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芸術ってなんの為にあると思いますか

1 :空耳:2000/12/15(金) 23:53
いろんな意見を聞きたいです。


2 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/16(土) 00:04
おわっ。大きく出ましたねー。とりあえずシンキングタイム…

3 :空耳:2000/12/16(土) 00:07
なんかこれが結局議論の根底にあるんじゃないかなって
思ったのよ。そもそも。

4 :よっちゃん:2000/12/16(土) 01:47
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
 | 見ヌフリ禁止  |
 |_________|
    ∧∧ ||
    ( ゚д゚)||
    / づΦ


5 :空耳:2000/12/16(土) 03:11
うーん、やっぱり自分から書かなきゃね。

芸術って今と昔じゃ大きく違うよね。
昔のいわゆる芸術品って無名の職人達が生み出したものじゃないですか。
でも、昨今の芸術品は芸術家達の自己表現ですよね。
しかし、例えば、そういった職人的気質から生まれただろう、
百済観音とか、中宮寺の半か思惟像(字わからん)に
自己表現が無いかって言うと違いますよねえ。
しかし自己表現するためにつくったのではない・・・

だから、昔の芸術は、自己表現の為にあったのではないと思います。
今の芸術はまさに、自分探しっていうか、そういう感じ。
実存を感じる為にやっているっていうか。
昔の芸術品に感じる職人的な禁欲さって、そういうものから
来るんじゃないかなあ、って思います。
結論はまだ出てないんですけどね。

昨今のものに絞るなら、
じゃあ、なんで自己表現しなきゃいけないんだっていう話になっちゃうと
思うんですけどね。
それってなんか難しい・・・

6 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/16(土) 04:26
ちょっと話題がずれるけれど、
芸術家って大きく3通りあると思う。
1.自分のために創作する。模索しながら自らを高めて
  以前の自分を越えようとする。人がなんと言おうと
  たとえ生活苦でも自らの道を進む。
2.生活のためとか、名誉・地位のために作る。
  パトロンへの御機嫌取りも含めて、自らの信念に
  反しようとも、人にうける作品をめざす。
3.1と2の混合。


現代は1のパターンが多いんじゃないかな。
暗黙の掟みたいのがあった昔と違って
今はなんでも芸術だもんね。

一口に昔とはくくれないけれど、
絵画の主題のヒエラルキーがあった頃、
知識がなければ描けない<歴史画>がもっとも
高尚で、風俗画や静物画は相手にされず
たとえ出来が良くても低俗とされたけれど、
そんな時代にあえて風俗画や静物画を
描き続けた画家も1かな。

7 :私も参加:2000/12/16(土) 12:04
ごく個人的には、
「自分を素(す)にかえらせてくれるもの」です

8 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/16(土) 12:43
人間の脳の出来そこない加減の表出

もし前頭葉が(かどうかしらんが)動物との差を規定すると
すれば、それが神の作り賜うたものだとしたら、悩みを
持つこと自体、失敗作であることの証明
おかげで芸術が不可避となり、死までの束の間の時を
退屈しないで過ごすことができる。
狩りと生殖だけに没頭しないで済む。
悩めてよかった。ありがとうある種の蛋白質。

9 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/16(土) 13:53
芸術とは「何か」に向かう意志が形になったものじゃないかな?
「何か」は作者それぞれ違うと思うけど。

仏像は自己表現とは違う気もする。
例えば、ある音楽家が「頭の中で音が鳴ってるから何も考えず
それを外にだしてあげてるだけ」と言っていたが、同じ意味で。
個人的にはこれが芸術の頂点かなと思うが。
もちろん「怒り」や「悲しみ」や「歓び」や気持ちからの作品も
素晴らしいと思うけど。
「衝撃」や「感動」を受けたのはだけは分かるけど
言葉や知識では説明できないものに出会いたくて芸術に
時間割いてるんだと思う。←勉強不足のバカでいいので
某スレの知識偏重さんは噛みついてこのスレ壊さないでね。

芸術なんか無くても死なないけど、人間は起きて食べて働いて寝るだけ
の人生では満足できないんだと思う。
犯罪者や革命家や起業家たちは芸術なんか必要無い程の
強い明確な意志を持って生きてるんだろうけど。
ん?作品の作れない芸術家なのか?これって。

10 :名無しさんi486:2000/12/16(土) 14:39
>例えば、ある音楽家が「頭の中で音が鳴ってるから何も考えず
>それを外にだしてあげてるだけ」と言っていたが、同じ意味で。
>個人的にはこれが芸術の頂点かなと思うが。
この考え方で行くと全ての主題労作的な作品はダメと言うことになってしまうと思います。
それどころか一つの作品ができるためにはどんな物であれ意識的な手作業の部分が欠かせないのでは。
ベートーヴェンのディアベリ変奏曲などはゴルトベルク変奏曲などとならんで評価されていますが、
その主題自体はベートーヴェンのものではないし、まるで無価値と言っても良いようなものだと思います。
しかしこの作品がディアベリのものとは言われないのはその価値が手作業たる変奏の部分にあるからでしょう。
あるいは第5交響曲をあげてもいいです。どこかの評論家がいっていましたが
この交響曲の中心となるあの運命の動機(たたたたーんというあのリズム)自体はなんの変哲もない
そのあたりに転がっている石ころのようなものである、しかしそのなんの変哲もない石ころから
あれだけ人の心を動かす(古典音楽の中でも識者以外の人にも好まれる作品の代表格でしょう)
作品を作り上げたのはまさに奇跡に等しい、と。この意見をきいてなるほどと思いました。
神秘的な着想、という物に価値があるのではなく、その着想をいかに意識的に一つの作品にまとめ上げるか
いかに対立し合う主題を一つの調和有る作品にするか、と言うことが重要なのだと思います。
もちろんこのように調和有るものとなった作品はそこに意識の介在を感じさせません。
マンの言葉を借りるなら「一つの完成した作品として世界に生まれ出てきた」
(彼はそれを偽装と言っていますが)ように見えます。
パトスの表現の様に思われがちな(もちろんそういう側面もあるが)ベートーヴェンの音楽ですが
それに価値を与えているのはそのパトスを一つの調和有る作品に作り上げる彼の冷徹と言っても良い
音楽家としての側面であって、道徳家、感じやすい理想主義者たる
彼の思想・感情(神秘的な着想!)ではないでしょう。
じっさい彼の思想だけを取り出してみるならば頑迷な田舎道徳家にすぎません。
その道徳が無価値とはとても言えないのは確かですが、その価値において
音楽家ベートーヴェンの音楽作品自体に比較しうるものではないと思います。
もちろん、このいわゆる「偽装された」作品を聞くときにいちいち意識の介在を考慮に
入れる必要は必ずしも無いのですが。
ただ、逆説的ですがそういう聴き方だけでは、より「偽装されていない」作品、技術から離れ、
より芸術家自身の感情の発露に近づいた作品を理解するのが難しくなるのでは。
むしろなにも知識のない人に受け入れられやすいのは計算し尽くされた作品であることが多いように思います。
どちらが優れているとは言えませんし、優れた芸術作品はどんなに感情の発露に近づいても
やはり計算し尽くされたものだとは思いますが。

11 :ヤヴンハール:2000/12/16(土) 14:42
長い

12 :ひよこ:2000/12/16(土) 14:44
「人生豊かにしてくれるもの」
これじゃあ、テレビチャンピオンのコメントだな←自己ツッコミ

でも、わたしのようなひよこでも、一枚の絵の前で、固まって
動けない、(実際私はよく止ってしまうのだが)感動を与えてくれる。
芸術作品には、何か魔力が潜んでいるのかもしれない。自分で言ってテレル。

で、何のためにあるのか、って考えてみたんだけど
例えば、薔薇が咲き誇っていたとして、
でも何時かは枯れてしまうわけで、その様子は
その時にその場にいた人しか味わえないよね。
でも、それを優れた芸術家が絵や、彫刻
(薔薇の彫刻があるかどうか知らないが)にすれば
時間や空間の拘束を離れて、
ついでに作家の技量で本物以上の感動を埋め込んでくれたりして。
その意味で芸術って、一瞬を永遠に変えるもの、かな、なんて思ったりする。

空耳さんの、ま〜きれい、という
素朴な人(正に私だ)でも良いう言葉に励まされてカキコ。


13 :名無しさんi486:2000/12/16(土) 14:45
というかここは絵画、造形芸術の話題のみの板なんですか?
芸術一般の話題なら可と思っていましたが、音楽の話をするのは板違いなのでしょうか。
音楽一般板やクラシック板は芸能関係の話題ばかりなもので・・・
スレッドの話題を逸らしていたらごめんなさい。

14 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/16(土) 14:55
音楽は音楽板があるからねえ。
あんまり範囲を広げちゃうと収集つかなくなるし。
でも「この板の住人が聞く音楽」スレッドがあるじゃん。
そこで話すってことではダメ?

15 :ヤヴンハール:2000/12/16(土) 15:12
音楽を媒介にしているけれど、ある人にとって「良い」芸術の
要素って? というような内容だから、広義には哲学、心理学、
美学、と捉えてよいと思います。美学講座でとりあげられて
いるものには音楽関連がわりとあるようですし。
しかし「美術鑑賞」という板のタイトルを何がしかの確認事項と
するならば、スレ分けで妥当なりか?

16 :名無しさんi486:2000/12/16(土) 15:14
了解です。音楽関係の書き込みは控えるようにしますね。
汚い長文カキコすいませんでした。
しかしこの板レベル高いですね。
単純に、議論が成立しているというのが凄い。
みなさん真面目に語っていらっしゃるし。
2chとは思えないです(笑
音楽系にもこういう板があったらな〜。ってすでに音楽板多すぎか(笑

17 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/16(土) 15:27
>16
http://piza.2ch.net/gallery/index2.html#19
ここが、雑談スレになっているから、行ってみれば?


18 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/16(土) 15:30
>>16
レベル高いですよね。
二流大学で物理を学び始めたばかりの僕には
ここの議論はとても参加出来ません。

19 :お前名無しだろ:2000/12/16(土) 17:18
文章長いよ・・・

君の言う通りだと思うよ、別に反論は無い。実際あなたの書いてるような
作品の方が人間らしくて好きだし、そういう作品に接してる時間の方が多い。
また技術的なことや時代背景や人となりについて勉強すれば、
より理解も深まるし理解した気分にもなる。(勘違いの可能性もあるが)
なによりそういう作品は楽しい。
自分はここの住人さんのように専門的に芸術と向き合ってる人間では
ないので、「芸術とは?」と聞かれるとああいう答えになるだけ。

>この考え方で行くと全ての主題労作的な作品はダメと言うことになってしまうと思います。
そういうつもりは無いけど、世の中には職人と呼ばれる人たちがいるから。
もっと長文にすれば誤解もないんだろうけどね。
自分はこの板常駐の人間じゃなくて、普段のスレで反論される場合は
「何言ってんだ葉か 厨房氏ね」で終わりなもんで。

自分の好きな音楽というのはBLUESなので、クラシックとはまったく視点が違って
「偽装」も何もないから。視点の違う所から見た一個人の意見にしてくれんかな。
多分に噛み合わないと思うし、同じ事を違う言い方になりそう。

スレ題から逸れると申し訳無いので後はROMります。

20 ::2000/12/16(土) 17:20
19=9です。

21 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/16(土) 19:27
壮大な暇つぶしプロジェクト

22 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/16(土) 19:54
>21
2ちゃんねるで何したいの?

23 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/16(土) 20:28
>>22
暇つぶし、でしょ(w

24 :名無しさん:2000/12/16(土) 23:15
岡本太郎「今日の芸術」

25 :空耳:2000/12/17(日) 00:04
けっこうみんな喰らいついてくれてて嬉しいな。
>>名無しi486さん
私個人としては、ほんとに音楽に転んでも、演劇に転んでも何でもいいので、
気にしないで何も考えずがんがん行ってくださいね。

>>6さんの話の、ヒエラルキーのところ、学びました。
今はなんでも芸術になってしまう。
そういうのって芸術にとっていいことなのか、どうなのか。
ロシアンアヴァンギャルドって極度に制限された中で生まれてきたものですよね。
・・・。

>>9さん
私もそう思う。仏像って自己表現ではないと思う。
しかし彫師の個性って自然とにじみでてしまうじゃないですか。
それはおいといて、でもやはり信仰から生まれたものであって、
私が、私が、というあつかましさではないんですよね。
ところで、西洋の彫刻って命が吹き込まれたのってルネサンスからの気がする。
中世ロマネスクはちょっとおいとくとして、
ギリシャ、ローマの彫刻って本当に理想物を表現したと言う感じで、
何か神々しいのですが、仏像を見たときに感じる胸をつかれる感じが無いと思う。
しかしギリシャの一連の彫刻は、何か極めていてすごいとは思うんですけど。
>そういうつもりは無いけど、世の中には職人と呼ばれる人たちがいるから。
 もっと長文にすれば誤解もないんだろうけどね。
是非誤解を解いてください。

何故何かに向かわずにいられないんでしょう。
芸術って私たちの飢餓感を癒してくれるものだけど、じゃ何に飢えているんでしょう。

>某スレの知識偏重さんは噛みついてこのスレ壊さないでね。
これはダーメヨ



26 :空耳:2000/12/17(日) 00:11
>>ひよこさん
芸術は一瞬を永遠に変えるもの。
そうか、つまり芸術家は永遠にすることによって、
自分の感動を人に伝えようとしてるのかな。
てことは私たちの飢餓感ってコミュニーケーション・・・?

>>8さん
ワラタ

>>18さん
私の科学論のレポート手伝って。(相対性理論・・・)

27 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/17(日) 00:23
作品と1対1の個人的な関係が基本なんだろうけど、
それと同時に他の人の受け止め方にもすごく興味ある。
よく考えてみると、自分にとって芸術は、単に人の内面
の事をよりよく知る為の手段の一つなのかもしれない。
と、今日、忘年会の席で考えてた ( ・д・)


28 :空耳:2000/12/17(日) 00:28
私も忘年会あるんだけど、
デユエットしなきいけないんだよ〜
練習しなくちゃならん

29 :空耳:2000/12/17(日) 02:36
今ふと思ったんだけどさ、
芸術が生まれた瞬間って、人間の祖先がはじめて道具を作った時なのかな。



30 :ちんさん:2000/12/17(日) 02:55
人間のためでしょう。幸せな人生を送るために・・・。人の生さえも芸
術的である。

31 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/17(日) 04:38
>>29
レゾンデートルに疑念を抱いた瞬間なのでは?

32 :名無しさん:2000/12/17(日) 05:10
>>24
知ってる。読んだよ。
「失われた自分を回復するためのもっとも純粋で、猛烈な営み。
 自分は全人間である、ということを、象徴的に自分の姿の上に
 あらわす。そこに今日の芸術の役割があるのです。」
のくだりでしょう?
45年も前に著されたとは思えないほど新鮮だった記憶があります。

33 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/17(日) 05:15
「藝術」の定義やその有用性はともかく、「創る」立場からすると
一作一作を完成させた途端に、それが自分の垂れた「糞」に見えて
しまいます。強いていうと、「糞」=無用のもの。
しかし、「糞」にも形・色があり、おまけに臭いも発します。
自分の「糞」に愛着を感じるときも無いとはいえませぬが、
たかる蝿ゆえに、知らんぷりを決めこむ訳にもいかず。。。
水洗の発達した現代、流れてしまって欲しいと思うこともしばしばです。


34 :空耳:2000/12/17(日) 05:56
レゾンデートルって何さ?

35 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/17(日) 06:00
>>34
なんだろう、、、アイデンティティ?

存在理由、かな。

自分はなぜ存在してて、なぜ悩み、なぜ朽ちていくのか?
ちょっとつけたしてみました

36 :ミミ:2000/12/17(日) 11:11
レーゾンデートル=存在意義(仏)だにょ?

37 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/17(日) 15:03
>33
作品が糞だっていうのは、
それが昇華の結実だっていうことだよな。
じゃあ文明てのは夢遊病者集団が垂れた
糞の山だっつうことになるねえ。
そんなもんにレーゾン(意義・理由)なんかあるもんか!

38 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/17(日) 16:03
>37
33は自分の創った作品の話してるんだろ?
なんで一個人の私見で文明まで語るのかね?

39 :ひよこ:2000/12/17(日) 20:20
空耳さんって根底に飢餓感をもってるの?
それって普通なのかな。

芸術に飢餓感を癒してもらいたいなんて考えたことなかった。
パンだけの人生、を豊かにしてくれるエッセンスみたいなもの。だな
わたしにとっては。
薔薇園は季節になれば楽しめるけど
季節を待たずに楽しめたら、もっと楽しい。
おまけに作家の感性で、生のバラ園より遥かに感動的に見せてくれる
なんて、超ラッキイって感じ。←これじゃ軽すぎるか、困った・・

そうか、
そもそも、生の薔薇とそれを素材にした芸術作品を比べることが邪道ってことに
なってしまうのかな。
私にとっては自然でも芸術作品でも感動させてくれれば、同じなんだけど。。。

とにかく、喪失感を埋めてくれるんじゃなく
プラスα、足してくれるものです、私にとっての芸術作品って。

40 :ひよこ:2000/12/17(日) 20:37
芸術を語るとき
作家の感動、が先にあるんだ。。作品を通して
作り手を見ているのかな?普通の人は、
これも、驚き。

作家さんにとっては感動が先にあって、
作品なんて感動を表す手段でしかないのかな?
鑑賞する側としては、作品が先にきてしまいます。
わたしは作品自体に心惹かれます。
その作品自体から発せられる世界観?かな、に酔ってしまうんです。
だから、波長の合う絵に当たると、作品の前から動けなくなっちゃいます。
作り手が誰かっていうのは、あんまり関係ないかもしれない。
作品の背景、作り手の情報は、その絵から、醸し出される雰囲気が何なのか知りたくて
調べはじめるんです。(で、結果として作家さんに惚れることも、多いけど。)
あくまで、作品自体が主です、私にとっては。


41 :空耳:2000/12/17(日) 22:28
ううーん、私は作る側の人間じゃないからどっちかっていうと、
ひよこさんと一緒なんですが、
飢餓感を満たすっていうのは作る側の人ってこんな感じなのかなあ
という空想です。
私は鑑賞する側だから、作品が最初にあるわけだけど、
作る側は、何も無いところから作品をつくろうって思うわけでしょ?
その原動力って何なのかなあと今考えてたもので。
だから33さんの話なんてへーって思う。

あと、レゾンデートル=存在意義ですか。有り難うございます。
私は、生活用品の中からも美って生まれてくるものだから、
それをつきつめてくと、猿が棒を使った時から始まるのかなって
思ったんです。縄文土器とか。

42 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/17(日) 22:50
>>39
あえて逆言ってみたくなるんだけど…
芸術とは
非常に不完全な社会性と手におえない自我を与えらて
しまった人間のマイナスαの噴出
(の観察)

43 :ひよこ:2000/12/18(月) 00:26
>作る側は、何も無いところから作品をつくろうって思うわけでしょ?
>その原動力って何なのかなあと今考えてたもので。
ほんとだ〜、これ生み出した原動力は、何だろーって、考えて
作品見たら楽しめそう。

>マイナスαの噴出
おもろい。
ミケランジェロのド迫力ってそれかな?大噴火してるー

44 :素人@芸術家:2000/12/18(月) 10:51
起業家や革命家が芸術を必要としないわけではないでしょう。
犯罪者にもいろいろありますし。

>マイナスαの噴出
いいですね。なんか、創作しないでは(表現しないでは)いられない、
って感じがする。

45 :1日1画家の1ですが:2000/12/19(火) 00:45
まだ文章にまとまらない、書き込みたいことがあります。
もう少し後で書かせてください。

46 :胃拡張:2000/12/19(火) 05:04
芸術のあり方は、今日では自意識への批評的観点抜きには
語れないし、比重もより高まっているようですが、
原初に存在しただろう実用以外の「図・形状の定着欲求」は
たぶん諧謔への賛辞だったと想像してます。

こんにちでは悪貨が良貨を駆逐するのとまったく同じ文脈で
芸術の中の悪意は素朴な美の概念を駆逐しがちだと思います。
その流れを導くものこそ、カルマなのではないでしょうか

47 :イロゲー:2000/12/21(木) 05:15
芸術とは・・・

 アコヤ貝が体内に入ってきた異物を芯に真珠を作るように
心に入ってきた異物を芯にして作った、心の真珠のような気がする。

酔ってなければ書けないようなことを書いてしまった。
きっとパクリだな。原典は思い出せないけど。

48 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/21(木) 07:29
芸術とは・・・

 アヤコの中に入ってきた異物が体の芯から快感を呼び起こした。
「ああああ」 声が漏れるのをがまんできない。。
ヒダを刺激しているのは あるいは真珠なのだろうか・・・

 酔っていたとはいえ、アヤコは未知の行為にまで及んでしまった。
目の前に差し出されたものをパクリと咥えた。そのあとの行為は
気の遠くなる程の快感に埋もれて思い出せない。。。

49 :イロゲー:2000/12/21(木) 16:14
>>48
その情熱と才能を違う方向に使っていれば・・・。(^^;)

50 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/21(木) 18:02
>49
単なる本能じゃん。ネコだって・・・いや、失礼。

51 :空耳:2000/12/22(金) 02:59
ひよこさんが、自然に感動するように絵画に感動する。
とおっしゃっていましたが、なかなか鋭いことを言っていたようです。

偉大な芸術作品に接したとき、
我々はその芸術家の非凡な創作力に感動する。
しかし既に「非凡さ」とは人間の能力を超えたものであり、
自然に最も近くあることに他ならない。
美はこのような自然が対象の中に象徴されることである。

だって。
ちなみに、この美とは、美学における、
真、善、美の考え方の一つみたいです。
>イロゲーさん
アコヤ貝は真珠を作る時死ぬほど痛い思いをするそうです。
その話を聞いて、なんだかとても胸が痛くなったのを覚えていますが、
芸術家もまた作品を生み出すときは苦しい思いをするそうですから、
その言葉はなかなか興味深いですね。

52 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/22(金) 06:37
アコヤ貝は、
核を入れておくと、痛くてそれから逃れたくて、
必死で分泌液を出して、包み込もうとするんだとか。

真珠は、正に自然が生み出した「美」ですね。
女性の目を捕らえて離さない魔力は、そこにあるのでしょうか。


53 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/22(金) 11:24
芸!芸!芸術家!芸術家といえば岡本太郎!
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
ps  komekome clubにも芸術家という歌があります。


54 :ちょっと逆なで:2000/12/24(日) 01:39
芸術ぅ? そりゃ、天上世界が息苦しくなった「ばてれんの為」のものでしょう。

したがって明治以前に作られた日本の芸術と称するものは、厳密には芸術ではない。
同様に、ヨーロッパにおいても芸術という概念のできる以前に制作されたものは、
芸術ではない。

なぜなら、これらの制作者の頭の中に芸術という意識はなく、彼らは絵やら彫り物やらを
ただひたすら真摯に作っていただけである。
それを芸術と呼ぶのは、後世のばてれん及びばてれんかぶれがかってに自分たちの作った
概念に当て嵌め、そう見なしているにすぎない。
よって、芸術とはばてれんの詭弁以上の意味はない。
そこにはただ絵や彫り物、音があるだけである。

というわけで、明治からこっち
「キリスト教に改宗しなければ真の芸術は理解出来ない」と、
バカバカしくもその意味では正解を出していた一部の
日本人芸術家達の魂は、その後どこへ行き着いたかご存知の方、
詳細教えて。


55 :空耳:2000/12/24(日) 02:05
仏像とかマリア像って別にその宗教に属していなくとも
理解することはできると思う。
何を理解するのかっていうと、わかんないんだけどさ・・・
芸術を理解するというのはどんなことかもわからないけどさ。
ようは何かに突き動かされて無心に彫り上げた彫師に
共感できればいいんだと思う。

56 :イロゲー:2000/12/24(日) 05:43
 そもそも芸術作品として作られたものだけが、芸術なんだろうか?
浮世絵やイラスト、工芸品などは芸術作品として作られたわけではないが
芸術作品として作られたものと、同等の見方で鑑賞して良いんではないか?

 芸術とは必ずしも作品自体に内包されているものではなく、対象物と
自分との関係性にあるのではないか?
そういう意味で“トマソン”だって、充分芸術であろうし、他スレに
あるように“女優、アイドル”や“(自粛)器”を見る眼差しと、
芸術鑑賞とを明確に区別する必要は無いのではないだろうか?

57 :イロゲー:2000/12/24(日) 06:08
 56は54の反論のつもりで書き始めたが論旨がずれていってしまった。
改めて、

 作品は、作者の製作意図をなぞる見方しかしてはいけないものだろうか?
自分の心情と感応する部分のみを見たり、作品の成立の背景を無視して
現代風に読み替えてしまっても良いんではないか?

 現在、優れた芸術作品と呼ばれているものは、作品自体が優れている
だけではなく、現在生きている私達の心に訴えて来るものがあるからであり、
作品自体が現在も生き続けていると言えるだろう。その“生きている”
部分だけを評価する見方も有りだと思うが。
 

58 :イロゲー:2000/12/24(日) 06:18
 それよか、どいつもこいつも“ばてれんのお祭り”に浮かれやがって。
     
       け!!

                      びえ〜ん。

59 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/24(日) 07:42
トマソン、いいっすよね〜
体の緊張が、ふっとほぐれる気がする。

60 :逆なで1号:2000/12/24(日) 12:50
何とおっしゃるしめこのうさぎさん!

空耳さん、
そもそも芸術という概念はどういう経緯で成り立ったのか?
gorst song氏の講釈をあなたは聞いていなかったのか。

そもそも芸術は一つを除いて一切の「為」を拒絶する。
唯一の「為」は芸術自身である。
芸術はひたすら芸術のための芸術、美のための美を志向する。

なぜか?
かつて美はすべからず神を賛美するためのみにその存在を許容された。
美はすべからず神の意向に沿ったものでなければならなかった。
しかし、作り手達の自我はただ神を賛美するのみではとうてい満たされなくなる時代がやってくる。
かくして、純粋なる美、美のための美、すなわち芸術の誕生とあいなる。

と、いうのはバテレンの理屈。
まして芸術が崇高であるというのも、いまだ神を賛美していたころの尻尾。

そもそも、目の前にある絵や彫り物を愛でるのに、なぜそれを「芸術」であると思う必要があるのか?
絵を目の前にしてあなたはそこに、一本の線の美しさ、一つの色の美しさに魅入られるのではない
のか?


61 :逆なで2号:2000/12/24(日) 12:52
続き

明治以降日本の、というよりはアジアの作家達は「芸術」という西洋起源の概念に支配されてしまった
結果、自分達の足元を見失った。
明治初期の彫刻界で取り交わされた論争はそのあたりの空気を生々しく伝えてくる。
曰く、日本の彫刻は置物の域を越えていない。真の彫刻とはこの様なものではない。
曰く、根付けは低俗な玩弄趣味の彫り物で、とうてい芸術品とは認めがたく、日本の彫刻界は
早くこの影響を脱しなければならない。
あげくのはてに、彫刻の素材は象牙が良いか木材が吉か、はたまたブロンズの立場は?などという
論争が大々的に展開されることとなる。

これをどう思う?
自分達の足元を見ずに、輸入された概念に躍らされた結果、
日本の芸術家で明治以降、ある分野で世界中から「この人が一番」と評価された人が出た?
北斎みたいに、他国の芸術家達に影響を与える人物が出た?

「芸術」という概念に支配され、それを崇高だと誤解したばかりに、おそらくは世界に類を見ない
すぐれた「美」である根付けや印篭、浮世絵その他もろもろの現代の我々に残されるべき
江戸の遺産は二束三文で海外に流出してしまったではないか。

ちなみに作り手としては、究極的には自分の作ったものが芸術といわれようが芸術でないと
いわれようが関係ない。
ただ、自分の作ったものが、誰かから「うわ、いいね、これ」といわれるのが一番うれしい瞬間で、
芸術と呼ばれると喜ぶのはなんとなくその方が誉められているような気がするだけのこと。

と、いうわけで、芸術に目を曇らされないようにね というオチでした。

あんな電波レスにマジレスがついたのが、ちょっとうれしい。


62 :逆なで3号:2000/12/24(日) 13:03
ちなみにトマソンは、それ自身が芸術品ではない。
それを鑑賞する人が芸術家です。


63 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/24(日) 16:50
>日本の芸術家で明治以降、ある分野で世界中から「この人が一番」と評価された人が出た?
>北斎みたいに、他国の芸術家達に影響を与える人物が出た?
映画はどうですか?

