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人はなぜ美術に感動するのか?

1 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/06(日) 23:23
どう思います?
ちょっと聞いてみたいです。

2 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/06(日) 23:34
なんにでも感動するってわけではないよね。
私の場合は最初の内はたいして分からずに展覧会に行ってたけど、
ある時、ある絵に心を貫かれた。
そのときの心理状態を貫くような絵に出会ってしまった。
理屈ではない。
いきなり貫かれて動けなくなった。
自分の心理状態を可視化してくれている絵に出会うと、絵と心が一体になる。
これが感動するってことだと思う。

3 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/07(月) 00:03
自分の場合、その絵の背後にあることを知ってから見ると感動する事が多いかもしれない。
ゴヤの絵とか。

4 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/07(月) 16:02
>>1
脳内に化学物質が分泌された結果です。

5 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/07(月) 16:22
>>4
たしかにそういう感じがするときあるね。
作品が頭の内側を触ってるような感じというか。

6 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/07(月) 18:57
美術に感動するのは人間だけかもしれない。

7 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/07(月) 19:06
音楽に動物が感動するとかいう話は時々聞くよね。
本当かどうかは知らないけど。
うちで飼ってたハムスターはモーツァルトを流しても
怖がってただけだったなぁ。

8 :ベンゼン中尉:2001/05/07(月) 22:32
美しい物や音楽は心を洗ってくれます。

9 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/08(火) 02:58
>>8
お前は顔を洗って出なおして来い。

10 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/09(水) 13:10
>>3
他のスレでもよく議論になることだけど、そうですね、たしかに作品の背後に
あるものを知るということが大切な時もありますよね。
一方で純粋に視覚的な感動(そんなこと厳密にはありえないのかもしれないけ
ど)というのもあっても良い気がするし。
難しいな。
みなさんはどう思いますか。

11 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/20(日) 09:26
>そうですね、たしかに作品の背後に
>あるものを知るということが大切な時もありますよね。

それは偽者の感動だと思うぞ。程度が低いというか。
キムタクがつけてるアクセサリーだからかっこいいとか
ファッション誌そのままの格好してる若者とかと同レベルだと思う。
視覚的に見る能力が欠落してるんだよ。
 
絵画の場合なら純粋な視覚的感動こそ本物。純粋に視覚的に見れる
人間が「絵がわかる人間」だと思う。2がその典型。
視覚的に見れるから感動できる。視覚的に見れない人間には絵で
深い感動はできないよ。

12 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/20(日) 09:32
>>11
なんのコンテクストももたない純粋な視覚などそもそも人間には
ありえないと思うが。

13 :catt@e141223.ppp.asahi-net.or.jp:2001/05/20(日) 10:05
>>11さん 関係ないですけど高いところから景色を見ると胸が空く思いがする
時があります。今まで低い視線で見ていた町の様子が一望に俯瞰できる面白さというか。
「腑に落ちる快感」とでも言い直しましょうか・・

>>12さん
言い方はおかしいかも知れないですが
コンテクスト以前として人が持つ行き所のない記憶ってあると思います。
そこを突っついてくるのが良い作品だと思います。

  人 々
 ミ@Д@彡

14 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/20(日) 14:05
>>13
>コンテクスト以前として人が持つ行き所のない記憶ってあると思います。

うーん、どうなんでしょうね。それって「普遍的無意識」とかそういうこ
とかなって思うけど。
個人的な考えを言うと、美術が時代やコンテクストを超えた普遍的な共有
性の「ようなもの」を持ちえるように見えるのは、何か根源的に共有して
いる記憶とか集合的無意識が実際にあるからというより、むしろ人間のも
つすぐれた「自己変革能力」によるのでは、と思うことがあります。
つまり他者の立場を理解する能力というか。つまりあらかじめ何か共有す
るものに拠ってというよりは、むしろ事後的に共有することがらを無理矢
理発見し創出していく能力というか。うーん上手く言えないな。つまり、
自分の内奥に沈潜して根源的な共有項を探る作業というよりは、むしろお
互いに積極的に自己変革していく能力みたいな。
だからこそ美術ってどんどん変化していくんだと思うし。
でもこういうのもいわゆる「普遍的無意識」的な枠内で語ることもできる
のかもしれないな。いずれにしても根源的、普遍的な記憶とかそういう言
い方ってなんとなくスタティックな中心のようなものを前提にしているよ
うな気がしてあまり好きではないんですよね。

