
既に前衛芸術の権威と目されていたデュシャンは自分の主催する雑誌上で、
擁護の論陣を張った訳ですから、、
作品を肉眼で見たことがないものでも、その論は理解可能でしょうし、
出来事は、美術館で起こったというよりは、雑誌上で起こっていたものでしょう。
(文庫本で彼のインタビューが出ていたと思いますが、
あれを読んでいて、面白かったのは、彼はフランスでは全く無名であったと
それが、大西洋を超えてアメリカにいくと、アーモリーショーに彼の作品が、
出品されていたことから、前衛芸術の大作家として扱われてしまったとか、
アメリカでの彼の発表はすべて権威者のそれとして受け止められているのですね。。
それが今からみると、権威をおちょくっているようにしかみえないのですが、)

>話は変わるけど僕は、もちろん作品を作る側の意思みたいなものが
>背景に見えるのは、それはそれで当然だと思うんだけど、
>それってそんなに崇高なものかなあ。

崇高云々は、私は良く分かりませんので、コメントは控えますけど、
現在、芸術を跪拝してる人なんて本当にいるのですか?
そんな奴、画廊にいっても、美術館にいっても、みかけないですよ。。
芸術は権威というよりも、
天然記念物の動物のように扱われていると言う印象の方が現状は強くないでしょうか?

スレ本題のアニメについては、
別に、個人的にアートとして鑑賞しても構わないのではないかと、
ただ、それを皆の前で主張したいのであれば、
それなりの説得力がなければいけないのではないでしょうか?
アートと言う言葉は、私物ではないのですから。

81 :its:2001/07/10(火) 23:15
>>63 >>65 >>67
東映動画のアニメについて情報ありがとうございます。
僕は小学生頃夏休みか何かに「白蛇伝」を見た記憶があり、今見たら
どういう感想を持つのかなあと思ったりしました。

>>74
確かにそれは面白いですね。でも、現状ではやっぱりアート系の人は
アート系の映像表現にとどまっているし、アニメ系でも同じような気が
する。その壁を意識的にでも無意識的でもいいんだけど、打ち破って
くれるようなパワーを持った人は意外に少ない。だからこそそのような
人の登場を待ちわびているわけですが。かといって小説家やミュージ
シャンがメガホンを取って作った映画は、見る方の赤面を誘う物に余り
あるものがある。
けれど文芸の方ではミュージシャンだった町田康や辻仁成が傑作駄作
の波こそあれ面白いものを描いているし(その創作力がどこまで続くか
は疑問ではありますが)、そのような人物の登場はアニメ-アートの分野
でも期待できるのではないかと思います。
僕自身は決してその作品がアートの範疇にとどまるのではくとも、それ
なりの感動が味わえればそれで十分なんですが。

>>80
>現在、芸術を跪拝してる人なんて本当にいるのですか?
>そんな奴、画廊にいっても、美術館にいっても、みかけないですよ。。
>芸術は権威というよりも、
>天然記念物の動物のように扱われていると言う印象の方が現状は強くないでしょうか?

跪拝までしていなくても、個々の作品にうたれるということは(少ないけど)
確実にあります。僕は、それによって「芸術って凄いなあ」などとまでは思い
ませんが。
芸術が権威かどうかについては、未だにその傾向は残っていると思います。
wさんのように言葉自体に自覚的な方でしたら、そうではないでしょうけど、
「美術館に展示されている作品=美術」という見方は一般的傾向として厳然
として存在するし、美術館や画廊、クラシックコンサート会場は敷居が高いと
いう人、あるいは言葉どおり芸術という枠組みに入る作品はおしなべて厳粛
に敬意を表して感受するという人、そのような人のほうが大多数だと思います。
(美術館等を例にあげたのは芸術作品が見ることが出来る場であるからです)
そして実はその傾向は当のアニメ製作者にも言えるのではないかなと思った
りもするのです。そこがアニメ=アートと目論んでいるアニメ製作者(いればの
話ですが)の最大のネックではないかと思ったりします。
翻ってアート側から見た場合、村上隆などが色々と話題にされるのも、芸術
という権威に非権威的なモノを持ち込んだが故のことだといえると思います。

>ただ、それを皆の前で主張したいのであれば、
>それなりの説得力がなければいけないのではないでしょうか?
>アートと言う言葉は、私物ではないのですから。

>>36氏の意見にあるように、そうするとまずはアートの定義付けを行わなければ
ならなくなりますよね。

82 :ナナシノ:2001/07/12(木) 01:21
例えば戦利品としてのアートってものはあったじゃないですか。むかし。
アートとは何か?ってことはさておき、とりあえず自国の利益としてアートが
認知されてたことの証明だと思う。

今、どっかの国が日本に攻めてきてさ。(笑)現代美術を「戦利品」と称して、
ヤノベケンジの立体やら、村上隆のフィギィアやらを強奪してくれたら、爽快だ
ろうね。(藁)

でも例えば読売アンパン時代の諸作品がターゲットになったりしたら、それは
それでフクザツな気分だ。そんなん持ってってどうすんの?!とか口すべらし
そう。あと、「もの派」とか(笑) 戦利品としては…地味だろそれは!?って
感じ。

仮に外国から「アニメ」強奪されるとしたら、日本人的な自尊心的に、何が
良い???

83 :lllll:2001/07/12(木) 12:56
>>80
>誰かの出品した”泉”が無審査展?にて展示されなかったことに関して、
>既に前衛芸術の権威と目されていたデュシャンは自分の主催する雑誌上で、
>擁護の論陣を張った訳ですから

へーそうなんですか。僕のうろ覚えでは泉ってデュシャンの作品だと
思ってました。それで、自分が審査員である公募展にだしたは
いいんだけど、他の審査員が拒否して出品できなかった。
そんな感じだと思ってました。勉強になりました。

話は変わりますが、それでしたら、江戸版画は何故アート
といえないのか。宜しかったらもう少し、具体的に教えてください。

>そこで、本来何の関係もない、水墨画だの、大和絵だのが、
>芸術になったり美術になったりして、
>欧米のそれらと同列に鑑賞されるようになる。
>それって、便器を美術館に並べるのと然程変わらないという気もするのです。

あと、泉とと東洋美術を展示する経緯とかをごっちゃに混在させるのって
すごく雑じゃない?
「欧米のそれらって、、」

84 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/12(木) 13:37
またさらに、
木の実もサナギも
小石に分類して
平然としているかのような

85 :w:2001/07/12(木) 18:07

>へーそうなんですか。僕のうろ覚えでは泉ってデュシャンの作品だと
>思ってました。それで、自分が審査員である公募展にだしたは
>いいんだけど、他の審査員が拒否して出品できなかった。
>そんな感じだと思ってました。勉強になりました。

そういわれる自信がないのですが、
あれは、R.MUTTE氏の作品と言う事になっていたのでは?

http://www.artstyle.org/topics.html

”■「泉」・・・「アンデパンダン」展に R.MATTの名で出品するが
展覧会の主旨(審査なし、賞なし、アルファベット順の陳列)
に反して出品を拒否される。デュシャン自身、この委員会の
創立に貢献しており、当委員会のメンバーであったが、
これを受けてただちに辞任した。 ”

「アンデバンタン」展って普通は無審査だけど、
この時は単なる公募展だったのですか?
感心がないわけではないので教えて下さい。

>話は変わりますが、それでしたら、江戸版画は何故アート
>といえないのか。宜しかったらもう少し、具体的に教えてください。

だから、そんなこと書いてないでしょ?
江戸版画が作られている時点では、
美術とか芸術としてつくられたわけではないでしょ?
北斎は自分を芸術家と思っていなかっただろうし、
自分の作品は芸術作品だとは思っていなかったであろうと、
でも、後に芸術とか美術とか言う概念ができた時にそう鑑賞されるようになったわけでしょう?
それと、”便器”が芸術になるプロセスは類似していると書いたつもりだったのですけどね。。

86 :57856:2001/07/12(木) 18:33
8678

87 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/12(木) 18:47
星夜?

88 :w:2001/07/12(木) 22:35
>>85に訂正

>R.MUTTE氏の作品と言う事になっていたのでは?

