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芸術ってなんだ!?

1 :屈斜路:2001/02/05(月) 13:33
写実系の絵画とかは分かるんです。
これうまいなあとか。
でも抽象画っていったいなんなんですか?
あんなものは作者が適当に描きなぐって、
それっぽい題名を付けるだけじゃないですか。
あとはその作者の名前だけを見て、
人々が賛美するだけでしょ?
美術館行くたびそう思います。
そこらへんどうなんでしょうか?

2 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 13:53

名物スレになりそう。

3 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 13:54
さあマジレスつけて1を啓蒙しようじゃないか。

4 :屈斜路:2001/02/05(月) 17:27
啓蒙されてもこまりますなあ。
確かに僕は素人ですけど、
素人が見てもいいと思えるようなものこそが、
真の芸術でしょ?
バカにはしないでよ、、、。

5 :んじゃマヂれす:2001/02/05(月) 18:18
決まってるぢゃないか。
爆発だ。

それはともかく
抽象画には確かに意味を感じられないかもしれないが
そういう絵があってもいいじゃん。
わからない絵だからといって抽象画を否定することは
どっかの独裁者と同じ。

6 :屈斜路:2001/02/05(月) 19:15
確かにあってもいいと思います。
否定もしません。
が、なんであういうのが評価されるんですかねえ。
見る側の心理が分からないんです。

7 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 19:22
とりあえず結論だけ。

完全な具象絵画というものはないし、
完全な抽象絵画というものもない。
そこが美術の面白いところです。


8 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 20:40
なんだそりゃ?
そもそも人工物で完全なモノなんかないじゃん。

そこが美術の面白いところったってわけワカメ。

9 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 21:05
そのうちわかるよ。

10 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 21:50
      ∫          ∫
        ∬          ∫ ∫  |  >>1-9 こんな状況での会話かい…
       ∧ ∧        ∧_∧   \   
      (

11 :屈斜路:2001/02/05(月) 22:45
>>7
そんな言葉ではまるめこまれませんよ。
もっと具体的に説明できないのですか?
そういう風にあなたは洗脳されてるだけではないのですか?

12 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 22:51
>9
未完成な所が面白いのですか?

美術とは未完成を楽しむことである。 なの?
つまらんなぁ

13 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 22:57
駄スレの予感…

14 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 23:00
自分が面白みを感じられないことでなやんでいるのかな?
具象画がまるでわからない(面白みが)人もいるよ
需要がなきゃ廃れる。絵に限らず。
ある人にとって無価値なものも他人にはそうでない
ラッセンみたいに

15 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 23:03
>屈斜路さん
たとえうまく描けている具象画でも、構図が未熟だったり、色が汚
かったりしたら、良い絵だとは思わないということはないですか?
そのような場合、良い絵を良い絵にしているのは何なのかな。

16 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 23:07
>>4 素人が見てもいいと思えるようなものこそが真の芸術でしょ?

全てがそうでなければいけないというのは間違い。
小学生にもわかる代数学こそが真の代数学でしょ?
優香にもわかる思想こそが真の思想でしょ?
ではないでしょう?

前衛のための前衛、難解のための難解は不用だけど、不可避的な
前衛性というのは存在するし、知ろうとしない人(=シロウト)
では評価できない。
で、いいですか?

17 :屈斜路:2001/02/05(月) 23:32
>14
そういうもんですか、、、。
14さんは抽象画に面白みを感じるのですか?
どういったところに感じるのでしょう?

>15
う〜ん。
僕の中でいい絵か悪い絵かとゆうのは、
僕が理解できるかどうかでしかないですね。
ピカソの絵も僕が理解できなければ駄作でしかない。

>16
すみません。
そのとうりだとおもいます。
その部分では僕の頭がかたかったです。


しかし、やはり僕は抽象画が理解できないんです。
たとえば、「天使の卵」とゆう画があるとしますよねえ。
現実に天使の卵なんて存在しない。
それは作者の心の中だけに在るものですよねえ。
そんなあやふやなものを描いたところで、
見る人には伝わるはずないじゃないですか。
それをなんですばらしいと言えるんですか?


