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セザンヌをどう思いますか?

1 :こんにちは:2001/01/11(木) 12:39
近代絵画の父とかいわれてるわりには、あまり話題にならないみたい。
わたしは大好きなんだけど、一方で難しい絵だなぁとも思う。
みんなはどうなんでしょうか。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/12(金) 15:27
美術史的には価値あると聞いた。
ピカソやブラックら、キュビスムの原型を作ったのが、セザンヌ。
でも個人的にはあまり彼の絵は好きじゃないけど。

3 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/12(金) 17:30
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/f_000415_1.htm

4 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/13(土) 00:25
>>3
セザンヌはこういう林檎の絵を描いてたときから、立体のことを意識してたのかな。?
たしか、「あらゆるものは球と円柱と円錐の組み合わせで表現できる」という感じのことを
言ったような気がするが、この絵からはそういうのは感じられないなあ。

5 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/13(土) 23:04
>4
この絵というのがどの絵のことなのかよくわからないよ

6 ::2001/01/13(土) 23:27
>>5
3のリンク先に最初に出てくる林檎の絵。

7 :5:2001/01/13(土) 23:40
え?これは写真でしょ? それとも違うとこ見てんのかな?

8 ::2001/01/13(土) 23:45
はっはっはっ。
写真だな。バカだった。

9 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/14(日) 18:18
>>4
《りんごとナプキン》
http://www.yasuda.co.jp/museum/cezan4.htm



10 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/15(月) 23:55
セザンヌ大好きです。初めてセザンヌ展で、本物観て泣いた。自分に
ビビッタ。(笑)
確かに遠近感は無い。彼の考え、キャンバスは平面だということ。

11 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 00:17
絵を見て泣くということが本当にあるんですか。すごいな。僕には
想像もつきません。


12 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 00:51
>>11
泣いたことはないけど、動けなくなったことはあったな。
たしかピカビア展だったと思う。
昔見たときは気持ち悪いと思ったけど、
そのときは留年決まったところで、ダダイストの絵に心を貫かれて動けなくなってしまった...
誰でも、そのときの心にぴったり合った絵に出会うと、泣いたり動けなくなったり、
大きな衝撃を受けることがあると思うよ。
私も10さんのように、いい衝撃を受けてみたいです...

13 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 11:05
>>9
この作品けっこう好きです。安田火災にいくといつもゴッホよりも
こちらの方に眼が引きよせられます。絵具に厚みがあってタッチが
モザイクのように置かれているけれど、それでいて決して平面的で
はない。 とくに果物の間に感じられる空気感はすごいと思う。

14 :空耳:2001/01/17(水) 01:53
セザンヌの静物画には重力をあまり感じない。
独特の浮遊感を感じさせる。
だから好き。

15 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/18(木) 00:20
セザンヌがたくさん見れるサイト教えてください。

16 :名無しさん@一周年:2001/01/21(日) 19:17
セザンヌは本当の「画家」だと思う。
平面だとは思わないな。
うわっつらにまどわされず、核心を書いた。
その対象に不可欠なものがなにか見える画家だった。
最高。←独断と偏見承知。
日本の芸術に通じる精神を持っていたと思うよ。画道、というかさ。

17 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/21(日) 20:06
みなさんできれば好きな作品とかを具体的にあげていただけると話
が展開すると思うのですが。

18 :空耳:2001/01/22(月) 00:22
http://sunsite.sut.ac.jp/cgfa/cezanne/index.html
はい。>>15さん
ちなみにこのサイトは大概の著名画家の絵がたくさん
のってるから私重宝してます。

19 :666dig666:2001/01/22(月) 00:35
福田美蘭がBTの表紙でセザンヌの絵採点してたのが面白かったな。
B-だったかな。

20 :15です:2001/01/22(月) 22:47
>>空耳さん
あ、いいサイトです。ありがたいです。
セザンヌの静物画の浮遊感についてすこし話してもらえたらと思います。
うろ覚えですが、たしかリルケもそのようなことを言っていたと思います。

>>666dig666さん
福田美蘭はどのような採点をしているのですか?

21 :空耳:2001/01/23(火) 01:40
えーリルケも同じ事言ってたの?
困っちゃうなあ。
http://sunsite.sut.ac.jp/cgfa/cezanne/p-cezanne18.htm
例えばこの絵は壷の口の向きと皿の向きが違いますよね。
重力の法則があったらこんな風にはならないわけで。
だから浮いてる感じがするんじゃないかなあ。
ボナールなんかもそういう感じ。
このサイトには良い例が無いので引用しません。
今じゃあこういう書き方をする人はいっぱいいるけど
セザンヌが初めにやったのかな。
多分彼は物の形を大事にしたから
重力の法則とか目に見える実際を無視したんだと思います。
皿も壷も林檎もそれぞれ一番魅力的な向きで描かれている。
と、思いまーす。
リルケは何故そう言ったのかな。


22 :15:2001/01/25(木) 01:21
ごめんなさい。リルケは私のかんちがいだったみたいです(やっぱりうろ覚えはよくないな・・・)。
リルケが言っていたのは、セザンヌの静物では物どうしが密接な会話を交わし
ているように見えるということ、そして、その会話は完全に絵画の中で自己完
している、というような話でした。
まあ、おそらく、それも空耳さんの言ってることとは全く無関係でもないと思うのですが(と言い訳)。

さて、たしかに重力ということでは、セザンヌは不思議な感じの静物が多いみたいですね。
空耳さんの言うように、リンゴの乗っている皿やとくに中央の白い陶器の器は、
なんだか斜面の上に、重力に逆らって存在しているように見える。
ちょっと眼が回る感じです。
われわれがそこに重力を想定してしまうことと、それを裏切られることの間に「浮遊感」の
ようなものが生まれる。
でも、これがある意味、逆に絵の中で重力を感じさせる秘けつにもなっているんじゃないかな。
私はこの絵の中に重力の存在を強く感じてしまいます。
これは空耳さんの見方と矛盾するのだろうか。

セザンヌのヴォリュームの描き方にも、同じようなことが言えるのではと思いました。

23 :空耳:2001/01/25(木) 01:33
私も、この静物画がよりそっているように見えるよ。
なんだかお互いに暖めあっているような印象を受ける。

22さんは重力を感じるとおっしゃっていますが、
私も求心力みたいなものは感じます。
ものの傾き方も画面中心にむかっている。
例えれば宇宙に浮かんでいる地球?
(ちょっと大げさか)
リルケの完結しているという印象は、
同時にこれらが孤立しているということにつながるのかな。
ものたちは親密だけど、同時にとても孤独かもしれない。

24 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/23(水) 10:16
新潟の長岡でかれのスティール・ライフはじめて観た。オレは美術家ではな
いが、一緒にいった連れが絵描きだったのでオレに予備知識を与えてくれ、
解説つきで面白かった。40になって注目されるまでよく親のスネかじって甘
えん坊だったんだなぁ、羨ましいなぁと思いながら バランスについて考え
させられた。

25 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/30(水) 01:35
絵を描く人に「セザンヌすごい」って言う人が多いような気がする。
わたしは、「大勢の人がすごいと言うのだから、すごいんだろうな」と思いながら、
どこがすごいのか余りよく分らずにいつも観ています。なんだかね・・・。

26 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/30(水) 02:23
>>25
実は私も。絵を描いてる人なんだけども。
>>2さんの言ってる事が正解でしょう。
美術史的に見て重要だという事。
趣味嗜好的に見る人ではないんだよ。

27 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/30(水) 10:48
「モーリス・メルロ=ポンティ[眼と精神]を読んでから語れ。」あげ。

28 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/01(金) 08:40
goatsongさんもセザンヌはよくわからないと言ってたような・・・。

29 :オレ、ポンティ。:2001/06/01(金) 16:29
君達、マニプランダ!