あと、これは別スレですが、よく過去の定まった美術を理解するのは簡単
で動的な現代美術を理解する方が難しいというような話がよくでるけど、
一方で、過去の遠く離れた時代の美術を理解することのほうが同時代の現
象を理解するよりも、上に述べたような意味ではるかにラディカルな自己
変革の能力を要求されるということも時にはあるような気もします。

15 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/20(日) 17:32
>なんのコンテクストももたない純粋な視覚などそもそも人間には
>ありえないと思うが。

子供は純粋な視覚でものを見てるよ。
だから絵の評価は子供にさせてみると面白いかもしれない。
よぶんな先入観なしに見るからね。

16 :catt@g037239.ppp.asahi-net.or.jp:2001/05/20(日) 21:43
>>14さん
例えば、おおまかに美術作品って自然の再現の妙だったりするわけです。
西洋だろうが日本だろうがロスコーだろうが。共有かどうかは知らないですが
人間が見ているものって誰が見てもたいして変わらないです。
それを再現していく仕方が美術様式だったりしますよね。(乱暴な言い方ですがw)
様式優先で鑑賞する方法もあるだろうけど、そうじゃなくて自分の「自然経験」に
照らし合わせた鑑賞方法もあるんじゃないかと思ったりするわけです・・

>>15さん それはフ字が読めない人に文学作品読ませるような面白さはありますね。
「この本は、活字が小さくてぎっしり並んでいてとても良い」とか

17 :catt@g037239.ppp.asahi-net.or.jp:2001/05/20(日) 23:09
ん・・誤字訂正です 誤:それはフ字が>正:それは字が

もっとも、例えばフランス近代美術作品見るのにフランス語や文化知ってれば
もっと面白い見方があるんだとは思いますが

18 :優しい名無しさん:2001/05/21(月) 02:06
>例えば、おおまかに美術作品って自然の再現の妙だったりするわけです。
>西洋だろうが日本だろうがロスコーだろうが。共有かどうかは知らないですが
>人間が見ているものって誰が見てもたいして変わらないです。

同意です。
人間は太古の時代から「自然」を見てきたわけでその記憶が
脳のに蓄積されていると思います。で絵画というのはその太
古からの記憶の断片を写し取ったものだと思う。絵を見て
感動するのはその記憶がよみがえる瞬間なのではないかと思います。

別に太古の記憶だけではなく胎児の頃や意識に上ってこない
記憶に働きかけるのが芸術表現ではないかと。
潜在意識を刺激する作業ともいえると思うんですが。


あと自然というのは人間だけではなく動物も見てきているわけで
だから芸術表現(絵や音楽)に反応を示すんじゃないかと思ったりもします。

19 :catt@g032248.ppp.asahi-net.or.jp:2001/05/21(月) 08:14
>>18さん
たとえば美術作品をいいなと思って眺める人が一方で
ナショナルジオグラフィックの読者だったりするわけです
人間の記憶の深層部をくすぐる要素として「自分が生きている世界を広げていく」
表現・情報を欲求すると思うんですよ。それが果たされたときにある感動を覚える。
「ああ、やっぱりこうだったんだとか」とか「自分がおおまかに気が付いていたことが
ここで実現されてる!」とか・・
だから自分にとって良い作品に出会った時にはある種の既視感が
伴いますよね・・?