18 :15:2001/02/05(月) 23:40
ピカソの絵の話はしてませんよ。

19 :空耳:2001/02/06(火) 00:41
屈斜路さんへ。

私もどちらかと言えば抽象画大好きという方ではありません。
具象画の方が告白すれば全然好きです。
ミロの良さとかちんぷんかんぷんです。
ついでに言えばほぼ、素人です。
しかし、私はロスコーのこの絵を見て
抽象画の魅力というのを初めて知りました。
http://www.nga.gov/feature/rothko/late6.html

抽象画家に思想はかかせないと思いますが、
私は知りません。今でもよくは知りません。
ですから、見当違いなところに魅力を感じたのかもしれまんせんが、
私が初めてこの絵を見たとき・・・・

まず、中央の灰白色と黒色の境界部に目が行きました。
そしていつのまにか、
真っ暗な宇宙の闇の下、
白く荒れ果てた大地の地平線の向こうから
何かがやって来るような気がしてそれを探していたのです。
(くっさいけど本当なんだよ)
それから気が付くといわゆる絵に吸い込まれていた状態に
自分がいることに気が付きました。

勿論ロスコーは白い星と宇宙なんか描いてはいないでしょう。
彼はただ二つの色で画面を塗りつぶしただけです。
何でこう感じてしまったのか自分で考えてみますと、
おそらくこれが色と形のもたらす効果なんでしょう。
動物実験をする時に必ずしも
具象的なバナナや花をつくってやる必要はありません。
鶴の親代わりになる時だってそうですよね?
実際テレビなんかを見ていると、いくつかの特徴を掴んだ
何かで代用していることが多いようです。
だから、抽象画とは、
もしかしたら人間の原始的な色彩感覚、造型感覚を
甦らせるのかもしれないと考えています。
原始人の絵はもっと単純ですものね。
人間は具象画を描くようになって、
原始的な神秘の世界を失ってしまったのかもしれない。

単純なものにかえって強い刺激を受ける場合もある。
おそらく具象的に書かれた暗い宇宙と白い大地の絵があっても
私はこれほど掻き立てられることはなかったように思います。


20 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/06(火) 02:50
はーい、マジレスでーす。

あのね、芸術のための芸術ってものもあるんだよ。
それが良いか悪いかではなくて、西欧の思想の根底にある
「進歩」って理念を受け入れた時点で、避け難くそういう
存在も出てきてしまうのだよ。日本もこの価値観に完全に
染まってるからね。(もっとも、院展だ二科展だ、見事な
までに進歩を無視した世界も権威として存在してるけど)

前提となる知識−−それは単に言語であったり、体系で
あったり、過去の歴史的流れであったりするわけだけど、
そういう「教養」がないと面白さがわからないものも
現実に存在するの。それがキミにとって面白くないのは
仕方がないけれど、だからといって、キミにそれを
全否定する権利はないのだよ。

いい例が思い浮かばないけど、たとえばセックスとかね。
さまざまな「変態」が世の中にあるけど、覚えたての
ノーマルな若者がSMの批判をしたところで、なんの
意味も持ち得ないわけ。あと、酒とかね。ソムリエの
わけわかんない言い回しってのは、素人にとっては
笑っちゃうようなヘンなもんだけど、玄人にとっては
ちゃんと意味のある描写法なわけだよ。

とりあえず、デュシャンがしたことはなんだったのか、
ってあたりから勉強してごらん。

21 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/06(火) 03:06
またアホなスレが立ってる。
この一週間、立て続けにアホスレが生まれている。


22 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/06(火) 03:33
>>21
人が増えている証拠。いいことだ。>>20みたいなマジレスも読めたし。