30 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/02(土) 14:34
セザンヌ分かる人語ってみてくださいな。

31 :catt@g036029.ppp.asahi-net.or.jp:2001/06/02(土) 21:43
>>30セザンヌを分かるって意味が分からないですが
18歳の時ブリジストン美術館の常設展示で「セント・ビクトワール山」の
実物を見たときは30分ほど見入っていた覚えがあります
その時はセザンヌが絵筆を走らせた音や勢いが生で伝わり続けてくる静かな感動に
満ちあふれていましたね・・<自分 「眼と精神」読んだのはそれから数年後
でしたけど、読後感は「ポンティはセザンヌが理解できてない」でした(笑

  人 々
 ミ@Д@彡

32 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/02(土) 21:48
わーい、cattさんだ。
相変わらず煽りすれすれレスですね(藁

33 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/02(土) 21:53
本当は「cattはポンティが理解できてない」でした(笑

34 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/02(土) 22:05
>>31
>ポンティはセザンヌが理解できてない

オレもそう思う。

35 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/02(土) 22:06
そううえば現象学的宣言はどうなったんだよ。

36 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/02(土) 22:07
31-33
独りで、やっていてツラクないか?

37 :36:2001/06/02(土) 22:07
+35

38 :35:2001/06/02(土) 22:19
>>37
残念35は違うよ。

39 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/02(土) 22:31
>>catt
>その時はセザンヌが絵筆を走らせた音や勢いが生で伝わり続けてくる静かな感動に
>満ちあふれていましたね

おまえは小林秀雄か(笑

>ポンティはセザンヌを理解できてない

具体的に論じてみてよ

40 :catt@g033002.ppp.asahi-net.or.jp:2001/06/03(日) 02:52
>>39さん
具体的に論じてもあなたに理解できるかどうかが(以下略
質問■ポンティはいっぱい著作ありますけどどれ読んだんですか?
http://www.copula.com/merleau/merleau.pdf
「Merleau-Ponty 和文研究文献」(PDFです)

  人 々
 ミ@Д@彡

41 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/03(日) 05:47
age

42 :39:2001/06/03(日) 08:26
>>40catt
たしかに俺には理解できないかもしれん。
でも、他の人には理解できてためになるかもしれないので、
具体的に論じてみてよ。
ちなみにポンティは「目と精神」読んだけど、よくわからんな、あれ。

43 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/03(日) 18:04
>>40
「Merleau-Ponty 和文研究文献」
これってメルロ=ポンティの著作の目録じゃなくて、日本語で書か
れたメルロ=ポンティに関する本の目録と思われ。
あまり慣れないことはしないほうがいいですな(笑

44 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/04(月) 21:19
しっかし、
cattの馬鹿自慢には、ウンザリだ。
団体展の会友が主催する絵画教室に通うおばさんのメンタリティじゃねえか?
**会が、現代美術になってるだけの話だぜ!けっ!

45 :セザンヌ=アンリ・ルソー:2001/06/06(水) 00:59
セザンヌは絵が下手なのである。
彼の絵を見ていると悲しくなる。
自分の絵の下手さがわかっていながら、それでも
俺は絵が好きだから描かずにいられない、
そんな叫びが伝わってくるからである。

セザンヌ=アンリ・ルソーと書いたが、
これはちと違うと今反省している。
ルソーは、自分が絵が下手だとは微塵も
思いもしなかった(というより気づかなかった)
からである。

自分の下手さに気づいていたという点で、
セザンヌは明晰な頭脳を持っている。
しかし、その程度の明晰さである。
その程度の明晰さを、何か美術史全体に影響を
与えるような明晰さと誤解してしまった研究者たちは
馬鹿だったのか?

そうともいえるが、よくいえば、誤解させてしまうほどに
セザンヌのパワーがすごかったとも考えられる。

セザンヌの作品ににもし価値があるとすれば、
決してclariteがあるからではなく、そのような
puissanceがあるからである。

46 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/06(水) 21:44
精神主義的解釈ばかりではとてもセザンヌを捉えることはできないなろう。

47 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/06(水) 22:11
>精神主義的解釈=文学的解釈?

48 :セザンヌ=アンリ・ルソー:2001/06/06(水) 23:09
セザンヌはアンリ・ルソーと並ぶ
歴史的ヘタウマだから、
精神論的解釈を経なければ、
その本質には到達しがたい。

49 ::2001/06/07(木) 19:41
つーか、セザンヌはpop音楽で言うビートルズみたいなもんなんだよね。
絵の大きな要素として構成、グラデーション、事物などがあるけどそれらが全て
彼の作風(個性)と完全にマッチしている。いわば絵画の中の絵画。
抽象画や写実のように中途半端な所は一切無い。つっこむところが一つも無い。
ピカソも似たようなとこがあるけど。
だからセザンヌの絵にはどんな絵もかなわない。

福田美欄がBTでセザンヌはモンドリアンになるべきだったなんて言ってたけど
人や物を描くなって事?そりゃ間違いだ。

50 ::2001/06/07(木) 19:43
で、僕はセザンヌを見て絵をやめようかと思った。

51 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/07(木) 20:12
>>49-50
わけわからんが、まあ良し。
でも、ツッコミどころは満載だと思うが、セザンヌの絵。
だからこそ、その後の絵画に多大な影響を与えたわけでしょ。
ピカソをはじめ、みんながみんなセザンヌを自分なりに(いい意味
で)誤読して、自分の進むべき方向を抽出することができた、みたいな。
しかも、そのどれ一つとして実は正解ではないような。
今でも多くのわけのわかんない矛盾というか、謎というか、が詰まってる感じがする。
ある意味近代絵画最大の「ボケ」(←いい意味でね)だと言えるのでは?

52 :セザンヌ=アンリ・ルソー:2001/06/07(木) 23:34
51の意見は私の意見に近いと思うが。
悲しむべきは、突っ込みどころは満載なのに
どういうわけかセザンヌが神格化されて
しまっていることである。

51の表現を借りれば、セザンヌはアンリ・ルソー
と並ぶ(あるいはルソーを超える)
近代絵画最大の「ボケ」なのだ。

53 ::2001/06/10(日) 12:40
一般的に考えて絵画というのは音楽や文学に比べて優雅ではなく、
もっと不器用な形式だと思う。なぜならそこに時間は無く、
形(色、モノトーン)と画面における構成だけがあるから。
セザンヌもその制作スタイルで物の形と画面の構成を強く意識して
いるのがわかる。のちにそれはキュビズムと呼ばれる形式だった。

芸術作品は精神内容で判断されるものだけど、彼は形式においてどんな
巨匠のものより優れていると僕は思う。

54 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/10(日) 16:09
>>53
時間があると、なぜ優雅なのですか?

55 :セザンヌ=アンリ・ルソー:2001/06/10(日) 17:33
53の言っていることは、一見、もっともらしいが、
よく読むと今ひとつ意味がわからない。
54が一部指摘したように、
「なぜなら」以下の文章が、「〜優雅ではな」い
ことの説明になっていない。
また、セザンヌが「形式において〜優れている」のなら、
少なくともセザンヌの絵画は優雅なのではという感じが
してしまう。
つまり、53が挙げた論拠を無視すれば、俺なんぞは
「絵画というのは音楽や文学に比べて優雅ではない」
という文章に接したとき、その理由として
「音楽や文学は形式を重視するが、絵画は必ずしも
そうではないからである」という文を予想
するからである。

いずれにしろ、俺の見るところ、セザンヌは全く優雅ではない。

ところで、「芸術作品は精神内容で判断されるものだけど」
という見方は、一面的で浅薄なものであろう。

56 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/11(月) 02:00
ぷってピカソスレでもぼけたレスつけてるね
>芸術作品は精神内容で判断されるものだけど
おいおい、、いつの時代に生きてるの?
現代美術はどうなる、、ミニマリズムは?