64 :逆なで(ちょっとおとなしめ:2000/12/24(日) 17:21
あっ ほんとだ。

65 :こりない土人き:2000/12/24(日) 18:15
たとえば映画でも、今じゃアニメこそ素晴らしい。
とか言われるのは身内に市場を持ってるからこそでしょ?
その昔、パリが自称芸術の都だったころ、
そこの人がフランス的なる芸術とは?とか悩んだのだろうか?。
今のアニメのように身内で消費できるものには
駄作も多いが傑作の生まれる余地がある。
やっぱりお金。国内の経済基盤=パトロンがないと始まらない。

かつて誰も評価したこのない作品の真価を見抜けるという人が
いるのだろうか?
あなたに評価されて始めて意味を持つとしたら
あなたなしには意味をもたない。

地に足が着いてないと、本物にはなれないのでは。
それを本物だと評価してくれる基盤、価値体系がないから。
アジアの作家たちがアイデンティティ追求に走って
ロクなことにはなってないのは何故か?
西洋人に評価されることを意識している時点で・・・

絵画が何かを訴えてくる場合、非言語の情報が発信されているのだろうが
それがそんなにありがたいのだろうか?

66 :名無しさんは見た!:2000/12/24(日) 22:09
あなたは人を殺したいと思ったことはありませんか?
誰にもバレない殺人術をお教えいたします…。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~kongen/

67 :空耳:2000/12/24(日) 23:45
>逆なでさん
厳しい意見有り難うございます。
ただ、私の考え。
確かに今の日本人の「芸術」の大元の概念を作ったのは
19世紀に体系化された思想であることは間違いないでしょう。
しかし、時とともに移り変わり、
現在の私たちの中にある芸術と言う概念はそのままなんですか?

確かに軽率に芸術と言う言葉を使ってしまってことは反省するべきですね。
私は勿論根付を素晴らしいと思うし、浮世絵を芸術であるとも思う。
漫画好きだからあるものは芸術的とさえ言えるものもあると思う。
サブカルなんて言葉は好きじゃないです。
いいものはどんなものでも対等に扱いたいです。
私の芸術は19世紀初頭の思想から生まれた芸術とは大分違った考えだとしても
芸術と呼ぶべきものは存在すると思います。
逆なでさんはどう思われますか?
確かに私達の心を動かすのはその線のなめらかさや色彩の鮮やかさかもしれませんが、
私はその背後に必ず芸術というものは存在すると思います。

私は勉強をすることによって前より少しは他人に自分の考えを
具体的に話せるようになりました。
ちょっと私の中の芸術の概念を言語化してみますね。
最近読んだ本に影響をうけたんだけど・・・

68 :名無しさん@一周年:2000/12/25(月) 00:01
私の芸術??ウザイ。

69 :空耳:2000/12/25(月) 00:02
自然を見て私は感動をします。
自然には二つの種類にわけられると思います。
・アルプスや氷河みたいな雄大で圧倒的な自然
・道端にひっそりと咲いている草花

芸術であることの前提は人工であることです。
人間のつくるものは大概自然に到底及ばないですよね。
最先端の技術を駆使してもアメーバ程度の生物を生み出すこともできないし、
ボッシュやギーガがいくら奇想天外な生物を生み出そうとも、
必ず自然の生み出した生物の方が一歩上行ってるなと思います。
カモノハシとかね!
いくら美しいものを創造しても、夜空に輝く星空ほどに人の心を
激しく動かせるかわからない。
しかし稀に自然を見て感動した時のような感動を与えるものがある。
それが芸術なんじゃないかな。
人工であるにもかかわらず、自然と同質の感動を与えられるもの。

この考え方って最近読んだ芸術学の本に載ってて、
その通りだ!って思ったのでかなり影響されてます。

崇高な自然もあれば、親近感の湧く自然もある。
だから、同様に芸術とは常に崇高であるべきだとは思えません。
なんだか手をつないで歩いていけそうな芸術だってあるはずです。
それが、用の美に通じるのだろうし。

そういうわけで、必ずしも芸術は本人が意図していようといまいと、
生まれてくると思います。
私は新宿の人工的な高層ビル街を歩いていて
ふと何かを感じることがあるし、
軍艦島のようなところにも強く芸術を感じます。
あと、バリカンの形とかにもね!

70 :わたしはダリ?名無しさん:2000/12/25(月) 00:09
書くな。

71 :空耳:2000/12/25(月) 00:10
みんなーとばして読んでねー。

72 :土人き:2000/12/25(月) 00:45
自然はやっぱ神(みたいなもの)が創ったものだから、
人間には今のところは追いつけない。
でもそれはあまりに大きすぎて手に負えない、
というか如何様にも解釈できすぎる。
「芸術」?はそのエッセンスを、個人の関心に従って、
もっと卑近な所まで降ろしてくれるから存在価値があるのでは?
それに自然は多かれ少なかれ世界中にあるから、
人類に普遍的な価値(感覚)を主張てきるのかも知れない。
価値観は文化によって違う。だけど人類文化ってのもあるのかも

バリカンの例は、形の面白さってことでわかるけど
軍艦島の例とか、何か心に響くとしたら、
それはもっと意味的(文化的)な要素ではないだろうか。
個人的な心の屈折や隙間にフィットするから感じるのではないだろうか?

73 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/25(月) 07:39
げいじゅつ 【芸術】
(1)特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動、
およびその作品。建築・彫刻などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、
演劇・舞踊・映画などの総合芸術に分けられる。
(2)芸・技芸。わざ。「凡(およそ)―は、…切差琢磨の功を積まざれば、
その極に至りがたし/読本・弓張月(前)」


74 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/25(月) 07:45
ぶんか ―くわ 【文化】
(1)〔culture〕社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式
ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。
文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、
個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、
その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。
(2)学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの。


75 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/25(月) 07:52
びじゅつ 【美術】
美の視覚的・空間的な表現をめざす芸術。絵画・彫刻・建築・工芸など。
〔fine arts の訳語。明治時代には音楽・文学も含んだ〕




76 :土人き:2000/12/25(月) 15:39
つまり芸術に自然は関係ないってこと?

77 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/25(月) 16:40
>>60
「すべからず」ってどういう意味?「須く」と
言いたいのかな?ちなみに「須く」は「全て」
という意味じゃないよ。

78 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/25(月) 17:36
何度も間違うようではタイプミスではないな。
すべからず と覚えているような人の書きこみは信用できないというか
読む気になれないな・・・

79 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/25(月) 18:12
小難しいことはオレはわからねーけど、人類がいつごろから
何かを美しいと感じるようになったんだろうとは時々思うね。
ネアンデルタール人が死者を埋めるとき、その周囲に花を置
いたという話は聞いたことがあるけど(花粉が発見されてわ
かったらしい)やっぱりきれいだと感じたから置いたんかな。
サルやオラウータンは花を見て感動したりしてないだろ。多分。
音楽でも、なんでオレがただの空気の振動で感動するんかわか
んねーんだよな。あ、視覚も同じかなあ。電磁波で感動してる
んか。ますますわからんのう。

80 :逆なで(轟沈):2000/12/25(月) 18:18
あれ、なんだぇ あの人ぁ(>>60 61 62)。
あんな所でいきんで大見得切ってるけど、ふんどしの紐はずれてるよ。
おーい、おまぃ! こっちぃ来てごらん。
ほらね、バカが一匹見えるだろ。
あっ しょうがねぇなあ。 自分のふんどし自分で踏んでひっくり返っちゃったよぅ。
ははは、バカ。

ああ、昨日は詭弁を弄そうとして「芸術」にファインとか「純粋」とか書かなかった
ばかりに、ものの見事に足をすくわれて轟沈してしまった。
みんな、失敗に目をつぶってくれてありがと。

ちなみに、いわゆる「ファイン」以外の分野なら、映画、アニメ、漫画、ポップスその他、
世界のいたるところへ影響を及ぼす分野も人もたくさん存在します。
日本のポピュラー音楽がアジア圏に与える影響って、想像以上に大きいしね。


81 :逆なで:2000/12/25(月) 18:19
さて、親切な空耳さんへ

大自然は芸術か?

たしかに自然の芸術という言葉は存在し、何気なく使われている。
しかし、ここであえて常識に疑いをはさんでみる。

感動的な、ほぼ誰が見ても美しいと認める自然は存在する。
しかし、自然に芸術などという意識はない。 それどころか、意識そのものがない。
これは、概念に反する(>>73参照)。
では、なぜ人間は自然を芸術と認識するのか?
これはトマソン同様、「見立て」に属する行為ではないのか?
赤瀬川氏もいっているように、茶の湯などで、鑑定家が自分達の美意識にそぐう物を
持ってきてそれなりの意味を持たせる行為ね。
いってみれば芸術ではなかったものを芸術と認定する行為。
この場合、誰もが鑑定家になれるかというと そうもいかない。
なぜなら、現実的には人それぞれ好みが別れるところであるため、
「この松はもう少し曲がっていたほうが良い。」
「なに言ってんだ、この素直さがわからねぇのか!」
といったことになって、収拾不能になることが目に見えているから。
したがって、比較的だれもが納得できる結果をそれなりの理屈とともに提示する人が
必要となってくる。
これが鑑定家。私はここに評論家も含めて良いと思う。

したがって、自然物や芸術を意図していない創造物を
芸術であるとして鑑賞するには、どうしても上に書いたようなどうでも良いと私には思える観点
が、入り込みやすい。
ここいらが私をして 「君たち、それで良いのか!」と大見得切らせる原因となる無駄な議論を
生む原因ではないかと思うのだ。

別に、芸術だなんて呼ばれなくても良い物はたくさんあると思う。
自分自身で「これいいじゃん」と感じた物に自信を持てば、少なくとも浮世絵の流出みたいな
ことは避けられるんじゃないだろうか。

82 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/25(月) 22:01
>>81
うーん。どうも読みにくい文章なんだよね。

83 :空耳:2000/12/26(火) 00:25
>逆なでさん
えーと、私は別に自然が芸術だと言いたかったわけではなくて、
芸術とは人工でありながら自然の生まれながら持つ何かを持ちうるもの
ということを言いたかったんです。
つまり基本的に(自然>人工物である芸術)なんです。
そういう意味で、土人さんの卑近な形でっていうのは
さらにいい事を言っていると思います。
もっとも、これは私が思いついたことじゃなくて、
渡辺護さんという人の芸術学という本に書いてあったことです。
私はこれはすごいいいことを言っている!と思ったのでここに書きました。

逆なでさんはぶっちゃけた話、浮世絵とか根付は芸術ではないと思っている。
しかし、芸術でないからといってその価値が無視されるのはとんでもない。
それらはとても重要なものだ。
だから、芸術という言葉に不信感を持っているんですよね?
でもだからと言って、芸術という言葉が嘘になるとは思えません。
芸術という大げさな言葉がいけないのでしょうか。
逆なでさんにとって芸術と言う言葉は無意味なのでしょうか。
自分でも何言ってるのかわからなくなってきた・・・

後、私が何故親切なのかわからないです。
それとトマソンさんと赤瀬川さんって誰ですか?


84 :空耳:2000/12/26(火) 00:34
>>79さん
そうですよね。私もいつからなんだろうと思います。
それってミソですよね。
ちなみに大地の子エイラって小説があるんですけど、おもしろいですよ。
(ネアンデルタール人に育てられたクロマニヨン人の話)
ところで本当に動物は自然を見て感動しないのでしょうか。
こんなこと言うとまた馬鹿め!て言われそうだけど。
なんか脳波とかとって精密に調べて欲しいですね。
モーツアルトを聴かせて育てた豚はよく育つ。なんて言いますけどね。
迷信かもしれませんね。
>土人さん
文化的な面も無視できないでしょうが、
造形的に廃墟ってとても美しいと思うのですが・・・
どうでしょう。

85 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/26(火) 03:13
>>83
赤瀬川原平についてはここを見よ。「老人力」とか
「新解さんの謎」っていう本聞いたことないか?
オレはすごい好きだなあ。この人。笑えるから。
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/nmp_j/people/g-akasegawa.html

86 :ごるご13:2000/12/26(火) 03:33
>>84
「廃虚の造型が美しい」から「感動」するのではなく、廃虚を見つめる
ことによって廃虚についての認識の領域が拡張する、(だから感動する)
のだと思う。
ある作品が「美しい」から感動するのではなく、その美しさが「孤
立」しているから感動する。
「美しい」とひとくちに素朴にいってしまうと、何かメルヘンチッ
クなお花畑のようなものを連想してしまうが、犬のうんこやにんげん
の死体も包摂してしていくような、お花畑の不断の自己増殖こそが
「芸術」なのではないか。



87 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/26(火) 03:42
感動と言っても結局脳内で化学物質が分泌されてるだけ
だろ。

88 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/26(火) 04:25
>芸術ってなんの為にあるとおもいますか
伝達です。
作り手の意図どおり解釈されなくても、逆に意図がなくても。
発信元があり、受け手に何か感情が生まれればそれは存在することになる。
同じ理由で自然の中にも芸術はある。
鳥などの発情期のサインは人間の価値観にも容易に伝達される。
それに受け手が何か反応した時点で発生するのです。
(((((電波発信中です)))))


89 :よっちゃん:2000/12/26(火) 04:32
名前いれ忘れた

90 :イロゲー:2000/12/26(火) 04:45
 テレビで夕日を見つめる猿の映像を見たことがありますし、
自分の巣を青いもので飾り立てる鳥もいます。感動というほど
強いものかは解りませんが動物も何らかの美的感情を持っていると思います。
 また、鳥や魚の中には、相手の羽やうろこの色の良し悪しで
配偶者を選ぶものがありますが、それこそ美的感情の
萌芽に他ならないと思います。

 それどころか、私達が美しいと思う感情の中には、自分の体験や
社会の影響によって、そう思うように学習したこと以外に
本能に根ざした美的感情があるのではないかとすら僕は思っています。
 僕は、赤瀬川源平は日本の現存の芸術家の中の
最高峰の中の一人だと思っています。
(芸術家の範疇に入れることに躊躇がありますが)
ハイレッドセンターのころの事は本でしか知りませんが、その後の
1000円札、桜画報、とまそん(と路上観察)、宮部外骨ブーム、老人力と、
次々と社会(趣味人)のツボを付くのはタダものではない。
(文章の巧さもただ者ではないと思う)

なんて事を考えていながら85さんの書き込んだサイト知りませんでした。
85さん、サンキュ




91 :イロゲー:2000/12/26(火) 04:49
 “動物の美的感情”と“赤瀬川源平”の文章は別々の
文章だったのに、なぜか引っ付いてしまった。
読みずらくてごめんなさい。

92 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/26(火) 06:26
いよいよ議論が広がってきたような、展開が楽しみ。
このスレが立てられたとき、自然をどう捉えるのかなーって一人唸っていたもので
空耳さんの「自然>人工物である芸術」発言に、ほっとしたところ。

自然の美しさ、その秩序と法則を見ると、それらが勝手に、偶然にできたと考えるには、
余りにもよくできすぎている、とか思ったりする。神の手を感じる瞬間かな。

廃墟に美を感じるのは、何故だろう。 
人工物である芸術に、年月という神の手が加わったのですから、
これはもう最強な組み合わせです。てのはどう?
そういえば、陶器も年月を経ると色が落ち着いてくるとかいいますね。
ヨーロッパでは、庭園にわざわざ廃墟を造ったりしますし。

動物が自然に感動する、動物も何らかの美的感情を持っている、となると、
人間の目を意識するだけじゃなく動物の目を意識した芸術家とかも、そのうち出てくるのかしら。
そういえば、昆虫の目って人間とは捕らえ方が違うのですよね。
>なんか脳波とかとって精密に調べて欲しいですね。
動植物の視点って、解析したら、素晴らしい芸術家 だったりして・・

93 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/26(火) 06:35
あ、92は、ひよこです。

94 :土人き:2000/12/26(火) 09:06
美術というのはカテゴリーにすぎない。
ただの道具でなく何か高級で精神的なものであるという主張。
創った作品の価値を上げ底するキャッチフレーズである。

しかし「芸術」をあらゆる物に適用していくのなら
ついに価値のない言葉になってしまう。
すでにそうだという説もあろうが
「芸術」=わけわからん
というレッテル張りによって多少はもっているのではないか。

それに名づけってのは政治的な力の行使だから
芸術を叫ぶやつは何処まで行ってもうさんくらい。
かつて西洋が成し挙げた価値基準を利用してるだけ。(極論)
虎の威をかるなんとやら。
商業的に成功している作品なら
芸術だの日本の心だのという余計な箔付けを必要としない。

自分はここから抜け出せない。

95 :土人き:2000/12/26(火) 10:18
廃虚って、昇る太陽のような有無を言わさない根源的な衝動とかとは
ほど遠いような。第一、廃虚は壊れてるから造形美もなにも・・・。
余計な文化抜なら、基本的には完品を美しいと思う筈。
生物学的にも種の保存上も、完璧な美こそ欲してやまぬものだろう?
栄枯盛衰。ついに自然に飲み込まれんとする状態を
滅び行くことへの感慨をもつ人間が、自分の死に重ねる時に
グッとくるのではなからうか。
死を連想させるから古いものなんか大嫌い、最先端がすべてという人も割といる。
ほら、この社会だって老人を隔離しているところあるし。
人間だって神の芸術品だろう?なのに。

96 :逆なで:2000/12/26(火) 14:59

あっ 土人きさん説明うまい。
発言はこうでなければいけない。 反省>逆なで。

さて問題は、「芸術」という概念のとらえかたに大まかに二派あるように思えるのだ。
一つは空耳さん、イロゲーさん、ひよこさんのように
○美(あるいは感動)=芸術。(と、とれるのだけど、これでいいのかな?)
もう一つは私や土人きさん(ごめん、これ、なんてよんだらいいの?)のように、
○芸術=物に対する見方の一つ。

で、ここで空耳さんや他の方々に問いたいのだが、
美=芸術の立場を我々のように、唯一無二の神とそれに基づく絶対的な判断基準を
持たない日本人は、
「森羅万象すべてこれ芸術」と言わなければならないのだが、その覚悟はお有りか?
もし、確信をもってそう言い切れるのならば、それはそれでアリだと思う。

逆に私や土人きさんのような考え方をすると、芸術という考え方を一度頭からDelete
して、一から自分たちの美のありかたを自分たち自身で組み上げなければならない。
なぜなら、美に対する日本人としての価値基準は明治維新と、大震災、敗戦によって、
滅びてしまったようであるからだ。
そうしないと作り手たちは、永遠に「西洋美術の模倣」という呪縛から抜け出すことが
できない。
私はその覚悟をした。

みなさんどう考える?



97 :土人き:2000/12/26(火) 19:57
もともと「き」です。某所で土人呼ばわりされたので、
面白がって頂いた。強いて読めば「どじんき」

「西洋美術の模倣」でも西洋への憧れは模倣ではない。
このけして手のとどかないものへの渇望それ自体は
(そんなモノはこの世に存在しないから幻想の中だけにあるのだが)
オリジナルかも(笑)
そしてそれには市場もあります。
(例、少女まんがの金髪の日本人など)

ホントは自信ないのよ・・・美への感動が
イマイチよく判ってないから理屈をこねてる訳で、
それはそれで真実らしいものへ到達できるんだけど
へ理屈を越えて、美を語りたいのだ。
だから書き込んでる。撃沈希望。

98 :逆なで:2000/12/27(水) 01:01
土人きさん。

ああ、そういう意味でしたか。

私もいわゆる西洋美術は結構好きなほうです。
ガキのころピエタを見たときには涙が止まりませんでした。
「不真面目な仮面」とか。

じゃあ、なんでそのまま(今の日本社会に適応しやすく)健全に育たなかったというと、
....ちょっと、長いので御退屈ならば飛ばして下さい。一人言です.....
私が厨房のころ、フォルクローレなんてものがはやりましてね。ごく一部ですが。
私は楽器を買って、さっそく始めたものです。
ええ、本物の厨房ですからそれこそサルのように練習しまくりました。
その甲斐有ってちょっとはうまくなり、来日したプロ(当時は結構 囲む会みたいなものが
あったのです)の前でやっても、お世辞交じりながら感心させるところまでいったのです。
さあ、もう当時は厨房ですから、私は舞い上がりました。「将来はこれで食ってやる」なんて。
でもね、厨房なりに私は考えたのです。
「ここで、自分がいくらうまくなっても、本場からきたヘタクソにもかなわない。
彼らの音は本物で、自分の音はいくらうまくなってもレプリカだ」って。


99 :逆なで:2000/12/27(水) 01:02
やっぱり、彼らには彼らの文化、伝統に根ざした音があって、よその人間がどうやったって
超えられない物ってあるもんです。
享受するのは良い。趣味でやるのも良い。
でも、自分の人生かけるもんじゃないって、そのとき悟ったんです。

自分が人生かけるなら、自分達の方法でって。
これが、その後長い時間かけて考えた結論です。

だから、別に空耳さんたちが間違っているわけじゃあない。
彼らは享受する立場であり、趣味の人がほとんどでしょう。

まあ、それを分かってやってるんだから逆なでの発言は、はっきりいって荒らしと変わらない。
そろそろ、大人げないことは止めて、口を閉ざそうと思います。
昔の人がいったじゃありませんか。
口の回る奴ほど筆がまわらないって。

私は、自分の方法を実践すべく、この板を落ちます。


100 :土人き:2000/12/27(水) 16:29
逆なでさん
えっつ、もう落ちちゃうの?それは残念です。
自らの文化に寄って立つにしても、
ナショナルに概念にもまだまだ落とし穴はあるわけで。
フェロノサ以来、日本美術に日本的なるものを求める流れはあったし
戦後でも岡本太郎の縄文回帰やらもの派やら前衛書道やらかんやら
それらは何らかの形で伝統に帰り、歴史的要素をクローズアップしてきたわけで…
あるいは現代、商業的に成功しているあらゆることが新たな日本文化とも言えるし、
西洋崇拝丸出しの漫画・アニメにしても(話を分かり易くする仮定)、それもまた(誇るべき)日本文化に違いない。
西洋の規範に立つことも、国粋的な規範に立つことも避け、
かつすべては個人主義にすぎないと逃げてしまわないのなら、
選択肢は、なかなか困難に思われます。
自分って一体何でしょう?我々って何でしょう?

だけど…。それでも実践しようとする人間を、基本的には尊敬します。
ごくろうさまでした。
なんだかんだ言って実践する人間が一番偉いのだという認識を、実践する人は変える必要はないと思う。
あなたの実践の成功を祈って。


101 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/27(水) 16:37
感傷的な思考の人間ばかりなので、いまいち面白みと深みにかけると思った。



102 :土人き:2000/12/28(木) 11:39
もっとキャラを立てんかい!と?

103 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/28(木) 18:02
ちがうだろが

104 :空耳:2000/12/29(金) 02:27
なんとなく、逆なでさんって思いつめた感じがするなあって思ってたけど、
作る側の方だったんですね。
私の態度をなんだかぬるいと思われたのも当然かもしれない。
実際ぬるいのかもしれないのだから。
荒らしでもいいから色々書いて欲しいのに。
ていうか、別に全く荒らしではないよ!

森羅万象是全て芸術ナリ。
ってすごい言葉ですね。確かにこう言うのはものすごい勇気がいります。
私だってカシニョールとかポストモダンとかくだらないって思うけど、
例えば、そういうバブルの産物みたいなものをありったけかき集めてきて
積み上げてみたらなにやら感動みたいなものが生まれるのかもしれない。

廃墟の話はなんでこういう話になったのかよくわかんなくなってきました。
土人きさんのおっしゃるとおりだと思います。
バリカンとは何か違うものが、造形美以外の問題が一番大きいと思います。
しかし完成品を最も造形的に美しいと感じるかはわかりません。
李朝の美しさとかは不完全なものの持つ現れだと思います。
私は壊れたものや古さびたものの持つ色、形自身にもおもしろさがあると思います。
しかしそれの持つ性質も無視してはいけないと思います。


105 :空耳:2000/12/29(金) 02:58
芸術を一つの見方にすぎないとすること。
芸術は確かに存在するとすること。

芸術は本当は存在していないのかもしれません。
しかし、表現家達の理想郷のようなものとしては存在するのかもしれない。
今現在無くとも、アーテイスト達はそれを目指してつっぱしってるの
に違いないと思ってた。
例えば、浮世絵のようなファインではなく、サブカル的なもの、
職人芸、そういうものだって、
ある種の目指す到達点はあるはずです。
だからこそ、神業、とか言う言葉が職人の世界にはあるのでしょう?
確かに19Cの西洋において芸術という考え方は体系化されたけど、
(かなり傲慢なものであったようだけど)
東洋にだってだいぶ違う意味かもしれませんが、
同様の「理想郷」を賛美する気持ちはあったと思います。
悟りもその一つではないですか?
むしろ私のイメージとしてはこちらの方が近いかもしれない。

逆なでさんのやろうとしていることは、とても新鮮に思えます。
だから、お聞きしたいです。
芸術は単なる西洋からの輸入に過ぎない見方にすぎないとしたら、
逆なでさんは何に向かって創作なさっているんですか?
それともどこにも向かっているわけではないのでしょうか。

あと、最後に、ナショナリズムがどうのというところ。
逆なでさんは民族性は必要不可欠だとおっしゃっているんですよね?
一方土人きさんは国粋的な規範に立つ事を裂けるとおっしゃっていますが、
私の読解がまちがっているんですか?