  人 々
 ミ@Д@彡

20 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/26(土) 19:03
cattさんて意外と素朴派なんですね。

21 :223:2001/05/26(土) 19:25
本能ですな。夕焼けを見てきれいだとおもったりするのと同じ。

22 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/27(日) 17:58
「夕焼けを見てきれい」って思うのは幼児期に見た記憶なのか
それとも太古の昔に見た記憶なのかどっちだと思いますか?
前者なら生まれてずっと牢屋に監禁して夕焼けを見せないでおいたら
夕焼けを見ても感動しないと思うんだよな。

23 :223:2001/05/27(日) 19:15
>>22
人は始めてみたものでも、美しいと思う。
だから、本能です。

24 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/28(月) 05:16
夕焼けは過去に見たことあるから感動するんだろ。
そう思うぞ。

25 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/28(月) 13:41
なんかくだらん話になってるような気が・・・。

26 :社会主義改め資本主義:2001/06/29(金) 11:45
僕は夕焼けを眺めると、感情が少なからずも高ぶる。
けど何にも頭んなかにないんです。
過去に背負い込んだ感情が、まるでそれ自身で生まれてきたかのように
ほつほつと湧き出る。太古からのフィードバックとも何か違う、まるで以前の
感情の起伏、言葉の羅列、顔の表情、その中のなにかが、色と形に同調する。

27 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/05(木) 18:24
美術に感動する人

1.時間に余裕がある人。
2.明日の飯を考えなくてもよい人。
3.外国の美術を勉強しているのに、原文が読めない人。

該当者は美術に感動しやすい。

28 :偽goatsong:2001/07/05(木) 22:02
私は観念的な議論には懲りたので、後にも、先にも、この
レス限り、書き込むことはないと思います。下のスレッドは
かなりここの議論の重複しているところがあり(もともと、
彼の議論の延長として、このスレッドは空耳氏によって立て
られた)、興味深いところもあるかと思います。
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gallery&key=972245839&ls=50
(彼のスレッドで私は、人間の思考に関して「刷りこみ」論に
徹していたのですが、近年では、遺伝子だとか、アフォーダ
ンスの側面から論じられることが多いようで、これについて
は勉強)

一つ、美と自然と芸術の問題について言及しておけば、常に
芸術が自然を模倣しているというのは必ずしも事実とは言えず、
(いまさら、ワイルドを引いているわけではないが)自然が
芸術を模倣するということがある。例えば、私たちが田舎に
でも行って、山でも見たとする。その時、私たちの美の基準
として、「絵画として描かれた山岳風景」があるということ。

つまり、眼前に広がる山そのものを見て、美しいと感じるわけ
ではなく、絵画として描かれた、美しいとされる山のヴィジョン
を、実物の山に当て嵌め、美しいと考えてる、ということが
あるわけです。(ピクチャレスクの問題)

29 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/07(土) 00:21
age

30 :素人:2001/07/07(土) 06:37
私はあんまり美術に詳しくないのですが、ルーブルでニケを見たときはとても感動しました。最近の展覧会で感動したものってあります?日本でも感動したいのですが、どの展覧会に行けばよいのかピンと来なくて・・・。

31 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/08(日) 10:23
魂が憑依した作品を感動としてよいのか分かりませんが、それを見て以来
10数年、それをどこか期待して美術館に行っています。
学習してから見る作品は、なかなか面白いとこつくとこもあるし、
宗教画なんかは背景が見えないと興味なくなってしまうことも度々。
感受性の強かった頃には戻れないと分かっていても、いつかまた
出会いたいと思っています。どうもレス違いなのでsage。

32 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/12(木) 19:11
普及・大衆化はナショナリズムに繋がるし

33 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/12(木) 20:34
それも短絡的な発想だね>32

34 ://18-19:2001/07/16(月) 10:46
その気があれば、道ばたでも感動できます。
コップからでなければ水は飲めない、というわけでもないでしょう?

35 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/16(月) 13:16
をういえば昔、道端で蟻が歩いてるのを見て感動したことがありました。
理由はよくわからなかったけど、そういうことってありますよね。
台所によく出没するあの黒い奴に感動することは個人的に不可能ですが。
って美術と全然関係ない話スマソ。

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