57 :夜更けの添削君。:2001/06/11(月) 04:48
↑句読点入れてくれ。読みづらい。

58 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/11(月) 07:02
>55 、56、57
飽きない人だねーー。

59 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/11(月) 22:03
一概には言えないが、ミニマリズムは、セザンヌの作品に比べて劣っているちゅうことやね。
意外とそう思っている人多いと思うぞ。

60 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/11(月) 22:13
劣ってるって、何が?
言葉はもう少し厳密に使え。>>59

61 :意図不明ですが(w):2001/06/11(月) 22:29
〜〜すでに出来あがった観念を別の形で結び付け、すでに見られた形式でこれを提示することによって、
人を楽しませるものを作り出す事は出来る。こうした二次的な絵画や言葉が、一般に文化と呼ばれる。
しかしバルザックやセザンヌの理解する芸術家は、教養のある動物である事では満足しない。
芸術家は最初から文化を引き受け、これを新たに基礎付ける。芸術家は、最初の人間が話したように話
、まだ誰も絵というものを書いた事がないかのように、絵を描く。
この場合には表現とは、すでに明確になっている思想を翻訳することではありえない。
明確な思想とは、自分で、あるいは、他人がすでに語ったような思想であるからである。
「構想」が「思想」に先立つことはできない。表現するまえには、ぼんやりとした熱のようなものが存在するだけである。
芸術家とは、そのことを意識するために無言で孤独な経験の土壌に立ち戻ったものだ。
文化や観念の交換、この土壌の上に構築される。〜〜

ポンティ”セザンヌの疑い”より適当にコピペ。

62 :catt@g034059.ppp.asahi-net.or.jp:2001/06/11(月) 22:42
たとえばセザンヌの絵は幼児にも分かるんじゃないかと思います
物を見て平面にその在り方を定着させるセザンヌの術は
理論的というより直感的なものだと言えます

人 々
ミ@Д@彡

63 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/11(月) 23:20
↑この人は無視でおねがいします。

64 :ミ@Д@彡 :2001/06/12(火) 03:15
ふうううん

65 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/12(火) 03:28
どう思う。嫌がられてるみたいだね。

66 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/12(火) 08:06
cattの突っ込みはわりと好きだ。

67 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/12(火) 08:48
>>61
セザンヌの捉え方として正しいかどうかは別にして、
メルロ=ポンティの言葉ってなかなかいいね。

68 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/12(火) 23:32
シャピロの編集した画集はいいと思う。

69 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/13(水) 03:12
ルソーは激好きだがセザンヌは嫌いだ。
というかどーでもいい。

70 :セザンヌ=アンリ・ルソー:2001/06/13(水) 20:47
>>69
おれと意見が合うね。
「セザンヌ=アンリ・ルソー」というHNを使っているが、
正直言って、セザンヌよりルソーが上だと思っている。
俺にとってはこの2人は同ジャンルなのだ。

71 ::2001/06/14(木) 11:59
>56
現代美術にせよ何にせよ美術の本質は精神(中身)にあると思うよ。
でもそれについて書かれた書物になんてお目にかかったこと無い?
だって僕らが議論できるのは形式(表面)についてだけ。だから絵画論において
絵画の形式を体現したセザンヌは重要視されてるわけだ。

現代美術においても様ざまなスタイルの作品があるけれど
そこに作家の深い精神性が反映されている事が必要だ。
なかなかいい作品が生まれないのもそれが欠如してる事にある。
>54
これは一般論だし精神論だけど優雅といわれるマチスやデュヒイの絵を見て
時間性を感じないか。実際彼らは音楽やダンスをテーマにした作品を作っている。
優雅さを感じる絵には時間はつき物だと思う。
ひねくれた見方をしないかぎり。

72 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/14(木) 16:08
初心者多い?ここ
何でレス番号引用しないんだよ!
読みづらいんだよ!!!
>変換して>>が出るように自分で辞書登録しろよっったく!

73 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/14(木) 17:57
>>71
精神内容といっても芸術の場合、あくまでも形式を通じて把握される内容で
あって、そう簡単に形式と内容が区別されるものではないよ。
それと、セザンヌにおける形式の強調といっても具体的にどのような形式な
のかを述べないとあまり意味が無い。
あと、絵画における時間性は必ずしも精神論というわけでもない。むしろそ
れだって形式でしょ。もうちょっと、自分の使ってる言葉をよく考えて使っ
たほうがいいよ。

74 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/14(木) 17:57
>>71
精神内容といっても芸術の場合、あくまでも形式を通じて把握される内容で
あって、そう簡単に形式と内容が区別されるものではないよ。
それと、セザンヌにおける形式の強調といっても具体的にどのような形式な
のかを述べないとあまり意味が無い。
あと、絵画における時間性は必ずしも精神論というわけでもない。むしろそ
れだって形式でしょ。もうちょっと、自分の使ってる言葉をよく考えて使っ
たほうがいいよ。

75 :74:2001/06/14(木) 17:58
二度打っちゃった。

76 :74:2001/06/14(木) 17:58
二度打っちゃった。

77 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/14(木) 18:11
落ち着きなされ

78 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/14(木) 18:11
落ち着きなされ

79 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/14(木) 18:12
あれ?

80 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/14(木) 18:15
>>80
>優雅さを感じる絵には時間はつき物だと思う

意味がわかりません。

81 ::2001/06/15(金) 01:04
≫73
精神内容といっても芸術の場合、あくまでも形式を通じて把握される内容で
あって
―既に形式と内容を区別している。
セザンヌにおける形式の強調といっても具体的にどのような形式な
のかを述べないとあまり意味が無い
―≫53を参照してくれ
絵画における時間性は必ずしも精神論というわけでもない。むしろそ
れだって形式でしょ。
―僕の言う形式は見えるもの、つまり絵画の表面の事。時間性は
それを見た上で生じるもの。これが内容。
≫80
優雅さを感じる絵には時間はつき物だと思う

意味がわかりません。
―これは一般論だし精神論だけど優雅といわれるマチスやデュヒイの絵を見て
時間性を感じないか。実際彼らは音楽やダンスをテーマにした作品を作っている。

82 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/15(金) 03:15
初心者多い?ここ
何でレス番号引用しないんだよ!
読みづらいんだよ!!!
>変換して>>が出るように自分で辞書登録しろよっったく!

>ぷ
それじゃダメじゃん!

83 ::2001/06/15(金) 11:32
>>73
精神内容といっても芸術の場合、あくまでも形式を通じて把握される内容で
あって
―既に形式と内容を区別している。
セザンヌにおける形式の強調といっても具体的にどのような形式な
のかを述べないとあまり意味が無い
>>53を参照してくれ
絵画における時間性は必ずしも精神論というわけでもない。むしろそ
れだって形式でしょ。
―僕の言う形式は見えるもの、つまり絵画の表面の事。時間性は
それを見た上で生じるもの。これが内容。
>>80
優雅さを感じる絵には時間はつき物だと思う

意味がわかりません。
―これは一般論だし精神論だけど優雅といわれるマチスやデュヒイの絵を見て
時間性を感じないか。実際彼らは音楽やダンスをテーマにした作品を作っている。

84 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/15(金) 14:12
>>ぷ
よくできました

85 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 04:59
age

86 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 20:57
kt

87 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/27(水) 18:05
静物画はいいと思うが、人物、風景画は全くイイと思わんなぁ。
実力以上の評判と名声が轟いている。
でも、当時の画壇には貢献したんだっけ???
それとも、迫害されたのかなぁ??

88 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/27(水) 18:32
あのジイさんがいなきゃピカソも出てこなかったろうし
いいんじゃない?

89 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/27(水) 23:46
一昨年、横浜でセザンヌ展を観たよ。
確かに静物画にはグッときた。
ほかは、あんまし良く無かったね。
ま、後進に影響を与えたと言うことで
よしとしようか。

90 :わたしはダリ? 名無しさん?:2001/06/28(木) 00:40
あの展覧会は業界(研究者、学芸員など)の間では、
「失敗」と言われているね。
当初予定していた作品が、思うように集まらなかったようだ。

(途中を省いて結論付ければ)
あれほどセザンヌの絵の下手さがクローズアップされた
展覧会を、私は見たことがない。

91 :its:2001/06/28(木) 00:53
>>90
たしか副題が「セザンヌと日本」でしたっけ。
会場(横浜)の最後の方に、展示ケースに飾られた「白樺」などの
雑誌類がなんともさびしく見えた。
図録の論文は力はいってるのに・・・。

作品が集まらなかったのは、同時期に西美で「オルセー美術館展」が
開催されていたせいもあるらしい。

あの展覧会で一番気に入った作品が、横浜美術館所蔵の
「サント・ヴィクトワール山」だった。これにはさすがにがっくりときた。

92 :空耳:2001/06/28(木) 01:01
あの展覧会失敗だったんだ・・・
ちょっと複雑な気分。
私はセザンヌの静物画が一番好きですが、
肖像画も好きですよ。

93 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/28(木) 13:03
なるほど。失敗展覧会か〜。
セザンヌとはなんてつまらない画家なんだろうって
思っちまったよ。でも、セザンヌのりんごは好きだな。
果物だけ描いてればいいのに。

94 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/28(木) 14:05
え、そおなの?
人物画、わりと好きだけどな。
なんか、トランプやってる男2人を描いているのって
この人じゃなかったっけ?