106 :空耳:2000/12/29(金) 03:08
>ひよこさん
そうですね。時の侵食というものが与える効果って
単なる感傷的なものだけじゃなくて、それだけで面白みみたいな
ものを与えると思うんです。
>よっちゃん
伝達ですか。
今は芸術は何の為にあるのかっていう話の手前で足踏みしている状態です。
芸術なんてそもそもあるのかって。
でも伝達、コミュニケーションとして存在するという考え方は同感です。

107 :土人き:2000/12/29(金) 13:49
「芸術」はしょせん西洋のモノにすぎない。
という所まではすぐなんだが、そこから先が・・・。
じゃあ、我々って何だよ?となる。それを過去に振り返っても
うさんくさいだけだし(今に活きていない)。
西洋的価値観が支配的となった現代日本人のリアリティー
を言えば、西洋のマネゴトになってしまう。
これを解決する方法は一つ。日本がもっと経済力をつけて、
文化的にも世界の中心になればいい。日本の価値観を世界中に押し付ければいい。
そうすればローカル性に悩まされずにすむ。
・・・となってしまって袋小路状態。

108 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/29(金) 18:54
ああ、せっかく自分じゃあ「決まった!」と思ってカッコ良く書き込まないつもりだったのに。
今見たら土人きさんが危なくなってる。
私のせいかな。

おーい土人きさんや! そんなに悩むことはないって。
西洋の物を思いっきり楽しんで良いんですよ。

ナショナリズムは格づけから発生する。
本来どちらが優れているなどと考える必要のない物(例えば文化とか)を、
どちらが(主に自分達が)一番。あとは二流....。
などと考えて一喜一憂するから訳の分からないことになる。
享受するには何よりも「自分の」好き を優先させればノープロブレーム マイ フレンドです。

西洋人の物の見方ではなく、自分達の見方で。

ヨーロッパやアメリカで「クソ」とされている作品でも、
自分達が見て「良し」と思えば、素直に評価できれば、その方が良いじゃあないですか。
「ニッポンジン ハ ゲイジュツ ワカラナイ」などとくちばし挿んできたら、
「なにいいやがる、このばてれんめ!」です。 恐れ入ることなんざありゃあしません。

109 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/29(金) 18:56
空耳さん。

日本にも当然、画家、画工や彫工などに人たちにとって、目指すべき高みはありました。
それは見かけ上、芸術にとてもよく似ています。
でもそれは同じ物ではない。
私はそれを 平行進化 と考えています。
イルカと魚竜は見かけ上とても似ています。
でもそれは実際には、進化の過程で大きくかけ離れたまったく別の動物です。
いくら似ているからといって、魚竜を論じるのにイルカをあてはめれば、判断を大きく誤ると思うのです。

さて、それでは私の目指すもの.....、
それは言葉の中にはありません。
と、いうよりもこれを言葉で表現できる才能は、私にはありません。
あえて言えば明治からこっち、日本人がサボってきた「生きた」伝統を現代につなぐ作業というか....
ほらね、なんかとても大仰でしょう。 そんな大仰なことじゃあないんです。
そうですね、私は時々考えるのです。
あの北斎翁が今居たら、いったい何を描くんだろう。 羊遊斉は何を作るだろうって。
ああ、やっぱり意味不明ですね。

それでは。


110 :空耳:2000/12/30(土) 00:58
そっかー
>それは見かけ上、芸術にとてもよく似ています。
>でもそれは同じ物ではない。
>私はそれを 平行進化 と考えています。
ここわかりやすかったです。

私の意見を言いますと、昔はきっとそうだったかもしれないけど、
私のような無自覚に芸術という言葉を使う現在の日本人の多くは
こういう職人的な高みと19Cのヨーロッパ思想は混ざってしまっていると思う。
むしろ日本的なものの方が強い気がする。推測ですが。
研究者の方やアーテイスト達は区別していると思うけど、
実際はそんなところじゃないかと思う。
だから文献の中ではそうであっても実際の芸術の用いられ方が重要なのだと思います。

逆なでさんはファインをやっていらっしゃる方ではないんですね。
北斎が好きだという言葉からもそう思います。
私は、昔から職人の持つある種の禁欲さというものを愛していて、
例えば焼き物なんかでも、作家ものとそうでないものがありますよね。
なんかで読んだんですけど、生活の道具をずっとつくっている職人さんがいて、
何十年も同じすりこぎをつくっているんです。
それがとても美しいものなんですって。
うまく言えませんが、無心とは美しいものだと思いました。
(ちょっと魯山人とかと比べてしまった)
考えてみれば、あまたの中国磁器の宝物は無名の職人達の手によって
生まれたものですね。仏像もそうですね。
実は、恥ずかしいのですが、私も卒業したら職人系の修行をすることに
していまして、だから本当は逆なでさんの気持ちはわかるような気もします。

逆なでさんはもしかしてすごい恥ずかしがりやなのではないですか?
いや、自分のやってることはそんな大層なもんじゃないんだ、
と言う裏からは自分を飾り立てることへの拒絶が感じられます。
作る側の人間はそれでいいと思う。
でも、いくらすりこぎの職人さんが自分のはただの生活雑貨だ、と
謙遜してみせたところでその素晴らしさは中からにじみ出てしまうもの。
その高みを使う側が感じてその職人さんに感謝していう時に使うべき言葉は
もしかしたら「芸術」ではないのかもしれないけど、
しかし今の私はそれしかそのにじみ出るものを表現する言葉を知りません。
私が見る側の人間で、感動してこれは芸術ですね、と言った時は
もしかしたら感謝の言葉なのかもしれない。

逆なでさんは芸術という言葉に踊らされて多くの浮世絵が流出してしまったと
なげいておられましたが、私はそれは反対なのではないかと思います。
漫画で読んだことなんですが、
日本では江戸の頃から浮世絵は単なるイラストレーションだと思われていたので、
あの頃の肉筆画や浮世絵で保存状態の良いものはほとんど無いとありました。
結局そういった既成概念から外れていた西洋人が真価を理解しなければ、
今やぽそりとも残っていなかったかもしれない。
それが職人の運命だと思います。
使い倒されて、使い倒されて、いつかは消えてなくなってしまう。
ガラスケースにも飾られないかもしれない。
それを覚悟しなければ駄目ではないのでしょうか。
北斎とて今現在美術館に飾られているなんて知ったら
びっくりするんじゃないかな。
だって焼き物の包み紙に使われてたんだよ!

かっこよくしめたのに出てきてくれてありがとう
そしてさようなら(><)
(一度やってみたかった)
またここでもどこでも私がぬるいこと言ってたら一つ締めてやって下さい。
というかそんなこと言わずに。
名無しさんはダリ?でもいいですから。

111 :空耳:2000/12/30(土) 01:28
ナショナリズムうんぬんについてなんですけど、
私は日本対西洋の対立構造で考える必要は無いと思います。
元は西洋から発信されたものであっても今現在自分の手元にあるものを、
出自が違うからといって拒絶する必要は無いと思う。
何故なら西洋とは完全に異質なものではなく、自分のバックグラウンドの
一つだから。
拒絶しているうちはナショナリズムの格付けから逃れることはできないと思う。

多分、土人きさんがこだわる理由はアイデンテイテイーの問題だと思うけど、
私大学受験の時の小論文でさんざんこの問題について考えさせられまして、
自分なりに結論を出しまして、
国家に自分のアイデンテイテイーを求めるのはやめようと思いました。
結局それは楽だし、気持ちいけれど、でもそれだけのような気がしたから。
だって、日本の考え方が流布したらいいと言う考えは、
むしろ土人きさんが自己のアイデンテイテイーに無自覚でいられないという
葛藤の現れだということはすごくわかるし、共感すらするのですが、
戦争と変わらないです。
例えそれが経済戦線であったとしても、
そういう考え方でいつまでもいたら、永遠に戦争はなくならないです。
それとも戦争なんかなくなるもんかとあきらめてしまっているのでしょうか。

そもそも国家なんて幻想にすぎないでしょう。
地域ほどの根拠も無い。
どうでもいい力の関係で決まってくる。23分間の奇跡という話がありましたね。
幻想から生まれてくるものもあるだろうけど、
ほんと自分のアイデンテイテイーをかけるほどのものじゃないです。
システムとして利用するのは手だけれど、人間は長いことそれに縛られすぎた
と思います。
しかし、縛られていたのがあまりにも長かったから、
それを当然のことだと思っている。
そこから脱却するのは難しいけれど、しかし理想として私は目指しています。
オリンピックなんかで世界新記録が出たらみんな嬉しいでしょう。
日本人じゃなくとも。
日本人が金メダルをとって喜んでる時の自分より、
マイケル・ジョンソンが世界新を出した時喜んでる自分の方が
いいな。巧くいえないけど。
とりあえず、日本のわびさび、茶道や華道は日本人の誇りだ、
なんて言ってるやつを見るとばか!と言いたくなってしまいます。


112 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/30(土) 02:43
空耳話長いです。

113 :わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/30(土) 11:23
空耳の長い話オッケーデス。

114 :土人き:2000/12/30(土) 17:27
確かに、国際交流の乏しい時代には、文化相対主義を言っていられたかもしれない。
しかし今となってはグローバル化の中、世界の文化は影響し合って、
最終的には一つの文化に向かって収斂しそう。
だから「芸術」という制度について、伝統の存在について、懐疑的です。

神業と呼ばれる境地もある。曲芸と言われることもある。
それを別ける(価値付ける)のは文化であって、文化が消滅したら、
正当に評価される基盤を失ったら、あやしいものです。
古き作品が、再び別の文脈によってクローズアップされるか否かも
時代が決めることで…。

それでも「境地」を語ってもらってかまわない。
なぜなら新しい幻想は、創造者の手にあるからだ。
幻想の積み重ねを文化といい、文化の厚さは即物的な力にもなりうるから。
ようわからんが壊すには惜しい、と思わせれば日本も助かる見込みがあるかも。


115 :土人き:2000/12/30(土) 17:27
「芸術」の意味の混乱は、美味い説明です。
確かに、より良いものを目指すのは当然のことだし、また素晴らしいことでもあります。
芸術という言葉のもつ永遠性を諦めて、消えては現われる泡にすぎないというのなら、
それは潔い態度です。そして日本人という立場を超越するというのも素晴らしい理想です。
しかし国家も幻想の一つです。では根をどこに持つか。いわゆる地球人ですか?
しかし文化基盤を抜きにした、普遍的な美(芸術)はありうるのでしょうか?
何らかの立場を洗選択することによる戦略(ビジョン)なしに他と向き合えるのでしょうか。



116 :土人き:2000/12/30(土) 17:35
洗濯くうっ(泣)→選択

あ、ご心配なく。とりあず各種美術を楽しもうとしてます。
しかしふとよぎる不安。
自分は幼稚園時代のダリが始まり。「ああ、この絵のなかに入りたい。そして地平線の向こうまで歩いていきたい。」
という異次元への憧れが全てでした。
今でも理屈以外で「感じる」とか言うなら、絵の世界観に感じるのがすべてで、
美的に感銘するというのは、未だに理解できないままである。

117 :空耳:2000/12/31(日) 01:33
いや、文化は存在しますよ。
アイヌ文化、沖縄文化、関西文化、関東文化、、、、
でもそれは、とても複雑すぎて、国なんていうものにおさまりきらない
と思う。
文化で国境が決まっていたらこんなにたいへんでは無いと思う。
でも現実はそうじゃない。
何かで読んだけど、ある人が辞書の日本文化のところの記述を頼まれたんだけど、
結局そんなものは無い。と書いたそうです。
だから、私は日本文化というものに懐疑的なんです。

118 :空耳:2000/12/31(日) 01:57
土人きさんの、一つの文化に収斂しつつある、というのは私も考えたことがあります。
この言葉をきいて、何を土人きさんはあせっていたのかわかりました。
話が全部一つにつながった気がします。

確かに、相対主義なんてぬかしてる場合ではない。
文化はどんどん融合して、古臭くて力を持たないものはどんどん消えていく。
線香花火の職人は今日本に一人しかいないそうです。
しかし、中国産の線香花火には出ない不思議な火花が出るのだそう。
それも失われていくのかもしれない。
以前土人きさんがおっしゃっていた市場論理ですね。

融合していく過程でどれだけ自分に有利に物事を運ぶか。
世界文化の中にどれだけ自分の日本文化を残していくか。
私は結論から言って、残るべきものは残ればよいし、
その中で負けていくようなものならば、負けてしまっても良いと思います。
日本製線香花火がなくなるのは惜しい。
でも仕方ない。ただ、記録に残していこう。火薬の配合は残しておこう。
それだけです。げたも、日本刀も、何もかも博物館行きですね。
着物を日常的に着ろ、なんていってるおばさんがいるけど、
それは無理。だって、洋服の方が魅力的ですからね。
これは大部分の人間にとって事実です。
着物は特定の場以外では着られないし、世界的に拡がることも無いでしょう。
別に私は構いません。
洋服を自分の文化とすることによって、
西洋の服飾文化が自分のバックグラウンドになるんですから。
ルーツとも言えますね。

なんか言ってることわかんなくなってきた。
土人きさんは、日本がルールになればいいと思ってるんですよね?
でもその日本自体既に西洋文化がかなり混同したものだし、
大体中国文化にとっくの昔に支配されてしまったし、
中国文化はオッケーなんですか?
当時の人はアイデンテイテイーの危機を感じたのかな。
今の自分のいる日本文化が重要なの?
では日本人としてのルーツって何?
結局は全部元から混ざっちゃってるのではない?
土人きさんのアイデンテイテイーの日本文化は、もともと
融合文化でしょう?
この国の文化が魅力的なのは最果ての東の地に流れ着いたすべての
文化を受け止めてきたからじゃない?
融合こそが文化のおもしろみなんじゃないかな。
もっとも純粋培養された文化も魅力的だけど・・・



119 :空耳:2000/12/31(日) 02:02
それと、確かに「美的」に感銘するということは私もよくわからない。
ただ、これだけは確か。

自分は幼稚園時代のダリが始まり。
「ああ、この絵のなかに入りたい。
そして地平線の向こうまで歩いていきたい。」
という異次元への憧れが全てでした。

こういう言葉こそが、あなたの感動を最も率直にかつ鮮やかに
他人に伝達するのだと思う。
とてもいきいきと伝わってきた。



120 :名無しさん:2000/12/31(日) 06:50
勘違いの集団スレ

121 :土人き:2000/12/31(日) 11:09
120。まったくだ(笑)。しかし勘違いせずにはおられない。

結局、現状肯定ということで。あらゆるものを認めて、
山師みたいな態度はやめなさいと。
すべては神の必然であって、どうしょうもない。
この世には善も悪もない。ただ見解があるのみと。

いいのかそれで?そんなのいやだー!!
人間なら無駄な抵抗をせよう!

122 :名無しさん@LV2001:2001/01/10(水) 18:05
・・・・・・・・1さん・・もしかして賢いとか思ったりしてます?

123 :名無しさん@LV2001:2001/01/10(水) 18:08
特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動、
およびその作品。建築・彫刻などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・舞踊・映画などの総合芸術に分けられる。

これが芸術です。



124 :わたしはダリ?名無しさん? :2001/01/10(水) 18:35
芸術とは人と人との「コミュニケーション」手段。
創作者の伝えたいものを、私たちは作品を通じて受け取る。
このとき、その伝えたいものは言葉である必要はないし、
ヴィジュアルである必要もない。伝えられるべき「何か」
はあるわけで、それを表現(トランスレート)するには
創作者本人の技能が必要。

そして、受け取る側にも、その何かを感じ取るだけの
見る能力が必要。こうした条件が整うことにより、
コミュニケーションは確立される。
というのが私の見解。当たり前の話なんだけどね。

この「2ちゃんねる」でみんながやっていることだって、
十分芸術なんですよ。

125 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/10(水) 18:49
で、なんのために芸術があるのかといわれれば、
それは人間には「他人とつながりたい」という
基本的な欲求のなせる行為なんだろうな。

「まったく他人と繋がりたくない」という人も
いることはいるだろうが、本来繋がりたかったからこそ
そういう行動を取るのであって、引きこもり行為も
その欲求を前提とした表現行為だしね。

人間、意思ある限りなんらかの表現はしている。
それが芸術になるには、その表現をカットアップして
うまく保存したり、複製したりする作業も必要だろう
けどね。写真家なんかはまさにそういう作業だし。
その作業行程で別の人間の意思が入ることもあるよね。


126 :よごれた皿:2001/01/10(水) 20:35
フラナリー・オコナーっていう小説家知ってる?
全身がだんだん動かなくなって最後は死んじゃうというおそろしい病気を患い
ながら、そんな危機感のなかで、ちょっと宗教的で、静かな美しさのある小
説をいくつか書いて、短い生涯を生きた女性なんだけど、
インタヴューで「あなたはなぜ小説を書くのですか?」って聞かれたとき
ひとこと「わたしにはそれがうまくできるからです。」って答えたんだって。
それを読んだとき僕は、すごく単純な答えだけど結局これが一番正しい答え
方なんじゃないかなーって思った。

僕は美術作品のようなものを一応つくってる立場だけど、もし誰かに、なんで
作品をつくるの?って聞かれたら、やっぱり同じように答えるのが一番正直な
感じがする。
もちろん僕の場合は「それがうまくできるからです」ではなくて「うまくでき
るような気がするからです」になっちゃうけど。
でもなんか全然このスレッドの答えになってないなー。
なんの解明にもなってないっすね。


127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/11(木) 14:34
ヒトの自己存在証明っていう見方はどうか?

128 :土人き:2001/01/11(木) 16:17
スキルを身につけて、情報を発信する。ってトコまではよく判る。
問題は「美」なんだなあ。それはスキルなのか?

129 :横レスすまん:2001/01/11(木) 16:53
芸術性と美性は別次元だと思う。

芸術的だから美しいという理由は無いし、
かといって美しいものが必ずしも芸術的である必要も無い。

130 :無意味だが、辞書のコピペ:2001/01/11(木) 16:58
げいじゅつ 【芸術】
(1)特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動、およびその作品。建築・彫刻などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・舞踊・映画などの総合芸術に分けられる。
(2)芸・技芸。わざ。「凡(およそ)―は、…切差琢磨の功を積まざれば、その極に至りがたし/読本・弓張月(前)」
=================================================
うつくし・い 【美しい】
(形)[文]シク うつく・し
[一]
(1)視覚的・聴覚的にきれいで心をうつ。きれいだ。⇔醜い「―・い絵」「―・い音色」「容姿が―・い」
(2)精神的に価値があって人の心をうつ。心に深い感動をよびおこす。清らかだ。「―・い友情」「心の―・い人」
[二]
(1)(肉親に対して)しみじみとした深い愛情を感ずるありさま。いとしい。「妻子(めこ)見ればめぐし―・し/万葉 800」
(2)(特に小さなもの・幼いものなどについて)小さくて愛らしい。かわいらしい。「―・しきもの、瓜にかきたるちごの顔/枕草子 151」
(3)細部まできれいに整っている。申し分がない。「大学の君その日の文―・しう作り給ひて進士になり給ひぬ/源氏(乙女)」
(4)(連用形を副詞的に用いて)
(ア)心や行動がさっぱりしているありさまを表す。きれいさっぱり。「お前はさんに―・しく別れて/人情本・英対暖語」
(イ)穏やかに。静かに。「―・しう頼まんしたらば/歌舞伎・助六」〔[二](1)が原義。[二](1)(2)は「愛し」とも書く。→きれい〕
[派生] ――げ(形動)――げ(名)

131 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/11(木) 17:22
全く無意味だ。しかも長い。

132 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/11(木) 17:50
>>129
美と快は、別物なんじゃなかった?
誰かがそう言ってたよーなきがするよ

133 :芸術ってなんの為にあると思いますか:2001/01/11(木) 18:45
子孫繁栄のため。

134 :春をひさぐ:2001/01/14(日) 18:48
ユングが言うに、人の意識は 有意識/個人的無意識/普遍的無意識 と分かれるらしい。
私は、創造というものを「創造主がもつなにか(A)を 意識/無意識 において転換・翻訳し
創造物(B)を成す」というふうに捉えているんだけど、
そのA→Bの転換コードが意識的であるほど芸術性はなくなりエンタメっぽくなる気がする。
文学ならば、有意識を介しているのが推理・恐怖などの大衆文学であり、
個人的無意識に転換コードを配したものがいわゆる純文学、例えばヴィアンとか。
政治的な(つまりメッセージを持った)ものは真の「純」文学ではない、例えば三島・大江。
でも、純文学は芸術寄りではあるけど、どうあっても芸術たり得ない。
なんとなれば文学は物語だから。同じ理由で映画も芸術たり得ない(例外はある)。
芸術はもっと即効性のあるもの、例えば絵画・音楽・彫刻・詩。
(個人的には香水(臭い)や料理(味覚)だって芸術たり得ると思うけどこれは言い過ぎかな)
そして、真に素晴らしい芸術とは普遍的無意識に根ざしていなければならない。
普遍的無意識において転換された創造物は、その深度が深いほど広い範囲に、
例えば関西圏の・日本の・アジアの・世界のといったレベルで普遍性を持つ。
真の芸術に触れたとき、人は深い深い心象風景をそこに見いだし感動する。
それは「イデア」なんて言葉で表してもいいかもしれない。

、、、ちょっと電波な個人的解釈です。所詮ユング程度の認識ですけど。


135 :春をひさぐ@「例えば」って使いすぎ:2001/01/14(日) 18:49
例えば私は日本庭園に凄く感動させられる。

西洋の庭園は自然と対峙する。       、、、
自然にはありえない対称性・正円・直線などを意識的に用いるから。
日本の庭園は自然を内包する。        、、、、、、
枯山水、石をもって河や木々を表し、それ自体が世界そのものである。
盆栽なんかも同じこと。

シンメトリックな造形って、普通美しいですよね?
でもその美しさは単純な美しさだと思う。
枯山水のアシンメトリカルな美しさは単純ではない。
意識的に配置しようとしても難しい。
また、対称性は小さな乱れによって破壊されてしまう。
円が少し歪んだだけで、左右が微妙にずれただけで、違和感を覚えさせる。
しかし、数式化し得ない造形は破壊されたところで美を保持する。
枯山水の大岩一つが崩れても、それはそのまま自然の姿であるし、
むしろ自然の持つ変遷という特色を表現している。

「美は自然の模倣である」という考えは正しいと思います。
電波長文失礼しました。

136 :春をひさぐ@134訂正:2001/01/14(日) 18:52
>文学ならば、有意識を介しているのが推理・恐怖などの大衆文学であり、
→推理・恐怖・村上龍などの大衆文学であり
みたいな意味合いでの純文学/大衆文学です。

137 :空耳:2001/01/14(日) 19:49
>>135
加藤周一に桂離宮の庭についての評論があるんですけど、
読んだ事ありますか?
すごいおもしろいですよ。
竜安寺の石庭とか、色々。

普遍的無意識っていうのをもうちょっとお話聞きたいです。
別スレ、確かモナリザスレで
goatsongさんが普遍性っていうものに
意義を唱えてらっしゃいますよね。
あれに関してはどう思われますか?

138 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/14(日) 19:50
ユングか・・・いいんだけどね・・・

139 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/14(日) 22:03
134>>
春をひさぐ....(まあ いいや)さん。
ユングは自分の所へきた電波さんの妄想話と、神話や民話との驚くべき
類似性の発見から、集合的無意識という考えに至りましたね。
もし、芸術が集合的無意識に根ざす物であるなら、物語もOKなのでは?

広く支持を集めている創作物に、集合的無意識に見られるモチーフが
多く出て来ているということには賛成。
でも意図してこれを使うと、なぜかものすごくイヤミなものになるけど。


140 :春をひさぐ:2001/01/14(日) 22:43
>空耳
そう、加藤周一の「文学とは何か」ですよね。あの本はあの部分だけ面白かった。
私の書き込みはもちろん彼の評論のパクリです(^^;
というか、もやもや考えていたことが理路整然とまとめられていたのでそのまま
いただいちゃいました。空耳はあの意見についてどう思われますか?

普遍的無意識についてですか、、、頑張ってみます。
意識は自我の支配下にある我々が認識している「これ」そのもののことです。
意識は自己欺瞞に満ちているのでコンプレックスやトラウマ(*)なんかを
意識下へ追いやり抑圧します(語弊あり)。意識下を我々は認識・知覚し得ません。
(*)は個人的無意識の段階にあるわけで、夢に象徴的に現れたりします。
さらに深部にあるのが普遍的無意識(集合無意識)で、個人を超えた
人類共通の表層の可能性を秘めています。
この普遍的無意識はもっと細分化され、家族、地域、国家、民族、さらには
動物、生命全体に至るまでの単位があるとされます。
世界中の神話・民話に共通するモチーフってありますよね。
ユングはそれらのパターンを元型と名づけ、その代表として
セルフ、シャドウ、アニマ、アニムス、グレートマザーなどを提示しました。
もちろん、どれほど優れた芸術とはいえ原始生命体レベルの表象を体現するなんて
できません。だから、モナリザを古代ケルト人は理解しないでしょう。
しかし、我々現代人がルネサンス時代の芸術に感銘を受けるのは、
それらが文学理論や芸術理論などに基づくわけではなくリビドー全開の
深い無意識に根ざして創造されたものだからではないでしょうか。

なーんて脆弱で浅薄な知識/解釈、もともと文学畑の人間なので
美術史なんてまったくさっぱりだし、ユングもちょいと齧っただけです。
つっこみどころ満載ですがどうかご容赦を(^^;

>>138
ユングってやっぱダメらしいですね。
心理学板でも「へん、所詮ユングじゃん」みたいに言われます。
どこらへんがダメなのかご教示いただければ幸いなのですが、、、
板違いも甚だしいですけどちょっと教えてほしいです。
私の考えってあまっちょろいですかね?

長文重ね重ね申し訳ありません。



141 :春をひさぐ:2001/01/14(日) 22:58
>>139
春をひさぐ....って表現、なんか奥ゆかしくて好きなんです。

なぜ物語が芸術たり得ないか。
なぜなら物語は全体を把握するのに時間がかかり過ぎるからです。
映画なら2時間、優れた絵画を見たときの衝撃を持続させれるか?
ムリだと思うのです。部分、はっとさせられたとしても、それなら
その部分だけで完成してしまっている。他の部分が意味を失う。
プルーストのあの大作を、名声高いとは言え果たして芸術と言えるでしょうか。
もちろん「ある種の衝撃は助走を要する」のかもしれません。
でもそれを芸術と呼ぶのに私は躊躇してしまいます。
物語と芸術はそれぞれ違った役割を担っていると思います。
相反するわけでもなく、優劣があるわけでもなく。

もちろんモチーフの表れは無自覚かつ自発的・必然的でなければならないと思います。

142 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/14(日) 23:21
>141
なるほど、そこまでおっしゃられるなら。
それはそれで立派な見解かと。

ところでユングって、70年代から80年代初期頃までの芸術、エンタメ、
小説、映画なんかを考えるとき、はずしちゃいかん要素だと思うのですが。
結構みなさん使ってましたよね。 なにげに。

143 :空耳:2001/01/14(日) 23:28
春をひさぐさんがあまっちょろいかどうかは謎ですが、
個人的にはあまっちょろい考えを持っていて、
突っ走っている感じの人は応援したくなるので結構好きです。

加藤周一のは昔読んだのでなんて作品かも覚えてなかったので
助かりました。
なんとなくおもしろかったのは覚えてるんですが、
内容は読み直さないと・・・
でも当時は感心した記憶があります。
加藤周一ってどんな流れを汲む評論家なんでしょうか。
結構好きです。

>もちろん、どれほど優れた芸術とはいえ原始生命体レベルの表象を体現するなんて
できません。だから、モナリザを古代ケルト人は理解しないでしょう。
しかし、我々現代人がルネサンス時代の芸術に感銘を受けるのは、
それらが文学理論や芸術理論などに基づくわけではなくリビドー全開の
深い無意識に根ざして創造されたものだからではないでしょうか。

この部分なんですけど、何故現代人は理解できて、ケルト人は理解できない
のでしょうか?
その違いはどこからくるのでしょうか。
私は現代人が芸術理論の素養をもっているからじゃなくて
西洋との文化的バックグラウンドを共有するようになったからだと
思うんですけど。

144 :春をひさぐ:2001/01/15(月) 00:40
>空耳143
実は私、ケルト人が何者なのかまったく知らないんです。
なんとなく北京原人とかシュメール人とかと同類項で考えていました。
単に ケルト人・ルネサンス時代の人・現代人 と並べてみて
ケルト〜ルネ の時間的距離より ルネ〜現代 の距離のが近いと思ったので、
現代じんでも理解できるのだと結論しただけです。

ただ、もし現代(日本)人が西洋の文化的バックグラウンドを理解したからというのが
ルネ芸術に感銘を受ける理由であるならば
現代(日本)人はルネ芸術を真には理解しているとは言えないと思います。
芸術の衝撃というものは知識や文化理解などを超越して受け止められるものではないでしょうか。
頭で、ではなく心で体で感動するものですよね?

一応私は作家志望なのでこの甘っちょろい考えを踏まえて突っ走るつもりです。
応援してくださいね(^^)

145 :空耳:2001/01/15(月) 01:01
時間的距離に着眼するのは何故ですか?
それってやはり文化にどれだけ共通項があるかという話になるのでは?
何故時間的距離が近いほど理解しやすいのでしょう。

ケルト人は素晴らしい芸術文化をもっていましたが、
ルネサンスと対極にありました。
彼らは写実を嫌い、抽象の中にこそ真実を見出しました。
ここを読むとよく分かると思いますが、
ケルト美術は原始的な力強さを持つと同時に非常に洗練されています。
http://www.tef.or.jp/tmm/event04.htm
彼らはローマの芸術を馬鹿にしていたようです。

私の考えを言わせて貰えば、
より普遍的たりうるのはむしろ物語の方だと思いますよ。
物語は芸術作品ほどは様式にとらわれないからです。
だから全ての時代、全ての文化圏に普遍性を持つ物語はあると思います。
(勿論、車の無い時代には車の話は理解できませんが・・・)

146 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/15(月) 18:36
>144
そうですか。作家志望....つうことは作る側ですね。
ふっふっふっ、なら 容赦しません。

全体的に論の詰めが甘すぎますよ。

ユングを出したはいいが、そのあとなぜ即効性のあるもの以外を
芸術として却下するのかが良く分からない。
力技すぎます。
即効性のある物が芸術というのはあなたの感覚だと思うのですが、
その辺をうまい理屈で説明してください。

また、「美は自然の模倣である」というテーゼを肯定する下り(>135)
も、あまりに感覚的です。
アシンメトリーを美とする文化は、日本やイギリスあたりでは普通ですが、
ムスリム圏や、ギリシャなどのヨーロッパ大陸部、
中国(紫禁城のフォーマルな場所を見てごらんなさい)などでは、
決して普通の感覚ではないのです。
単純=純粋とする文化も存在するのです。
このへん、うまい理屈はありますか?