23 :666z666:2001/02/06(火) 03:36
そうだね。

24 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/06(火) 05:23
テスト


25 :屈斜路:2001/02/06(火) 13:02
ありがとうございました

26 :げる:2001/02/18(日) 01:04
どうも芸術というものの定義がハッキリしない。そもそもそんなものは無いのかも知れない。
自分は作品と遭遇したときの高揚感を求めて絵画を鑑賞する。具象も抽象も関係な
い。作品だろうが落書きだろうが関係ない。いわば自分は芸術的価値を、この高揚
感に見出しているわけですが、そもそも対象が芸術とされるもので無くてもいいこ
とに気付いたわけです。
系譜学的に芸術史を見ると、諸派の流れや芸術的運動の目的や思想、解釈は存在す
るが、そもそも芸術とは何なのか?という根底の部分が欠けているように感じます。
様々な解釈が存在するだけです。
芸術とはそもそも何なのか教えて下さい。

27 :月読:2001/02/18(日) 01:33
芸デ板が美術に関わってる人中心なのに対してこの板は
あくまでも「鑑賞者の立場」なのね。(チュウボウ

>げるさんへ
えーとさっき違うスレにも書いたばっかりなんだけど、、、

げるさんはどこまで美術に関して知ってるんだろう?
>>20さんのいったとおりデュシャン(とい作家)あたり
から現代美術を追っていってみるのはどうだろうか?
すごく納得できると思うけどなあ。このひとはその当時
(20世紀はじめぐらい??)に「芸術」ってなによ!?
って問いを投げかけた人。1回調べてみては。



28 :月読:2001/02/18(日) 01:34
芸デ板が実際に美術に関わってる人中心なのに対してこの板は
あくまでも「鑑賞者の立場」なのね。(チュウボウ

>げるさんへ
えーとさっき違うスレにも書いたばっかりなんだけど、、、

げるさんはどこまで美術に関して知ってるんだろう?
>>20さんのいったとおりデュシャン(とい作家)あたり
から現代美術を追っていってみるのはどうだろうか?
すごく納得できると思うけどなあ。このひとはその当時
(20世紀はじめぐらい??)に「芸術」ってなによ!?
って問いを投げかけた人。1回調べてみては。



29 :月読:2001/02/18(日) 01:35
あらら、、、二重カキコ、、、すんません。

30 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/18(日) 01:42
>>28
そういうあんたは、どこまで芸術に関して知ってるわけ?


31 :げる:2001/02/18(日) 01:50
月読さんありがとう。
デュシャンてマルセル・デュシャンのこと?
こんど探してみますわ

32 :28ではないが:2001/02/18(日) 02:10
>>30
ってコトは、ここで何かを述べようとするときには、自分が
いかほどののモノであるかを先に示さなきゃいけない、って
ワケだな。
くだんね。

33 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/18(日) 02:12
28=32


34 :げる:2001/02/18(日) 02:12
駄レスすいませんが、ふと思ったんで・・
デュシャンが20世紀初頭に「芸術とは?」を論じていると言う事は、
それ以前から芸術と呼ばれるものは存在した訳で、何を指して芸術
と言わしめていたのか。ということは芸術という概念が多義的に解
釈され、もはや芸術それ自体が定理をなさないから、近代に至って
なお再構築が必要なのではなかろうか。

いやデュシャンを読もう・・・

35 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/18(日) 02:44
鑑賞板のみなさん。
もう少し理屈抜きに芸術を楽しんだらどうですか?
自然の美しさに感動したとき、どんな説明が必要ですか?
優れた作品は人間の作ったものとはいえ、自然の摂理と知性の融合が成功した
造形の奇跡なのです。そんな作品を見たとき、きっと言葉も出ないはずです。
ただただ、深い感動があるのみです。その感動が何かという命題は言葉を使いすぎると
感動の本質から離れてゆくばかりです。
何故かの前に、感動そのものをもう一度思い起こしてみれば、
自分自身の価値観と外界や他者と価値の共有が成立した瞬間。
それ自体に芸術の意味があると言うことが分かるはずです。

36 :月読:2001/02/18(日) 03:10
32じゃないです。

>げるさん
おっしゃるとおり「多義的」というのは個々の解釈の多様さであると思います。
それは現代が、個々の価値観がそれぞれに認められる民主主義
の時代だからです。
ゆえに西洋的な考え方でもあります。