95 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/28(木) 14:50
う〜ん
思うんだけど日本人には理解しがたいタイプの画家なんじゃないか。
向こうはロゴスの文化だけど
日本は基本的に情緒で動く国だからね。
理念がどうたら言われても本当は(゚Д゚)ハァ? なんじゃないか
きれいか/きれいくないか(W
「心」に訴えるものでないと反応鈍い。
セザンヌはそういうところにいないロジスティックな作家

96 :its:2001/06/28(木) 15:37
セザンヌにそれほどたいそうな理念が合ったとは思えないけど。。。
既出だけど、彼は結局のところ3次元の物体を2次元にどのよう
に還元するかという問題に苦心しただけであって、ルネサンス
以降の西洋美術に通底する問題をあえてこの時代に表面化し
直しただけではないでしょうか。
その程度の理念ならば、ベクトルの違いこそあれ、ゴッホ、
ゴーギャン等ポスト印象派の画家も多かれ少なかれ抱いていた
ような気がします。
セザンヌ(+ゴーギャン)=理論派の画家、ゴッホ=近代画家神話
の筆頭者、等という構図があまりにも幅を利かせすぎているので
はないでしょうか。
問題は、ゴッホにしても、セザンヌにしても、作品とそれ以外の
コンテクストをどう切り離して鑑賞するかという点にかかってくるのでは。
これだけ情報に毒された我々には今さらそのようなことは非常に
困難ではありますが。。。

97 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/28(木) 21:53
>セザンヌ(+ゴーギャン)=理論派の画家、ゴッホ=近代画家神話
>の筆頭者、

し、知らなかった……。がーん。

98 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/29(金) 01:03
WEEZERのスザンヌ

99 :わたしはダリ? 名無しさん?:2001/06/30(土) 20:18
>>96
「セザンヌ(+ゴーギャン)=理論派の画家、ゴッホ=近代画家神話
の筆頭者、等という構図があまりにも幅を利かせすぎているので
はないでしょうか。
問題は、ゴッホにしても、セザンヌにしても、作品とそれ以外の
コンテクストをどう切り離して鑑賞するかという点にかかってくるのでは。
これだけ情報に毒された我々には今さらそのようなことは非常に
困難ではありますが。。。 」

で、あなたはセザンヌをどのような画家であるとお考えでしょうか。
私も一応、美学美術史を専攻した身であり、さまざまな知識からは
自由ではありません。
しかし、少なくとも自分では、近頃、
そうした知識をいわば放下して、
直感的に絵を見ることができるようになったと思えるのです。
そのきっかけを与えてくれたのが、横浜美術館でのセザンヌの
展覧会でした。
私はレス90であり、また以前、(検索が面倒なので記憶だけで書きますが)
「セザンヌは、自分で絵が下手なことがわかっていながら、自分は
絵が好きで好きでしようがない、そのことをわかってほしい、と
暑苦しいまでに表現している画家だ」
というようなことを書きました。

そういう考えがひらめいたのが、横浜での展覧会でした。
オカルトめいていますが、私は同展覧会で、セザンヌが
諸作品を通して、上記のようなこと、つまり
「そりゃ、自分が絵が下手なのがわかっている。
でも、俺は絵を描くことが大好きなんだ。
お願いだ、それだけはわかってくれ。
絵が好きなことだけは誰にも負けない」
そんなことを語りかけてくるのを
感じました。
今は私にとっては、セザンヌとは
そういう情念一本槍の画家です。
陳腐ですね。ある意味で、セザンヌとは
陳腐な画家なのかもしれません。

セザンヌをわかりにくくしているのは、文章は
確かに知的であるということです。
多くの人は、これほど知的な文章を書くのだから
絵画にも知的なメッセージがあるにちがいない
と思ってしまうでしょう。
そこがわかりにくさであり、陥穽であると思うのです。

なかなか難しいことですが、一度、余計な知識を
捨てて、虚心にセザンヌの作品を眺めてみませんか。
そうすると、私のいっていることを実感できるかも
しれません。

100 :わたしはダリ? 名無しさん?:2001/06/30(土) 20:22
99ですが、書いているうちに、96さんへではなく、
それ以外の方へのメッセージになってしまいました。
おそらく、99さんは、私の書いているようなことを
感じていらっしゃる方だと思います。
失礼しました。

101 :わたしはダリ? 名無しさん?:2001/06/30(土) 23:58
↑「99さんは」を「96さんは」にあらためます。

102 :ナナシノ:2001/07/01(日) 00:06
99さんに倣って僕も私的セザンヌ観を。
子供の頃、図工の時間では、絵のうまい下手はともかく、画用紙全体に元気いっ
ぱい、力強い絵を描けば、そこそこ評価高かったりした記憶無いですか?画面の
中央に小さく描くなんてのは「元気がない」いわんや画用紙に「塗り残し」があるな
んてもってのほか。
それはともかく平面作品で、しかもオーソドックスな油彩作品なんかだと、「塗り残し」
は観る者に結構強い印象を残します。そこだけ穴が空いてるような気持ち悪さを感
じるし、何よりも「塗り残し」がそのまま「未完成品」のしるしにすら見えたり。

でもセザンヌはやるんですよね。平然と。必然性を持って。
2年くらい前にセザンヌの風景画、都美館で3枚くらい観たけど、すごいと思ったです。
なんか無茶苦茶カッコいい。セザンヌのかかってるその壁だけクール極まりない場を
生成してたです。「描く」と「描かない」の境界線上に立つ画家セザンヌ。唐突ながら
轟音ノイズの果てに静寂を聴いちゃったような感じを受けます。

103 :空耳:2001/07/01(日) 01:07
へーみんなおもしろいこと考えるものだね

104 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/01(日) 02:14
塗り残しと思ってよく見たらなんとホワイトをわざとおいてあった。
戦慄を感じた。
永遠の未完・・・・すなわちこれ完成なり

105 :わたしはダリ? 名無しさん?:2001/07/01(日) 03:19
>>104
そういうあざとさが、私がセザンヌが嫌いな理由のひとつです。

106 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/01(日) 23:18
>>105
あざとさ・・・・(笑)
というよりもそのタブローで最大限の美しく強い画面効果を得るための彼なりの
手段だと思った。
題名は忘れたがパリで見た水浴図だった。

107 :its:2001/07/03(火) 21:37
>>99さん、
結局僕は色々な知識から自由にはなれなません。
とりわけセザンヌという画家については。
それを断った上で、セザンヌについて語ってみたい。
僕は、セザンヌに対しては距離をとった鑑賞しか出来ない。
なぜなら、自分にとってセザンヌは感情移入を拒否する画家だから。
セザンヌのやりたかったことはよくわかる。
それを否定するつもりはないが、結局彼の試みは自己完結にしか
みえない。彼の作品の軌跡は、自分の設定したテーマに対して
煩悶し、それなりの結論を出してみせた論文の集積にしかみえない。
論文は納得することはあれ、共感や感動を呼ぶということはない。
そして論文は一定の読み方しか要求しない。誤読は許されない。
そのような厳格な姿勢をセザンヌの作品からどうしても読み取ってしまう。
それはどうにも僕にとって息苦しく、「感じる」というよりは一歩引いて
「理解する」という立場しか僕にはとりようがない。
セザンヌのいくつかの作品には、はっとさせるものもある。
(それが>>91にあげた「サント・ヴィクトワール」山)
でもその感情はやがて知識によって補填され、頭の中で解決され、
霧消してゆく。
そのような画家がセザンヌである。
感受性の乏しい奴と思われても構わない。
けれどそれが嘘偽りない正直な感想です。

108 :99:2001/07/04(水) 02:09
>>107
いや、あなたはむしろ感受性の豊かな方でしょう。
世の中の多くの人(美術史研究者、愛好者を含めて)は
感受性が乏しく、それゆえ研究者の作り上げたセザンヌ像を
通してしかセザンヌの作品を見ることしかできない、
つまり見る前から「すばらしい作品を見る」という
態度で臨むことしかできないために、あなたのような
率直な意見を持つことができないのでしょう。
あるいは、あなたと同様の感性を持ちながら、
それに自信を持つことができないために、
自分が感じたことをそのまま表現できない人々が
大多数といっていいのかもしれません。

109 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/04(水) 10:33
>>107
たしかにセザンヌは彼独特の目標をもって絵画の制作をしていたと
いう感じはします。
でも私は彼の絵が実際に「一定の読み方しか要求しない。誤読は許
されない。」ものであるとは思えません。
実際にどのような読み方をしていいのかいまだにわからないからです。
私にとってセザンヌの絵画はいまだに謎に満ちたものです。
セザンヌに関するさまざまな論文もそのような近づくことの困難な
何ものかを巡ってのさまざまな誤読の集積に思えてなりません。
いままで私はセザンヌについて書かれた文章を読んで「これが正解
だ」と思ったことは一度もありません。かといって私がその正解を
持っているというわけではもちろんありません。

itsさんの言う「一定の読み方」とはどのようなものなのでしょうか?