あと、引き合いに出す物のアウトラインくらいは知っておかないと、
論に説得力が出ませんよ(>144)。
蛇足ながら北京原人とシュメール人も、スペイシスの単位で違います。

論文ではなく、小説ならば結果が合っているかどうかは問題ではありません。
むしろ、どんなとんでもない結果を提示してくれるのか、読者は楽しみにしています。
けれども、結果に導く過程でどれほどの説得力を見せるかは、その作家の力量
だと思うのです。

私には自分の感覚を言葉で表現しきれるような才能はありません。
だからあなたをうらやましく思います。せっせとその才能を磨いてください。
で、もう一回、見事に説明されたあなたの論を聞かせてください。

147 :春をひさぐ:2001/01/15(月) 21:05
>時間的距離に着眼するのは何故ですか?
 それってやはり文化にどれだけ共通項があるかという話になるのでは?

うーん、、、ホントだ。
ということは、文化の共有は芸術理解の前提条件なのかな。
どうもイヤだな。なんとかそうではないという結論に至りたいんだけど
ちょっと思考がまとまらないので保留ということで。考えときます。

>より普遍的たりうるのはむしろ物語の方だと思いますよ。
>物語は芸術作品ほどは様式にとらわれないからです。

でも、それだって様式にとらわれていない物語ならばこそでしょ?
名声は高いけどエーコーやピンチョンが普遍性を持つとは思えない(文学として優れてはいても)。
プルースト、あるいはマルケス、物語の究極形態である神話や聖書など、
様式や理論の枠におさまりきらない物語ならば、時を超えて感銘を与えるでしょう。
というか、あらゆる試みはたとえどんな地平を開拓したとしても、それがまた様式となってしまうと思います。
先に挙げたプルーストの方法論だって「論」たり得るのですから、ぶっちゃけた話
どんな物語でも芸術でも様式にとらわれていると言えるのではないでしょうか。
ですから、様式にとらわれていないという表現を、無意識を媒介としたリビドー全開の
ものと考えてみてください(と強引に自論に結びつける)。
マルケスはもちろん意識的に書いています。ではどこがエーコーと違うのか。
それは、無意識が作用し得る余地のある方法論をとっているからだと思います。
沈思黙考の産物ではなく抑えきれないリビドーに由来するものだからだと思います。
(つまり、プロットを決めこんで書いているのではなく派生や方向転換の余地のある
書き方をしている。100%憶測ですが)

あまりに浅薄な知識ゆえ文学板なら集中放火の対象になるような書き込みです。
作家名については深く考えないで下さい。文学板にチクっちゃダメですよ。

つづきます

148 :春をひさぐ:2001/01/15(月) 21:05
(承前)
昔、美術部の子がでかい絵を描いているところを見たことがあるのですが、
すごく没頭してるんですよね。頭ではなく感覚で、「ここに赤がほしい」とか、
理屈じゃないんですよね。汗だくになって描いてました。
基本的に絵画は物語よりも創作方法からして無意識性が高いと思います。
ですから私は物語より芸術の方が普遍性が高いと思うのです。
芸術様式というものがどのようなものなのか、私は知りません。
ただ、模範的な基準があってそれが創作に窮屈さを与えたとしても、
物語の不自由さと比べたら取るに足らないものだと想像します。
、、、とまた憶測でものを言う。
どうかこの無知さ加減に倦むことなくお付き合い下さい。m(_ _)m
よくわかりませんが、モンドリアンやフォン・ドゥースブルグ(?)の提唱した
デ・ステイルってあるじゃないですか。ああいった抽象絵画って、
すごく可能性を秘めてるような気が……素人考えですが。

何の参考にもならないかもしれませんが 「文学とは何か?」スレです。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=book&key=973746141

※そろそろウザがられそうなのでこれからはsageで書きます。



149 :春をひさぐ:2001/01/15(月) 21:06
う、いつのまにか>>146さん。
また長考に入りますのでちょっと待っててください。

忌憚なきご意見・ご批判は本当にありがたいです。
きっと呆れられるほどの儚い頭しか持ちあわせておりませんが、
発展途上の若者に諭してやると思ってどうかご鞭撻のほどを。

そうか甘いのか、、、まいったなあ。


150 :春をひさぐ:2001/01/15(月) 21:50
>>146
頑張ってみます。(^ ^ ;

>そのあとなぜ即効性のあるもの以外を芸術として却下するのか

そもそも文学は芸術じゃないだろという「感覚」が、固定観念として私の中にあります。
私の思う芸術なるものは、目にした瞬間に圧倒的な衝撃を与えてくれるような、そんなものです。
もちろんその度合いは様々だから、衝撃とまではいかないけれど目はくぎ付けにとか。
とまあ、これは感覚的で私的な意見です。
さて。>>141の私の書き込みをちょっと見てみてください。
全体を捉えるのに長い時間を要する物語というものは、
その鑑賞時間中ずっと感動を与えることができるのか?できないでしょう。
物語が与えることができる感動は、長い前置きを消化して
登りつめたクライマックスにあるものです。
仮に小説の冒頭の一行があまりに美しい表現であったとしてそこに感動したとしても、
それは物語の感動ではありません。文章の美しさの与える感動です。
(ですから、文学には物語の感動と詩的な感動とが共存していると言えるでしょう)
あるいは映画のワンシーン、美しい風景とそれにシンクロした音楽に感動したとしても、
それはその部分だけで完結してしまっています。
物語というものは、部分に分解してしまっては物語ではないのです。
(物語の一部、挿話としての物語とか、小クライマックスとかは、一つの短い物語です)
では一連の前置き・クライマックスを芸術と読んではいけないのか?
ここからはまた私的感覚ですが、与える感銘の性質が違うものを、
ムリに一つのカテゴリーに入れなくてもいいじゃんと思うのです。
物語と芸術は別物、感銘を与えるという点で共通する創造物ではあるが別物、
と定義したほうがわかりやすいし混同を防げてよいと思います。

どうでしょうか?とりあえず一つだけ。
ところでユング程度の認識、という点はどうですか?そこも甘いのか知らん。

151 :春をひさぐ@私ばっかりカキコして申し訳な:2001/01/15(月) 22:27
>>146

>「美は自然の模倣である」というテーゼを肯定する下りも、あまりに感覚的です。

あのレスで私が言いたかったことは、結局は頭(洋庭)の否定/無意識(和庭)の肯定
なんですね。「美は自然の模倣である」と言ったのは、ふと思いついて
なんかカッチョいいじゃん!って気がしたもので……それが主張なのではありません。
シンメトリカルな美は意識的に創造できるけど、アシンメトリカルでなお美しいものは
数式化し得ない、無意識的なものの産物である、と。
しかしこの美意識が世界共通ではないとは驚きました。確かに曼荼羅とかね。
でもそれって、単に文化程度が低いから、とかそんな理由ではないのですか?
単純なシンメトリックは確かに美しいから、そのレベルで拘泥してしまているとか。
つまり、必ずしもアシンメトリックは醜!というのではなくて、シンメトリックが優勢なだけで。
だって、例えば水墨画とかの美醜はどうやって判断されるのでしょう?
左右非対称な濃淡の微妙なバランスとか、アシンメトリカルなものの中に美を見出す
素養は持っているとは考えられないですか?
建築物に関しては、耐久性という要素が深く絡んでくるので対称性を重んじるのは
当然のことでしょう。それは日本の神社仏閣などにも言えることです。
「この国はアシンメ!この国はシンメ!」みたいにはっきり分かれるものではなく、
どの地域でも混在していてその割合の違いが文化なのではないでしょうか。

でもこのご指摘は凄く興味深いです。
ところで 『「美は自然の模倣である」というテーゼ』 は現代美術ではどうなんでしょう?

152 :土人き:2001/01/15(月) 23:23
春をひさぐさん
鑑賞にかかる時間差は、ただ時間の問題にすぎないとしか思えない。
一秒も一時間も大差はない。
絵画だって、全体を見て細部を味わって、ぐらいの時間はかかる。
一見、何を描いているのかさえ判らないこともあろう。

芸術とは、あらゆる表現活動のすべてではないの?
それに視覚的創作活動に文法がないわけでは決してないし。
なんらかの超越的存在の、具体的表現への換算コードは
文化によって、というか個人によっても違う。
でも例えば「異性への愛」とかの、
世界のどこにでも見られる普遍的な感情を表現したのなら、
それを解する世界中の大人(除お子様)のすべてが理解できるだろう。
けれど、かような抽象概念はしかし、文化圏によって異なる。

さてその表現方法だが、「対称性は小さな乱れによって破壊されてしまう」
しかしだからこそ、はかない雪の結晶のようなものの中にこそ、
この世のものならぬ真理が宿る可能性があると考えることもできる。
いわゆる有り難いことだ。
自然をありのまま捉えるのもよし、分析して捉えるのもよし。
理性によっても感性によっても
どちらも真理に近づくことはできるだろう。
とか考えたりして。ちょっとずれた?

153 :春をひさぐ:2001/01/15(月) 23:50
≫152
時間の問題……そうかもしれません。
大聖堂の天井絵なんて鑑賞にずいぶん時間を要しますもんね。
ただ、それでも物語は芸術たり得ないと思います。
どうも頑固なもので(^ ^; 土人きどう思われますか?

芸術について、私は定義できません。
私が上に延々書いていたのは、あくまで私個人の「真の芸術」の解釈です。
私が見てみたい芸術の理想像というか。
転換コードに絶対的なものはないというご意見、まったく賛成です。
しかし、それは本当か?なんらかの共通項はないのか?
と敢えて問い考えてみるのも面白いかもしれませんね。

雪の結晶、そうなんですよね。
量子力学の世界は基本的に対称形を持っていて、
でもそのパリティー(?)の対称性という完璧に思えていた法則が
実は完璧でなかったことが最近わかったりもして。
面白いのでちょっと考えてみます。

でもとりあえず就寝します。
何度も長文書いてホント申し訳ないです>All

154 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 23:47
思わぬ所から援護射撃が。 >>152
これで話しは早い。

さて、春をひさぐさん。 言い張りますねぇ。

>>150
土人きさんの言うように、それは時間的な問題だけではないのか?
なぜ、見た瞬間にインパクトがなければならないのかというのが私の疑問です。
>そもそも文学は芸術じゃないだろという「感覚」が、固定観念として私の中にあります。
>私の思う芸術なるものは、目にした瞬間に圧倒的な衝撃を与えてくれるような、そんなものです。
そう感じたならそれはそれで結構なのです。
ただそうならば、言葉をあやつる者として、その感覚をもっと一般性を持って説明して欲しいのです。
今のままでは唐突すぎて、あなたの思考経路がよくわかりません。
「なるほど!」とか、「そうか、そう来たか!」とか思えるような説明、お待ちしております。


155 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 23:48
154続き

>>151
>あのレスで私が言いたかったことは、結局は頭(洋庭)の否定/無意識(和庭)の肯定
>なんですね。
ここまでは、読めば分かります。
けれども、あなたの考えている文化とは一体何か?ちょっと気に掛かりました。

その前に、私が文化についてどう考えているかを説明しなければなりませんね。
そう....、あなたはカスパール・ハウザー事件をご存知でしょうか?
1828年のニュールンベルクに突如現れた孤児の事件です。
あれ、結構心理学的にも重要な事件でして、「生まれてから、密室の中で人間と接触させずに
育てるとどうなるか?」というきわめて興味深い題材なのです。
カスパールは生まれて初めて開いた窓を見たとたん、叫び声を上げて失神してしまうのですが、
後の彼自身の回想によると、「さまざまな色の光が自分を襲ってくるような気がした」と語ったそうです。
つまり、彼には窓の外の風景は形を成したものには見えず、ただの光と認識したのです。
人間は学習(勉強じゃあないよ)によらなければ、外部の物の形状すら認識できない。
これが、心理学者たちの出した結論です。


156 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 23:49
さらに続き(スマソ)

前置きが長くなりましたが、さて、ここからが本題です。
言葉は、文化ですね?
人間は言葉によって目の前に有る物体をその他大勢から切り取り、認識する。
親や周りの人間から伝えられる情報も、また文化ですね。
目の前の物体がどんな意味を持つのかも、多くは周りの人間から伝わります。

言ってみれば、人間は生まれたときのままでは、何もインストールされていないパソコン
のようなもので、文化とはプログラムそのものを意味するというのが私の認識です。
そしてそのプログラム無しに、人間は目の前の物を認識することすら出来ない。

文化とは、決して絵や小説の同義語ではないのです。

シンメトリーの美も、アシンメトリーの美もすべて文化によって認識される。
文化が違えば、当然価値の優先順位も変わってくる。
べつにどちらが劣っているわけでも優れているわけでもないのです。

そしてさらに言ってしまえば、
人は決して自分に対してプログラミングされた文化から自由になることはできない。
自分にとって異質な文化は、一度自分が持っている文化のフィルターを通してしか認識されない。

これが、>>147の文化の共有に対する私の意見です。
もっとも、私は文化が人間の外部認識の根幹に関わると考えているので、プログムの深層は
終生変えることは出来ないと思っていますが。

ところで、ユング程度の認識って? >>150
たしか80年代頭頃に、絵でも小説でもなんでもかんでもにユングの類型を当てはめようとした
愚か者が多数いたような気がするが(それも極めて浅薄な解釈で)。


157 :空耳:2001/01/17(水) 01:47
えー、文学の話はちょっと私全然わかんなくって・・・
(読んだ事無いもので)
エーコーやピンチョンの実験性みたいなもの?について教えて欲しいです。

美とは自然の模倣であるという言葉は別に私が作った言葉ではないんですが、
自然美というのは、対称、非対称という単純な話では無いと思いますよ。
いや、単純なものこそが究極の美とも言えるかもしれないけど、
それはe=mc二乗(出し方がわからない)みたいな
驚きと共に語られるような単純さのことであって、
えーと、うまく言えないや。
つまり、自然がアンシンメトリーであり、
春さんがアンシンメントリーなものに共感を抱くからと言って
美とは自然の模倣であると言う言葉に同意しちゃうのはまずいのでは?

ちなみに曼荼羅を見てシンメトリーである故に単純で整然とした印象を
抱くか、混沌とした印象を抱くかは人によると思いますけど、
私は曼荼羅を見ているとシンメントリーであるにもかかわらず、
たいへん混乱してきます。
枝とかってアンシンメントリーと思いきや、
実は法則がちゃんとあるらしいですね。渦も。
フラクタル理論っていうらしいですが。漫画で読んだ。
その法則を覗いてしまった時のような混沌を感じる。
だから曼荼羅を単純なものの持つ純粋さというものに分類しちゃうのは
なんか違和感を感じてしまいます。



158 :春をひさぐ:2001/01/17(水) 14:36
わあ、なんか非難囂々ですね(^^;
うーん、でもやっぱり納得できないので反論します。
決して自論を固辞しようとムキになってるわけではないですよ。

>>154
150での私が意見は、その引用部分ではありません。
その下に書いたように、そもそも「物語」とは連続性をもったものであり、
決して部分に分解できないものです。
というか、分解したその「部分」は「物語」ではありません。
「部分」が感動を与えた、ならばそれは「部分」だけで完成してしまっています。
「物語」というものは、一連の流れの果てにあるクライマックスにおいて
意味を持ち感動を与えるものです。
ですから私は「物語」のもつ意味と「芸術」のもつ意味とを一括りにしてしまうのは
あまりに乱暴なカテゴライズではないかと思うのです。
但し、この主張では物語=文学ではありません。村上春樹は処女作「風の歌を聴け」
においてフラグメントの寄せ集めを斬新な方法で文学の形に昇華し
評価を得ましたが、村上本人も「あれは物語ではない」と明言しています。
でも、鑑賞に2時間かかる、微に入り細を穿ったディティール持つ
とてつもなく大きな絵画があったとして、それを「物語」ではないと
断言できるかというと、わからなくなります。排反ではないのかもしれない。

「芸術は瞬間衝撃的なものだ」という主張はたしかに語弊を含んでいますが、
上記の理由から物語は芸術ではないと、やはり結論してしまいます。
あれ?154は私の芸術に対する定義がおかしいと言ってるんだっけ?
物語と芸術の関係については空耳が異論を唱えたのか。どうですか?>空耳

でもやっぱり、「芸術は瞬間衝撃的なもの」な気がするんですよねー。
なんかじわじわ型の芸術を例示して頂けませんか?>154


159 :春をひさぐ:2001/01/17(水) 14:36

>文化とは、決して絵や小説の同義語ではないのです。

そうですね。文化>芸術・物語 です。文化に内包される。
文化の具体例が文学であり、絵画です。その文化圏共通の美意識です。
ただ、

>そのプログラム無しに、人間は目の前の物を認識することすら出来ない。

実験の話は興味深いです。学習→認識という流れもよくわかりました。
でも私は全人類共通のOSはあるだろうと思うのです。
つまり、このOSがユング言うところの普遍的無意識です。
そのOSに美を認識する機能は全くないのでしょうか?
人体の美しさ。夜空の美しさ。陽に透ける緑葉の美しさ。
儚いものにどうして心を奪われるのか。海の壮大さに圧倒されるのは何故か。
美意識に限ることではありません。なぜ世界中が歌にあふれているのか。
人を愛すること、愛に意味を求めること、死を悼むこと。
およそ人間が感動するものの種類なんて限られています。
文化というものは禁忌によって抑制されます。
裸体を美しいとする美意識を持つ文化、持たない文化。
持たない文化圏の人間は、そのタブーが解禁されたとしても
プログラム故に裸体を忌まわしいものと思ってしまうのでしょか?
文化から美意識を語ることはできないと思います。

ただ、対称性の美に対する私の言及は、たしかに甘っちょろいですね(^^;

160 :春をひさぐ:2001/01/17(水) 14:36
>>157空耳
えっと、、、文学についてですか。
私は自称文学人間ですが、きっとあなたとさして知識はかわりませんです。
エーコーは、記号論という学問のひとです。たぶん。そして自らの記号論における
主張を「薔薇の名前」という小説のかたちをとって世に問いました。
つまり研究者がよってたかって解剖するような小説を書いたのです。
ピンチョンは「重力の虹」というぶっ厚い本で有名です。
この人に関してはよく知らずに名を挙げたのですが、理詰め理詰めで書くタイプ
という点は間違いないでしょう。
この例示に関してはあまり考えないでください。自信全然ない。

>美とは自然の模倣であると言う言葉に同意しちゃうのはまずいのでは?

ですからそれは主張ではないですのであまり責めないで下さいー(涙
思いつきで物を書いた私がバカでした。
フラクタルの話、凄く興味深いですね。
河合隼雄と村上春樹の対談に、村上が「井戸を掘る」と形容する、無意識のレベルを
掘り下げていく作業について触れてるところがあるんです。
で彼は、「日常」を境にそれと対極にあるものとして
カオス・フラクタルの概念を捉えてると言うのです(大筋では)。
そして、対極にあるのだけれど、究極していけば両者は繋がるのではないか、と。
示唆に富んでて興味深いと思いません?

単純・複雑に対する私の意見はあまりに奥行きに欠けてたようです。
またちょっとフラクタルやなんかを念頭に置いて考えてみます。

バイトの面接行ってきます〜

161 :どーでもいいことだが。:2001/01/17(水) 16:31
>>155
カスパール・ハウザーなる人物は「幽閉された王族」「稀代の詐欺師」はては
「再臨せるメシア説」まである謎だらけの御方ですぜ。
そんな御仁の話を鵜呑みにしていいんですかねえ。

162 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/17(水) 21:52
ひさぐさん >>158

>うーん、でもやっぱり納得できないので反論します。
>決して自論を固辞しようとムキになってるわけではないですよ。
イエイエ、ムキになってください。
別に私は非難してませんよ。 あなたの説が面白そうなので、
もっと解説して欲しいだけです。

混乱してきたようですので、ちょっと流れの整理。
とりあえず、文学は芸術か?編。

ひさぐさん(以下 ひ) >>134
>でも、純文学は芸術寄りではあるけど、どうあっても芸術たり得ない。
>なんとなれば文学は物語だから。同じ理由で映画も芸術たり得ない(例外はある)。
>芸術はもっと即効性のあるもの、例えば絵画・音楽・彫刻・詩。
>(個人的には香水(臭い)や料理(味覚)だって芸術たり得ると思うけどこれは言い過ぎかな)
>そして、真に素晴らしい芸術とは普遍的無意識に根ざしていなければならない。

私(以下 わ) >>139
>もし、芸術が集合的無意識に根ざす物であるなら、物語もOKなのでは?

>>141
>なぜ物語が芸術たり得ないか。
>なぜなら物語は全体を把握するのに時間がかかり過ぎるからです。

>>146
>ユングを出したはいいが、そのあとなぜ即効性のあるもの以外を
>芸術として却下するのかが良く分からない。

>>150
>そもそも文学は芸術じゃないだろという「感覚」が、固定観念として私の中にあります。
>私の思う芸術なるものは、目にした瞬間に圧倒的な衝撃を与えてくれるような、そんなものです。

土人きさん >>152
>鑑賞にかかる時間差は、ただ時間の問題にすぎないとしか思えない。

>>153
>大聖堂の天井絵なんて鑑賞にずいぶん時間を要しますもんね。
>ただ、それでも物語は芸術たり得ないと思います。

>>154
そう感じたならそれはそれで結構なのです。
ただそうならば、言葉をあやつる者として、その感覚をもっと一般性を持って説明して欲しいのです。

>>158
>そもそも「物語」とは連続性をもったものであり、
>決して部分に分解できないものです。
>というか、分解したその「部分」は「物語」ではありません。
>「部分」が感動を与えた、ならばそれは「部分」だけで完成してしまっています。
>「物語」というものは、一連の流れの果てにあるクライマックスにおいて
>意味を持ち感動を与えるものです。
>ですから私は「物語」のもつ意味と「芸術」のもつ意味とを一括りにしてしまうのは
>あまりに乱暴なカテゴライズではないかと思うのです。

こんなところでどうです?
関係者の方、これが足らん!と思ったら追加してください。

「美は自然の模倣」編は、これからまとめるからちょっとまってね。

163 :春をひさぐ:2001/01/17(水) 22:46
>>162
丁寧にまとめてくださって感謝感謝です。
私も「物語と芸術」「美意識と文化」の両方を孤立無援で議論していて
少々混乱気味だったもので。
>イエイエ、ムキになってください。
わかりました。あくまで私の目標は自論の固辞ではなく、
自論とアンチテーゼのどちらが正しいのか、あるいはジンテーゼを
導き出せるのか、なのでその範囲でムキになります。
頑迷で無知な若僧ですが、どうぞお付き合いのほどを。

しかしここ(美術板)ってホント閑散としてますね。寂しい。
これだけ長文だらだら書いても寛容に見守ってださってる
住人の皆様にも感謝しております。

ところで162の方、コテハンつけてよぅ。混乱するよぅ。

164 :春をひさぐ@一応補足:2001/01/17(水) 23:02
ややこしいことに「物語と芸術」のほうは、

・物語と芸術は別物なのかそうではないのか(主に空耳)
 ・芸術は瞬間性を必要とするのか(主に162)

の二つ問題が消化されていないんですよね。
前者については自論にけっこう自信持ってんですけど、
後者は多分に感覚的なので説得力がないんですよねー。

165 :春をひさぐ@電波受信系:2001/01/17(水) 23:42
誰もいないから「芸術と瞬間性」について独り言。

ふとした瞬間に、とても漠然とした古い古い記憶の断片を感じることがある。
言葉には表現しきれない。概念を超えた感覚。それは至上の何か。
これを体験したとき、私は凄く至福の夢心地を感じる。
こんな書き方では電波に間違われそうだけど、ホントに。
その記憶が甦る感覚はすごくすごく瞬間の出来事で、
歩いているときに「あっ!」とその存在を感じて驚いて、
次ぎの一歩を踏み出せばそれは消え去ってしまう。儚い残像。
まるで夢みたいだな、と思いはたと気づく。
そうかこれは心象風景を知覚しているのか。
ということは、まさに夢の中・意識下にある何かを感じている。
しかし、それはあまりに深いところにあるため生半のことでは
尻尾をつかませてくれない。何か暴力的に揺さぶりをかけないと。
それには衝撃が必要である。瞬間的で圧倒的な。
私は芸術にそれを求める。
実際は何かの風景を目にしたときに起こることが多い。
たぶん、視覚というものが一番贅沢な器官だからじゃないかな。
しかしこれは、「失われた時を求めて」の主人公がマドレーヌを口にした
瞬間に、まざまざと記憶を呼び覚ますのと同じなのではないかな。
久しぶりの香水をつけたりするとこれに近い(次元がちょい低い)
感覚を得たりする。懐かしさという感覚。

で、それを追求する手段として私は文学を選びました。
芸術は私の手におえないし、物語の中では文学が一番個人に根ざしているから。
こういった理由から、芸術には即効性が必要だという考えを
どうしても感覚的に支持してしまうのです。

なんだかこのスレ、私の妄想隔離用になってきてますね(~~;


166 :わたしはたわし:2001/01/18(木) 13:41
春をひさぐさんの言いたいこと僕もなんとなくわかる気がします。
でも言葉にするのはものすごく大変なことみたい。
がんばってください。応援してます。


167 :土人き:2001/01/18(木) 19:15
芸術作品の鑑賞の仕方は、鑑賞者のレベルに任されている。
つまり、どー鑑賞しようと自由なわけだ。
だって作品は、鑑賞者との係わりでのみ、意味を持つわけだから。
というわけで、物語を全体で鑑賞せねばならぬ義理はない。
「この小説は、僕のとってはあのフレーズが全てでしたね」
とか言ってもよし。細部でいいじゃんか?
だいたい、視覚的作品を理解する方が、
よっぽど時間がかかるような・・・。

168 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/18(木) 22:04
よいしょっと。

美は自然の模倣 あるいはシンメトリックと文化 編。

>>135
>シンメトリックな造形って、普通美しいですよね?
>でもその美しさは単純な美しさだと思う。
>枯山水のアシンメトリカルな美しさは単純ではない。
>意識的に配置しようとしても難しい。
>また、対称性は小さな乱れによって破壊されてしまう。
>円が少し歪んだだけで、左右が微妙にずれただけで、違和感を覚えさせる。
>しかし、数式化し得ない造形は破壊されたところで美を保持する。
>枯山水の大岩一つが崩れても、それはそのまま自然の姿であるし、
>むしろ自然の持つ変遷という特色を表現している。

>>146
>アシンメトリーを美とする文化は、日本やイギリスあたりでは普通ですが、
>ムスリム圏や、ギリシャなどのヨーロッパ大陸部、
>中国(紫禁城のフォーマルな場所を見てごらんなさい)などでは、
>決して普通の感覚ではないのです。
>単純=純粋とする文化も存在するのです。

>>151
>シンメトリカルな美は意識的に創造できるけど、アシンメトリカルでなお美しいものは
>数式化し得ない、無意識的なものの産物である、と。
>しかしこの美意識が世界共通ではないとは驚きました。確かに曼荼羅とかね。
>でもそれって、単に文化程度が低いから、とかそんな理由ではないのですか?
>単純なシンメトリックは確かに美しいから、そのレベルで拘泥してしまているとか。

>>156
>シンメトリーの美も、アシンメトリーの美もすべて文化によって認識される。
>文化が違えば、当然価値の優先順位も変わってくる。
>べつにどちらが劣っているわけでも優れているわけでもないのです。

空耳さん >>157
>自然美というのは、対称、非対称という単純な話では無いと思いますよ。
>いや、単純なものこそが究極の美とも言えるかもしれないけど、
>それはe=mc二乗(出し方がわからない)みたいな
>驚きと共に語られるような単純さのことであって、
>えーと、うまく言えないや。
>つまり、自然がアンシンメトリーであり、
>春さんがアンシンメントリーなものに共感を抱くからと言って
>美とは自然の模倣であると言う言葉に同意しちゃうのはまずいのでは?