R.MUTTでした。

で、この件に関して、自作自演かもしれないが、デュシャンは観衆の側であったというのが、
私的には、ポイントかな。。

89 :its:2001/07/13(金) 00:24
>>82
難しい質問ですねえ。
日本人としての自尊心なんて僕にはまったくないや。
海外行ったらそれなりに意識的にはなるけど、それが一体何
なのかよく分かりませぬ。結局日本人て外圧からしかアイデン
ティティなんて自覚できないのかなあ。

あえてあげるとすれば、やっぱりアトム?でもこれもディズニー
の真似事と言われたらおしまいだなあ。しかもモノクロの現物見た
ことあんまりないしないし(自嘲)
よくわからないけど一応オリジナリティありそうな宮崎駿の諸作品
をあげてみたりして。
宮崎には駄作でもいいからとりあえずアニメ制作だけは続けて欲
しいから。。。

90 :ナナシノ:2001/07/13(金) 01:36
>>90
押井の「甲殻」は確か、発売時にビルボード全米
ビデオチャートで1位を獲ってるんですよね。
その意味では盗まれやすい場所に飾っといた方が
良いか。。でも今のアメリカはきっとぴかちゅー
を獲るだろうね。

82での設問で湧き上がる感情としては、一方的に強奪され
るという暴力の只中で発揮される自尊心だから、極めて日
本人的な感覚を突くのではないか。誰が見ても惨めな奴が、
最後の灯火として光らす自尊心だね。

ほんと、リアリティを求めたいな。そのためにあえて日本人
だってことを思い出すのも悪くない。外国逝ったら、ぜひ
人種差別を受けてみたいなんて感じること無い?

91 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/13(金) 01:51
>例えば戦利品としてのアートってものはあったじゃないですか。むかし。

オレが日本を占領した外人だったら、古美術品を戦利品にするよ。
一番目当ては絵巻物だな。源氏物語絵巻、伴大納言絵巻、鳥獣戯画、信貴山縁起絵巻、etc。
ヤノベの作品や、村上の造作物などは、興味ない。戦火に巻かれてもなんとも思わない。

そういえば、太平洋戦争後に古美術品の海外持出の話は随分あったが、
それに対して洋画が持ち出された話って全然聞かないなあ。

92 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/13(金) 02:46
浮世絵師っていうのは結構プライドが高かったということを聞いたことがある。
職人としての誇りみたいなものは持ってたんじゃない?
当時の高級芸術である狩野派や文人画に自分の作品が劣ってるとは
北斎は思ってなかったんじゃないかなぁ?
まぁあの人は狩野派も琳派も学んだっていうけど。

93 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/13(金) 03:32
>>92
それを正しいと断定して、現代の図式にあてはめると
アニメ制作者が村上に持つ不満や憎悪がわかるね。

94 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/13(金) 03:47
>アニメ制作者が村上に持つ不満や憎悪がわかるね。

不満や憎悪の出所は、ほとんどフィギュア造形関係やメカデザイナーの嫉妬であって、
ほとんどのアニメ製作者は村上の存在を意識すらしていないと思われ。
率直に言って、不満や憎悪を持たれるほどアニメ製作者らに評価はされていないよ。

95 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/13(金) 03:55
なんだありゃって感じ?
てか92ー93の意味を汲み取っていないじゃないの。
前提を無視したら会話にならないわ。
現場しらないけど(わら

96 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/13(金) 09:27
参考までに。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~karashi/
掲示板にいろいろな意見が出ているようです。

97 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/13(金) 17:33
>掲示板にいろいろな意見が出ているようです。
みましたよ。村上に対してなんの意見も出ていない。
>率直に言って、不満や憎悪を持たれるほどアニメ製作者らに評価はされていないよ。
というのはホントのようだね。知られてもいない。

98 :ナナシノ:2001/07/14(土) 02:51
>>91
いや、そりゃそうだ。仮に僕でもそれを獲るよ。(笑)

事はもっとフクザツで、占領軍は「現代・日本・文化」
を奪いに来てるわけだ。占領されちゃって屈辱なんだけど
それでも、我々が戦後、【丹精込めて】培ってきた「文化物」
を差し出さなきゃいけない。
それで結果「村上フィギィア」差し出すのって、かなりキツ
イよね?藁

日本人として、村上出すのと、なんかのアニメを「アート」と
称して出すのと、どっちがいい??あるいは他にふさわしいモ
ノある?

ヴェネチア・ヴィエンナーレ観てると、ヨーロッパ諸国は日本
に何を求めてるのかと考えさせるね。(求めてないわな)

99 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/14(土) 09:44
川本喜八郎の諸作品を差し出せば?
宮崎駿も偉大だけど日本的という意味では川本が喜ばれそう。

100 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/14(土) 13:40
「戦利品としてのアート」に「複製技術時代の芸術」は含みようがない
と思うよ。前例もないし、兎も角、戦利品として機能しないよね。
天皇文化のように、アニメ文化も、鹵獲されてリサイクルされる可能性は
高いけど、それはシステムの話であって、成果物の話ではないよね。

101 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/14(土) 14:18
でも、戦後行方不明になった「桃太郎・海の神兵」は、
実は進駐軍に海外へ持ち出されたのかもしれないね。
その後、松竹の倉庫からネガが発見されて、我々が目に
することが出来ているのは奇跡なのかもしれない。

それに対して、なんの技芸も持ち合わせていないスーパーフラット一族は、
消滅するしかないのでは。状況が変われば、強度のないことがウリの
彼らの成果物の価値は容易に揮発するし、技芸のない彼らにはなんの
利用価値も見出せないからね。

遠い未来、ゴミ捨て場である夢の島が発掘されたときに、デポちゃんは、
タマゴッチと共に発掘されて、博物館の陳列ケースの中では、
ダッコちゃんの横に並べられることでしょう。
それが彼らの本望でしょ。違うのか?

102 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/14(土) 14:23
遠い未来、ゴミ捨て場である夢の島が発掘されたときに、
中村政人の作品も、博物館の陳列ケースの中では、
屋外看板のコーナー並べられることでしょう。

丁度、「巨大銅鐸」が「楽器としての銅鐸」の隣に陳列されているようにね。

103 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/14(土) 14:31
忠君愛国を鼓舞するという理由で進駐軍に持ち出された
溝口健二監督の「元禄忠臣蔵」だが、
この作品の再評価もアメリカから始まったとか。

104 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/14(土) 14:47
>>103
面白い事例だね。ソースは?

105 :103:2001/07/14(土) 17:58
>>104
うろ覚えだ。これでも読んで確認してみてくれ。
「映画監督 溝口健二」(四方田犬彦編、新曜社)

106 :its:2001/07/14(土) 18:42
>>101
仮に村上隆の作品が未来人に発掘されたとして、村上本人は、
「日本のオタク文化の象徴」として取り上げられるのが嬉しいのか、
それとも「1990年代日本を代表するアーティストの作品」として取り
上げられるのが本望なのか、本人に聞いてみたい。

107 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/14(土) 23:07
アニメ絵アートなら
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=doujin&key=992800051&ls=50
http://www9.big.or.jp/~yoshioh/
ここ逝け

108 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/14(土) 23:15
いつの時代でも優れた芸術があるというわけでは有りませんから、
後から、振り返ったときに空白と考えられてしまうような時代だってあるのかもしれないわけです。
あるいは、他所の国からみて、芸術が存在しないように見えてしまう社会だってあるかもしれないですか。

109 :101:2001/07/14(土) 23:19
>>106
かわいそうだが、そのどちらでもないと思われ。
あの造形にオタク文化を象徴する機能はないし、
時代を突き抜けるような芸術作品としての強度も無い。
だから、タマゴッチと共に〜ダッコちゃんの隣なのよ。

110 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 00:25
>>104
ヨモケンかあ。
彼の著作は、往々にして、
眉毛に唾つけながら読まなきゃ逝けないところがあるので、
読むと、いつも眉毛が臭くなる。

111 :ナナシノ:2001/07/15(日) 01:02
>>100
その指摘は極めて真っ当かつ正しい。知らぬ振りして、いつまでも
下らない設問を続けていた僕ですが、当然、「アニメを奪う」ことなど
出来るはずもない。フィルムを奪って、一体何を手にしたことになると
言うのか?ってことだ。戦利品ってことで、複製技術時代においては
何を奪えば良いだろう?「人材」なんて、答えとしては退屈だ。

ここからは一例だけど。。
個人差あるにせよ、最近の日本映画って、作品と、それを取り巻く状況
が比較的熱い。って印象ない?「映画」ってジャンルが大衆に浸透して、
映画をきっかけにしたコミニュケーションが、より深いレベルで実践され
てる光景を他ならぬ「2ch」で垣間見たりする。(高度な議論が戦わされ
てるとかって話じゃなく、ただひたすら羅列されるレスからそんなパワー
を感じる。)これって、今の美術鑑賞版では多分起こり得ないと思う。

ある表現とそれを取り巻く熱。それこそ、奪われるのが最も辛い何か
だと思う。それを奪うことは出来るか?奪われてしまうほど脆いのか?