110 :its:2001/07/05(木) 00:15
>>108
ありがたいレスです。

>>109
論文を例にあげて「一定の読み方しか要求しない。誤読は許されない。」と
書いたのは、「自分にとってセザンヌは感情移入を拒否する画家」であり、
そのようなセザンヌの「厳格な姿勢」に対して感じる拒否反応を、ストレートに
表現できなかったため、比喩的に表現しただけのことです。
決してセザンヌの作品自体に対して用いたのではありません。
少し言葉が足りなかったかもしれませんが、僕がセザンヌに対して抱いている
知識は、このスレに書かれている以上(いや、それ以下かもしれません)ではなく、
>>96に書いた通りのありきたりなステロタイプ化されたそれです。
セザンヌに対して、記号学的、心理学的等様々な解釈があることは知っている
つもりです。(後者のアプローチはシャピロをはじめあまりにも有名です)
僕自身セザンヌの作品を一瞥して目に入ってくるのは、まず色彩の場合もあり、
モチーフの配置、あるいは構図全体の場合もあります。しかし、結局のところ
ステロタイプな知識を通した鑑賞にしかたどり着かざるを得ず、それはくどいよう
ですが、僕の場合、「感じる」というよりも「理解する」という姿勢によって得られる
です。

自分でも書いていることがわからなくなってきた。意味不明だったらすいません。

111 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/05(木) 09:29
なんかセザンヌって突然変異って感じがする。
特に「サント・ヴィクトワール」って絵を見るとそう感じる。
なんかそれまでの絵画の流れから断絶しているというか、なんか
孤高の存在というか、どうしてそうなったかというのが分からない。
それに比べるとゴッホはそれ以前の手法でなんとなく説明つきそう
だし、ピカソのキュビズムも明らかにセザンヌの影響が見て取れる。

いろいろ理屈はあるだろうけどなんかどれも、あっそうって感じ
。だけど分かっていても普通やらねえだろこんなことって感じが
します。なにかそこにセザンヌの常軌を逸した闇というか異質者
ということがクローズアップされそうです。

確かに嫌いな人がいてもっともだと思う。

112 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/05(木) 09:46
>99

セザンヌが下手だといっているのは岡本太郎も同じ事を
いってるよね。余りに下手でかわいそうなぐらいだとまで
いっている。

113 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/06(金) 21:33
>>99の「絵がうまい」と言うのも何をもって上手いとしているかですね。
アカデミックな教育を確実にこなせたところで、それが何?って感じで、
「絵が大好き」で仕方がないと言う点に99が本質を見るのは大賛成です。
なぜなら彼にしてみれば、作らなければならない俺の人生やってられん!
って感じで、表象に満ちたこの世界をどう乗り越えていくかと言う切迫感の
中で制作していたと思う。
それは山の表象イメージそのままを絵にするのでなく、
モネが試みていた刻々と変化する世界、物質としての光の渦を絵画と言う
方法を通してイメージの運動へと導いていったと思う。
繰り返すけど、セザンヌの絵の下手さを問うのは意味がないのでは。

114 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/06(金) 22:30
>113

んーでもこの場合セザンヌが下手だったというのは結構重要
な要素かもよ。確かに昔の巨匠と比べるとかわいそうなぐらい
下手だった。そして不幸にも(幸運にも?)それを知っていた。
だからこそセザンヌがセザンヌでありえたってことにはなら
ないかな?。多分セザンヌの絵がうまかったらああはなって
なかったでしょう。なにしろセザンヌの友人にも「お前は
独創性はあるんだからあとは絵が上手ければどうにかなる
んだから。」といわれ続けていたらしい。あんまり言われすぎて
セザンヌがキレて殴り合いの喧嘩になったらしいw。

だからセザンヌはああいう風になるしかなかったんじゃ
ないのかな?。理屈ではどうとも言えるけど問題はもっと
深いところにある様な気がするな。

115 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/06(金) 23:02
実際にセザンヌが下手であれなんであれ、それを彼の作品の特徴と
して繰り返し指摘するだけだとしたら、やはりたいして重要ではな
いと思う。むしろ重要なのはその後の話でしょ? 実際にセザンヌ
の作品がどのようになっているか、ということ。上手いとか下手と
かというレヴェルを超えて実際にセザンヌの絵をどのように捉える
か、ということ。
私は別にセザンヌが下手であるという主張にことさら反論するつも
りはないけど、話がそこで終わってしまうのならやはりたいして意
味のない主張だと思う。できれば話をそこからさらに展開させて欲
しいと思います。

116 :114:2001/07/07(土) 12:16
>115

勿論そういうつもりで書いたつもりだけど。
正直言ってセザンヌを理解しようとする時いわゆる伝統的な意味での
絵のうまさがどうこうってのは確かに意味が無いんだよね。なるように
なるしかならなかったけど、その結果新しい価値観を生むことに
なったんだから。だからセザンヌは異質者であり突然変異ってこと
なんだよな。

117 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/13(金) 19:16
agw

118 :ごくろうさん:2001/07/13(金) 20:46


    ∧ ∧         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ̄ ̄( ゚Д゚) ̄ ̄|   <  ではまた明日な
|\⌒⌒⌒⌒⌒⌒\   \
|  \           \    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\  |⌒⌒⌒⌒⌒⌒|
  \ |_______|

119 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 01:50
初めて書き込みます。
セザンヌの絵が上手いか下手か、ということについて考えてみました。
申し訳ありません、駄文でしかも長くなります。m(_ _;)m

唐突ですが、ゴッホのドローイングをUPします。ゴッホは独学だったそうですね。
http://www.geocities.co.jp/Milano-Killer/7217/index.html

左がヌエネンで、右が2年後にハーグで描いたものだそうです。
ついでに伊藤廉の文章を無断転載。

 「大工」のデッサンは、比例におかしいところがあります。右手が大きかったり、
 左腕が短かったりしています。-中略-ゴッホは、あるいは西洋人一般は、こういう
 歪みが気になるのです。-中略-ハーグへきてからかいたものは、そういう変なところ
 がありません。

ゴッホは努力の人だったのね、ということを言いたいのではなくて、
色彩においてあれほど自由であったゴッホが、両腕の長さが違うことをかなり
気にして解剖学的正確さを目指していたらしい、つまり物体の形については
案外保守的で「アカデミックな常識」に縛られていたのではないかということです。
19世紀のヨーロッパ美術界ではアカデミーの力がまだ強かったはずですから、
作品中の人物を現実の人間の様に描けなきゃまともな画家じゃない、なんて
雰囲気も当然あったでしょう。

120 :119:2001/07/15(日) 01:53
また無断転載、セザンヌの学生時代(20代初め)のドローイングです。
http://www.geocities.co.jp/Milano-Killer/7217/index2.html

当時のアカデミーの基準、例えばアングルなどに比べると不器用かもしれませんが、
所謂「普通」の絵は描ける人だったようです。
歪んでいない机の上に宙に浮いていないリンゴを描くことはできたでしょう。
人物についても、当時の学校では美術解剖学は必須ですから両腕の長さが違えば
当然分かるし直すこともできたはずです。

印象派の画家達は戸外で実際の風景を見ながら描くことが多かったそうですね。
昔の画家のようにアトリエ内で絵の約束事に従って絵を組み立てるのではなく、
自分の目で見えた様に描いていく。影の中にも色があるし、光の色も時間とともに
変化します。現実の色は絵の中より遙かに豊かです。