つづく

169 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/18(木) 22:07
あれ?下がらん。スマソ

168つづき


>>159
to156
>でも私は全人類共通のOSはあるだろうと思うのです。
>つまり、このOSがユング言うところの普遍的無意識です。
>そのOSに美を認識する機能は全くないのでしょうか?
>人体の美しさ。夜空の美しさ。陽に透ける緑葉の美しさ。
>儚いものにどうして心を奪われるのか。海の壮大さに圧倒されるのは何故か。
>美意識に限ることではありません。なぜ世界中が歌にあふれているのか。
>人を愛すること、愛に意味を求めること、死を悼むこと。
>およそ人間が感動するものの種類なんて限られています。
>文化というものは禁忌によって抑制されます。
>裸体を美しいとする美意識を持つ文化、持たない文化。
>持たない文化圏の人間は、そのタブーが解禁されたとしても
>プログラム故に裸体を忌まわしいものと思ってしまうのでしょか?
>文化から美意識を語ることはできないと思います。

>>160
to157
>あまり責めないで下さいー(涙

これも、これが抜けてんじゃん!と思ったら追加して。>関係者。

今まとめてたら、「文化と時間的距離」という流れがあるのを発見。
しばしまて。

ところで、>>163
>162の方、コテハンつけてよぅ。混乱するよぅ。
私がコテハンだすとカッチョ悪いので、やだ。

ついでに、>>161
いいんですっ! 話は無意味なくらい壮大な方が。
まあ、仮にカスパールハウザーが、完全な詐欺師だったとしても、
私が使ったところは発達心理の研究者たちが、別件から全く同じ
結果を導き出してますし。


170 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/18(木) 22:56
これで最後。 文化と時間的距離 あるいは 空耳vsひさぐ論争 編。

>>140
>だから、モナリザを古代ケルト人は理解しないでしょう。
>しかし、我々現代人がルネサンス時代の芸術に感銘を受けるのは、
>それらが文学理論や芸術理論などに基づくわけではなくリビドー全開の
>深い無意識に根ざして創造されたものだからではないでしょうか。

空耳さん(以下 そ) >>143
>この部分なんですけど、何故現代人は理解できて、ケルト人は理解できない
>のでしょうか?
>その違いはどこからくるのでしょうか。
>私は現代人が芸術理論の素養をもっているからじゃなくて
>西洋との文化的バックグラウンドを共有するようになったからだと
>思うんですけど。

>>144
>単に ケルト人・ルネサンス時代の人・現代人 と並べてみて
>ケルト〜ルネ の時間的距離より ルネ〜現代 の距離のが近いと思ったので、
>現代じんでも理解できるのだと結論しただけです。
(略)
>芸術の衝撃というものは知識や文化理解などを超越して受け止められるものではないでしょうか。

>>145
>時間的距離に着眼するのは何故ですか?
>それってやはり文化にどれだけ共通項があるかという話になるのでは?(※1)
(略)
>私の考えを言わせて貰えば、
>より普遍的たりうるのはむしろ物語の方だと思いますよ。
>物語は芸術作品ほどは様式にとらわれないからです。(※2)

>>147
(>※1)
>ちょっと思考がまとまらないので保留ということで。考えときます。
(>※2)
>でも、それだって様式にとらわれていない物語ならばこそでしょ?
>名声は高いけどエーコーやピンチョンが普遍性を持つとは思えない

>>156
人は決して自分に対してプログラミングされた文化から自由になることはできない。
自分にとって異質な文化は、一度自分が持っている文化のフィルターを通してしか認識されない。
これが、文化の共有に対する私の意見です。

>>157
>エーコーやピンチョンの実験性みたいなもの?について教えて欲しいです。

171 :春をひさぐ@長文は癖ですゴメンナサイ:2001/01/19(金) 01:05
よかった〜 レスついてる。
あまりの電波ぶりに愛想つかして放置プレイにされたのかと
ちょっと不安になってました(^ ^ゞ

>>166 わたしはわたし
これは165へのレスポンスかな?ありがとうございます(^ ^)
頭に浮かんでいることを言葉に表せないという状態はけっこうキツイです。
言葉を武器にするはずの作家志望なのに情けないっス。

>>167 土人き
>だって作品は、鑑賞者との係わりでのみ、意味を持つわけだから。

私はこの考え方イヤだ。
鑑賞者に無限の解釈可能性を与えるという考えは基本的に賛成です。
でもそれは「文学」でいえば「テキスト」の解釈についてであって、「作品」は
作家が意味を限定するものです(創作段階では。完成後は読者と等距離)。
「芸術」は、あるいはこのようなテキストと作品の区別なんてないのかもしれませんが、
「物語」に関しては、解釈の対象になるのは全体(一連の流れ)なのです。
いえ、文芸批評なんかはバラバラに解剖しますけどね、それは「文学」の「テキスト」の
解釈ですからそれはそれ。それとはべつに「作品」の意味は存在します。

>「この小説は、僕のとってはあのフレーズが全てでしたね」

そう。「小説」や「文学」というものの中には「物語」以外の要素(文章の美とか)が含まれる為、
この発言をした人にとってはその「小説」はその部分だけで完結しているのでしょう。
ですが、私の言及は「物語」についてのものですから、あなたの書き込みは見当違いです。
よろしければ>>146 >>150の私の書き込みをもう一度読んでみてください。

>だいたい、視覚的作品を理解する方が、 よっぽど時間がかかるような・・・。

この「理解」というのはどういう意味なのかな?「物語」も「文学」も真の理解に至るには
時間かかると思いますが、、、
というか、真の理解なんてものは本当にあるのか?
もっと言えば、解釈の無限性という神話に疑いの余地はないのでしょうか?
……と、これは自問でもあります。

172 :春をひさぐ@長文は癖ですゴメンナサイ:2001/01/19(金) 01:05
>>コテハンつけないぞ!
まとめ、感謝です。
大筋はそんなカンジで間違いないと思います。
そうかコテハンつけてくれないのかー。
じゃあ私は一方的に「コテハンつけないぞ!」さんと呼びますね。
だめ?


※1に関しては、まだわからない。
空耳さんの意見のが正しい気もします。うーん。。。
※2に関しては、作家名については深く考えないでネということで、
>>148の私の書き込みに対する空耳さんのレス待ちという状態かな。


173 :春をひさぐ:2001/01/19(金) 01:50
誰もいませんね、、、ちょっと私なりにまとめを。
結論がでていないもの一覧表(かなり自己中心的で一方的)

 ・物語と芸術は別物なのかそうではないのか
   →>>158の私の書き込みに対する空耳さんのレス待ち

 ・芸術は瞬間性を必要とするのか
   →>>158の私の質問に対するコテハンつけないぞ!さんの例示待ち
     >>165の私の妄想に対する感想も聞きたいなー
   →>>171の私の反論に対する土人きさんのレス待ち
 
 ・美意識と文化に由来するのか
   →>>159の私の書き込みに対するコテハンつけないぞ!さんのレス待ち

 ・美と対称性(美は自然の模倣か)
   →>>157の空耳さんの書き込みに対する私のレス待ち
   →>>152の土人きさんの書き込みに対する私のレス待ち

あと、作品(文学、芸術などの)の解釈は本当に無限に自由でいいのか?
という私の疑問について皆さんの考えをお聞かせ願いたいのですが、
ちょと収集つけれてなさすぎなのでグッと我慢します。
おやすみなさい。

174 :空耳:2001/01/19(金) 02:35
すごい頑張っている人がいる!!
そのうちちゃんとお返事するから今日は一応見ているよ、
ということで。
春をひさぐさん、ちゃんとお返事しますよ。
では

175 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/19(金) 13:43
>>165
あなたが芸術(視覚)に求めてるのは「検索」かもしれないですね。
デジャビュと検索と即効性の話をしてたようですが、
既視感(デジャビュ)は、偽りの記憶ですよね。異常再認、、記憶錯誤ともいわれてます。
マドレーヌは、記憶のプロセスのはなしですね。
記銘→保持→再生、符号化→貯蔵→検索、まー言い方はどうでもいいですが
別に妄想でもなんでもないです。
即効性てのは「百聞は一見に如かず」つーことかいなとも思うけど。

音楽・文学を時間芸術といういいかたもしますよ。
建築・彫刻を空間芸術、演劇・舞踏を総合芸術といったりします。

176 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/19(金) 17:24
さて、そろそろ切り崩しに掛かりましょうか....。

今回まとめてて分かったんだけど、ひさぐさんは見た瞬間、聞いた瞬間に
すべて味わえないとイヤなんじゃないかな。
スルメ、嫌いでしょう?

ところが、世の中で芸術と呼ばれるものの中には結構あるんですよ。スルメが。
ということで、まずは>>158の私からの例示。

ひさぐさんが芸術と認めている絵画にも、遅効性のものは存在します。
たとえば、静物画。
一見すると単なるりんごと蝋燭の絵であるが、そこに寓意が込められていて、
絵と寓意が込みで作品になっているのです。
芸術じゃないけど、十牛図なんかはそこに哲学的思考が加わる。
さらに皆の大好きなシャガール。
彼の奇抜な画題は、ユダヤの昔からの諺をそのまま絵にした物が多く、
ユダヤ人ならすぐにピンとくるそうです。
ざっと考えた程度でもこれだけ上がってくる。

詳しく知りたければgoat songさんにでも聞くといいでしょう。
彼女、キャラこわいけど本気で詳しいですよ。
容赦ない性格なんで一部の半可通厨房からは目の敵にされてるけど。

で、これらの絵は見た瞬間にはすべてを味わえない。
それを味わうには思考を必要とする。
さらにそれらの意味を、実感として味わうには絵の作者と同じ文化を
共有していなければならない。

私は即効性/遅効性に関しては、作者が何かを作る際にとる方法論の
違いであると思います。

ところで、論を整理していたら良い物を見つけちゃいました。
あなたが最初、芸術と認めているものの中に
「詩」がありましたが、イーリアスやギルガメッシュは?
音楽も最後の余韻まで聞かないと全部味わったことにはならないでしょう?
世に芸術と呼ばれている「クラッシック」なんか聞いていたら、村上春樹の
短編くらい優に読めますよ。

177 :春をひさぐ:2001/01/19(金) 19:00
こんばんは。バイトの採否通知の電話がかかってこない春をひさぐです。

>>173の書き込みの訂正
 美意識と文化に由来するのか → 美意識「は」文化に由来するのか
です。ボケてました。

>>175
デジャ・ヴュというのもなんだか気になりますね。
その「偽りの記憶」というものが、個人としては偽りだとしても、
何かに根ざしているんじゃないかと思うのです。
ところで絵画は空間芸術ですか?このカテゴライズもけっこう乱暴ですね。

>空耳さん
そうか空耳さんは文学読まない人なのか。
いつか気が向けば、G・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」っての、読んでみてほしいな。
すごく濃密な文体で、一つの世界、一つの神話が書かれています。
バロック絵画、クストリツァの「アンダーグラウンド」(映画)の雰囲気。
私の座右の書であったりもします。これぞ真の文学ってカンジ。

ではドラえもん見てきますねー

178 :春をひさぐ:2001/01/19(金) 20:53
スルメはゲソのところが好きです。醤油とマヨネーズでいただきます。

まず>>176のコテハンつけないぞ!さんの書き込みを読んで、
ああなるほど、私の主張は穴だらけだなと思いました。
もとよりこの主張は論理的でなかったので、一つの反例によって
崩されてしまいます。でも!もっかいだけ反論。

静物画は「絵」と「寓意」がこみで一つの作品である、と。
これは「物語」と「文章」が二つで一つの作品であるのと似ていますね。
さて。 あなたは静物画の「絵」<だけ>に感動するということはないのですか?
リンゴの微妙なカーブ線・蝋燭の光がつくる影・光によってつくられた
赤から褐色、茶、黒へのグラデーション…エトセトラ エトセトラ。
シャガール。これもそう。由来の諺を知らない人は、かの絵から
感動をうけないのでしょうか? (私は感動しないけどね)
 
「解釈」についてはホント難しいです。悩みます。ですから解釈の無限性という
神話を疑うことはできないのか?と皆さんに問うて見たかったのです。
私は、寓意を読み取れない・由来の諺なんて知らない・作者と文化を共有してない、
そんな人間にでも感動を与えることができるものこそ真に素晴らしい芸術なのだと
思います。もちろん中には「寓意」をもって肝要とするのもあるでしょうが、
それは芸術と呼ばないでおこうではないか、と私は言ってるのですね。
私はバロック絵画(?)が好きです。そこには宗教色が多分に見てとれます。
ですが、私は当時のキリスト教の背景も、その絵のモチーフとなった
聖書の一場面も全く知りません。ただ、過剰なまでの色の躍動に圧倒されるのです。 
一番良いのは、「絵」としても完成していて、「寓意」の部分では文化や知識を
超えたもっと深い部分で理解を与えるようなものですね。
そんなものは夢ですか?でもそれを追求するのが芸術なのではないかしら。

goatsongさん、是非ご意見をお聞かせ願いたいですね。
私は彼女応援してますよ。モナリザスレでもうなずいてます。
でも来たとたん、私の主張など秒殺されたりして(^^;

179 :春をひさぐ:2001/01/19(金) 20:54
・上の書き込みの私の意見について

>寓意を読み取れない・由来の諺なんて知らない・作者と文化を共有してない、そんな
>人間にでも感動を与えることができるものこそ真に素晴らしい芸術なのだと思います。

これは「作品」ではなく「テキスト」の解釈についての言及です。
さて、ここから私はわからなくなる。
作者は「作品」に一意的絶対的な限定をします(あるいは「正解となる解釈なんて
ないんだ」という限定)。それを私たち鑑賞者は無限の解釈可能性を
持った「テキスト」として鑑賞します(「テキスト」としてしか見れません)。で、
<鑑賞者からの接近ではどうあっても「作品」の真意には到達できないのではないか>
と思うのですね。だから、正しい解釈云々、即効性だ遅効性だとどれだけ
騒ぎ立てたところで、無意味かもしれない。
結局、文学理論は文学に対してでなく批評に対してしか有効ではないのです。
芸術理論も同じことです。理屈は「作品」に対しては無意味なのです。
これは別にスレ立てたほうがいいかな?

・詩について

イーリアス?ギルガメッシュ?すいません名前しか知らないです。長い、のかな?
私が好きな詩って、すごく短いんですよね。10行以内のが多いな。
長いのって興ざめしちゃうんですね。一番長いのは25行くらいあるんですけど、
でも長さを感じさせないつくりのだし(谷川俊太郎の「夢」)。
散文詩は、こんなの詩じゃないよぅと言いたくなりますね。
ですから、詩が芸術に含まれると言ったのは短いものに限ってです。
ハハ、めちゃ勝手で主観的ですね(^^;
尾崎放哉の無季無定形俳句のなんとも言えない寂しさとか。芸術だなぁ。
(「せきをしても一人」とか「一本のからかさを貸してしまつた」とか)
でも、短歌俳句と言っても縁語や枕詞なんて知識なしで好き嫌いしてますよ。

音楽、そうですね、すげえ長かったりしますね。
長いのは物語的だから、とも思うけど、やっぱり音楽はどうあっても芸術だよなぁ。
これには反論思いつきません。
音楽については、瞬間衝撃的とは言い切れない、に賛成します。
あとは絵画についてを、なんとか納得させてください。m(_ _)m

180 :土人き:2001/01/19(金) 22:09
感性の素晴らしさとやらを、決して否定するものではないが、
心に響くものが芸術だというのなら、
それは感覚的人間どまりということになる。
単に好きか嫌いかに流されるなら、
操作される「大衆」子供である。
つまり、自分の感性を素直に信じていいのか?というお話。
解釈の自由性については、それが消費される文化圏においては、
もっとも相応しい答えというのはありえるのかも。

理解する=ふにおちること。きっと言葉でも説明できるんだろうけど、
言葉になる段階以前であってもいいや、とにかく
心が納得する、というか慣れること。
なにか掴んだような感じがすること。
それに似たものの記憶を手繰り寄せること。そして心の系図にあてはめること。
つまり分類し、名前をつけること。(例、駄作、傑作、個人的に好き)

181 :土人き:2001/01/19(金) 22:46
物語=筋のことですね。
同じ筋でも文章表現はいろいろありうると。
そしてその文章表現自体は芸術だと?
しかし物語(筋)は全体で鑑賞しないといけにのに、
絵画は部分鑑賞OK?
小説は筋という手法を使って、
心に引っかかろうとしているのであって、
絵画は視覚表現を使って、音楽は聴覚表現を使って…、
そうか、5感に引っかかるものでなければ
芸術ではないと言いたいのですね?
脳から至って、感覚を起させるのではなく。
すると小説は芸術ではないが、料理もセクースも芸術になる。
頭で換算しないぶん、根本形態に近かろうと。
しかし対象を、「快・不快」と判断するならともかく
「美」と判断してるのは、どこでしょうね。


182 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/19(金) 22:54
ドラえもんは楽しかったですか?
おや、下足がお好きとはなかなか通でいらっしゃる。
でも醤油とマヨはいけません。下足は七輪であぶって丸まったところを
まんま頂くが吉です。 じっくりと味わってください。

は、ともかく。
>>178
>あなたは静物画の「絵」<だけ>に感動するということはないのですか?
では逆に伺いましょう。
私は平家物語を初めて読んだとき、冒頭の「祇園精舎の.....盛者必衰の理をあらわす」
ってくだりにむやみに感動してしまいました。
「なんてきれいなフレーズだろう。完璧だっ!」って。
と、いうことは、平家物語を芸術と認めてもよろしいわけですね?
パーツにバラしちゃってもありならこれもOKでしょう?

>一番良いのは、「絵」としても完成していて、「寓意」の部分では文化や知識を
>超えたもっと深い部分で理解を与えるようなものですね。
>そんなものは夢ですか?でもそれを追求するのが芸術なのではないかしら。
あなたは、ユングの分類でいうと感覚思考型ですね?
感覚に直に訴えかけるものでないとピンとこない。
でも絵の背後にある「豊かな物語性」に感動する人も多いのです。
この辺に対する私の考えは文化論が入ってくるので、また明日。

>イーリアス?ギルガメッシュ?すいません名前しか知らないです。長い、のかな?
イーリアスは土井晩翠訳の新潮社版ハードカバーで、本の厚さが10cm以上。
ちょっと揚げ足取っただけです。

イーリアスはともかく、ギルガメッシュ叙事詩はユング的類型の宝庫なんでご存知かと
思ったんですが。
まあ、ユングはさておき、物語としても面白いですよ。

ちなみに「百年の孤独」、私も好きです。
読んだ後不覚にも泣いちゃいました。

183 :春をひさぐ:2001/01/20(土) 01:25

>>180 土人き
うん。だから解釈についてはホント頭悩ませてます。
>>179の上半分について、どう思いますか?
でも、私は印象批評でいいと思うんですけどね。
数をこなせば目は肥える。肥えた目で見直せば、昔ダメの烙印を捺した
作品でも輝いて見えるかもしれない、、、と楽天的に考えてます。

>>181 土人き
<そしてその文章表現自体は芸術だと?>
ええ。俳句と短い詩とが芸術だというのと同じ意味で。

<しかし物語(筋)は全体で鑑賞しないといけにのに、 絵画は部分鑑賞OK?>
違います。絵画の部分鑑賞ってどんなですか?
物語は一連の動的な存在です。繰言ですが、部分に分解し得ないのです。
絵画は静的に完結しています。鑑賞にかかる時間の長さ云々でなく、
捉える対象が静か動かということです。私の理屈ってわかりにくいですね。

<小説は筋という手法を使って、 心に引っかかろうとしているのであって>
筋(物語)と、文章の美しさと、他いろいろの統合ですね。

< 5感に引っかかるものでなければ芸術ではないと言いたいのですね?>
まさに。それが言いたかった。かつ物語でないものね。映画・漫画は芸術じゃない。
物語性を捨てた実験的映画・漫画なら、あるいは芸術たり得るかも。
イラストはもちろんなり得るね。でも五感に直截はうったえないけど、文章の美も
芸術の仲間に入れてあげたいな。これはどう説明しよう?

<すると小説は芸術ではないが、料理もセクースも芸術になる>
セクッスはどうかなぁ。これだけは創作者のみが鑑賞者だからね。
でも生きてることをを直截的に感じられて、本人にとっては最高の芸術かもね(^^;
料理については>>134で言及しています。匂いも芸術だよ。
形式が確立されていないだけじゃないかな。

<脳から至って、感覚を起させるのではなく。(略)しかし対象を、「快・不快」と>
<判断するならともかく「美」と判断してるのは、どこでしょうね。>
これ意味わかんないよ。五感も快不快も美醜も、全部脳が感じてるんじゃないの?
五感は受容器官だけ独立で感じてる?んなわけないじゃん。

解釈についてはほんと結論でるんでしょうか。

184 :春をひさぐ@おやすみなさい:2001/01/20(土) 01:26

>>182 コテハンつけないぞ!
ドラえもん面白かった〜。私はF氏を本気で天才だと思ってますよ。
特にSF短編なんてもう。惜しい人を亡くしました。

>祇園精舎云々
だーかーらー!もう!文章は芸術たり得るんだってばー。
文章の美しさは物語じゃないんだから。俳句や短い詩と一緒だって。
平家物語は物語!祇園精舎の文は、あなたがそう感じたのなら芸術!
私もあの冒頭好きですよ。冒頭以外にもちらほらああいった名文があります。
さあ、「絵」だけに感動することはないのか、聞かせて下さい。
>パーツにバラす
物語を分解する!?ダメだって!
分解するんじゃなくて、物語とはべつの角度から小説なり文学なりを
みれば、文章の美しさという切り口もあるってこと!

そんなに私の主張、わかりにくいですかー?
説明が下手なのかしら。作家志望なのにー(号泣

あ、「百年の孤独」好き?なんかすごく嬉しいな。
あの小町娘のレメディオスが昇天するところの美しさなんてもう……
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=book&key=970283985
↑文学板のマルケススレです。よろしければ。
「アンダーグラウンド」は見た?同じ感動がえられるよ。

185 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/20(土) 07:05
      ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)<    厨房逝ってよし!
 UU ̄ ̄ U U  \_____________


186 :土人き:2001/01/20(土) 11:28
部分鑑賞
「リンゴの微妙なカーブ線・蝋燭の光がつくる影・光によってつくられた
赤から褐色、茶、黒へのグラデーション…エトセトラ エトセトラ」

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚
物語(筋)は言葉だから五感には入らない。
しかし読んだ音の美しさ、文字の美しさは
芸術に入ると?

快・不快と美の判断といったのは、
言語を介するか否かということ。
「美」を言い出せば、言葉に頼ることになる。
言葉なくして価値付けはありえないから。
五感に限定したい気持ちは分かるが、
危うくないかい?
それは簡単に操作されてしまうものではないの?
美を本当に言葉を使わずに理解しているの?

187 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/20(土) 13:01
春をひさぐさんが作家志望なら、諦めた方がいいかも。
論考が甘いし、冗長的だし。


188 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/20(土) 13:53
ヴィトゲンシュタイン「論考」読むべし。
文が簡潔になるぞ。
というか「美」については1文字もかけなくなる ははは

189 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/20(土) 19:22
さて、ひさぐさん。
まずはごめん! 夕べ書いた「土井晩翠 訳」のイーリアスは後で見たら
富山房版でした。 厚さを測ったら6cmといったところ。
謹んでここにお詫び申し上げます。
残念ながらアンダーグラウンド、見てません。基本的に「お笑い」が好きなもんで。

で、>>184
なるほど、文章は芸術でも良いと.....。
しかし平家物語の文章、全部読んだら時間掛かりませんか?
というような揚げ足取りはこの際おくとして、
文芸作品って物語と文章とはそれぞれ別個に独立しうる物なのでしょうか?
私はわざわざ「フレーズ」という言葉を使いましたが、その背後にある物語性
意味性を抜きにして、感動しうる物なのでしょうか?
あなたの言う俳句や短い詩も(いや、短いからこそ)、背後には膨大な物語性
や、意味性を持ってはいませんか?
その昔、ダダの詩人達が一切の文章の意味を排除しようと「音だけの詩」を
作りました。
けれどもこれ、あんまり成功しなかったんです。 あんまりにも空疎で。

絵と意味が一体になった作品の場合、絵とその絵が持つ意味をばらしてしまったら
これと同じことになりませんか?

ちなみに私個人のことで言えば、絵のみ良いと思う作品、意味のみ感心する作品、
両方すごいと思う作品など様々です。
でも、それを絵の感動のみで芸術か否かの話にもって行くとなると、
同じ作者の絵でも芸術とそうでないものに分かれてしまい、論が破綻してしまう。
主観と客観はなるべく分けるようにしております。

この辺でそろそろあなたの言う「ものがたり」の意味が曖昧になってきました。
一度あなたが何をものがたりと言い、何を文章と言ってるのか説明してください。
私も文学者ではないのでその辺の意味が良くつかめません。

190 :春をひさぐ:2001/01/20(土) 21:17
こんばんは。今夜も性懲りもせずやってきました。

>>187
わ、なんて単刀直入な。諦めれるなら諦めたいんだけどねー。
まあ、論考が甘いのは、これから知識つければいくらでも補強できるかな、と。
何も知らない・学んでいない現状でのとりあえずの意見ですので。
冗長なのはね、BBSでの議論はどうしても微妙なニュアンスを伝えきれないし、
あやふやな言質が論の堂々巡りをうむと思うので、それを避けたいなと。
とは言え私の阿呆さ故、既に行きつ戻りつさ迷ってるけど(^^;
一応、簡潔さを念頭においてみます。
よければ私の甘さを具体的に指摘して頂けませんか?

>>186 土人き
・部分鑑賞について
私は、絵画は全体で捉えられるべきだと思います。>>178での私の例示は
決して個々別々にではなく、それらを含む全体としての「絵」<のみ>で
感動することはないのかと質問したんですね(コテハンつけないぞ!さんに)。
で、「物語」はその定義から動的なもので、「絵画」は静的なものです。
これは重要な差異ですが、どちらも完結されたものを鑑賞・評価
すべきだという点は同じです。

・五感と文字
そこがどうも破綻しているようですね。自分でも疑問に思います。
そも、「芸術は五感で捉えるもの」というのは感覚的な意見なので
論理性に欠けてます。でも↑だと思うんだけどなー。

・快不快と美醜
うーん、これもわからない……。
美という概念は幻想ではないのか?と思ってみたり。快不快だけでいいのかも。
この話も結局は「解釈とは?」という問題に還元されるように思います。
そうなると私はお手上げです。理解するってどういうこと?価値とは?
>>179の私の書き込みについて土人きさんのご意見をお聞きしたいです。

189へのレスちょっとまってください。
書いててすごく混乱してきた。そろそろ限界か知らん。

191 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/20(土) 21:47
ああ、ひさぐさんが壊れてきた。
あせんなくてもいいよ。
主観と客観をきちんと分けて整理すればもう少しまとまるって。

ところで、188さん。
美や芸術って、全く個人的な主観を排除して論ずることって出来ると思いますか?
私は無理じゃないかって、前から思ってるんですよ。
どうも、議論にはあまり向いてない分野なのかなって。

ヴィトゲンシュタインの「論考」ってその辺のこと書いてあるのかな?