112 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 01:36
「奪われるのが最も辛い何か」をハンドルネームの事だと勘違いしている馬鹿=空耳

113 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 01:51
>今の美術鑑賞版では多分起こり得ないと思う。
なぜそう思うの?もう少し語ってみて。

114 :its:2001/07/15(日) 02:25
>>109
なるほど。本人の意思とは別に、しょせん一時期のブームあるいは
大量生産品の残滓の一つとしか扱われないわけですね。当然、作者名も
記入されないまま陳列と。

>>111
その熱さ・寒さの原因の一端が、エンターテイメントと芸術との差であると
思うよ。「俺はこれがどうしても好きなんだ!」「なんじゃこりゃ?嫌い!」
と言うにしても、何かしらその理由の発言が求められるのが芸術。いろんな
意味で、芸術、美術には訳のわからない権威が付きまとってると僕は思う。
そういうことなのかな?

115 :ナナシノ:2001/07/15(日) 03:01
>>113
なぜそんな質問するの?今、美術鑑賞って行為において、ある作
品とそれを取り巻く状況において、熱い磁場が生成される理由が
ある?(あるいは、なぜ僕がここにいるのかを問うてるのか??)
>>114
僕は多分美術ってモノについて
【何かしら(鑑賞者の好悪について)その理由の発言が求められる】
ようなモノで無ければ良いと感じてる。

その意味では美術はエンターテイメントでも良いと思う。(its さんの
言うエンターテイメントってのがどんな事象を指してるのかわかんな
いけど。。なんちて。とぼけたりして)

要は自分の内面にドカーンと来れば良いわけで、ドカーンと来る可能
性を未だに美術は持ってると思う。そう思うこと自体が既にナイーヴ
ってことなら、それはしょうがない。

僕は大衆がもっと、純粋なイメージそのものを貪欲に欲するような
時代が来るんじゃないかと思うんだよね。各々の潜在的欲望が、あ
る抽象化されたひとつのイメージに託して猛烈に賛同するような事
態がね。

116 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 03:17
>僕は大衆がもっと、純粋なイメージそのものを貪欲に欲するような
>時代が来るんじゃないかと思うんだよね。各々の潜在的欲望が、あ
>る抽象化されたひとつのイメージに託して猛烈に賛同するような事
>態がね。

其レハ危険ナ香りガ漂フ思想也。

117 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 05:54
>>110
日本でも佐藤忠男とか川島雄三とかが高く評価はしてたけど、
一般的には「元禄忠臣蔵」は失敗作という評価が支配的でした。
新藤兼人の著作などを読めば理解出来ます。
それが本格的に再評価をされ始めたのはアメリカのノエル・バーチ、
デイヴィッド・ボードウェル等が様式面から溝口健二を詳細に
分析するようになってからです。

118 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 11:42
>「元禄忠臣蔵」は失敗作
検閲でラッシュをズタズタにされた映画だからなあ。
内容での評価はムヅカシイんじゃないかな。
様式面の分析ね。
それは外部の眼で見て初めてできることだったりする。

119 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/16(月) 01:47
「元禄忠臣蔵」は検閲で切られた部分はほとんどないだろ。
あれは国策映画だったんだから。

120 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/16(月) 09:07
あげておこう

121 :its:2001/07/16(月) 18:41
>>115
確かにナナシノさんの言うとおり。
美術館やギャラリーでよく女の子が「カワイー」「キレイー」と素直に
感想を声に出すけど(ほとんど男は無言だね)、それが一番健全な
鑑賞の仕方なんじゃないかな、と思うときがある。しかめつらして
ウンチクたれるよりもね(こういう意見交換の場ならいいけど)。

先日立ち読みした本の中に福田和也の「作家の値打ち」というのが
あります。話題になってたらしいけど(文学板では叩かれてたw)。
その中でエンターテイメント文学と純文学の違いについて、
「エンターテイメントは読者の規制の感覚の中でストーリーが展開し、
純文学は読者に自己超克・自己否定を促す、場合によっては不快な
モノ」
とありました。
これを全面的に受け入れるつもりは毛頭ないけど、なるほどなあという
思いはした。正直ある程度自分の抱いてる感覚に近いものも感じましたよ。
それで、この図式はサブカルチャーと美術にも当てはまるのかなあなど
と頓珍漢な感想も抱いてみたり。
まあ、得てしてこういう図式的見解には、そこから漏れる作品というのが
必ず出てくるものですが、しかし人間はこういう定義づけ、評価基準を
どうしても欲するわけですね。

もし、美術がおしなべて「鑑賞者に自己超克・自己否定を促す」モノだと
したら、無言にならざるを得ませんですね(笑)

122 :its:2001/07/16(月) 18:45
>>121
立ち読みした→購入した
に訂正(自爆)

123 :月読:2001/07/17(火) 00:05
>>115
>>121
「心的リアリティ」って小此木博士が宮崎氏の対談で言ってたんだけど、
(心理学用語?)
エンターテイメントの範疇にあってもこれの実現は可能だと思うけどな。
まあ人それぞれなんだろうけど。
ポップで救われるような魂しかないのか?という十把一からげ的な
物言いではなくて、ってことも。
いろいろなイメージがあっていいだろう、と。
ただ純文学や私小説とかは生(なま)の発露性が強いので、その分の
ダメージや呼応性(=喚起)が強いのだと思う。
正直な率直な真摯な。

寺山とかの作品を見て思ったんだけど、
現代は反体制勢力の力となる体制ってものの強大さが薄れてるのかなあと
冷静に思ったりした。(デムパなしに
それともただ無気力なだけ?洗脳が強まった?
まあ、適当に平和だもんねえ。情報/物質過多のぬるま湯。

なんかポップを批判することでアイデンティティを確立させてるような輩には
なりたくないし。かといってポップだけでも面白くはないけどね。
このオルタナティブの多岐な時代にねえ。とかは思う。

僕のアートがポップに足を踏み入れたのはプチナショナリズム(文化的)の表れかな?
とか思ったりする。

124 :月読:2001/07/17(火) 00:09
×僕の
○僕は

125 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/17(火) 01:35
みなさんよく勉強してますね。
ぐだぐだ生きてる引き篭もりの僕には眩しく見えます。

126 :ナナシノ:2001/07/17(火) 01:52
>>121
「作家の値打ち」未読なのですが、福田和也って良くも悪くも語る対象
を単純化するでしょう。それが極めて効果的だから受容もあるのだろう
けど、多分、本来純文学は「読者に自己超克・自己否定を促す」だけの
モノではないと思います。それを真に受けたら文学板の住人が怒りそう。

だから無言になる必要など無いと思いますよ。純文学に対しても、ファイ
ンアートに対しても。そして、アニメだから気楽に語れるってな感覚もおか
しいわけです。要はモノ自体の強度に触発されたコトバであるか否かって
ことで、コトバのリアリティが決定されると思う。まあ、its さんに対しては、
言うまでも無くご理解の内ってな話だろうとは思うのですが。。

「カワイー」「キレイー」と素直に喜びたいわけでは無いし、かと言って、
「しかめつら」も退屈なワケで、ぶっちゃけた話。もっと快楽/愉悦を感
じたいじゃないですか?