時代によって芸術の役割も概念も異なると思います。
社会的なツールとしての表面的な意味での「芸術」です。
それを知ることによって逆に本質的な「何か」にも突き当たる
と思います。

というわけで私は現代美術への理解がげるさんの
芸術に対する理解に繋がると思い、マルセル・デュシャン
を薦めました。その当時に問いただしてるわけですし。
そこから現代美術もわかるし、それ以前のも知れる、かな
と思ったわけです。

というかんじです〜。では〜

37 :月読:2001/02/18(日) 03:31
>>35
それも一つの見方です。
それでいいと思います。

ただ、残念ながら現代美術においてはそういう方法論、信念の下に
創られているものばかりではありません。
「?」を現代美術に感じた人は「理屈抜かない」見方も
是非してほしいと思います。
またこれは作家達の願いでもあると思います。


>自然の摂理と知性の融合が成功した 造形の奇跡なのです。

どこかのスレにも書きましたが、その通りです。
文字どおり「自然の摂理」と「知性」の融合です。
ただ、そのバランスは各作品において様々です。

「自然の摂理」重視のような感情に訴えかける
 色だけなどの作品などもあれば、
「知性」重視のメッセージ・コンセプトをより見せたい作品、
いろいろあると思うので、興味のある人はぜひ「理屈抜かない」
方も考えてみてほしいと思います。

もちろん「理屈抜きの見方」も十二分にあり得ます。
そこから進むか、そこで留まるかは各個人の自由意志の
委ねられます。ということで。補足のようなレスです。

38 :35:2001/02/18(日) 12:30
ますます、理屈抜きでお願いします。
>37は補足になっていません。
?が産まれるとのは、鑑賞者の「世界」に対する理解が作者と異なるゆえです。
抽象画うんぬん、現代美術どうこうでもなく、鑑賞者の物事の見方に学ぶべきものが
そこにあるかもしれないということです。

>またこれは作家達の願いでもあると思います。
37は作り手なのでしょうか。?
理屈抜きに感動してもらえないなら、コンセプトも
理念も失敗部分が多少あるわけで、それは作者に問題があるのですよ。
私は理屈っぽく作品を見るのは「見方の答え」を知りたいという
性急な鑑賞者のよくない習慣だとおもいますがね。
わからないものがそこにあることを素直に受け入れて、
何時か分かるようになる時間が来るのを待てば良いのです。
理屈でなく経験で作品に近づいてください。


39 ::2001/02/18(日) 17:09
38さん。
そんなこといってるから、なんの発展もないんですよ。
日本の芸術は。

40 ::2001/02/18(日) 17:42
具体的・実在的ではないモノを
どうやって表現したらいいものか?
頭の中にあるモノを、何か具体的な表現に変換する方法は色々で、
別に言葉に頼らなくとも構わない。
漫画だって、感情を表わす様々な記号を発明してきたように、
訳の分からん作品を作る人たちも、
新しい表現言語を生み出そうとしているのではないかと思う。
毎年毎年、新しい言葉が生まれては消える。
新たな「言語」を生み出すことによってしか、
表現できない現実もあるのかもしれない。
それが本当に必要とされる言語なら、
みんながそれを使うようになるだろう。
たとえば商業ビジュアル表現に。
きっと「芸術」は、理系で言うところの基礎研究なのだ。

41 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/18(日) 20:44
>8
なんのはってんも無いって、一体どこが?
鑑賞者のレベルは確かに上がってませんね。

42 :月読:2001/02/19(月) 05:38
>>38
>?が産まれるとのは、鑑賞者の「世界」に対する理解が
>作者と異なるゆえです。

もちろんそれも1つです。
双方の認識のズレによっておこるディスコミュニケーションです。

ですが「?」の理由はそれだけではありません。

先ほども述べたように様々な作品が存在します。
具体的なコンテクストからインスパイアされた作品、
パロディ(確立された思想をけなしてるのかもしれません。)
オマージュ(昔の作品に敬意を表し独自に解釈した作品)
何かを特定の感覚をモチーフにした作品などは知識がないと「?」になります。