もしかしたらセザンヌは色だけではなく、物の形に対しても自分の目を優先させよう
としたのではないでしょうか。
人間の目は2つですから、物の輪郭は決して一本の線には見えませんね。
見えたように何本も輪郭線を引く、それを優柔不断と言った人もいるそうですが、
そうは思いません。むしろジャコメッティとの共通性を感じます。

121 :119:2001/07/15(日) 01:57
セザンヌは、学校で習った描き方では自然を自分が見たように描けない、
自分には別な手法が必要だと思ったかもしれません。
しかし参考にすべきものが当時あったかどうか。
周囲の印象派の画家達に触発されることはもちろんあったでしょう。
しかし(不勉強なので間違っているかもしれませんが)ピカソにとっての
セザンヌという意味での、影響されるべき手法を持った人は、いなかった
のではないでしょうか。
絵の基本である色面を従来の手法によらずに作ろうとすれば、当然試行錯誤
の連続だったでしょうし彼にとっての失敗作も多かったと思います。直感に
も随分頼ったはずです。
しかしそれを指して「セザンヌは下手」とは決して言えないでしょう。
誰もやらないことをやろうとしたのですから。

物の形について従来の考え方と距離をおく、この点でセザンヌとゴッホは対照
的だと思います。ゴッホが色について自由になれたのは、形についての基準を
自分の外(アカデミックな方法)に置いたからではないでしょうか。
セザンヌは色、形とも現実の物体から離れることはありませんでしたが、基準を
自分の中に置こうとしたのだと思います。

セザンヌの作品は、「自分にとっての自然」を描こうとした彼の様々な試行の
軌跡という気がします。

今気付いたのですが最後のレスは一週間前・・・あげるかさげるか迷いますな。

あげてみるか。

122 :ナナシノ:2001/07/15(日) 02:31
>>119
セザンヌにしろゴッホにしろ、その作品を観ると、
描かれている内容や手段以前に、アカデミックな
「回答」に対する拘りを捨てきれていないのでは。。
と思わせるところがあるのかも。そこが「下手」って
いうイメージを簡単に呼び起こすんだろうね。初めて
の「疑問符」に価値があるのは周知だけど、こんな
「過程」としての絵画に果たして価値があるのか。
とは素朴な疑問として思うよね。

我々鑑賞者はそこから拾うべき何かを拾うしか無いね。
既知の評価とは無縁に。

123 :でも:2001/07/15(日) 09:02
岡本太郎「今日の芸術」にこんなことがかいてあるよ。

長いから要約するけど、セザンヌはかわいそうなぐらい
下手糞だといっている。ドローイングをしても「すわっている
裸婦を正面から描いたものですが、前にでているはずの膝小僧
が下腹にめりこんでしまって、きのどくなほど不手際でした
(このときいっしょにいった日本人画家がこれを見て、「
さすがセザンヌ、うまいもんだ」と奇妙に関心してみせるので、
バカバカしい気がし。」たそうだ。つまり>120であげている
ものも当時の画家のデッサン力からくらべるとけして高いもの
ではないということになる。おまけに「人によってはセザンヌが
当時から自覚してそういう描き方をしたのだと強弁するかもしれ
ませんが、その当時、彼が尊敬し心酔していた画家というのは
、アリー・シェールという俗悪な官展の大家だったのだから、お
どろくべき。」ともいっている。

ただし、セザンヌの名誉の為にいっておくけどだからダメだと
いっているのではなくてだから素晴らしいといっている。
もっといってしまうとセザンヌの絵はもっと技術的にうまい
とか下手なんてことは本質的にあんまり関係ないっていうこと
ではないかと思うな。

124 :   :2001/07/15(日) 14:36
岡本太郎はゴッホも下手って言ってるね。

125 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 15:12
岡本太郎はセザンヌを理解できていたのでしょうか?

126 :119:2001/07/15(日) 16:32
セザンヌは長い間サロン(官設展覧会)に応募し続けたそうです。
しかも当選したのは1回だったとか。今から見れば、セザンヌ程の
画家が、なぜそこまでサロンに拘るのか?と思ってしまいますが。
「紅白に出場して初めて一人前の歌手」といった状況でも想像すれば
いいのでしょうか。

昔のアカデミーは大変厳格だったらしくて、うろ覚えですがレンブラント
も「間違った描き方をしている」なんて言われたそうですね。
セザンヌの頃だと、スーラも美術学校での成績は良くなかったそうです。
http://www.clair-obscur.com/air/seurat/index.htm

これで下手なら、おまえらどんな絵描いとるんじゃい!と思って調べると

ヴィーナスの誕生/アレクサンドル・カバネル 1863
http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/cabanel/venus.jpg

カバネルは仏国立美術学校の教授で、この作品は当時大人気だったそうです。
セザンヌとカバネル、「今」見ると上手下手どころか異種格闘技の世界ですね。
もう笑っちゃうぐらい比較しようがない。何が上手くて何が下手なんだか・・・。
>>123
>技術的にうまいとか下手なんてことは本質的にあんまり関係ない

そう考えた方がいいですね。その方が絵を楽しめると思います。

>>122
>我々鑑賞者はそこから拾うべき何かを拾うしか無いね。
>既知の評価とは無縁に。

そう思います。「キュビズムを通過した眼がラ・トゥールを発掘した」ような
可能性はいつでも、誰にでもあるでしょうから。

127 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 21:36
セザンヌの作品は僕はほんとにすばらしいと思います。
けれども、いざ、どこかすばらしいのか、と考えると、答えるのが
むずかしいですよね、彼の作品。

128 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 22:24
それは誰の絵でも難しい、と思うなあ。
絵画について語るのって観念的な話しになりやすいこともあって100パーセント共有できることってないと思うし。
得に非文学的な絵についてはね。

129 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 22:33
↑そのとおり。

130 :Victoire:2001/07/21(土) 02:57
 だけどセザンヌって同じ絵ばっか描いてるね。果物の絵、トランプをする人たち、
サント・ヴィクトワール山、ブサイクな奥さんの絵、水浴・・・アメリカの美術館に
いやになるほどたくさんある。

131 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/21(土) 22:17
>>121
セザンヌって葛飾北斎の影響受けまくりだよ。
画面構成まんまパクリみたいのまであるよ。

132 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/21(土) 22:43
>>131
それってホントかな?
こないだのセザンヌ展のカタログにもそういうこと書いてあったけ
けど、ちょっと説得力がない感じがした。

133 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/21(土) 22:48
>セザンヌって葛飾北斎の影響受けまくりだよ。
>画面構成まんまパクリみたいのまであるよ。

オレもそう思う。四角い画面もパクリだと思うよ。絶対に!

134 :くるくる:2001/07/21(土) 22:48
名前が歴史に残ったんだから、それなりにすごいんじゃないか。
セザンヌにもいい絵も悪い絵もあるし。うまいへたなんてことより。

135 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/21(土) 22:56
>>131

http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gallery&key=977908102&st=65&to=68&nofirst=true

136 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 01:04
>>134

この人はゴッホのところでも書いてたけど、とてつもなく
アホだね〜。んじゃ名前が残ってりゃ誰でも凄いのかい?。
そりゃ結果的に名前が残ったってだけで、それは後付け
の価値観だろ?。なんでセザンヌが凄いかっていう理由
にはならんだろう。それに君にはセザンヌのどの絵が良くて
悪いが解るのかい?。後学の為に教えてくれよ。ただし
反面狂師としてだがなプ。


>>111

結局本当の凄さってこういうことだと思うよ。
要するにセザンヌは異端者なんだよ。あまり前後の文脈
と関係ない絵を書いたってことだよ。セザンヌ自身は大変に
画壇に興味があったにもかかわらず、ああいう絵を描いたってこと。
そこが凄いし解らないってこと。ピカソだってゴッホだって
裏が見えるのにセザンヌにはそれが見えないって事だな。

どこをどうやったら「サント・ヴィクトワール」山みたいな
絵を描けるんだろう。普通、思ってもそんなことは絶対やらない
って(もしかしてヤケクソ?w)。当時の画壇はものすごい
保守的だったから存在を抹殺されるよ。

137 :catt@ e140119.ppp.asahi-net.or.jp:2001/07/22(日) 01:21
>>136さん
セザンヌはエル・グレコをきっちり解釈していると思われます

138 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 01:42
それではその影響からどうして「サント・ヴィクトワール」みたいに
なっていったのかを説明してよ。

139 :catt@ e140119.ppp.asahi-net.or.jp:2001/07/22(日) 01:52
>>138さん 私見ですが、セザンヌは「支持体」と「描画の痕跡」の関わりに
気が付いた時点で、いくつかの時代を統合した制作に踏み込んだのだと思います。
近代、それ以前、そして現代。「聖ヴィクトワール山」をよく見てください。
そこには西洋と東洋の描画技法に共通した最大の要素が隠されています。

140 :119:2001/07/22(日) 02:02
>>131
北斎とセザンヌを比較すると、絵画空間の捉え方(特に光の扱い方)
が大きく違うように見えるのですが。
詳しく説明して頂けると嬉しいです。

>>133
>四角い画面もパクリ
って何でしょ?