鑑賞者をそんな気にさせるパワーは、まだまだ各ジャンルに残ってる
はずだと思うのですけどね。

127 :ナナシノ:2001/07/17(火) 02:06
>>125
僕もぐだぐだしてますぜ。もう自己嫌悪すら飽きた。

>>123
だから、なおさら、我々はほとんど体制側みたいな意識でもって、
体制の思考・メカニズムに寄りたいと感じるのよ。個人的には。。

多分、もはや寺山は無効じゃないかな?今となっては。村上隆を
否定しつつ、寺山を擁護する奴がもし、いたとしたら、その人物は
本質的に「趣味人」の域を越えてないし、越える必然性も内面に
持ってないのだろうと思う。所詮は自分のローカルにたまたま保存
されてた何かと相性が良かったってなハナシでしょ?

ポップは既に「ポップ」じゃないし、安定したメイン・カルチャなんて
少なくとも日本には無いのだし、心理学的な「拠り所」とやらも本来
は無いはず。過酷だと思う。「自分の力を信じる」ってな、脱力級に
凡庸なコトバだけが有効だと思う。

128 :its:2001/07/17(火) 02:16
>>123
>エンターテイメントの範疇にあってもこれの実現は可能だと思うけどな。
まったく同意です。
エンターテイメントとか芸術とかローカルチャーとかカウンターカルチャー
とかサブカルチャーとかそういったカテゴリーなんてハッキリ言ってどうで
もいいです。その中で個々の表現が際立っていて、享受する人が大きな
衝動を感受することが出来れば、それは全て等価。僕もそういう立場に
いたい。
ただ本当に、「芸術」には訳のわからない排他的な傾向がどうしてもある。
作品という観点からみれば、その顕著な例がポップと芸術との関係になる
わけですね。それを突き崩そうとする努力は、アート側からも大衆文化から
もほとんど孤立しているように見えます。僕は>>114で否定的とも取れる
見解を書きましたが、僕の立場は本来は現在のところ中立。
確かに自分のポップを不快に受け止める性癖を否定しはしませんが、そう
いうものがあってももちろんよいかな、と。

寺山までの時代のアートを規定するのは簡単ですよね。
曰く「既成の価値観の揺るがしもしくは倒壊」
でも現在の価値多様化の時代では、既成の価値観なんてものも存在しないし、
新しく作り上げる価値観なんてものも結局多様化の波に押し流されて、その
一部に取り込まれるだけ。

なんなんでしょう。結局アニメについて語るのにもアートの枠組みについて
語らなければはじまらないのかなあ。

129 :its:2001/07/17(火) 02:41
>>126
確かにそれはありますね。単純化。
でも、それって批評には付き物ではないかなあとも思うんですよ。
結局は主観で物事を捉えるわけですから、その人のスタンスが
基本となる。だから批評家同士の喧嘩って面白いんじゃないで
しょうかね。

「作家の値打ちは」では、村上春樹も保坂和志も町田康も筒井康隆
も純文学に入ってます。でもこれらの作家の作品読んで「自己超克・
自己否定」になったことなんて一度もありません。むしろ僕も含めて
ほとんどの人がエンターテイメントとして楽しんでると思います。
ハッキリ言ってくだらない(そしてある意味面白い)本ですが、まあ
電車の中の暇つぶしにはいいんじゃないでしょうか、という程度です。
(こんな本を上げてしまった自分に自己嫌悪)
月読さんにも申し上げたいのですが、文学と美術を比較するなんて
かなり乱暴ですよね。ほんとスイマセン。

>>127
>ポップは既に「ポップ」じゃないし、安定したメイン・カルチャなんて
>少なくとも日本には無いのだし
うう、なんとも過激な発言ですね。僕にはナナシノさんほど達観視は
できません。「安定したメイン・カルチャがない」というのは同意ですが。
メインがないからこそサブもないということなんでしょうか。
うーん、その辺の思考のこだわりが、もしかしたら僕が「芸術の権威」
という枠組みに拘留されている理由なのかもしれません。

130 :月読:2001/07/17(火) 23:34
>>127
>多分、もはや寺山は無効じゃないかな?

そう思います。
ただ、イメージの断片や形態は残るからそれに心酔するひとはいるのかも。
ゆらゆら帝国とかってああゆう感じじゃない?サンプリング。

>>129
>文学と美術を比較するなんてかなり乱暴ですよね。

いやいや、僕も文学にはそんなに詳しくないんで、、
全然持論展開で構わないですょ。
「創作」に関しては同じなわけですし、表現手段が違うだけで。
似通った点は数多いと思いますよ。
ただ、現在のエンターテイメントと純文学、等様の対立構造とかは
違うと思いますね。
(そういえばそのへんの話をしてるんだよね↑で)

131 :its:2001/07/18(水) 01:27
>>130
フォローありがとうございます。
話ずれまくってスイマセンが、
ちょっと月読さんはじめ皆さんにお訊きしたいのです。村上隆のフィギュア
の作品について、それがたとえば普通の模型屋に陳列されている分には何
にも感心が湧かないですが、美術館やギャラリーで「村上隆作」として展示
されていると、どうしても気になって(この場合好悪は抜きにして)しまいます。
そのような気になったことはありませんでしょうか。そして、もしあるとすれば、
それはどういった理由だと思われますか?

132 :月読:2001/07/18(水) 02:24
>>131
うーん、、、まあその発言を素直に読めば、
「美術」という装置の魔法とでも言おうか(月並みレトリカル、、)
商業の世界を透過しない世界には純な、崇高な世界があるのではないか、
のような感じなんだろうか、
でも村上作品はポップからの搾取だからねえ。
再構築ってか?
でもこの手の質問は芸術論の方々のほうが適役かと思われますが、、

何かの本で読んだんだけど、
「狂気であれ、何でであれ、作家の思惟は私達の世界とも無関係ではない」
とあって、ユング的な物言いになるのかもしれないけど、
普遍無意識下で繋がる作家の心と自分等の心、みたいな。(臭う表現だが
そういうものを美術館で見てるというか期待してるのかもしれないね。
わかんないけど。

133 :よこちん:2001/07/18(水) 02:29
>>131
初めて書き込みます。
この気持ちは分かります。一点物でしかも村上隆作、 模型屋で積まれてる
キットより「価値」があると思っちゃいますね。なんたって、村上隆が
触ったんですから。
ポスター<写真<版画<水彩<油絵
作家の手がかかるほど、数が少なくなればなるほどお客さんにとって
「価値」が上がる。これは世界に一つだけ、わたしだけのものよーって。
好きなものが1個しかなければ、独占したくなるのが人情というもの。
この「価値」ってのが、ベンヤミン(だっけ?)の言うところの「アウラ」
なのでしょうか。よく知りませんけれども。

このスレざっと読んだだけですが、レベル高い人沢山いらっしゃるみたいなので、
私、反論されたら逃げるかもしれません。(既に逃げ腰)

134 :its:2001/07/18(水) 03:18
皆さんさっそくレスありがとうございます

>>132
>でもこの手の質問は芸術論の方々のほうが適役かと思われますが、、
いや、僕は月読さんの意見こそ聞いて見たかったのです。ポップに軸足
を置いていると見られるその立場から。
(今さらこんな発言は卑怯ですが、僕が「名なしさん」のころ、「ヒロポン
スレ」で無謀にもで村上をオタク文化の搾取と攻撃し、月読さんに異論を
申し立てのは、何を隠そう、この僕なんです。倫理などという自分の手に
おえない言葉を持ち出して、ナナシノさんの止めで見事に撃沈しましたがw
いやあ、あの頃は若かった。おかげで今は偏屈な価値観はなくなりました。
あの時に相手していただいたこと、そして、そのことを隠した上でこのような
無礼な質問を投げかけてしまったことに対して、お礼とお詫びを申し上げ
ます。ほんと僕は下劣な奴だ・・・スイマセン。でも、白状したら胸のつかえ
が取れました)

>>133
そうか、「アウラ」ですね。一点モノというものが放つ高貴なる価値。
それも確かに的を得た意見だと思います。よこちんさんももっと果敢なレス
をお願いします。(なんて新参者が偉そうに行ってゴメンナサイ)

皆さんほんとにどうもありがとう。
でも、>>131の問いは、まだ残しておきます。いい意味でニヒリスティックな
スタンスを確保し続けるナナシノさんの意見も聞いてみたいし、他の人の
意見も聞いてみたいからです。スレ違いは承知の上です。興味のない人
邪魔してほんとにスイマセン。

135 :月読:2001/07/18(水) 23:49
>>134
、、、そうなんだ。
でもこんな何のバックグラウンドもコンテクストもない
フラットな空間で無謀もなにもないがなあ。
2ch=ポストモダンの実現?