192 :goatsong:2001/01/20(土) 22:49
>>178
春をひさぐ氏

私は観念的な議論には懲りたので、後にも、先にも、この
レス限り、書き込むことはないと思います。下のスレッドは
かなりここの議論の重複しているところがあり(もともと、
彼の議論の延長として、このスレッドは空耳氏によって立て
られた)、興味深いところもあるかと思います。
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gallery&key=972245839&ls=50
(彼のスレッドで私は、人間の思考に関して「刷りこみ」論に
徹していたのですが、近年では、遺伝子だとか、アフォーダ
ンスの側面から論じられることが多いようで、これについて
は勉強)

一つ、美と自然と芸術の問題について言及しておけば、常に
芸術が自然を模倣しているというのは必ずしも事実とは言えず、
(いまさら、ワイルドを引いているわけではないが)自然が
芸術を模倣するということがある。例えば、私たちが田舎に
でも行って、山でも見たとする。その時、私たちの美の基準
として、「絵画として描かれた山岳風景」があるということ。

つまり、眼前に広がる山そのものを見て、美しいと感じるわけ
ではなく、絵画として描かれた、美しいとされる山のヴィジョン
を、実物の山に当て嵌め、美しいと考えてる、ということが
あるわけです。(ピクチャレスクの問題)


193 :春をひさぐ:2001/01/20(土) 22:50
>>189 コテハンつけないぞ!
頑張ってみます。全然簡潔じゃないですが。

まず私の言う「テキスト」と「作品」の違いは理解していただけました?
「テキスト」は鑑賞者の、「作品」は創造者の視点で創造物を捉えたものです。
「文学」は、「作品」としては<文章と意味は不可分>なものですが、
「テキスト」としては物語のもつ意味と、文章と、
あと作家の背景とかの切り口があると思います。

例えば尾崎放哉の「せきをしても一人」という俳句を鑑賞する時、
その背後にある放哉の放浪生活・独居無言で句作したことなんかの予備知識
を知っていれば、また違った味わいを感じると思います。
太宰の小説なんて、太宰のあの人生ゆえにあれだけ評価されているんですね。
太宰でない人間があれを書いたのでは評価に値しない、と言われています。
 (もちろんこれは一部の人間の意見です。が、一般の読者は「定評ある小説」
  という色眼鏡抜きにはなかなか捉えられませんので、結局太宰の小説が
  どれだけの価値を持つのかなんてなかなかわかりません。
  評価・価値なんてものはこのように多分に曖昧なものです。)
でも、それは「テキスト」を評価するからこそ必要な情報なのではないかと
私は思うのです。放哉・太宰は自らの人生を「作品」に意図的に加味した
のでしょうか? まさか、でしょう。

で、私はこの接近方法(物語と文章と分解し、作品の外からの情報を
頼りにする)は間違ってると思ってます。
>>179に書いたように、我々鑑賞者はどうあがいても「作品」に作者が込めた
真意には到達できません。それを何とか理解しようと理屈をこねまわしたり、
作者の人生に突破口を設けようとしたりするのは無意味なんです。
正しい接近のしかたは、ただ頭を空っぽにして鑑賞することです。
「せきをしても一人」…なんて寂寥感にあふれているんだろう。って
ただその印象のみで鑑賞するのが結局は一番近いとこまで行ける。
こんな意見は「ただの印象批評じゃん」と唾棄されるのが常ですが、
印象批評の何がいけないのでしょう? 理屈理論をこねくりまわして
ああだこうだ、それが本当に正しい理解なのか?
「テキスト」の正しい解釈なんて存在しないんです。


194 :春をひさぐ:2001/01/20(土) 22:50
↑を踏まえて。
>文芸作品って物語と文章とはそれぞれ別個に独立しうる物なのでしょうか?
>(略)(文章の)物語性意味性を抜きにして、感動しうる物なのでしょうか?
「文学」(作品じゃない)の感動の中には「物語」の感動と、それをさらに高める
「文章」の感動が(さらには作家の背景という効果も)あるでしょう。
それとは別に、文章<だけ>の感動というものがあります。
「祇園精舎〜」の文章に感動した、そのときあなたは平家物語の「物語」のもつ
意味を考慮して感動したのですか?そうじゃないですよね?
「物語」から独立している場合のみ、文章は芸術たり得ると私は言いたかったのね。

>あなたの言う俳句や短い詩も(いや、短いからこそ)、背後には膨大な
>物語性や、意味性を持ってはいませんか?
俳句や短い詩のもつ物語性や意味性、という場合の物語という言葉は
文学のもつ「物語」とべつものですね。混同しちゃってます。
俳句のそのものは「物語」ではありません。「物語」の一部でもありません。
が、そこからあなたが物語性を感じたのであれば、それはそういった力を持った
優れた俳句だからなんでしょうね。
でも、あくまであなたは「テクスト」としての俳句をしか鑑賞できません。
頭を空にして漠然とその俳句を受け止め、そこに意味を見出しても
それはあなたの印象でしかないのです。
でもそれは間違っていません。だって、答えなんてないんだから。
「絵画」を「絵」と「意味」に分解する。この鑑賞方法からの「作品」への接近は
意味を持ちません。「絵」と「意味」を総合した「絵画」を漠然と受けとめよ!
これが私のこのレスでの主張ですね。
>>178で私は「絵」だけに感動はしないのかと問いましたが、それはあなたが
>>176で「寓意性を持った絵画は遅効性だ」とおっしゃったのを受けての発言です。
私が178で言いたかったのは、そんな寓意性や意味を考えて鑑賞するんじゃなく
由来の諺を知ってる知ってないなんかも無視してただ「絵」をうけとめろ、と。
「絵」と言ったのが誤解を招いたのですね。
つまり目の前にあるそれそのものだけが与える感動を感受すべきだ
ということです。矛盾してませんよね?

(すいません、あと少しだけ続きます)

195 :春をひさぐ@さすがに疲れた:2001/01/20(土) 22:51
と、これで芸術と即効性の問題に戻ってこれました。よかった。
結局は「物語」だって頭を空にしてうける印象が評価されるべきだと思います。
ですが私が「物語」を「芸術」に含まないと思うのは、即効性云々以前に
>>158に書いた理由から、ムリに同一カテゴリーに入れなくても
いいじゃないかと思うからです。ふう。

>ダダの詩人・音だけの詩
この流れで、シュルレアリスムの詩人アンドレ・ブルトンが、
自動筆記による「溶ける魚」という小説を書きました。
はっきり言って、感動とは程遠い。空疎、そのとおりです。
この試みのが失敗したのは、文章までを無意識に拠ったからだと思います。
私は先人のこの試みを踏まえて、無意識で転換した「物語」を
頭でがちがちに美しさを追求した文章で書くという「文学」を目指しています。


わかりにくい文章で申し訳ないです。それほど混乱してるんです。
でもよく読んで頂ければ私の言う「物語」の定義がわかってもらえると思います。
解釈とは何か? 価値とは何か? 本当にわからない。
そろそろ自家撞着おこしてそうですが、以上が私の現時点での回答です。

>ALL
長文何度も本当に申し訳ないです。堪忍え。

196 :goatsong:2001/01/20(土) 22:52
彼の→「かの」と読んで。


197 :春をひさぐ@知恵熱:2001/01/20(土) 23:06
>>goatsongさん
こんばんは。
教えてくださったスレ、たしかに面白そう。
ですが。。。さすがに今から400を超える書き込みを読む気力なぞ
残ってないです。明日ゆっくり読みます。ありがとうございました。
「自然の模倣」発言は、もうボロボロですね。
もとより主張ではありませんので素直に前言撤回いたします。

しかし他の点をけちょんけちょんにされなくて良かったー
ちょっとは自信持ってもいいのか知らん。


>>191 コテハンつけないぞ!
ふう。もうホントあっぷあっぷです。知恵熱でそう。
誰かディスカッション得意な人、味方になってくれないかなぁ…

>全く個人的な主観を排除して論ずることって〜〜
ん、なんか私の意見と重なるかも。。。と期待を持ってみる。

おやすみなさい。



198 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/20(土) 23:59
おつかれさん。
193から195まではP.O.でもして明日じっくりと読んでみましょう。
明日はここに来ませんよ。

goatsongさん。
わざわざどうもありがとう。
ピクチャレスクに関しては、確か荒俣氏が結構書いてましたよね。
私が、人は文化から自由にはなれない と考えるようになったきっかけ
の一つです。

199 :空耳:2001/01/21(日) 01:37
やっほうテスト終わったよ!
どらえもんは私も見たよ。
のび太が相変わらずの駄目ぶりで良い。

・芸術と物語について
今までのレス読み返してて自分なりに春さんの芸術と物語の認識の仕方を
私なりに説明してみます。
芸術も物語も同様に感動を生むものですが、
最高潮の感動に到るまでのボルテージの描く曲線に明らかな違いがあるのですね?
芸術の場合はすぐにボルテージが高まるのに対し、
物語は緩やかな放物線を描くイメージとでもいいでしょうか。
春さんはそれを区別した方が自然だろうと考えているのですね。

それに関しては間違っているとも思えません。
実際にありうる話です。
ヴァニタス画なんかの話が出ていましたが
ここは春さんと同意見ですね。

この絵を見てください。
http://sunsite.sut.ac.jp/cgfa/christus/p-christ10.htm
見た瞬間に素晴らしいとわかる絵です。
しかしこの絵には様々な寓意があります。
(これはgoatsongさんが調べてくれました。感謝。)
何故この聖母は裸の木に乗っているのだろう。
たくさんかかっているaの文字はなんだろう。
それらには様々な重要な意味があります。
しかしそれらの寓意の知識が無いと
ボルテージがあがらないということも無いですね。
その理由は寓意の存在することが既に装飾的な効果を生んでいるからです。

つまり、寓意の存在を知らなくとも、
寓意の効果を感じることはできるということです。
だからヴァニタス画なんかも見た瞬間にその価値を
(つまりこの絵は良いものかそうでないかという判断)
感じられないものは美術品としては上等なものではないでしょう。
寓意の装飾的効果をうまく使えていないということになりますからね。
ただ寓意を並べ立てただけで人生の深い意味を象徴したところで
そのことに失敗していればただの小うるさい教訓に過ぎない。
だから絵画にも遅効性のあるものはあるという考えには
異を唱えたいと思います。


200 :空耳:2001/01/21(日) 02:05
例えば>>123みたいな芸術の解釈の仕方ってあるよね。
でもそれは広辞苑に乗っていることであって、
自分の頭で考えたことではないですね。
またはそれがあっているとしたってそれは芸術の一部分にすぎない。
2、3行で全てを言い表せるならこんなに美学の教科書は分厚くない。
数式の場合はそうもいきませんが、
芸術に対する意識なんて時代と共にどんどん変わっていくものです。
文化によっても違う。
こうあるべきであるという芸術の形にしたって
こんなにも世の中には氾濫しているのだから。

だから芸術の意味を自分なりに定義して
主張することは間違っていない。
ただその代わり人を納得させるというステップは踏まなきゃいけない。
例えばこの主張を唱える為に本の一冊でも書いて出版してみればいい。
共感する人はあなたのファンになるだろうし、
穴だらけだったら批評家にこてんぱんにやられてしまうでしょう。
加藤周一だって小林秀雄だって蓮み(字がでない)なんとやらだって
そこらへんの評論家だってみんな勝手なことばかり言ってやがる。

ただ、一つ思うことは実際に物語は物語であり、
芸術は芸術であると完璧に袂を分かつことによって
どういう意味が生まれるのかということ。
もし違うと思うの!と言い張ったところでそれは
ただ広辞苑の中身を変えてやろうとするだけのことでしょう。
一般的に物語りは芸術の一部だと思われているのだけど、
一応空間芸術とか時間芸術とか
区別は現時点でもされているのだからね。
でも春さんは芸術の一種として捉えるのが嫌なんでしょ?
芸術の意味をもっと限定したいんだよね。
そのことによって得るものはなに?
何もなかったらそれは定義の仕方の違いに過ぎないと思う。
両者の決定的な考えの違いは何?

201 :空耳:2001/01/21(日) 02:53
・文章と筋
結局文章の美しさって音でしょう?
祇園精舎の鐘の音、が美しいのは実際にそれが琵琶法師によって
歌われてきたものだからでしょう?

三島由紀夫の美しいと言われる文章だって
結局は音とリズム。
(ま、私には美しいだけで空虚に思われるけど)
彼は随分綺羅綺羅しい形容詞を用いるけど、
そういう形容詞って音自体も綺羅綺羅しいものね。
助詞の使い方の妙だって結局は音に集約されるんじゃない?

文学は読まれるためにあるだけではなく、
詠まれる為にもあるってこと忘れてはいけないと思う。

音楽は時間芸術として捉えられてるみたいだけど、
ボルテージの問題からすれば、
ある音楽は一瞬で人を高めることができる。
例えば簡単に運命なんかそう。

つまり音楽や文学の中にも
春さんの言うところの芸術の要素は存在する。
ついでに言えば、
何故物語を筋のみに限定する必要があるのか。
筋、筋と言っておりますが
あなた実際に筋だけを提示することができますか?
筋は文章がなければどうしようもないでしょう?
大江健三郎とかへたくそとか非難轟々だけど、
それでもなおあの作品世界を構成するのに
彼の文章の持つ雰囲気は必要なわけだし、
ここらへんは何をやりたいのかよくわかりません。



202 :空耳:2001/01/21(日) 02:57
・私の意見
私はもっと楽観的に芸術を捉えております。
かなり広範囲に。
人がコミュニケーションするために自己目的的に生み出すもの、と。
だから私は結構なんでも芸術にほいほい放り込んでしまいます。
そういう態度を前の方で結構批判されましたが。
まあそれも一理あり、です。

203 :空耳:2001/01/21(日) 03:05
・芸術は自然の模倣だ
私が何故この言葉に共感したのか。
目に見える形での類似ではありません。
その芸術のたたずまいの問題です。
受ける印象の問題です。
まあ、そういうことです。
だからピクチャレスクの話は納得ですが、
やはりちょっと私の中では違う話かなと思うわけです。

204 :空耳:2001/01/21(日) 03:32
・文学の読解
テクスト論ってつまりみんな自分勝手に読んでいいとか言う
はすみあたりが言ってる奴ですよね?
ちょっと感情的になっちゃいますが、
私は実はテクスト論嫌いです。
高校の時に小森のこころ批評に頭に来たからなんだけど、
そりゃあやっぱり作者の意図を無視してはまずいと思う。
これは理論云々より本能的なものなんだけど。
だってその意図こそが作品世界を司る神でしょう?

だってトールキンが深読みしないでくれ!
これは本当にただのファンタジーとして読んでくれって言っているのに
指輪を原爆とか、サウロンはヒットラーだとか深読みするのって
なんていうかおかしいよ、絶対。
よく国語のテストでこういうことに点数つけるのおかしいとか
言ってる人いるけど、間違ってると思う。
私はなんでも相対化することに不安を覚えてしまう。
うさんくさい。

文学を読むのに必要な背景知識、とかいうの出てましたよね。
放哉とか太宰とかの。
私ロシア文学が結構好きなものでロシア文学の講義をとったんですけど、
そこの有名らしいテレビとかにも出ている(私は嫌いなんだけど)
教授が、ドストエフスキーの罪と罰を読むときに
散りばめられている宗教的モチーフを知っていると知らないとは
大違いとかぬかしておりました。
しかもここのモチーフは自分が一番最初に発見して
世界に知られているとか、もうとにかく大嫌いです。
私はふーん、ここのモチーフはそんな意味があったんだ。
ていうように感心はしたけど、それって宝捜しみたいなもので
別にそれによって理解深まらなかったもん。
だってそれって話を大きく左右するようなものじゃないし。
第一そんなのドストエフスキーを馬鹿にしきっている。
それと同じで、
太宰の人生を知らなければ理解出来ないなんて馬鹿にしてると思う。
放哉にしたってそう。
彼らは才能あるし、そんな程度の作品は作っていないと思う。

ごめん、なんか言いたいこと言ってるだけだ、こりゃ。
でも上で言ってる作者の意図を汲んで読解することと、
背景知識無しで読むことは矛盾しないと思っています。

205 :理系ドキュソ:2001/01/21(日) 05:57
美術など全然解って無い者なのですが・・・
技法とか論理とか言ってますよね。
そういうのって美術において存在するものなのでしょうか?
わたしは不勉強のためか「生き生きとしている」とかいった解説が理解できません。
絵の批評に客観性は本当にあるのか?
どうなんでしょうか?

206 :土人き:2001/01/21(日) 14:35
解釈は自由。その作品が自分にとってどんな意味があるのかが全て。
価値付けるのは自分(鑑賞者)である。
ただし、それは自分の解釈にすぎない。他人に押し付けることは出来ない。
作品が作者(創造者)の意図を越えて歩き出すことはよくあることで、
例えばあなたの不注意な発言によって、回りから総スカンを食らったとして、
あなたの意図はどうあれ、それは自分の責任です。
人間は社会的存在だから。すべてをコントロールできると思うのは傲慢なことです。
世界が賞賛する高級和牛ステーキを食べれても、肉が嫌いだったら不味いだけです。
鑑賞者も万能ではない。だから感覚で得たものが全てだとする態度には賛成である。
ただし同じように、理性(言葉)で得れたものがすべてだという態度にも肯定するのだよ。
それはとても個人的なものです。

207 :土人き:2001/01/21(日) 15:00
「あなたが好きだ」と、表現したい、
そんな陳腐な言葉など、使いたくはない
そんな言葉は自分の真実を映さないと感じ、
言葉を捻って(詩)、歌を送る。
いやもっと。そもそも言葉なんぞで言い表せるものではないと、
笛の音に託すもよし(音楽)。そして想い焦がれて、その姿を映す(絵画)。
美味しい料理を味わって欲しい。そこには想いと時間を込めることが出来るから。
そして抱きしめる。直接的な感情表現だ。
芸術とはあらゆる表現行為のすべてである。
そして最終的には、ココロに届くことを目指している、
だから芸術は素晴らしいのだ。
言葉を使わないこともあれば、使うこともある。
言葉だって、ココロに届く。でも何が届くかは、お楽しみ。
誰も未来を予測できない。
人為も大いなる自然。そして表現行為とは自然を切り取ることである。
人為といえば、芸術なんてすべて人為。
答えは創造者の側にも鑑賞者の側にもない。
それは両者が引き合い、釣り合った一点にあって、しかも移り行く。
だからこそ価値がある。

208 :理系ドキュソ :2001/01/21(日) 16:13
>土人き氏
大体理解できました。(様な気がする)
ある人物の絵について「生き生きとしている」との解説がある。
これは論理的根拠に基づく客観的観測結果ではなく、ある鑑賞者の主観である。

ということですよね。
とすると

>>200 の空耳氏の
>芸術の意味を自分なりに定義して主張することは間違っていない。
>ただその代わり人を納得させるというステップは踏まなきゃいけない。

このステップとはどうのような事なのでしょう?
自分の主観が最大公約数的に共感されることの証明ですか?

209 :理系ドキュソ:2001/01/21(日) 16:26
うーん・・・

美術を学ぶことって洗脳のような気がしてきた。

違いますよね?

210 :春をひさぐ:2001/01/21(日) 18:05
レスついてるかな〜♪ なんて軽い気持ちで覗いてみたら
おぉ!(゚o゚) 空耳さんからの膨大な書き込みが。テストお疲れ様。

・芸術と物語
大筋は空耳さんの要約であってます。
私がどうして芸術の意味を狭めて定義したがっているのかですが、
それは私の目指している文学というものの限界、
普遍的無意識に到達できる芸術というものに対して
どうあっても個人的無意識にしか到達し得ないということを
言い訳したかったんだと思います。そしてその
自らのスタンスがどれだけ受け入れられるのかなーって。
よかった空耳さんの同意は得られたんだね。

・文章と筋
文章の美しさは必ずしも音韻によらないと思いますよ。
私は、三島の絢爛な文章・太宰の繊細な文章、どちらもただ
すげえなぁと思うのですが、それは文章のアクラバティックの妙に
感心するのですね。
たとえば、これは太宰の「メリイクリスマス」の一文
<ふと入口のはうを見ると、若い女のひとが、鳥の飛び立つ一瞬前の
 やうな感じで立って私を見てゐた>
あるいは川端の「雪国」から
<駒子の唇は美しい蛭の輪のやうに滑らかであつた>
「鳥が飛び立つ一瞬前」とか「美しい蛭」を具体的に想起できますか?
この直喩のすごいところは、直喩の癖にA=A'の関係が崩れて、
にもかかわらず説得力があるところです。
三島の文章なんて全編ポリジョイサーカスみたいなもんですよ。
そのぐるんぐるんジェットコースターのような眩暈に圧倒されます。
直喩に限らず列叙法やら緩叙法やらレトリックの巧さって、
とても気持ちいいですよ。鼻につくのは論外ですが。
「祇園精舎〜」だって、音だけでなく字面の美もあります。
四字熟語がつくる起伏とか。もちろんもとは歌だったわけだから、
音韻のすばらしさは言わずもがなですが。

211 :春をひさぐ:2001/01/21(日) 18:06
<続き>
>あなた実際に筋だけを提示することができますか?
できません。筋は、文章や言葉・映像の力を借りねば具現化しません。
しかしここで重要なのは、「筋」をあらわす文章なり言葉なりは
交換可能であるということ。「文学」ってふうに完成してしまうと
筋と文章は有機的に絡まりあってしまいますが、純粋な筋は、
文章の力を必要とするも文章によって規定されることはないのです。
そして作家・映画監督の個性とは、筋(物語)をどのような
文章で映像で、はたまた比喩で効果音で表現するかにかかっています。
大江の文章が絶対に必要か、私には判断できません。

・文学の読解
あれ、なんか空耳さん誤解してない?
うーん、書いてる本人でも混乱したからなぁ。
確かに私は「テクスト論」は肯定しています。
ただし、それは「作品」と「テクスト」とを分けて考える点にであって、
「テクスト」を好き勝手解剖した挙句、出鱈目なこじつけをして
正しい解釈とする阿呆批評家には真っ向から反対ですよ。
でも>>204の空耳さんの書き込みからすると、おそらく正しい解釈
の存在を信じているようですが、そんなものはない、というのが
私の意見ね。鑑賞者側からの接近では到達し得ないと(作者の意図に)。
では作者から解釈を説いてやればいいのか? まさか。
私はトールキンのそのエピソード、情けなく思います。
気持ちはわかるけど、それは嫁いだ娘に未練を抱くお父さんのよう。
ともあれ>>193->>195をもう一度読んでみてください。

音楽については、芸術だけどどうして遅効性なんだろう?って
疑問に思ったところで中断しています。(>>179
実はこれについて新たな角度の切り口を見つけたんだけど、
まだ詰めが甘いので発表しません。

212 :春をひさぐ:2001/01/21(日) 18:07
最後に、スレタイトルの質問について。
私は人の生を無意味なものだと思ってる。あるいは種の保存だとか
遺伝子の伝承だとか、およそロマンティックでないものだと。
それが我慢できないから人は、「人生」という概念<意味付け可能な
ものであるという幻想>を発明した。
その意味付けの一つの手段が「芸術」あるいは「創造」だと思います。
あくまでも作者個人にとっての人生の意味であって、作者のみが
その意味を理解できる。我々一般人が芸術を欲するのは、
他の人が言ってたように「暇つぶし」「パンのみの人生の香辛料」として
でしょうねきっと。私はその香辛料なくしては生きていけないけれど。

ところでgoatsongさんが「美術やってる人間って〜」紹介して
くれたんだけど、あれは私の主張へのやんわりとした反対だったのね。
向こうのスレ読んで自分の論考の甘さにがっくりしました。
精進せねば。

>理系ドキュソ
絵画に限らず、批評に客観性なんてないと思う。
理論理屈は批評に対してのみ有効であって、「作品」の前で人は
無力に立ち尽くすしかすべがない。そうであってほしい。
が、ホントにそうか?絶対的な価値というのは存在しないのか?
という疑問も浮かんでくるんですよねー。ムツカシー。


213 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/21(日) 19:43
芸術に遅効性・即効性といういいかたありましたっけ?

214 :名無しでGO!:2001/01/21(日) 21:26
芸術家が職業になっちゃったもんな。
太鼓の昔は万人が芸術家だったよ。


215 :名無しのエリー:2001/01/21(日) 23:23
所詮、芸術はただの娯楽にすぎない・・・。


216 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/21(日) 23:50
文学も音楽も美術も、もちろん芸術だと思うし、すべてに共通する
何かがあるのかもしれない。けれども、それぞれにものずごく性質
が違うのも事実。この板に来ている人の中には「美術」が特別な存
在であると感じている人は多いのではないかな。わたし的には「美
術」はちょっと特別なものという感じがあります。すぐれた作品に
接したときの感動は他の芸術媒体からは得られないものがあると思
う。いい加減なことを言うと、文学や音楽はなんとなく感情的な部
分で感動することが多いのに、美術作品の感動は決して感情的なも
のであるとはいえず、そのくせ他のものとは比べものにならないよ
うな深みがあるように思います。
それを説明するのは難しいけれど例えば、一つの作品が持つ「完璧
さ」というような感覚もその一つかも。一枚の作品の中にある総て
の要素のどこを観ても非のうちどころもなく、すべてが関連し合っ
て自分の感覚を捉えて離さないといったような感覚。たとえばその
ような感覚は一枚の絵を見るのにいくら時間がかかっても同じこと
だと思う。たしかに絵を見るのには時間がかかるかもしれないけど
、その結果として得られる感覚というか感動には、時間はないとい
うのが私の印象です。つまりこういうことかも。美術はもちろん鑑
賞するのに時間はかかるけど、そこから得られる最終的な感動じた
いは無時間的なもの(あくまで私の印象です)。そして、その感動
を得ている瞬間には自分はその作品の総てを同時に捉えているとい
う感覚がある(これはあくまで感動の性質であって、その作品を実
際に完全に理解しているかということとはまた違う)。それはたと
え決して一挙に捉えられないような美術作品でも同じなのではない
かな。自分が、どこかに、その作品を、その総てにおいて、「持っ
ている」というような感覚といったらいいのかな(うまく言えない
)。


217 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/22(月) 00:02
文学だろうが音楽だろうが絵画だろうが
何を選ぶかは各人の好みだよ。

218 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/22(月) 00:04
>>216より続く)
それに比べて文学や音楽は鑑賞だけではなくその与えるところの感
動も時間の中にあるような気がする(時を忘れる、というようなこ
とはあるけど、それは違うことだと思う)。文学や音楽作品を、美
術作品のように、その総ての要素において、自分が完全に捉えてい
ると感じる瞬間はあるんだろうか(音楽的な感性にすぐれた人はも
しかしたらできるのかも。わからない。)。すくなくとも私にはそ
れはない。「完璧さ」に関して言えば、私の場合、文学や音楽や映
画の場合、それがものすごく好きな作品だとしても、必ず気に入ら
ない部分というのが出てきてしまう。「この部分はものすごくいい
けど、このあたりはつまらない」という見方をしている自分に気付
いたりする。でも美術作品の場合、それが本当にすぐれたものであ
るときには、そういうことはないような気がする(たそえばそれが
セザンヌの余白だらけの水彩画でも例外ではない)。
ひさぐさんの言っていることとは関係ないかもしれないけど、なん
となく似てるなと思ったので、主観的な印象を書いてみました。


219 :春をひさぐ:2001/01/22(月) 00:53
ちょっとだけ。

>>216
言いたいことよくわかる。
でも、あなたがこれからきっと出会うであろう夥しい数の音楽や文学、
その中にはあなたが美術を特権化したいと思う、その気持ちと
同じ気持ちを起こさせるものも必ずでてくると思います。
文学はまあおいとくとして、素晴らしい音楽はすくなくとも。

私は bjork がものすごく好きで、なかでも「telegram」ってアルバムの
「Hyper Ballad」(弦楽器リミックスバージョン)を聴くと、
全身鳥肌、曲と自分とが渾然一体となったような快感を覚えます。

関係ないけど「ダンサー イン ザ ダーク」は傑作だよホント。

220 :空耳:2001/01/22(月) 01:18
ふむ。
比喩の効果をすっかり忘れていた。
おっしゃる通りですね。

今思いついたんですが、
文章の美しさの秘密は五感を刺激するからですよね。
比喩の美しさは視覚を刺激するんじゃないですか?
だから文章の美は芸術的(ひさぐ的芸術)なのでは?
それと勿論聴覚も刺激されますよね?

では三島のレトリックの妙はどの感覚を刺激するんだろう。
(文章の美を芸術とする以上
 何か五感を刺激しなければいけませんね)
でも私はどうも三島を天才だと思えない為、よくわからないや。
レトリックの妙とやらもねちっこいよ、あんた、て思ってしまうし・・・
太宰のレトリックの妙は実に天才的だと思う。
(あれ、レトリックてなんだろう)
彼の場合は感覚で書いているから
文章が生体レズムとあっていて実に心地よい。
つまりそれってレトリックじゃないってことだよね。
話言葉でもなく、かといって書き言葉でも無い。
ここらへんは春をひさぐさんにも考えて欲しいなあ。

221 :春をひさぐ:2001/01/22(月) 01:32
216の人に訊いてみたい。

私は実は芸術的感動を受けたことほとんどない人間なんです。
上に挙げた bjork と、あと詩が二つ、とある香水、
芸術じゃないけどある漫画、映画ではやっぱり「パルプ・フィクション」。
これらは見るたび聴くたび、何度でも感動が閾値に達します。
何一つ余計な部分がない。全編素晴らしい。カタルシス。
でも、これで全部。たったこれだけなんです。
美術はそもそも見に行く機会があまりないし、文学はどうしても
穿った見方をしてしまうので技巧の妙に感動はすれどもってカンジでさ。

そういうわけで、あなたをそこまで言うに至らしめた美術作品に興味があります。
さしつかえなければ教えていただけませんか?
それはネットで検索して見ても感動できるのかしら。

以上です。おやすみなさい。

222 :空耳:2001/01/22(月) 01:35
ふむ。
比喩の効果をすっかり忘れていた。
おっしゃる通りですね。

今思いついたんですが、
文章の美しさの秘密は五感を刺激するからですよね。
比喩の美しさは視覚を刺激するんじゃないですか?
だから文章の美は芸術的(ひさぐ的芸術)なのでは?
それと勿論聴覚も刺激されますよね?