>>137cattさん
エル・グレコについては殆ど知らないので、セザンヌとの関わりを
是非聞いてみたいです。

141 :119:2001/07/22(日) 02:04
訂正
>ゴッホは独学だったそうですね→削除
調べたら、学校行ってますね。思いっきり、二度も。

>左がヌエネンで、右が2年後にハーグで描いたものだそうです。
伊藤廉の文章に拠ったのですが、ハーグ時代は1881年末〜1883年、
ニューネン(ヌエネン)時代は1883年末〜1885年ですから、もしか
したら左がハーグ時代なのかも知れません。
(画像の制作年については特定できず。)

142 :catt@ e140119.ppp.asahi-net.or.jp:2001/07/22(日) 02:14
>>140さん
ちらっと検索したら図版の多いサイト見つけました。
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/E/ElGreco/ElGreco.htm
ここにある大部分の絵は、自分が学生時代に模写したことがあります。
http://www21.freeweb.ne.jp/art/j-miki/E/ElGreco/el06.JPG
「トレドの風景」これなんかはセザンヌに結構近しい画風ですよね・・
マニエリスムがデッサン力無いと言う人もいるんでしょうがそれは知ったこっちゃない(笑
ではでは。

143 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 08:59
>>139

いやそういう理屈じゃなくて、なんで彼は「聖ヴィクトワール山」
を描かなければならなかったかということよ。別にグレコや東洋から
の影響を否定するきもちは毛頭ない訳よ。ただそれらの影響を
全て認めた上で、なぜあのような絵を描いたかって事なのよ。例えば
ピカソのキュビズムは明らかにセザンヌの影響とイベリア彫刻、
アフリカ彫刻からの影響を脈々と感じることが出来るわけ。
でもセザンヌにはその直接的な影響、必然性がわからないから突然変異
と思うわけ。もっと詳しく説明してくれよ。

144 :catt@ f077028.ppp.asahi-net.or.jp:2001/07/22(日) 11:47
>>149さん
>ピカソのキュビズムは明らかにセザンヌの影響とイベリア彫刻、
アフリカ彫刻からの影響を脈々と感じることが出来るわけ。
でもセザンヌにはその直接的な影響、必然性がわからないから突然変異
と思うわけ。もっと詳しく説明してくれよ。

これがよく分からないんですが、習作があるかどうかってことでしょうか?

145 :くるくる:2001/07/22(日) 11:48
>>136
あなたは文脈の表面しか捉えられない人ですね。
名前が残ったから偉いんじゃなくて、残るからにはそれなりの
ものがあるということなんですよ。
例えば、今売れている先生がたですが、今は売れてますが、
歴史に名を残すかどうかは疑問です。
わかりましたか?こんな幼稚園にするような説明をしなけりゃ
いけないんですか。この板の人は。疲れますね・・・
それと、どの絵が良いか悪いかなんて、言ってみても、それは私に
取っての良い絵・悪い絵であって、あなたには意味ないでしょう。
くだらんことばかりいわないでください。

146 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 12:16
>>144

そういった意味も含めてだね。グレコと東洋の影響からなぜあんなに
「聖ヴィクトワール山」みたいに幾何学的形態の絵になったことを
説明してほしい。

147 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 12:21
>>145

ほうらやっぱりリアル厨房の証明!!。

>名前が残ったから偉いんじゃなくて、残るからにはそれなりの
>ものがあるということなんですよ

だからそれを聞いているのさね。

>それと、どの絵が良いか悪いかなんて、言ってみても、それは私に
>取っての良い絵・悪い絵であって、あなたには意味ないでしょう

だから意味なくても聞かせてみろといってるの。
わかる?。「くるくるパー」くんプププ。

148 :くるくる:2001/07/22(日) 12:26
どうせあんたは聞く耳を持たんからいってもしょうがないでしょ。
批判する耳は持ってるけど。だいたい名前が残るからにはそれなりのものが
あるかないかに対しての意見なら聞くが、またまたおかしなことしか言ってこない。
やはり、小学生の頭しかない人だ。絵がどうのという以前の問題だ。
礼儀とか勉強してからいいなさい。

149 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 12:28
オレには、147のほうが「くるくるパー」に見えるが。
もしや、また一人漫才か?まあいいや。

150 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 12:30
どうせ一人芝居だろ?。閑だからって止めろよ。

151 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 12:32
>150
意味不明だ。言葉が足りないよ。

152 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 12:40
>>148

だから逃げるなよ。きちんと証明して見せろよ。
きちんと聞いていてあげるからよ。そうやって逃げる
から厨房呼ばわりされるんじゃされるんじゃないの?。
まあ洗礼を受けたわけだw。

153 :くるくる:2001/07/22(日) 12:52

意味わからん。何を証明するのか?
第一、セザンヌのどの絵が良いとか悪いとかそんなこと知るか!
残るにはそれなりのものがあるからだろうという一般論を言ってるだけで、
個別にこれがいいあれが悪いという話じゃないし。別にセザンヌじゃなくても、
言えることを言ってるだけだ。それが何でこういうバカ話になるのか・・・
そんなことにいちいち絡まれても困る。

それに、良い絵とか悪い絵自体どうでもいい。好きな絵ならわかるが。
好きな絵をあんたに語って、あんたそれでどうしたいんだ。
この板は学者級にセザンヌを知らなければ、語ってはいけないのか?

154 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 12:54
一人漫才はウザイからやめれ。

155 :くるくる:2001/07/22(日) 13:00
>>154
ありがとう。やめさせて頂きます。

156 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:03
もう来ないでね。

157 :くるくる:2001/07/22(日) 13:10
まあそう言わないで下さい。また気が向いたら来ますよ。
でもこの板はちょっと終わったようなので、しばらく様子見かな・・

158 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:21
>でもこの板はちょっと終わったようなので

ゴラァ!それは、おまえの所為だろが!
とぼけて名前を変えて出てくるんじゃねえよ。空耳。

159 :くるくる:2001/07/22(日) 13:27
>>158
この板は、勝手にひとり芝居だとか、空耳とかに勘違いしてくれる
ので、すごく楽です。そう思ってくれるとありがたい。
これで何を言っても、空耳さんのせいになります。
気持ちが楽になります。ありがとう。

160 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:27
対話になっていない発言は無視。それが正しい読み方。

161 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:31
>気持ちが楽になります。ありがとう。
それが「羊」の役割。

162 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:33
対話になっていない発言は無視。それが正しい読み方。

163 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:35
>>161
羊かぁ。よっぽどここ人がいないんですね。
かわいそうだから、羊役になりましょう。
それであなたは「ブタ」役?

164 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:41
ボケるなよ(藁

goatsong



165 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:48
>>164
キモイ

166 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:03
>165
エサに釣られて出てきたな、死にぞこない!