まあ搾取と言えば搾取でしょう。
明らかなフィードバックは見られない。
ただ相利はなくとも、文化や学問に昇華されてくなら別になんでもいいと思うし。
もともとポップアートみたいなものって肯定的な視線なわけだし。
世界全体を肯定的な目で見るってスタンスをいいと思うだけ。僕はね。

いろんな意見があっていいんでない?

136 :よこちん:2001/07/19(木) 00:10
>>134
いえいえ私も2ch来るようになったのはここ1ヶ月ぐらいです。
せっかくだから何か書いてみたいんですけど私、村上隆つーか最近の美術全般に
疎いんで、何書いたら良いのか。。。
まあ議論も一段落してるみたいだし、鼻笑い話でもひとつ。

村上隆の美少女キャラなんですけど、アレもっと徹底させると面白いんじゃない
でしょうか。リカちゃんファミリーかガンダムか、ってぐらいに徹底的にやるの。
あ、現物観たのは1、2回なので「そんなの、もうやってる」場合は以下読み飛ばしてください。

あの空飛ぶねえちゃんの家族構成からなにから、状況設定完璧に作り込んでバリエーション
増やしてやる。両親兄弟友人知人全部創って、空飛ぶ部分も、原理とか機能も全部理屈つけると。
ヲタを口にするんならそれぐらいできるでしょ。
そんで、展覧会の時はそれ全部持ち込んでリカちゃんハウスにしてしまう。雑誌で見るとこの人
の展示、何かしょぼいんで、これぐらいの密度にしてやる。
http://henrydarger.tripod.com/art.htm
金無くなったら、現場で店開いてキット売って回収。サインもつけてレア度あげ。
そいで外国いったら、コネ使ってハーケとかのシリアス路線の人の隣に陣取ってガンダムリカちゃん
を展開してみせる。あ、ついでに映画も作って上映しちゃえ。ハーケの隣で美少女キャラが
きゃぴきゃぴ(死語)言ってんの。日本のヲタなんだからこれぐらいやらないと雰囲気出ないでしょ。
資本主義がどーとか、現代美術がこーとかチラッとでも思わせちゃイカン。親が死のうが本人が死のうが
あくまで美少女!そうじゃないとヲタの人だって気分悪いでしょ。勝手に名前使っといて、半端な
プレゼンされて、ヲタってこんなもんなのね、とか言われたら。
日本のヲタはotakuじゃない「WOTA」なんだって、世界中から嫌がられて初めて、欧米と対等に
アートの話ができるんじゃないでしょうかね。あ、もう既に実践してたらゴメン、失礼しました。

私がアニメという言葉で頭に浮かんだのは、和田誠の「murder」(超古!)
昔、大崎で観てゲタ笑いさせて頂きました。

137 :ナナシノ:2001/07/19(木) 03:13
>>131美術館であろうが模型店であろうが、フィギィアはフィギィア
なんだろうね。「それはフィギィアでは無い」ってな観念で遊ぶ
体力が無いし。現場で自室での感動を思い出そうとする空しさに
勝てないし。つまらなく見える方が健全な感覚かもしれないですな。

でも村上隆の魅力って常に逆説的だと思う。
だいたい実も蓋も無いじゃないですか。フィギィアの展示なんて。
更に「実も蓋も無いモノ」を美術作品と称する姿勢ってのは結構
ありふれてるから、余計、実も蓋も無い。。そんなモノを観にいくの
は不毛なんだけど、不毛の真っ只中で恐ろしく古典的かつまっとう
な「かたちへの拘り」みたいなものが見えた気がしちゃった時なんか
に、自分でも意外な程、クラッと来ることがある。
実は僕が村上作品に期待することって、あの「飛沫」の追求一点
だけと言って過言ではないのだ。「飛び散る水しぶき」は、僕らに
とってのリアルな、抽象化されたイメージだと感じる。それは確かに
アニメのものだったのだろうけど。確かにアニメ体験者が共有した
かけがえのないリアリティにほかならない。と感じる。個人的にね。
実は意外なくらい、画面の質感に神経質だったり、キワの処理に
手間かけてたり。。なんか信用させられるのだ。村上隆には。

しかし今更ですが、僕が2chで、村上隆を賞賛してる理由は謎。
実は最初に賞賛したから、いきおいその姿勢に縛められてる部分
もあるです(笑)  文が質問から逸れてすいません。。

138 :its:2001/07/19(木) 05:14
いやはや、皆さんくだらない質問に付き合って頂いてありがとう
ございました。
ところで、ソシュールはたしか「言語は関係性の中で捉えられるもの
であり、実体性はない」というようなことを言っていたかと思うんですが、
(クリステヴァなんか無視無視w)僕の問いの真意もまた、そこにあった
のです(もんのすごく曖昧でしたが)。
すなわち、フィギュアが美術という枠内で捉えられるのと、それ以外の
枠内で捉えられるのとどれほどの違いがあるのか? 美術という言葉
にはその言葉以外の根拠があるのかどうか?

その点で>>132月読さんの「「美術」という装置の魔法」という言葉には
考えさせられるものがありました。
>>133よこちんさんのアウラ指摘にも見過ごしていたところをグサリと
えぐられたような気がしました。
>>137ナナシノさんの「実も蓋も無い」には、美術は。。。
あっとここで僕が偉そうに総括したところで、御三方の真意なんて分か
るはずもないや。むしろそれは意見を矮小化し、冒涜してしまうことになる。
もうやめますやめます。

>>135
>2ch=ポストモダンの実現
ん〜まさしくそうですね。僕には2chは社会の縮図を見ているような気が
します。社会もまたフラット。人間関係もフラット。そんな時代ですよね。
なんだか自分のカキコを見返すたびに、過去を清算したくなる衝動に襲
われます。これもまた性か。

itsとはそういうキャラ。

139 :its:2001/07/19(木) 07:18
いかん。どうも掲示板をメールやチャットとはきちがえてしまったようです。

アニメネタ。
ルネ・ラルーのカルトアニメ「ファンタスティック・プラネット」のビデオを
買いました。洋物なのでセリフはちんぷんかんぷんでしたが、映画館で
見た記憶を掘り起こしながら何気に楽しみました。シュールでいいです。
でもこれってやっぱり「絵」としては、ハマルのですが、動きがぎこちない。
1973年制作らしいのでしょうがないのいかもしれませんが。
なんだかモンティパイソンの中振りアニメを思い出してしまいました。

美術ネタ。
「美術」には頑固として、権威やら制約が存在する。

140 :リヲタール:2001/07/19(木) 10:02
>>2ch=ポストモダンの実現
>ん〜まさしくそうですね。僕には2chは社会の縮図を見ているような気が

社会はもっとダイナミック。フラットな眼には、そう見えるのかもしれないケド。

>社会もまたフラット。人間関係もフラット。そんな時代ですよね。

何処にもフラットなんてないよ。キミの眼がフラットになっているだけだ〜よ。

>「美術」には頑固として、権威やら制約が存在する。
それは美術に限れない。他人が2人以上集まれば権威やら制約は自動的に発生する。
それが社会。

村上隆の魅力は、
モラトリアムが永遠に許容されると言う幻想を担保してくれる、
と言うこと以外にはなにもない、独身者の美術。
もう少し踏込んだ言い方をすれば、「親と同居している独身者」の美術(笑

まさに、ここはプラネ・ティガン。そして、村上を評価するキミはド・ラーグ?