では三島のレトリックの妙はあなたのどの感覚を刺激するんだろう。
(文章の美を芸術とする以上
 何か五感を刺激しなければいけませんね)
私はどうも三島を天才だと思えない為、よくわからないや。
レトリックの妙とやらもねちっこいよ、あんた、て思ってしまうし・・・
まあバロックに似てるっちゃあ似てるよね。
バロック、ロココがこれまた嫌いなんだわ。
数例を除いて。(スペインロココ。ベラスケス、ゴヤ)
レトリックって言うのは芸術の類には入らないと思う。
どっちかっていうと知的遊戯に入るでしょう。
(バロックは違うけど)
価値は感じるけど、あなたの言う芸術とは矛盾する気がする。

太宰の文章美は実に春的芸術性を持ち合わせているよね。
彼の文章は知性にたよらないで本能で書いているから
文章のリズムが人体のリズムみたいなもので
本能的に美しさを感じるよ。
比喩も本能的に書いてるイメージ。
川端のは言葉遊びって感じ。ごめんよ。


223 :空耳:2001/01/22(月) 01:38
ありゃ、今日は二度撃ちが多い。
220はないことにして下さい。

224 :空耳:2001/01/22(月) 02:34
私はまだダンサー・イン・ザ・ダークを見てないんだけど、
サントラはバイト先で死ぬほどかかっていて聴いている。
残念ながら音楽性の行き詰まりを感じてしまったなあ。
もっとも映画音楽なのだから映画抜きで評価することは
ちょっと反則なのかもしれないけど、
ビョークは余計な思いやりは必要の無いミュージシャンだからね。
シュガーキューブスからソロまで
ずっと常にアルバムごとに進化を見せてきたのに、
なんか今回のはホモジェニックの焼き直しって感じがした。
しかもホモジェニックの方が全然いいと思う。
まあ映画音楽ってジャンル自体が音楽として弱いと思うけど・・・

>文学はどうしても 穿った見方をしてしまうので
 技巧の妙に感動はすれどもってカンジでさ。
文学を志す故かもしれないけど、ほんと、穿った見方だと思うよ。
あなたに音楽に感動することはこれからあるというと同様に
文学にカタルシスを感じ、喜びを感じることはある。
自分で色々考えると考える程、文学と音楽って似ていると思う。
文学は五感を刺激する要素もあるし、
ストーリーという要素もある。
(ただし文学の五感を刺激するというのは無意識的なもの
 推測だけど多分読書中の脳波取ったら右脳、左脳だっちも反応するよ)
音楽もそう。

絵画は芸術だけど、物語性もある。
それは鑑賞者の妄想ではなくて、実際にあるものはある。
そんなに単純な世界では無いと思う。
あなたのやっていることは認識の一つのパターンだと思うし、
あなたの考えていることも大体分かるけど、
何か骨と肉を引っ剥がすような作業に見える。
やはり無意味に感じる。

何故絵画の芸術性は、絵画を芸術の一部とするだけのもので、
文学の芸術性は、文学を芸術の一部とすることができないものなの?
テクストの鑑賞の一つの切り口と言っているけど、
やはり筋は文章表現なくしてはあり得ないよ。
同じ筋を違う表現で違うものに仕立てることはできるというけど、
私はその場合、絶対違う筋になると思う。
全く違う作品になるのと同様にね。
似たようなものになってしまうならそりゃあ才能が無いのでしょう。
筋がそれだけで独立するっていうのは
時間はあるって言い張るようなものだと思うよ?
現実はもっと有機的だ。



225 :空耳:2001/01/22(月) 02:57
・テクスト論
読み返してきて、理解しました。
テクスト論とは作家の意図を考慮せず、
その作家の背景知識を知らずして、
作品そのものと対峙するってことですね。

私はこんな風に読むべきだと思います。
まず作品と対峙する。
その時感じた印象を論理付ける為に
作家本人についても研究する。
反対はあってはならない。
作品自体に拘泥し過ぎると多分ただの思い込みに陥ると思う。
小森みたいなね。

絶対的な価値基準って本当に無いのでしょうか。
私はあると思います。
しかも、好き勝手に読んでもいいけど、
正しい読みは存在すると思います。
どれが正しいかはわからないけどね。
しかも正しい読みをしている人がいるかもわからない。
正しい読みなんか無いなんて物分りのよいことを言っていますが、
それって文学を志す人が言ってていいんですか?

僕はこう思うよ、でも君の考えも僕とは違うけど尊重するよ、
なんてことを、趣味で友達とくっちゃべってる分にはいいけど、
それに一生をかけようとしている人が言っていいことではない。
大体正しいと思っていないことをのうのうと発表するつもりですか?
それは失礼だと思われますよ。

作家が意図したことを読み取ること、
それから作家自身も意識していない、無意識的な事実をも指摘して、
作家本人が反対に気付かされるような評論が正しい評論だと思います。
それができている評論があるかは知らないけど、
それは理想として存在していて、
みんな自分の評論こそがそれであると思うから自信を持って
発表しているのでは?
絶対的価値を信じない、どこまでも相対主義でしかないなんて
空虚で悲しくなる。

226 :空耳:2001/01/22(月) 03:14
・スレッドのタイトルについて
むーここは私と全く反対ですね。
私は科学的な事実にとてもロマンを感じる性です。
科学は哲学とかがとても複雑にまわりくどくしている真実を
とてもシンプルにスパッと提示してきます。
もし人が死ぬ為だけに生まれてきたのなら
本当に何故生きていくのかわからない。
種の保存、遺伝子の伝承という事実はとてもロマンテイックで、
生きることの意味があります。

何でそんなことを思うのかって言うと、
死んで灰になるだけならこの世から消滅することになる。
でも自分の分身が残ることによって、自分はどこかに永遠に生き続けることが
できるわけじゃないですか。

コミュニケーションも、そう。
芸術によって自分を印象付けることは永遠に自分が残っていくことになる。
「人生」って遺伝子みたいなものじゃないですか?
自分の人生を人に伝達すること、それがコミュニケーション、
そしてそれそのものが芸術だと思う。

不思議なんですが、
文学を芸術でないとすれば、
従来の概念が芸術としているものについてはどう思ってるんですか?
>>207土人きさんの言葉です。
私の芸術ってこういう感じだな。


227 :春をひさぐ:2001/01/22(月) 14:25
時間ないので文章についてはまた夜中に。

ダンサー イン ザ ダーク のサントラ、私は好きだけどな。
映画見る前から聴いてて、何度も鳥肌立った。
そも、bjork の場合私はメロディーよりも歌声を聴くし、
音楽には疎いので行き詰まりとやらも焼き直しとやらも
いまいちわからないです。好みの違いでしょうか。
でも空耳さんの考えでは、音楽に疎い私が良いと思ったもの、
否定しないんですよね?でも、絶対的な価値も存在する。
私もこの自家撞着をよく起こしてしまうんだけど。
絶対的な価値を持つ作品を一人の人間が否定した場合、
それはその人の知識不足?感性がないの?

穿った見方、自分でもヤなんだけどね。
「百年の孤独」のときは純粋に感動してけれど。
もちろん文学のもつ感動は否定しないですよ。
個人的な悩みを相談したまでです。
まだ論がまとまっていないけど、私が文学と音楽と絵画を比べて
文学のとこで線を引いてしまう理由、「受動的・非受動的」「言語」
というのがキーワードです。違いはあると思う。

テクスト論、あれ?論理付けるの?
正しい読みってなんでしょう?作家の意図の裏にある
無意識的な事実ってなんでしょう?
言いたいことはわかるけど、なんか違う気がする。

>正しいと思っていないことをのうのうと発表するつもりですか?
なんでそうなるかな。そもそも「正しい」って何?思想?主張?
私が物を書くとき、それはもう自らの肉を削ぐような苦痛が伴い、
まさに難産します。でも、だからこそ出来上がったものは
生々しく私に肉迫するし、私にとって重大な意味をもちます。
それが他人にとってどう意味をもつのかなんて知りませんよ。
また、完成したあとは私はそれを公平に見ることができないので、
解釈云々、何も口出しでいません。
私の手を離れた作品は、私という親から全く独立します。

絶対的な価値、私もその存在を信じたいけれど、どうしても
ないのではないかと結論してしまう。
空耳さんの例示待ちます。

スレタイトルについては人生観の違いですね。
決して私はペシミストではないですが。むしろすごく現世肯定してます。
私は死後というものを仮定しませんので、灰になってからのことは
どうでもいい。永久になんて存在したくないですね。

私の主張は「ひさぐ的芸術」の定義みたいなものなので、従来の概念と
違うってのはしかたないかな。私も普段は>>207みたく思ってたりして。

228 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/22(月) 20:11
ひさぐさんの話って面白いわ。
sageなくていいんじゃない?

229 :216:2001/01/22(月) 20:17
>>221春をひさぐさん
例えば、
アントワープにあるルーベンスの「十字架降架」、
ボストン美術館所蔵の伝・范寛の「雪山楼閣図」など。
これらはネット上では見つけることができませんでした。
セザンヌの水彩の例としては静岡県立美術館の「ジャ・ド・ブーファンの大樹」
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/collection/item/expand/W_8_507_X.html
しかしこの画像ではあまり意味がありません。
いずれにしても、ネット上でも、もちろん図版上でも、美術作品の十分な鑑賞は
無理だと思います。

春をひさぐさんが美術からあまり感動を受けたことがないとは意外でした。
私はひさぐさんがある意味、美術を特権化して論を進めているように思えたの
で、きっと私と同じように美術を感じているに違いないと思っていたんです。
補足すると私は感動の強度ではなく感動の質の違いみたいなことについて述べ
ようとしたのですが、うまく言えなかったようです。
横レス失礼しました。

230 :土人き:2001/01/22(月) 21:37
正しい、正しくないの問題ではない。

昔、ポOケモンというアニメを見て、
子供たちが泡を吹いて倒れるといった事件があった。
ことほど映像(含絵画)は力を持っている。
でもあれを芸術とは言わない。
なぜか?価値付けをしているのはどこか?

231 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/22(月) 22:41
ひさぐさん、知恵熱はさがりましたか?

空耳さんこんばんわ。
テスト終わったんですか?(これから3月いっぱいお休みか、ねたましい。)
言いたいこと、いっぱいあったみたいですねぇ。

goatsongさんに教わった↓のスレ読んでたら疲れちゃった。
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gallery&key=972245839&ls=50
このスレ、始めの数十レス読んで、その後ぜんぜん見てなかったんだよね。
goatsongさん、お疲れ様。 教訓は生かすとしましょう。

さて、と、まずは、
>>193
>例えば尾崎放哉の「せきをしても一人」という俳句を鑑賞する時、
>その背後にある放哉の放浪生活・独居無言で句作したことなんかの予備知識
>を知っていれば、また違った味わいを感じると思います。
っていうのは私の言葉の意味をとり違えています。
私が言うのはもっと基に有るもの。
「咳をしても....」で寂寥感を体感するには、読者の中に類似する体験がなければならない。
1片の文章によって記憶の中にある類似した様々な記憶を呼び覚まされることによって、
はじめて読者はその内容に共振することができる。
咳をしても...と言う状況が全く想像も出来ない環境に生活してきた人には、
この句を読んでもピンとこないはずです。
別に作家の背景なんぞはこの際関係ない。
が、本当に頭を空っぽにしてしまったら、あなたは作品を味わうことすら出来ない。

232 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/22(月) 22:43
↑のつづき

ところで「ものがたり」という意味のダイレクトな答えはなかったけど、今までの流れ
からして単に「ストーリー」と考えてもよさそうだね。

じゃあ、こういう例えはどうだろう?
「絵本」
絵があり、ストーリーがある。
絵に感動しても良いし、ストーリーのみに感動しても良い。
そんなことは見る人の勝手です。
でも、絵本として考えた場合、絵のみでは成立しないし、ストーリーのみでも
成立しない。
で、この場合絵本を絵のみで考えて、かつ論ずるのは妥当だろうか?

寓意やストーリーを含んだ絵って、こういうことだと思うんだけど。
個人の好き嫌いはそれでいいんだけどね。

同様に文芸作品の場合、もう一度言うけど、文章とストーリーに分解して「単独に」成立
するものだろうか?
もちろん、切り口としては、そういう見方もあるだろうけど、作品として文章だけ、筋だけ
で存在しうるだろうか?
むかし、ドナルド・バーセルミが「死父」で、ストーリーを切り離す試みをしていたけど、
これもあんまり成功しなかったみたいだし。

やっぱり文芸作品を無理に文章と物語に分けて、
「文章は場合によっては芸術」
「物語は非芸術」って、無理がない?

233 :春をひさぐ@酔いどれとしての:2001/01/23(火) 01:26
こんばんわは。春をひさぐです。
ああ、うまいことキーをタッチできない。

コテハンつけないぞ!さん。
知恵熱は下がりました。お気遣いありがとうございます。
お返事はまた明日。

土人きさん。
それはちょっと違うよーな気が。
それは映像の力というか、暴力だ。
脳の中では快感物質ではなく不快物質がでてるはず。

空耳さん。
ごめんなさい、今日は文章について書けません。

216さん。
ありがとうございます。機会があれば生で見てみますね。
ホント早く見たみたい。感動のない人生なんて価値ないよね。
ルーベンスは私も好きです。くぎ付けになる。

228さん。
わー、やたー!初めて誉められた。
でもなんだかネカマ口調だね。ホントに女の子だったらゴメンナサイ。
sage書きはなんというか、いやはや。
荒唐無稽な主張をしつこく粘着質的に書いているので
ウザイと思ってる人もいるだろなーと思って。たぶんたくさん。
でもホント美術板の人って寛容ですね。嬉しいっス。
いやホント嬉しいな。面白いだって。うふふってなっちゃいますね。

最後に、私のここでの書き込みは、全て「ひさぐ的芸術」についてのものです。
一般的な意味での芸術を、個人的に細分化したいなと、
一般的な芸術を「創造物」と、私の思う理想の芸術を「芸術」と名づけてみたくて。
なんにせよ、皆さん私の勝手気ままな議論にお付き合い下さって、感謝感謝です。

ああ、今日は全く酔っぱらちゃった。やっぱお酒は良いね。
お酒があればこの世は幸せだあ、と気づいた春をひさぐ二十歳の冬でした。
おやすみなさい。

234 :空耳:2001/01/23(火) 02:47
勿論、ダンサーインザダークのサントラからビョークに入って、
いいとおもったのならそれで良いと思うんですよ。
ビョークファンも真っ二つみたい。
いいと思った人と思ってない人と。
私は音楽やってる人間じゃないんで、
Aさんがこうだなあって思ったことに関して私は違う意見を
持った、て程度だから自分の感性の方が正しいとか
意識しているわけじゃないんです。
感性の違い、で良いと思います。
ただこれ言い始めるとなんかつまんなくなっちゃうんだけど。
しかしここは洋楽板ではないしね。。

私は大体において映画音楽で本当に良いと思ったことが無いんです。
大概がすごい冗長で飽きてしまうんですよね。
クラシックみたいな手法をとっててもクラシック音楽に比べれば
劣って聴こえてしまう。
サビ勝負だったり。
アレンジがどうもいい加減だったり。
構成も良くないし。
だからっていうのも大きい。

でもストリングスにドラムンベースっていう手法自体は
ホモジェニックの方が成功していると思う。
何故ならダンサーの場合は音の余白があまり無いから
手法の魅力が半減していると思うから。
スカスカの音がすごくストイックで良い。
知識云々ではなく、是非ホモジェニックを聴いて欲しいな。
すごい作品だから。ほんとに。
ヨガを聞いた事ありますか?
ヘッドホンで大音量で聴いてみ。
これを聴いて私は鳥肌がたった。
同時にとてもすごい泣きたい気持ちになった。
ハンターも良い。
きっと気に入ると思うよ。
ひさぐさんが近所だったらMDをプレゼントするんだけどねえ。
私は人にMDをあげるのが大好き。

ビョークの歌声は原始時代の記憶が甦る感じ。

235 :空耳:2001/01/23(火) 03:28
テクスト論のあたり。

論理付けるというのは不適当か。
自分の受けた印象を理解するには何らかの裏づけが必要でしょう?
印象だけで終わったら他人を納得させることは出来ない。
(別に納得させなくたっていいが)
それを作家の生きた時代とか受けた影響とかを考えずに、
作品からのみ見つけようとするのがテクスト論か。

例えば、バロックロココあたりから引っ張ってくるとすれば、
ゴヤの後期の作品、人肉を喰らう巨人だっけ?
(実は私が絵画に初めて大きなショックを受けたのが
 ここらへんのシリーズ)
あと、妄シリーズなどのエッチング、、
別に何にも知らなくとも強烈な印象をうける。
人の醜悪さとか愚かさ、、、
(平ったいことしか言えなくて恐縮)
でもゴヤが晩年ナポレオンによるスペイン侵攻によって
どれだけ大きい精神的ショックをうけたかを知れば
私の中で何かと何かが符合する。

そういうことが言いたかった。
もし作品内からのみゴヤの作品の意味を探ろうとすれば、
そういうこと見落としてしまうでしょう?
そんなの必要ない?

ルーベンスは素晴らしいけど、
なんで素晴らしいと感じるんだろう。
素晴らしいで終わらずにその理由を知りたくならない?
その理由を作品内から探ろうとしたら
やはり奥行きを欠くと思うよ。
だって情報はたくさんあるんだからさ。

236 :空耳:2001/01/23(火) 04:00
正しい云々

あ、ここはね、ごめんね、
文学批評にについてです。
私はやっぱり批評家には自分の意見が一番正しいんだっていう
自負が無いと駄目だと思う。
だから正しい読みは無いって言う意見には反対なんだ。
だってそれだけの自負が無ければ
他の批評家の意見を叩きのめすこと出来ないでしょ?
批評家に妙にいい人になられてもね・・・
傲慢なくらいがいいのです。

作家は情けなくても、なんでもありだと思います。
無気力でもいい人でも。悪い人でもいい加減でも。
それが作品に還元されていれば。

絶対的な価値ですけどね、
だって私達は物事に優劣をつけるでしょう?
作家にも、画家にも、音楽家にも、今日やることの順番も、、、
それは自分の中に何らかの価値判断があるからじゃないですか?
で、その価値基準が他の人と違った場合どうするか?
自分の価値判断の方が正しいと思うほかないですよ。
私の場合。
何でも相対主義で見ることが出来る程人間できてないもんで。
勿論そんなに重要じゃないことの場合は
ふーん、そっか違う意見もあるんだなってなもんだけど、
これは譲れないって時あるでしょう。

これは一種の神話かもしれない。
でもこれを追い求めずして何を目標にやってくのかしら。
悟りも、道思想(茶道とか禅道とか画道とか)とかも、
そういった何らかのベクトルがなければ
日々精進するなんて言葉も嘘になっちゃうよね。
作る側がニヒリズムに陥ってそこから何かを作り出したとしても、
(まあこのニヒリズムの意味も問題だけど、
 日本人が一般的に思い浮かべる概念ね)
結局は絶対的な価値判断に左右される。
だって本当にニヒリズムならニヒリズムの価値を問うことも
できなくなる。人に訴えることも出来なくなる。
絶対的価値があるからこそ人は創作活動が出来る。
と思う。



237 :土人き:2001/01/23(火) 20:00
ポケOンのたとえは、
五感の反応に拘る限り、単なる刺激との差は程度問題になってしまうだろう
ということです。

他者への自己表現が芸術であるから、
1人でしこしこ書いていても、誰も鑑賞しなければ
それは芸術ではない。
ただし、死後に作者の意図に反して発表された未発表作品や日記などの場合、
関係性に中に引き摺り込まれた時点で、それは芸術となりうる。
作者の意図でなんでしょうね。

自己表現。マイノリティーの表現はどうだろう。例えばゲイとかレズとか。
彼らは人類の繁栄に寄与にないから、その主張(表現)が普遍性を持つとは思えない。
それでも表現することに価値はある。
人から見とめられず、存在価値がないように思えても、
活きるために自己表現するしかない。
それも芸術という。
正義を言い出せば、彼らの自己表現を禁じてしまうことになる。

一行追加。
「時に自分の想いを、お話に託すこともある。」
物語とは、たとえ話である。
だから比喩を使うこと自体、もうすでに物語の始まりである。
一行の文章がすでに、物語である。


238 :春をひさぐ@かちゅ〜しゃ:2001/01/23(火) 23:41
ちょっと失礼。

ひさぐ   >>193     >>194      >>195

コテハン >>231     >>232

空耳 >>234     >>235      >>236

失礼しました。只今レス書き中です。




239 :春をひさぐ:2001/01/24(水) 02:19
こんばんは。まずはコテハンつけないぞ!さんに。

>>231の部分。
類似体験を持っていなければ共鳴できないというのはいささか乱暴なように
思いますが、おっしゃりたいことはわかります。
あっちのスレでgoatsongさんと空耳さんが議論してたとこですね。
私は基本的には空耳さんの考えに近い。そこらへんのオバハンの意見
だって意味があると思う派です。でも、認識のよすがとなるものがなければ
物体を知覚することさえままならない、というのもその通りだなあと思う。
専門知識はいらないが、基本知識はいると。
(専門知識は「理解」にはいるのかましれませんが、このスレの流れでは
「理解」ではなく「感動」が問題になっているので、今は不要であるとします)
で、その基本知識と専門知識との線引きをどこでするのかが問題ですが、
私はgoatsongさんとは違ってどこかに境界があると思うのですね。
頭を空っぽにするときに残しておかなければならない最低ラインというのが。
これについてはどう思われますか?

>>232の部分。
「ストーリー」という言葉の定義にもよりますが、多分あなたが想像している
意味で大丈夫だと思います。
ところで、「絵本」の例示は果たして適当なのでしょうか。
私は「絵本」を絵のみ物語のみで論じてもよいと思いますよ。
そもそも「絵本」というのは商業的なカテゴリライズでしょ。
あなたのおっしゃる意味では「漫画」もストーリーをもった絵ですよね。
絵本や漫画のもつ物語と、一枚の絵画に秘められた物語性とを
同列において考えるのは、いささかナンセンスに思えます。

>文芸作品の場合(略)文章とストーリーに分解して「単独に」成立するものだろうか?
「文学」は文章と物語とが有機的に絡まりあっています。
「文学」の感動は物語、文章、作家の背景などのパーツに分かれると>>194
書きましたが、それは相乗効果の構成単位という意味です。
「文学」の感動はこれらが渾然一体とならなければ得られないでしょう。
ですが、「文学」とは別に、「物語」「文章」単独の感動というものはあります。
文章の感動については空耳さんと議論中ですが、「祇園精舎〜」とかそういうのね。
物語性抜きにして、ただレトリックとか音韻とかの美しさに対する感動。
まあこれはいいとして(ホントか?)、物語が単独で成り立つのかどうか。
これは、例えば「バトルロワイアル」の映画化を考えてみると話が早い。
もともと文学(?)としてかかれた物語があって、その物語の部分だけを抜き取って
文章の部分を映像と音楽とに置き換えた。もちろん原作と脚本の違いはあるけれど、
原作に全く忠実な脚本というのは理屈の上ではありえますよね。
この場合の物語ってなんだろう?ということです。交換可能であるということは?
とはいえ、この純粋な「物語」のみの感動と、「文学」の感動とは全く別物ですよ。

ドナルド・バーセルミ「死父」って初耳です。お恥ずかしい。チェックしときます。
でも、失敗例は失敗例でしかないので。可能性は否定できません。
僕もそんな「文学」は読みたくないですけどね。

240 :春をひさぐ:2001/01/24(水) 02:20
>空耳さん
いえ、私はホモジェニックでbjorkにはまった人ですよ。
あれは本当に優れたアルバムだと思う。捨て曲なし。
9曲目の「pluto」なんてもう。。。忘我恍惚となりますね。
あと「it's oh so quiet」とかね。ふんぎゃーってところ。
やっぱりあの雄叫びがこそbjorkの真骨頂だと思います。
ああ、好きだなぁ、bjork。
でもホント私は音楽疎いから、ドラムンベースって言われても
名前しか知らない。ストリングス?ちんぷんかんぷんっス。
空耳ベストとか興味あるけどな。ご近所さんならねぇ。

・テクスト論のあたり
>印象だけで終わったら他人を納得させることは出来ない。
>(別に納得させなくたっていいが)
まさにこの言葉に尽きる。
私は基本的に他者という概念に懐疑的だし、
価値観の統一というのはできない相談だと思ってます。
とはいえ完全な独我論主義者ではないので、恋人とか友人とか
には「○○良かったよ〜」とか言っちゃうんだけれど。
2chでこうして議論するのもね。(^^)
でも、感動を理論づけるという行為はこのレベルのことでしかない。
もちろん知識を得て感動を納得しようとすることはべつにいいと思うけど、
それと「正しい読み」とは全く別の話じゃないですか?
繰言ですが、「テクスト」から「正しい読み」なんて導き出せません。
頭を空っぽにして得た印象が全てです。それがその人にとっての正解です。
というか、それ以上の「作品」への接近なんてできない。
「テクスト」を一義的に縛ろうとすることのほうが失礼だと思います。
評論や批評のありかたなんて、そもそも「作品」を理解したいという
(不可能ではあるがしごくまっとうな)願いからかけ離れていってるよ。
正しい評論とは、「真の解釈」ではなく「受けのいい解釈」でしかない。
空耳さんの気持ちや言いたいことはよくわかるんだけど。

241 :春をひさぐ:2001/01/24(水) 02:20

・正しい云々
>批評家には自分の意見が一番正しいんだっていう自負が無いと駄目だと思う。
私もそう思いますよ。でも批評家は批評家。
「正しい読み」と「納得のいく理屈」とは別物だと思う。

・絶対的な価値
>自分の価値判断の方が正しいと思うほかないですよ。
もちろん私もそう思ってわがままに生きてます。
でも、ここで議論しているのは「万人に共通する絶対的価値」だったじゃん。
皆が皆、私が一番/私が正義じゃ、てんでバラバラの基準になってしまう。
>これを追い求めずして何を目標にやってくのかしら。
私もよすがとしては、絶対的な価値というものを想定してるけど、
実際問題 絶対的だと言えるものがありますか?それが知りたい。

例えば私が好きだという「ダンサー イン ザ ダーク」
((以下ネタばれです。ただの例示なのでまだ見てなければ飛ばしてください))
映画板ではやっぱり賛否両論で、否定派の主張はこの一点↓
「話に無茶がありすぎる。ごりおししすぎ。感動を強制する姿勢が鼻につく」
どういうことかというと、裁判のシーン、あまりに一方的な判決だったよね。
物語は全てセルマが死刑宣告を受けるためだけに組み立てられていて、
つまりはご都合主義。そして不幸な最期で「かわいそうでしょ〜」って言ってると。
裁判のシーンは私もおいおいって思った。他にもたしかにムリな点があった。
でも、監督の狙いは「そういった瑣末なことはどうでもいい、ただセルマに死刑を」
だった。どうしてか? あの映画がラストでセルマが現実の世界で歌を歌う、
最後の最後で現世を肯定して死んでいくということを描くためにつくられたから。
だからかわいそうだというのは勘違いも甚だしい。母性愛の話でもない。
あれはバッド・エンドではなく、もの凄く強い救済を描いたの映画なんです。
……と、これは私の価値判断。正しいとは思うけど、勝手な解釈ですね。
さて私の意見と否定派の意見とは真っ向からぶつかって相容れないものです。
私は傑作だと言うけれど、彼らは駄作だという。パルムドール獲ったけど、
そんなことは関係ない。どっちの価値観が正しいかなんてわからない。
また、あの映画にはbjorkが演じて初めて持つ意味があると思うのです。
bjorkの音楽に対する真摯な姿勢とか、イノセントさとか、
そんな彼女だからこそ伝えることのできる痛々しいまでの感情。
でもこれはbjorkファンにしかわからない。
そんな映画をどう価値付ければいいのでしょうか?