そのような作品を目の前にしてでる「?」は言い方は悪いですが
鑑賞者の無知から起こるものです。よってもっと「理屈抜かない見方」
も「ある作品」においては理解に繋がるかもしれない、
ということで勧めています。
押し付けではありません。できればしてほしい、のです。

もちろん指摘の通りに作られた作品も多数あるのでそれも1つの見方、
と私は言ったのです。
ただそこから進まないと見えてこない世界もたくさん
存在しうるということです。



43 :月読:2001/02/19(月) 05:40

>それは作者に問題があるのですよ。
これはあなたの穿った見方です。
芸術にプロフェッショナリズムを持ち込んでは創造性の幅が
狭まってしまいますし、表現、アウトプットの失敗があったとしても、そこで努力が必要かも知れませんが、
それでも限界があるでしょう。
作家は神様ではありません。
よって鑑賞者にももっと見方や感じ方の引き出しを増やしてほしい、と私は述べています。
双方の歩み寄りがなくてはfairではありませんよね。

いやならしなくてよいのです。しかし努力によって分かる
「?」のままの作品をそのまま放っておくよりは、
ちょっと関連の本を読むだりするだけで、作品を通して作者と会話できてしまうかもしれない。(かもしれない)
そのほうがいいと思いませんか?
そういう作品もあるということです。

もちろん性急になる必要はありません。
そう言うのを否定して自由に鑑賞するのも鑑賞者次第ですから。

ちょっと気になったのですが、あなたは自説を押し付けています。
いろいろな作品があるということをご認識ください。
それによって見方、感じ方も様々です。
私が言いたかったのはこれです。

44 :ヘルツォーク:2001/02/19(月) 21:53
九鬼周造っていう哲学者の言葉で言えば「人間の生命を全ての抑圧から解放
させて躍動させるもの」だそうです。自分の芸術感もこれに近いんですが、
そもそも美術とはこの目的に到達する一つの方法論に過ぎないんであって、
美術=芸術とは考えてません。まあ、「抑圧から解放させる」という目的自
体が極めて受け手の主観を伴うものであるから、そもそも社会で共通に認識
される芸術作品なんてものは存在しないのかもしれません。だから芸術家も
有り得ないと考えてます。自分にとっての「芸術作品」と、その表現者がい
るだけです。
デュシャンの名前が出てますが、従来の表現方法に捕らわれず、様々な表現
を模索した人ですね。そういう意味ではなかなかの表現者であったと思いま
す。

45 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/19(月) 23:17
デュシャンって何を表現してるんでしょうか?


46 ::2001/02/20(火) 03:51
反芸術です(きっぱり)

47 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/22(木) 21:11
そうですね。
デュシャンは何かを表現したというよりも表現批判みたいなことをやったとい
うのが正しいのかもしれませんね。でもそれもまた彼なりの表現ということに
なるのかな。彼の作品はさまざまな哲学的、文学的解釈が加えられて、いわゆ
るデュシャン学なんてものができてしまうくらいだから。

「反芸術」というのは藤枝晃雄がつくった言葉でしたっけ?

48 :20:2001/02/23(金) 13:13
お久しぶり。

>35=38
キミのいうことは、一面的には正しい。
だけど、それだけじゃないんだったら。
誰も「知識」からは逃げられないんだ。
たとえば、ある作品を見た。
その後、似た作風の別の作家の作品を見た。
キミは「あ、これって誰それに似てる」そう思う。
その時点でもう、きみは経験的知識に侵されている。
どうせ知識から逃げられないのなら、正確な知識を
身に付けるべく努力しよう。キミの言い分は、
思考放棄するための安易な言い訳に過ぎないよ。

49 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/23(金) 15:04
「そこに林檎が置いてあるだけでは誰も見向きもしないのに、
本物そっくりに描かれた林檎の絵には賞賛が浴びせられる」
なんて事を思い出した、関係無いけど。

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