141 :its:2001/07/19(木) 20:25
>>140
>社会はもっとダイナミック。フラットな眼には、そう見えるのかもしれないケド。
>何処にもフラットなんてないよ。キミの眼がフラットになっているだけだ〜よ。

そうかな。たとえば日常生活を思い返してください。「食う・寝る・遊ぶ」その
繰り返しじゃあないですか。「大きな物語」なんて一体どこに存在するの
ですか? 具体的に例示して欲しい。美術鑑賞がその契機なの?
「人間関係もフラット」というのは少し言い過ぎたかもしれない。(確かに
かけがえのない人というのはいるからね) しかし、その要素は大いにあると
僕は思う。
聞きかじりだけどラカンを例にあげます。僕らは「象徴界」に生きている。そし
て僕がリアリティを感じるのは、目の前に繰り広げられた人間喜劇(悲劇か?)
以上のものではない。しかし、その多くは他人事にすぎず、自分の自我を傷つ
けられた、あるいは賞賛された、昂揚感を感じた、それこそがリアリティ。
自分の足場を起点にしてしてしか物事を把握出来ない状況、それこそポスト
モダンなんじゃないでしょうか?
自分のくだらなさを宇宙の広大さと比較して、他愛のないものだと思うこと。
こんなことは現実逃避以外の何モノでもない。
2chで反論される。攻撃される。誉められる(んなことないか)。これもまた自我
への直接の刺激としてのリアリティ。
その意味で「2ch=社会の縮図=ポストモダン」と言ったまでのことです。
(ん?現実とヴァーチャルを履き違えてるって?そんなことを言う人は、おそらく
現実にも鈍感であると僕は思う)

>それは美術に限れない。他人が2人以上集まれば権威やら制約は自動的に発生する。
>それが社会。
たしかに。しかし僕が言いたいのは、それで終わりではなくて、「美術」作品が生
じる契機を問いたいのです。
>>137で書いた
>すなわち、フィギュアが美術という枠内で捉えられるのと、それ以外の
>枠内で捉えられるのとどれほどの違いがあるのか?
という問題です。あなたはどう思います?
なんだか美術の現場にいない僕にとっては、「美術」以外のモノを「美術」とする
ことに対して、美術館も批評かもあまりに無頓着じゃないか、と感じる。
ぴあを見返していたら宇都宮市美術館で「日本アニメの黎明期」という展覧会を
やっていたそうだ。「美術」を司る最も強力な「美術館」という装置が、このように
無意味に(おそらく観客動員数を期待して)行うことは、果たして正しいのか?
僕はこの展覧会を眉間ですが、おそらく図録には「今や日本のアニメは、ジャパ
ニメーションとよばれ、世界でも広く認知されている、云々」といった紋切り型の
文章しか書いてないに違いない。(違っていたら指摘願います)
そういう無知ぶりに僕は納得がいかないのです。そうやって前例前例を重ねって
いってやがてアニメがアートとして認知されるに至る。そんなクズ同様の筋書きが
眼に見えるようです。少なくとも僕には。

142 :its:2001/07/19(木) 20:36
>村上を評価するキミ
僕は少なくとも評価していない。むしろ嫌悪感を抱いている。しかし
そういうのもあってもいいんじゃないか、という気はする。
「ヒロポンスレ」で村上作品の嫌悪感をあらわにし、差別主義者と罵
ったのは、この僕だ、ということは>>134で白状した。まだスレが残っ
てたら暇な時に見てみてください。

>プラネ・ティガン、ド・ラーグ
厨房の僕には何のことか良く分かりません。よかったら、簡単にでも
意味を教えてください。

上の文の訂正
>このように無意味に(おそらく観客動員数を期待して)行うことは、

>このように無意味に(おそらく観客動員数を期待して)アニメの展
>覧会を行うことは行うことは、

143 :its:2001/07/19(木) 20:41
誤字だらけ・・・
美術館も批評かもあまりに→>美術館も批評家もあまりに
展覧会を眉間ですが→展覧会を未見ですが
スマソ

144 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/19(木) 20:45
>>プラネ・ティガン、ド・ラーグ
>厨房の僕には何のことか良く分かりません。よかったら、簡単にでも

ファンタスティック・プラネット見たんじゃなかったっけ??

145 :its:2001/07/19(木) 20:53
>>144
あうう、そうかあのクリーチャーの名前か〜。どうもありがとう。
英語版だから良く分からなかった、と言い訳してみたり(自爆)

146 :its:2001/07/19(木) 21:02
やべ、また間違い発見
>>141>>137>>138です。(おおなんかダダの詩みたいだ(ヴァカ)
ホントスマソ

147 :リヲタール:2001/07/19(木) 22:19
>「大きな物語」なんて一体どこに存在するの
>ですか?具体的に例示して欲しい。

既にキミは「大きな物語」を我々に物語っているじゃないか。
「大きな物語」なんてどこにも存在しない、という、「大きな物語」を。

148 :its:2001/07/20(金) 00:01
なるほど、そういう転換もありましたか。でもそのレトリックもまた
ポストモダン的状況だからこそ言い放つことのできるものではない
かなあ。
あらゆる価値、解釈、拠り所、共同体、意味、関心・・・の混沌。
そしてこういうポストモダン的状況だからこそ、僕が社会がフラット
というのも、あなたがそれを否定するのも許される。
ポストモダンって何だろう? 個人の主義主張の免罪符?
あなたが「社会はもっとダイナミック」というのも、おそらくはなんらか
の基準を拠り所にしていっているはず。そして僕も東を読むし、福田
の新保守主義にもなるほどと思うし、美術が好きだし、女も好きだ。

「大きな物語」≒徹底したポストモダン的状況?

まさにこの世はファンタスティック・プラネット???

149 :its:2001/07/23(月) 14:52
>>141の発言のくだらなさのみならず、上の文章の
>ポストモダンって何だろう? 個人の主義主張の免罪符?
なんて、冷静になって考えてみると、かなり馬鹿な主張だった。
きっと、社会学研究者や宮代、橋爪信者、ルーマンあたりを専門にしてる人、
現実主義者からは、「個人の自由なんて微々たるものんだよ、馬鹿!」と
厨房呼ばわりされて、完全に論破されてるだろう。
ポストモダンに洗脳されてる僕ってほんとに間抜け。

150 :its:2001/07/23(月) 15:39
それで、レスの趣旨に即して(話をずらしたのは僕が元凶ですスマソ)、
私見をまとめてみます(激しく既出ではありますが)。

「アート」という言葉の定義づけには、大きくわけて二通りあります。
1.概念から導き出される「アート」
2.制度、政治的側面から決定される「アート」

1.は、アートとは何かという形而上学的な問い。これには誰も(多分専門
家ですら)明快な答えを持っていないような気がする。この分析は、結果的
に既に「アート」と規定されているものを「アート」のコンテクストに位置付け、
当の作品が「アート」としての強度を増すための役割としてしか機能してい
ないように思います。

2.は国家、或いは研究者、批評家、学芸員等によるいわゆる権力側から
の定義づけ(例:明治国家による「美術」の規定。批評家、学芸員が取り上
げるということによって自動的にそれがアートとなるという仕組み。詳しく言
うと、ヴェネチア・ヴィエンナーレに出品が決まる、美術館に展示される等の
既成事実によって事後承諾的に「アート」の枠組みに取り込まれる事態。)

この二つはおそらく不可分なモノであり、これらが混濁された結果提示され
るものが「アート」であると考えます。

この上で、「アニメはアートになりうるか?」という問いに対しては、僕は「なり
うる」という立場を現状ではとります。それは、2.の要素が大きく絡んでいる
事は言うまでもありませんが、同様に「マンガ、フィギュア、映画、そして村上
隆はアートになりえるか?」という問いに対しても同じ解答をします。(村上の
場合その辺はかなり意識的であり、それをうまく利用している感を持ちますが)

この意見を僕は我ながら尊重できませんが、現状分析をしてみるに、この解答
が妥当ではないのかという感想を持ちえません。
異論、反論、お待ちしてます。

151 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/23(月) 16:37
この板における試みとしては評価する。けど、その分別は、

         全くナンセンス

です。
いまさら、コトバからはじめても仕方あるまい。強いてその線で分けるなら、

・表面 作品 コンテンツ 論
・支持体 制度 メディア 論

〜のほうが良いと思われ。

最広義のアートには人間の営為はすべて含まれる。
最狭義のアートは各個人によって定義が異なり他者との共有は不能。

貴方の言うアートとは何?