167 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:04
対話になっていない発言は無視。それが正しい読み方。

168 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:26
>>165
臭い

169 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:27
>>165
sine

170 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:31
>>164
英語がわからない白痴

171 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:32
>>164
イタイ

172 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:32
>>164
臭い

173 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:33
>>164
キモイ

174 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:38
>>164
>goatsong
>↑
>羊

さらしage

175 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:40
>>164
ドキュソ臭が漂ってる

176 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:40
>>164
臭い

177 :セザンヌ=アンリ・ルソー:2001/07/22(日) 14:48
セザンヌというのは、既存のタイプの画家に
なることを夢見つつ、結局、自分のめざずタイプの画家には
なれず、いわばその副作用あるいは反作用として、
後世の人々から新しいタイプの画家として認知されてしまった
人といえるね。

178 :164:2001/07/22(日) 14:53
ワリィワリイ、
表記方法がよくなかったな。

goatsong(空耳・いるす)=羊

羊=この板に潜む「魔」への生贄

179 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 15:02
はやく成仏してください。
南無妙法蓮華経。

180 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 15:03
>>178
ドキュソ臭消えず

181 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 15:04
>>178
丁寧に謝るように

182 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 15:04
>>178
キモイ

183 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 15:07
南無妙法蓮華経じゃだめか?では、

南無阿弥陀仏。

アベマリア。

アーメン。

184 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 21:58
>>178
どうぞ。
http://www2.strangeworld.org/image/sahra1725.jpg

185 :119:2001/07/23(月) 01:25
>>142cattさん
確かにかなり共通点はありそうですね。
風景もそうですが、
「ラオコーン」
http://www21.freeweb.ne.jp/art/j-miki/E/ElGreco/el13.jpg

人物の形態は、画面構成のための人物に見える程変形されていますし、両端の
人物なんて完全に背景と密着している。右端の群像は前後の隙間が殆どありません。
このような圧縮された絵画空間はセザンヌの作品にも顕著ですね。
「大水浴図」
http://www.artchive.com/artchive/C/cezanne/brnsbath.jpg.html

セザンヌ本人はドラクロアを賞賛していたそうですし、きっとルーブルに通って
古典作品にも親しんでいたのでしょう。
もしかしたらセザンヌの作品には、様々な画家達から受けた影響が見え隠れして
いるのかもしれませんね。素人にはこれ以上わかりませんが。

また訂正。
>>121
誤 周囲の印象派の画家達に触発されることはもちろんあったでしょう。
  しかし(不勉強なので間違っているかもしれませんが)ピカソにとっての
  セザンヌという意味での、影響されるべき手法を持った人は、いなかった
  のではないでしょうか。

正 周囲の印象派の画家達に触発されることはもちろん、過去の様々な画家の影響
  もあったでしょう。しかし(不勉強なので間違っているかもしれませんが)
  一目で分かるほどの影響力を与えた画家は、いなかったのではないでしょうか。

>>177さん
死んだあとで本人が一番驚いてたりして。w)

186 :119:2001/07/23(月) 01:28
>>146さん
絵画の強度を保つために、画面の中の対象物に幾何形態を内在させるのはセザンヌ
以前から行われていましたね。アングルでさえ、画面構成に人体を合わせるために、
背骨を追加していました。ただ、あからさまな見せ方をした画家はセザンヌ以前に
あまりいなかったようですが。(エル・グレコがいたのか・・・ぉ)

個人的に、セザンヌが「聖ヴィクトワール山」のような作品を描けたのは、実際に対象
を見ながら直描きで制作をすることが多かったせいではないかと思います。

チューブ絵具が発明されたのは19世紀中頃ですから、 印象派以前の画家達は戸外での
スケッチを元にして、あるいは記憶に拠って描くことが多かったはずです。
18世紀までの絵画制作は非常にシステマチックなもので、最初に決定された形を修正するのは
簡単ではなかった。フランドル絵画等は殆ど工芸品を創るようだったと聞きます。
勝手な想像ですが、そのおかげで様式が時代ごとに比較的明確に現れているのだという気もします。

時間と共に移り変わる自然の中に幾何学的構造を見出していくことは、思ったよりも困難な事
なのかも知れません。目が見ていく形と画面が要求する形、その違いを直接画面に色を置きながら
その都度修正していく、その行為の集積があのような構造むき出しの絵になるのはそれほど不思議
なことではないように思います。うまく言えませんが。

187 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/23(月) 09:44
>>186

おっ?!ちょっと面白い説だな。

>個人的に、セザンヌが「聖ヴィクトワール山」のような作品を
>描けたのは、実際に対象を見ながら直描きで制作をすることが
>多かったせいではないかと思います。

つまり必要に迫られてって訳?。

正直いって画面の中の対象物に幾何形態を内在させる云々とか
って話は建前論であって、なんであんな絵を描いたって動議付けに
ならないと思ったけどこれはなんとなく理解できそう。

つまり戸外で製作することが多くて。ということは比較的短時間
で製作することが多くて、その短時間でのインスピレーションを
画面に留めておくにはああいった方法が最適だったということ
なのだろうか。

そういう風に考えをめぐらしていけば>185の「周囲の印象派の
画家達に触発されることはもちろん、過去の様々な画家の影響も
あったでしょう。しかし一目で分かるほどの影響力を与えた画家は、
いなかったのではないでしょうか。」ってものの答えになるよね。

つまりいろんなところから影響は受けたが絵を描いて行く上での必要性
に迫られてああ言う画法を選択せざるをえなかった。それがきっかけに
なっていろいろと絵画の別な面を見出すに至ったってことかな?。

正しいかどうかはあくまで憶測の域をでないが結構そんなものかも
しれないね。

188 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/23(月) 22:23
セザンヌが生きている頃から、
グレコとの類似を指摘する人はいたようですが、
セザンヌ自身は、グレコの絵は見たことがなかった、
そのグレコとやらの絵を一度見てみたいものだと語っていたと言う話を何処かで読みました。
また、前の方で引用されていたポンテは、この二人、グレコとセザンヌを、分裂病質の画家として括っていました。

189 :119:2001/07/24(火) 01:39
>>187さん
>画面の中の対象物に幾何形態を内在させる云々とか
>って話は建前論

というか・・・人間の眼は対象に幾何形態を要求しますから。
絵に限らず人間が何かを見る時には、不定形の形よりも直線、円など幾何学的
な形の方がわかりやすいし、整って見えますね。ゴミが散らかった部屋で
まず目にはいるのはTV、机等大きくて、幾何学的な形。脱ぎ捨てられた
服や丸めたゴミより目立つしきれいです。ごく当たり前のことです。
ですから彫刻や、絵に描かれた対象を幾何形態に沿わせることは、それこそ
大昔から行われていたし必須の事でもあります。昔のアカデミーでは知識として
教えますし、アンリ・ルソーは美術館の絵や周りの画家達から学んだはず。
ルソーが素人画家と区別される理由の一つは、このことです。

>つまりいろんなところから影響は受けたが絵を描いて行く上での必要性
>に迫られてああ言う画法を選択せざるをえなかった。それがきっかけに
>なっていろいろと絵画の別な面を見出すに至ったってことかな?。

必要に迫られたのは、確かだと思います。ただし長い試行錯誤の末にですが。
本格的に絵を描き始めたのが1859年、手元の画集を見る限りでは有名な
「片ぼかし」は1870年代半ばから散見されます。この頃はまだ様々な手法
を試していたらしく、セザンヌらしからぬ作品もあるようです。
レニングラードの「聖ヴィクトワール山」が描かれたのは1896-8年、
1900年代はいわゆる、セザンヌの絵を描いています。

ですから、手法によって別の面を見出したというよりも、自分が見出した形
を描くために、様々な手法を試した末「片ぼかし」を選択したと考えるべき
でしょう。

今思い出したのですが、セザンヌの言葉に「自然の中でプッサンをやり直す」
というのがあると、誰かから聞いたことがあります。事実かどうかは、現在
調べようがないのですが、不自然な言葉とは思えません。

私にとってセザンヌは、
子供の頃誰かに言われた「もっとよく見て描きなさい」という言葉と、
学校や美術館で学んだ事を、愚直なまでに両立させようとした人
のように思われます。

190 :119:2001/07/24(火) 01:41
>>188さん
>セザンヌ自身は、グレコの絵は見たことがなかった

そうですか・・・。なにやら「個体発生は〜」
等という言葉が頭に浮かびますが。w)
美術史の知識は殆どないので、お手上げです。
19世紀のフランスに詳しい方、情報お願いします。

「眼と精神」ですか。
哲学関係の知識もほぼ皆無でございます。
手に入れて読んでみたいとは思いますが、
どうなることやら。

191 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/24(火) 04:32
このスレ読んで田能村竹田を思い出した。
「自分は中国の画家よりも下手糞だ。でも自分が中国の画家より有利な
ところがあるとしたらその下手糞なところにこそあると思う。」
みたいなことを竹田は言ってたと思う。

192 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/24(火) 13:07
191氏の言うことにほぼ同意。

セザンヌのデッサン力の低さがなけりゃ、平面を意図的に構成するという発想
へは至らなかったと思われる。

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