152 :its:2001/07/23(月) 17:35
>>151
言葉を無視してはなにもはじまらないでしょう。
誰も(あなたも僕も)が言葉を介して、思考し、対話し、「アート」につい
て語るわけですから。丸山は「言葉は世界を切り取る力」といった。
当然異論はあるだろうが、僕はそれにほぼ同意する。
上の文章で僕が言った「アート」とは、うまく言葉で表現できませんが、
あなたの言う最広義と最狭義の中庸に位置するのでしょうか。アニメが
アートに「なりうる」といった以上は。
しかし、本音では狭義のアート(個々人のリアリティに訴えかけるもの)
と言っておきます。

ところで、
>・表面 作品 コンテンツ 論
>・支持体 制度 メディア 論
この分け方の真意は?どっちがアートで、どっちが非アートなのでしょうか。
たとえば、「モナリザ」にしても、表面と支持体を共有している。メディアと
しても十分作用するだろう。制度としても、当時から話題は呼んでいたとし
ても、幾多の画家の作品が埋もれていった中で、今でも名画としてのポジ
ションを維持し続けるという点で、(美術史あるいは文化財保護政策、鑑賞
者という)制度に依存していることは否定できない。
あなたにとって「モナリザ」はアート?それとも非アート?
(ちなみに僕にとってはアートである)

>最狭義のアートは各個人によって定義が異なり他者との共有は不能。
その意見も否定はしません。しかしそれを言ってしまっては・・・という気も
しないではない。もちろん、個々人によってアートの規定は様々でしょう。
しかし、他者との共有不可能な物が「アート」というだとすれば、美術史は
なぜ生まれたのか?美学は何のためにあるのか?学問がまた権威的で
あることも否定はしませんが、その中で踊らされている我々って一体なんだ?
批評家は?研究者は?鑑賞者は?全て愚者?

おそらく、あなたはアートあるいは言葉自体に懐疑的なのでしょう。ポスト
モダンが足場?誰かさんが言うところの言葉の希薄性、それは確かにある。
その意味ではまさしく正論を言っていると思います。

あなたに再び訊いてみたい。(僕は>>1さんではありません)
「アニメはアートになりうるか?」

153 :its:2001/07/23(月) 17:54
>>151
補足
勢い込んで書いたので、すっかり忘れてましたが、>>150の私見は
文中にあるようにあくまで「現状分析」から導き出したものです。
そのことを踏まえたうえでの、>>152に対する151さんのレスを待ちます。

154 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/23(月) 18:16
>>1
画家だって出来るだけ高く作品を売る事を目標に描くわけで、商業目的には変わらないと思う。

155 :151:2001/07/23(月) 19:02
言葉を無視したら、読めません。(w

アートと言う言葉が、何を指しているのか語られない以上、論議は不能。

「表面 作品 コンテンツ 論」/「支持体 制度 メディア 論」という分類は、
この板で語られている論を分別したもので、アート/非アートと言うことではない。

名画とは、美術文化の資本の担体である。
美術文化の原器といっても良いかもしれない。
原器であるがゆえ、専門の建物の中で厳重に保管される。
通用しなくなった単位の原器はその価値を失う。

村上某の策略の中で踊らされているあなたは明かに愚者です。

私はアートという言葉自体に疑問を抱いているわけではない。
しかし、貴方の語るアートという言葉には非常に疑問を感じる。

「アニメはアートになりうるか?」
それに答えるのは、貴方が、
貴方の語るアートという言葉を定義した後のことになるだろう。

156 :its:2001/07/23(月) 20:22
>>155
>>150および>>152で明確に示したはずですけど。それとも個々の画家
を羅列しなきゃダメなの?
もう一度繰り返します。
>>150の美術の定義
「いわゆる美術史の文脈の中で捉えられる美術と、美術館やギャラリー、
ヴィエンナーレなどで扱われ、一般に美術と呼ばれるモノ(いわゆる
現代美術)の総体」
(当然ここには子供の落書きなんかは含まれないです、だからあなたの
言う最広義の美術とは違う)
>>152の美術の定義
「自分がリアリティを感じる美術」
(別の言葉に直せば、あなたの言う最狭義の美術に近いですね)

150の意見と152の意見の相違は、文脈から明らかだと思うけど、150は
今の現状をみればこのようになっているのではないかという個人的な感想。
一方、152はそれを嫌悪する自分の生の告白。
つまり僕の問題意識は、このスレに何度も書いたけど、美術でないものが
美術になる過程を問いたいわけ。

>名画とは、美術文化の資本の担体である。
>美術文化の原器といっても良いかもしれない。
>原器であるがゆえ、専門の建物の中で厳重に保管される。
>通用しなくなった単位の原器はその価値を失う。
この辺を読んで、あなたの言っている美術館と僕の言っている美術館が少し
違う様な気がしました。僕が言っているのは、今僕が根ざしている”日本”の
美術館の現状です。

>村上某の策略の中で踊らされているあなたは明かに愚者です。
僕は口がすっぱくなるほど言いましたけど、村上の作品を評価していない。
ただ美術=政治の世界を意識した上で、それをまんまと利用し、あっけらかん
としている姿に唖然とするだけのこと。

僕の言うアートの意味うまく伝わりました?

157 :its:2001/07/23(月) 20:34
>>155
それと、
>「表面 作品 コンテンツ 論」/「支持体 制度 メディア 論」という分類は、
>この板で語られている論を分別したもので、アート/非アートと言うことではない。
この文章、うまく逃げられたなあ、という感じがする。
僕の美術=概念と制度、という意見に対抗して提示したわけでしょう。
だったら正攻法で、攻めて欲しいです。

158 :its:2001/07/23(月) 20:43
訂正
>>157の文章、あなたの意見よく読んでいなかったためうかつに書いて
しまいました。
取り消しさせていただくとともに、謝罪いたします。すいません。

159 :151:2001/07/23(月) 21:22
>僕の言うアートの意味うまく伝わりました?
残念ながら。

>この辺を読んで、あなたの言っている美術館と僕の
美術館の現実をいったまで。貴方の脳内美術館のことまでは、知らん。

>僕が根ざしている”日本”の美術館の現状〜
って、な〜に? 話が、跳び過ぎでないかい?
私は超能力者ではないので、具体的な説明がなければわかりません。

>村上の作品を評価していない。
村上某の名を引き合いに出している以上、
貴方は村上某の存在を評価してしまっているのだ〜よ。
貴方が、彼の作品をどのように評価しているかについては、知らん。

>美術でないものが美術になる過程を問いたいわけ。
美術は、特権的でありたいという人間の欲望のあるところに沿って発生する
黴、たまる埃、アンフラマンス。

〜といっても、デュシャンを連想しないでね。デュシャンの道具を使っただけ。

貴方の美術と美術館の定義について、まだなにも語られてはいない。

160 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/23(月) 21:53
実につまらない板だね。

161 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/23(月) 22:30
実につまらない板だよ。

162 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/23(月) 23:33
だから策略ってただの邪な見方だろって。
それにそんなに策略ってほど影響力が強大すぎるかあ?
自国の文化を昂揚するのがなぜに害?
嫌悪感だけで発言してるほうがよほど愚か。

では151さんに村上について論じてもらいましょう。
もちろんバッドサイドでかまいません。

というか購入サイド的な言い方。
購入する輩はなんでもすごいですねーっていってればいいのにね。
じゃなかったらそんなものをステイタスにするなんて
考え持たなければいいのにさ。愚か。

163 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/24(火) 00:17
↑馬鹿↑

164 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/24(火) 00:48
対話の不自由な人がここにも。。。>162
人の書いた文章はよく読もう。そして、
自分の作文はよく推敲してからUPシタマエ。

購入サイドって何?
キミの美術観は、かなり特殊らしいから、
ちゃんと説明しないと、だれもキミのいっている事はわからないよん。

165 :162:2001/07/24(火) 00:56
逃げるな

166 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/24(火) 01:11
↑といって、逃げる162。

 購入サイドって何?

167 :162:2001/07/24(火) 01:16
というか名無しでいきなり偉そうにアートはなにかとか
コンテンツ論がどうだとか無意味だとか言ってるが、

まず自分から言うのが先決。
なのにまた逆に聞き返すとは(呆
いっとくけどここは日常生活の権威もなにもないところだからね。
さあ、162の質問に答えてもらいましょう。

168 :162:2001/07/24(火) 01:21
傍観者の私はえらそうなことなどいっていない。
ただコテハンの方々に名無しで偉そうに書き込んでおいて
自らの言葉を記さないのではfairではないだろう。

できなければ単なる愚か者、話るに能わずと見るがよいか?

169 :its:2001/07/24(火) 01:30
>>159
なるほどね。あなたの思考がなんとなくわかりましたよ。
要するに、何かを主張した相手に対して詭弁でもって対処し、まともに議論
する気などさらさらないと。相手の意見を尊重した上で、理論を展開する気
などないと。ただ単に相手を困惑させて面白がるだけだと。

>美術館の現実をいったまで。貴方の脳内美術館のことまでは、知らん。
>って、な〜に? 話が、跳び過ぎでないかい?
>私は超能力者ではないので、具体的な説明がなければわかりません。
僕は真摯に説明している。それをはぐらかすあなたの脳内も俺にはわからん。

>村上某の名を引き合いに出している以上、
>貴方は村上某の存在を評価してしまっているのだ〜よ。
>貴方が、彼の作品をどのように評価しているかについては、知らん。
そういうあなたも村上を引き合いに出しているではないですか。それで、自分
の立場は潔白で、それをまともに語る俺は愚か。そういうこと?そこにあなた
の傲慢さがあることに気づかないのですか?

>美術は、特権的でありたいという人間の欲望のあるところに沿って発生する
>黴、たまる埃、アンフラマンス。
そこに政治的問題が絡んでいることに気づかないあなたは鈍感といっても過言
ではでしょう。ある作品がその存在自体で美術になりえるのでしょうか?一人の
人間の欲望だけで?
そこに問題の端緒があることに気づかないとは・・・。

ところで、>>151
>この板における試みとしては評価する。
俺はこの板を足場にしてるんじゃな〜いよ。というか評価などして欲しくない。
一般論としていっただけのこと。そこを勘違いしないでほしい。
(もちろん、それがこの板でも、一般論としても通用しなことぐらいわかってるさ〜)

結論として、あなたに対してこれ以上は何も言いたくありませぬ。あなたの前頭葉
は俺にはわからないし、俺の前頭葉もあなたにはわからないでしょう。不毛。まさ
に禿のゲーム。

ほんと実につまらない板だ。(スレの趣旨ずらしてゴメンね)

170 :its:2001/07/24(火) 01:37
151氏へ。上の文レス不要です(レスなんかしね〜か)。何か面白そう
な展開があったときは覗きにきます。では

171 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/24(火) 01:39
>162
購入サイドって何?
ドサクサにまぎれて逃げるなよ。

172 :162:2001/07/24(火) 01:41
>>171
普段は傍観者ですが、151が内容のあるレスをしたら答えましょう。
それまで待ちます。なければまたただの傍観者に戻ります。

173 :171:2001/07/24(火) 01:43
>162
私の質問に答えて。151さんは関係ないでしょ。

174 :161:2001/07/24(火) 01:46
流れから判断して、162=itsと思われ。

175 :its:2001/07/24(火) 01:52
>>174
おいおい、待てよ。莫迦なこと言ってるんじゃないよ。んったく。
俺は自作自演なんかしても面白くないの!
議論というゲームをしたいだけなんだよ!

176 :162:2001/07/24(火) 01:52
ちがうよん☆

177 :ナナシノ:2001/07/24(火) 02:06
そもそもポストモダンって何だろう?
ポストモダンは、誕生の最低条件として既成の価値観を相対化する視線が、
まず前提とされる。だからポストモダンを語る場合、既成の価値観(超・広範囲
な意味を含む)に対する確固とした認識が必要になる。で、言うまでも無く【確
固とした認識〜必要となる】ってな眼差しすら相対化されるから、不可避的に、
堂々巡りに陥る。
 ポストモダンってのは生き方ではないし、思考の手段でも無いと思う。思考する
なら覚悟を決めてやらねばならぬ。(そんな言い草も相対化。。)あるいは2chとか
で半可通っぽくやるべきモノかも知れない。
あらゆる価値が漂う差異に過ぎなくなる事態…ってのは、おおよそ一般常識を超
えてるワケです。

アニメがそのうち圧倒的な強度を有して、「これはもはやアートだ!!」(笑)ってな状況
になるのとは、根本的に違う話で、今、まさに現状において、美術とアニメに区分け線を
引く行為、そのものが困難なのだと思います。

対話的混乱の坩堝【2ch】が、ある意味極めてリアルで、この世にあまたあるBBSの
中でも最も信頼に足る場所だというのも、上記に絡むわけですが、2ch住人がポスト
モダンを無意識に理解しているニュータイプだってことは絶対無くて、実際はほとんど
「モダニスト」すらいない状況でしょう。でもそんな中でits さんは希少な人材ですから
エライ目に会ったようですが、これに懲りず頑張って欲しいと思われ。

178 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/24(火) 02:27
>>1
これがアートといったらアート。
byマルセル・デュシャン

179 :its:2001/07/24(火) 02:32
ポストモダンって本当に恐ろしい思想だ。
何かを主張しても、ポストモダンの渦に巻き込まれては全てが
相対化、無意味化する。
その中で議論を求めることが間抜けな行為なのかな、と省みる。
しかしいくらポストモダンが共同体、言葉の希薄といったところで、
現に社会というものは存在するし、家族、友達、恋人といったコミ
ュニティはもなくなることはない。本来はそこからこそ物事を考え
なければいけないのに、ポストモダンは抽象的な概念から出発
する。確かにそれを会得すれば、現代社会の見取り図が見えて
きて、今の時代状況というのも把握しやすいんだけど、何かが欠
けてる。
ナナシノさんの言う
>ポストモダンってのは生き方ではない
はまさに言い得て妙。

だからこそ僕は宮台や福田、橋爪(批判のあるのは承知の上)
に拠り所を求めようとする。それはアナクロで逆行に見えるかもし
れないけど、現実を生き抜いていけば、ポストモダンなんてものは、
ガラガラと音を立てて崩れ去るような気がする。

180 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/24(火) 03:20
チャチいれるつもりはないのですが、
なんでも「ポストモダン」といってかわすのは止めにしませんか?
ポストモダンという現象を否定しているように見えて、その一方では、
ポストモダンという言葉に頼り切っている。実に奇妙です。

181 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/24(火) 04:08
>162
購入サイドって何?
なんで、itsと消えるタイミングも同じなんだよ。
オラも疑っちゃうぞ。

182 :171:2001/07/24(火) 04:09
181は171です。

183 :its:2001/07/24(火) 16:34
>>180
言い訳するつもりはないのですが、少なくとも80年代90年代に青春を送
った日本人は、多かれ少なかれ、戦後民主主義あるいはポストモダン思
想に無意識的に洗脳されていると思います。その中で自分のスタンスを
見極めるのは非常に困難な事態であることは言うまでもありません。
ですから、あるときはポストモダンを基準にし、あるときはマルクス主義を
基準にすることもあるでしょう。それは、「ポストモダンに頼りきっている」
のではなく、自分のスタンスがわからないからこそ起きうる問題なのです。

丸山真男は「日本の思想」の中で「日本には伝統的な思想など存在しない」
と言い放った。誤解を恐れずに言えば、西欧からの輸入思想の氾濫を危惧
している言葉と読み取れなくもないでしょう。
当然、敗戦によって無理やりアメリカから押し付けられた価値観も輸入され
たものであり(かといってアメリカの文化、思想がそのまま輸入されたわけで
はないことは自明)、それを戦後民主主義と一括りに言ってしまっても構わ
ない。
戦後以降、幾多もの知識人によって繰り返されてきましたが、日本人には
日本人によって培われた思想など存在しない。ナショナリズムなどは存在
しないし、従って右翼も左翼も本来はフィクションに過ぎない。
そのような混乱にあって、自分の思想的立場を持つことの困難さを、一市民
の僕らであってさえ、問題意識として抱えていてもいいと思う。
その思想的混乱を「ポストモダン」というのなら、それはそれで構いません。

弁明として、>>150では戦後民主主義的考え方から書いたつもりです(それを
モダニズムというのかは僕は知らない)。つまり、お上からの規範の植えつけ
を非とし、大衆による判断に委ねることを是とすることを逆説的に書いたわけ
です。

>>181
冗談も休み休みにイエルムスウ。
(というのもいいかげん疲れました。眠い時に寝る。それすら2chでは許されないのか。)

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