今日はいっぱい書いたので、文章については持ち越します。

242 :春をひさぐ:2001/01/24(水) 02:20
>土人きさん
五感の刺激は程度の差だけですか?
その刺激の強さに+/−の記号はつかないのでしょうか?

芸術かどうかは他者の鑑賞によらないんじゃないですか?
というか、そりゃもちろん鑑賞者なくしては意味を持たないけれど、
それでも優れた芸術は優れた芸術だと思う。
表現者は普通他者に認められることを望みますが、
認められないものがくだらないものかどうかは一概には言えない。
死後も認められなかったとしても、もしかしたら100年先には認められるかも。
100年先に人類が滅びたとして、でも200年先に存在したかもしれない
人類には認められたのかもしれない。可能性は否定できない。
結果的には認められることのないまま人類が滅びたのだから意味ないんだけどさ。
実は私は職業作家を目指しているのではありません。
そりゃその道で食い扶持を稼げればそれに越したことはないのだけれど、
認められなくても自分が思う理想の文学を書き上げることができれば
それでいい。私の目標は、あくまでも書くことそれ自身です。
まあ、こんなやつもいるということで。

・ホモセクシャルは人類の繁栄に寄与しないから普遍性を持たない
・表現することには価値がある
・生きる為には自己表現するしかない/それも芸術
私は例えば土人きさんのこの書き込みを見て、なんで? って思う。
正直、あなたの書き込みは観念的な文章が多くて今一つ説得力に欠ける。
断定的で、なんかかっこいい書き方だし、土人きさんの持ち味だし、
私はあなたの書き込み好きですよ。否定するわけじゃない。
でも、議論していてどうも齟齬を感じてしまうのです。
もうちょっと私の頭でも理解できるように書いてよぅ。とわがまま言っちゃダメ?
刺激的な切り口で論を進めてくれているのにもったいないよ。
>物語とは、たとえ話である。だから比喩を使うこと自体、もうすでに
>物語の始まりである。一行の文章がすでに、物語である。
そうかなぁ、って思っちゃうのね。そんなに簡単に括れるものかなぁ。
一行の文章がもつ物語と、私の言う物語とはどうも別物だと思う。
文章のもつ物語は、短い詩のもつ物語性とは違うのですか?


以上、不愉快にさせてしまったならゴメンナサイ。


243 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/24(水) 05:44
ひさぐさん、二日酔いからは復活しましたか?

>239
>専門知識はいらないが、基本知識はいると。
おしい! .....大間違い。
私が言う基にあるものとはいわゆる「知識」とは違うのです。
むしろ「記憶」と呼んだほうが分かりやすいかもしれません。
あなたは幼い頃、風邪で一人寝ていたことはありませんか?
例えばその時の不安な記憶。 母親が看病してくれた暖かい記憶。
「咳をしても....」と読んだとき、あなたの意識にはのぼらないまでも
このような記憶が共鳴し合い、そして目の前にある物がどんな
ものであるのか、どういう世界を内包しているのかを知る。
で、その後に感動なり嫌悪なりがやってくる。
よって、これらの記憶に共通点がなければ、人は目の前の物に感動は
おろか理解すらできない。

よって、私はそこらのおばちゃんの意見、よしとします。
おばちゃんはおばちゃんなりに「自分の経験」と目の前の物を懸命に
照らし合わせようとしている。
作品理解の為のファーストステップです。
少なくともデート中の半可通厨房が「間違った知識」を振りかざすのを
聞かされるよりは、よほどいい。

つづく

244 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/24(水) 05:45
つづき

さて、なぜ「絵本」を例として引くのか?
まず、絵本はストーリーと絵が不可分な物だからです。
絵はストーリーに寄り添いながら、ストーリーでは表現できない部分を補完し、
ストーリーは絵に寄り添いながら、絵では表現できない部分を補完する。
どちらかが制作時の計算以上に、欠けても過剰でも、それは優れた作品とは
言えない。

今、あなたと空耳さんで進行中の話題の中に、「映画音楽はいまいちピンと
こない」と言う話がありましたね。
映画での映像と音楽との関係は、まさに絵本と同じ関係です。
逆に、音楽だけでピンと来てしまったら、それは失敗なのです。

その意味において寓意画も同じでしょう。
分かりやすい極端な例として引きますが、禅画(私は個人的に、
あなたとは違う理由でこれを芸術と認めませんが)で、
単に「○」を描いた物が有るでしょう?
「円相」と言いますが、これは悟りの最終段階に達した者の境地を
現した物とされます。
丸はそれ自体は単なる丸です。 また、禅の悟りは言語化不可能な物です。
この二つが合わさって、初めて意味を持つ。
この図をながめてそれが真に心に届くにはおそらく何年、何十年と
掛かるでしょう。

で、これら、どちらか一方では不完全なもの、
両方が合わさってはじめて完全になるよう意図して作られたものを、
切り離して評価をしても良いものでしょうか?

私は逆に、なぜ絵だけでその絵の善し悪しを評価して良いのか、
理解に苦しみます。

245 :土人き:2001/01/24(水) 15:53
ああ、ごめんなさいや。
ホントはよく判ってないのかも。振って湧いた言葉を綴ってるだけで、
語っていればそのうち自分でも分かってくるだろうと…。

物語のこと。「その女は、子をなくした母のように悲しみ、絶望した。」
これでもう物語りは完成してる。あとはどんどん膨らませているだけ。
ここで物語とは、起承転結があって、登場人物が成長する
「小説」だけのことを言っているのではないのだろう?
筋も映像もその手段の一つとしか思えない。

ホモうんぬんの話は、価値のあるものしか表現してはいけないのか?
「真なるものがある」と言ってしまうことは、弱者の表現(これも芸術)に抑圧的に働かないか?ということ。
むろん個人的に作品の感想・批評を述べるのは自由だし、
その気持ちを他人と共感したいと望むのも自然なことだ。
ただ、プロなら絶対を信じるほど楽天家であってはいけない。
「なにい!このオレ様の芸術が判らんだとお−!!この馬鹿モノめがああっ!!」
相対的なものでしかないことに耐えるのが、良心的なことではないだろうか?
そこから戦略も始まるわけだし。

つまり他人との係わりを放棄していいのか?ということである。
ってゆうか、「いつか認められるぜ」と言ってる時点で、
バリバリ社会的な存在であるのだから。

刺激の+−。これは価値判断です。人体にとって心地よい刺激が良いとされ、
受容の許容能力を超えれば、不快・悪趣味とされます。
その基準は個人によっても文化によっても時代によっても異なる。
移り行くもの。正義の定義にも等しい。
だからポケOンと美的芸術作品との差は、
程度問題ということになります。
そこから作品を救えるのは「思想・理念」ではないのだろうか?

こんな感じで、いかかでしょう?

246 :春をひさぐ:2001/01/24(水) 20:21
>>243
ふーん、記憶かあ。なんかそれ面白いね。
てっきり物を物として認識するための知識ってことだと思ってた。
なるほど作品のもつ寂寥感と、心の奥底にある淋しさを感じた体験、
どうしようもない不安を感じた体験とかとが結びつくと。

>>244
>絵本はストーリーと絵が不可分な物だからです。
これがどうも引っかかるんですよね。本当か?
絵本も「改訂版」ってのがでたりするじゃないですか。
筋はそのままなんだけど、絵が違う。描いている人からして違ったり。
だから、私は絵本の絵はあくまでも付随物って気がするのね。
たしかに絵本の感動は絵と物語が二つで一つになって織成すものだけど、
それはそれ、また別に「物語」はあると思うんですよね。
「桃太郎」なんて、改訂版というか出版社からして違う絵本が
枚挙に暇がないほど出版されているし、学芸会でも演じられる、
NHK教育では人形劇だってされているし、お母さんが寝語りすることだって。
物語を表すメディアっていくらでもあるじゃないですか。
私が書きたいと思っている小説は、「文学」のかたちでしか表現できないもの
なのね、理想は。メディアミックスって発想が大嫌いだから。
何故って、その表現方法を選ぶ必然性がなくなっちゃうじゃん。
でも、その理想の「文学」にしたって、物語は切り取りできますよ。
もちろんその物語が感動を生むかどうかは保証できないけれど。

どうしてもこう思うので、寓意画も同じでしょうと言われても困ってしまう。
禅画の「○」の例は、ちょと特殊すぎるのではないでしょか。
私はその「○」は「○」でしかないと思う。全くそれ以上でもそれ以下でもない。
そこに意味をつけるのは勝手だけれど、芸術だと言われればアホかと思うね。
さかしま便器の「泉」とか、音楽の「4分33秒」とか、詭弁にしか思えない。
絵画史的には意味を持つのかもしれないが、断じて芸術ではない。
その「円相」とやらが悟りの最終段階を表したものってのも詭弁に思えるな。
なんとでも言えるもの。そも、言語化不可能なのに絵にはなるの?
その絵をみて悟りを開いた人?それはきっと他の要素がそうさせたんだよ。
時間とか、そういうのが。絵はあくまでもわかりやすい理由づけ。
(私は禅は門外漢なので、多少意味の取り違えもしてるだろうけど)


247 :春をひさぐ:2001/01/24(水) 20:22
と、例示を責めても論は進まないので、「○」を芸術としてみましょう。
さて、この「○」はその含意されたものと不可分なのか?
確かに禅的な感動(?)は、背後の意味性抜きでは感じ得ない。
でも、「○」は別の意味だって背負い込める。
例えば時間の循環の象徴(ウロボロスの蛇)だとか、世界中の人々が
人種の壁を超えて手を繋いでいる様子(小学校のポスター)だとか、
口先一つで意味は変わる。太陽でもいいし、頭骨でもいい。性器でも。
(頭骨は○に枝みたいな胴手足つけた人の記号ね。性器は♀とか♂とか)

映画音楽。
音楽だけでピンときてしまったら失敗?そんなバカな。
「パルプ・フィクション」では’60だか’70だかの音楽使ってるけど、
当時ヒットしていたのは失敗作にもかかわらずなのですか?まさか。
音楽は音楽だけで完結しちゃってても、映画に組み込んで
別の意味(価値)をもつことができるんです。
「パルプ」は物語に音楽・映像・配役・演技・編集などが複雑に絡み合って、
なのに見事に調和がとれているのが認められている原因でしょ。
だから「パルプ」の感動はあの音楽抜きでは完成しない。
でも、それとは別に、音楽だけでも意味をもつんです。

>両方が合わさってはじめて完全になるよう意図して作られたもの〜
「テクスト」から真意は理解できない。
評価なら、好きにすればいい。評価は評価でしかない。

>絵だけで絵の善し悪しを評価していいのか〜
頭を空にして受け止め、そこから自然に意味を感じるならそれはそれでいい。
でも、最初から背後の意味は何か?と穿って見る姿勢はどうかと思う。
ということです。

二日酔いにはならない人なので今は元気ですが、これからまた飲みます。
土人きさんちょっとまっててね。
不躾なわがままを寛容に受け止めてくださってありがとうございます。



248 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/24(水) 21:54





249 :土人き:2001/01/24(水) 23:05
えーと、土人きの立場を整理します。
芸術とは自己表現であって、メッセージである
ゆえに作者本人の意図を否定するものではない。
ただし、解釈は受け手が個人でする行為であって、
唯一の正確などありえないし、あるべきだとも思えない。
ありえるのは個々人の、現時点でのベストだけである。
だから作品から受ける感覚、感性を重視するという立場も理解できる。
されど、それは非感覚的解釈とも同等のものと思っているので、
印象や作品に身をまかすことこそ、真の理解への道だとの見解には同意しかねる。
「嗚呼ヒトラーって格好いい。美しい軍隊万歳、ユOヤ人なんて皆殺せ!」
そこまでの差は、程度問題である。

時に感情に身を任せ、作品を消費して、喜怒哀楽をほぐすのもいい。
芸術は、五感へのエンターテイメントのためにあるものだから。
しかし分析することを放棄するのもどうかと思う。
「美」がすでに人間の言語的概念なんだから。

250 :春をひさぐ:2001/01/25(木) 00:42
>土人きさん
なんだか失礼なこと言ってゴメンナサイでした。優しいね。

・物語について
いや、それは物語じゃないよってのが私の立場です。
というか、ひさぐ的物語(ややこしいね)ではない。
それは文章のもつ物語性であって、物語とはどんどん膨らませたもののこと。
起承転結があって、登場人物が成長するもの(だけではないけど)のことです。
「ひさぐ的」かそうでないかってところに齟齬があるのかな。
私が勝手に定義しすぎなのかなあ。

・ホモセクシャル
まず、価値というもの自体が曖昧な概念です。
私は、ホモセクシャルの芸術(?)を表現することには全く肯定する。
ただ、それは残念ながら、普遍的な評価を得ることはできないでしょう。
でもそれを価値がないものと唾棄してしまうのはいかがなものか。
表現は、鑑賞者に対して意味をもつのではなく、創作者にとってこそ
一番の意味をもつと思います。戦略ってちょっとどういう意味かわからないけれど。
他人との係わり合いは放棄すべきではないが、
他人に認められなくても優れたものは優れたもの、そう思います。

・ポケモンの刺激
なるほど。理解できました。程度問題だというところまでは同意します。
ですが、そこから先はちょっと違う。
結局、作品を救うことなんてできないんじゃないかなって思います。
絶対的な価値なんてないんだ、と。
思想・理念の側から価値づけたとしても、そのことに何の意味がある?
「テキスト」としてしか見ることができないのに。
これは自問でもあります。って前にもこのフレーズ使ったな。

251 :春をひさぐ:2001/01/25(木) 00:43
>土人きさん(>>249
・7行目までについて
ほぼ同意見です。よかった。
ただ、唯一違うのが、芸術のなかにメッセージを含めるというところ。
というか、メッセージの定義にもよるのだけれど、私はメッセージを
作者が意図的に込めるのはどうかと思うのね。
自己表現の結果、あくまでも結果的にメッセージ性を持ってしまう
というのならわかるけど、こう解釈しろー!って作者が考えるのは
無意味だと思う。…違うな、無意味というか、そういう姿勢からは
真の(ひさぐ的)芸術は生まれないのではないか。
メッセージとは、常に無意識とは相反するものだから。

・8行目以降について
うん、こういう例を見ると絶対的な価値とまでは言わなくても、
消極的に芸術とそうでないものを分けれるのではないかと思ってしまう。
ヒトラー万歳!の人にとってはその通りなんだろうけど、
でも、そうじゃないって言える価値基準を求めてしまうね。
それがなかなか見つからないからこそ、そんなものはないんだって
躍起になって言い張ってしまうのかも。

だから、分析を放棄する姿勢は否定しないんだけど、
そうでない姿勢のよりどころとなる価値基準が見つからないので、
分析なんかじゃ「作品」への接近はできないと言い張ってしまうのでしょう。

私の立場もなんとなくわかっていただけました?
意外と近いかもしれないですね。二人の立場。

252 :春をひさぐ:2001/01/25(木) 01:54
>>247 について補足

>両方が合わさってはじめて完全になるように意図してつくられたもの〜
に対する答。そういった意図のもとにつくられた作品は真の芸術じゃない
ってのが、そもそもの私の立場でしたね。
意味なんてものは結果的に含意されるのでなければならないと思います。
寓意画とかは芸術ではないのかと詰め寄られれば、いや従来の意味では
芸術なんだろうけど、私はそんな作品では真の感動を与えることなんて
できないと思いますよってのが私の主張ね。
画家は結果を目指すのではなく、眼前にある次の一筆に対して
真摯に対峙すべきだと。そう思うわけです。
このあとに「『テクスト』から真意は〜」を続けてください。

>空耳さん
文書について一応書いてみたんだけれど、すんごい見落とし発見してしまった。
他の話題もちょっと盛んになってるので 発表を見合わせます。
ところで >>201>>210>>222 という流れでOKですか?
これはどこに結びついているのだろう?自分の立場わからんくなってきた。




253 :土人き:2001/01/25(木) 10:40
「創作者にとってこそ一番の意味をもつ」
それはそうだ。しかしナゼ?わざわざ表現するのは、
たった1人からでも理解されたいからじゃないの?
戦略とは、自分のメッセージを他人に分かるように表現することです。

絵や音楽がもってる雰囲気・空気を愉しむという感覚は分かる。
小犬って、なんてこんなに可愛いんだろう。カワイイ・・・カワイイ。
心地よい気持ちを味わって楽しむ。
ある意味それでいいんだし、
たいていの場合は無邪気に肯定してもまるで問題ないんだけど。

芸術って動物にはあるのかな?
人間にしかないとすれば、それは何故だろうね?

254 :土人き:2001/01/25(木) 17:25
はーい質問。
サザエさんやドラえモンは
物語じゃあないんですかあ?(お約束)

255 :春をひさぐ:2001/01/26(金) 23:22
>土人き (>>254
サザエさんやドラえもんですか。
4コマのなのかアニメのなのか、週刊のなのか大長編なのか、
ていう切り取るサイズにもよると思う。例えば私の中で
普段のドラは物語じゃないけれど、大長編ドラは物語。
何で普段のドラは物語じゃないのか?
のび太がいじめられ、ドラえもんが道具を出し、ジャイアンを
やっつけるも調子に乗ったのび太は自滅してしまう。
ちゃんとストーリじゃないか、時間の流れがあるじゃないか。
つまり私が言いたいのは、狭義の(ひさぐ的)物語の中には
普段のドラは含めないということです。
一般的な意味ではそれを物語と呼ぶのかもしれないけれど、
何か大長編のとは違いがある。ここを区別したい。
土人きさんも、ドラを例示として挙げたのは、何かしら微妙な
差異があると思ったからでしょ?
じゃあ具体的に言うと何が違うのかと言われれば、なんだろうね。
ちょっと考えまとまらないけれど。

ところで >>248
これコテハンつけないぞ!さんだったのね。
全然意味わからなかった。さじなーげたってことか。
あらら、とうとう愛想つかされちゃった。仕方ないけれどね。
とりあえずありがとうございました。
残念ながら、私が頑固に言い張る為に結論は導き出せなかったけど、
新たな角度から持論を見直すことができ、とても有意義でした。
あなたもにとってもそうであったなら良いのですが。

空耳さんも最近見ませんね。そろそろおひらきなのかな。



256 :空耳:2001/01/28(日) 03:40
わーごめんね。
ちょっとここんとこ燃え尽き症候群だったもんで、
英気を養っているんです。
もうちょっと待ってて。

257 :空耳:2001/01/28(日) 21:34
永らくお休みしてしまいました。

・絶対的価値観の有無について
確かにそれぞれが自分の考えが正しいと言っていたら
バラバラになってしまう。
でもここで重要なのは自分の方が正しいと思うこと自体だと思う。

例えばひさぐさんは自分の理想の文学と言う形を想定していて、
それに近づく為に日々精進しているわけでしょう?
しかし今はまだ完璧には成功はしていないのでしょう?
でもだからといって理想の文学なんてないなんて言えるでしょうか。

私は自分の考えが正しいと信じるということは
絶対的価値観という神を信仰しているわけで、
その意味においては存在すると思います。
実際にその人が正しい眼を持っているかとは別に。

なんであなたは映画板でダンサーの映画の良さについて主張するのでしょう。
それはやはり正統な評価と言うものがあって、
それの為に議論するのでしょう?
そうでなければ何の為に一生懸命議論するのでしょう。
その一生懸命さがものごとには絶対的なものがあると証明しているようなものです。
誰かと何かの価値について語り合うのならば
人は絶対的価値観を信仰できなければそれは不可能なはずです。

だから私は絶対的価値観を「信じる」。


258 :空耳:2001/01/28(日) 21:52
・映画音楽について
いやいや私は音楽だけでぴんときたら失敗だとは思いませんよ。
絵本に関しても、
ウイリアム・ブレイクの絵入りの詩集は
絵だけで途方も無い価値があると思います。
http://sunsite.sut.ac.jp/cgfa/blake/index.html

私が映画音楽に本当に良いと感じることが無いと思うのは
登場人物の感情の起伏にあわせてつくるから、
純粋音楽として聴いていて良いものであるはずがないからです。
言ってみれば画面を見ているから適当な展開でもなんとかなるわけです。
しかしだからといって完璧な展開の古典をテーマに持ってきても
けして悪くは無いですよね。
バレエ音楽もそう。
ロミオトジュリエットなんかサビは実に素晴らしいけど、
音楽として聴いたらちょっと冗長でしょう。
だからコンサート用に編曲なんかしたりするわけで。

パルプフイクションの音楽はもしかしたら
もともとポップスだったものじゃないですか?
だとしたらもともと純粋音楽としてあるのだから
音楽だけ聴いていて良いのは当然だと思います。


259 :空耳:2001/01/28(日) 21:59
・芸術について
ひさぐさんにお訊きしたい。
あなたがそれで食べていくかどうかということが重要なんじゃなくて、
それを人に読んで欲しいかと思うかどうかが重要だと思うんですよ。
自分の作品は全部机の中に閉まってます?
それとも彼女や友人に読んでもらってます?
それとも読んで欲しいと思ってます?
どうでしょうか。

芸術はやっぱり人に何かを伝えたいというベクトルが必要だと思う。
または黙っていても何かがにじみでてくるような。
こっちが何かを読み取ってしまうような。
とにかく人と人とのつながりなくしてはありえないと思う。
あなたがせっかく素晴らしいものを書いていても
私の眼に触れなければ私にとっては芸術ではないよ。
(おっと文学はひさぐ的芸術ではないのだっけ)

これは前にも訊いたけど、
ひさぐ的芸術に芸術と言う称号を与えるならば
土人きさん的、または空耳的芸術の存在についてはどう思う?
・そういうものは無いと思う?
・あると思うならなんと呼ぶ?

260 :名無しさん:2001/01/29(月) 03:42
宗教もそうだが、芸術の定義はしてるのか?
それも無しに議論してるんなら無意味な議論だねェ〜・・


261 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/29(月) 10:55
芸術って理論的に考えれば考えるほど芸術から離れて行く気がしない?

262 :なるほどね:2001/01/29(月) 12:46
仮にでも(芸術って言葉を)定義しとかなきゃ建設的な議論にならんと思うが。
このスレ読んでみればわかると思うが、オナニー合戦になっとるがな(ワラ


263 :春をひさぐ:2001/01/29(月) 19:36
>空耳さん
決してせかしたりしませんので、マイペースでやってください。
飽きたら飽きたと、それでもかまいませんし。

>>257
そうだね。絶対的価値観という神を信仰してるっての、的を射た表現。
私ももちろんその宗教の信者だし、神の存在を求めて書くわけで、
その存在を証明しようと 議論をしたり推薦したりします。
だけど、信仰はあくまで信仰でしかなく、神の存在は証明されていない。
だから、本当に神なんて存在するのかしらんと思うのね。
強く信仰するからこそ、本当のところはどうなのかが知りたい。

私は映画板では議論してないですよ。あそこはあまりに不毛だ。

>>258
私は映画を見るずっと前に、おお bjork の新譜じゃんって思って試聴し、
腰砕けになって、こりゃいかんとお財布出す手ももどかしく買い求めたのね。
家帰って聴いて、やっぱりワォ!って思った。
ホモジェニックを聴きすぎて飽きてきた頃だったし、毎日聴きまくったです。
まあ、私は bjork にぞっこんだから、公平に判断できないけれど、
やっぱり素晴らしいアルバムだなあって思います。観た後はもちろんのこと。

バッファロー'66のサントラは空耳さんの言うところの純粋な映画音楽じゃないかな。
一部古いロックを使ってるけど、他のはオリジナルじゃなかったっけ。
映画の良し悪しは別として、あのサントラはけっこういいと思います。

私は音楽疎いので、これについては議論するつもりないです。
ただ、感情の起伏にあわせてつくられた音楽を、純粋音楽として聴いて
良いものがあるはずないってのはどうかと思うので、そこらへんのこと、
もうちょっと理屈っぽく書いて欲しいな。腑に落ちたい。


>>259
私は書いたものを他人には読ませません。今のところは。
何故って、「ひさぐ的理想の文学」には程遠い代物だからね。ハズカシイ。
もし、いつの日か「ひさぐ的理想の文学」を書き上げることができたなら、
きっと無理強いしてでも皆に読ませると思うし、新人賞にも応募するでしょう。

第二パラグラフについてはだいたい同意です。
私が俎上に上げたい問題は、他人から認められない作品を
価値がない/芸術ではない と言い切れるのだろうか、ということ。
もちろん、「誰もいない森の中に響いた木の折れる音」の存在を
あるとするか、ないとするか、という命題に関係してくるのだけど、
つまりは絶対的価値の存在についての疑問なんです。
どうもこの議論は収束しないだろうという予感がするけれど。

最後の質問について。
何でもいいんじゃないですか。狭義の芸術/広義の芸術 とか、
芸術/美術 でもいいし、電波芸術/一般芸術 でも。なんでも。
↑これが一番近いかな。私のイメージでは。
名称はともかくとして、どこで線を引くのかが問題でしょう。
「芸美術」って一括りにしてみても、それとそうでないものとの境界線はどこか?


>なるほどね ((雑誌名は架空))
そうそうオナニ合戦。というか、私のズリネタは「月刊 縄縛」なんだけど、
こんなのに興奮する私はヘンですか?って私が訊いてる感じですね。
あなたは「投稿写真倶楽部」でオナニしていて、あの人は
「COMIC ニャンニャン」でオナニしていて、比較的まともである、と。
そこに私が「いや〜SM写真も萌え萌えっスよ」って勧めて、
その私の価値観を巡って議論している。オナニマンセーじゃないですか。
芸術=エロ全般 ひさぐ的芸術=SM って感じでは定義してるつもりだけど、
そも、エロとは何か?というのも議論してるよ。ときどき。

長文失礼しましたです。

264 :いるす:2001/01/29(月) 19:42
あまり関係ないレスですが、、、

このスレの
>>140(その他いろいろ)とか

レオナルドスレッドの
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gallery&key=979446798
>フロイトなんかは、レオナルドの性交図に言及して、
>性に嫌悪感を持っていた、と分析してるけど。

などで精神分析のひとがでてきて
すこし気になったのだけど、、

これらは精神分析の問題点の御多分
に漏れず、純粋に思弁的なだけなので、
解釈としてはありなのかもしれませんが、
正しいわけではないですよ。

心理学版とかをてきとうに見てみて、
関係のありそうなのをいくつか。
http://member.nifty.ne.jp/windyfield/analysis.html
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=974733715
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=970826264
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=979290196
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=974569037
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=978795210
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=975409361
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=973544929
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=968935276
http://www.obihiro.ac.jp/~psychology/abofan.html


265 :( ´∀`)さん:2001/01/29(月) 20:58
はじめまして、

今、顔文字板で第4回顔文字選手権の投票を行っています。
2chと芸術の交わり方の一つだと思っています、
目の肥えた人たちにも是非見てもらいたいです。
くだらないと言われれば仕方の無いものですが、
こういうのも悪くないと思います。
みなさんも是非
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=kao&key=978596169
へ来てください。
そしてひやかし半分でもいいので、投票していってもらえると
嬉しいです。

それでは失礼します。

気に入っていただけたらこちらも・・・
関連
アスキーアートで名画は描けるのか?
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=kao&key=956711718

266 :空耳:2001/01/30(火) 01:42
・絶対的価値観
どうだろう・・・
懐疑的になることは姿勢として間違ったことじゃないと思う・・・
哲学ってそういう自我?のようなものから始まるわけだし。

私は正直なところ証明はできないよ。
ただ、こういうのあるよね。
絶対に海王星の外に惑星があると信じて実際に発見した人。
例えば物理学者達の最終的な悲願とは
物理的な世界を支配するルールの統一だよね。
実際にはまだ見つけていないけどあると信じている。
(この信じるという作業に対する率直さが
 物理学者や天文学者はとても強いと思う。
 実はすごいロマンティストだよね。)

ただ彼らは信じるだけじゃなくて実際に証明しようとする。
芸術においては、実際に絶対的価値観を浮き彫りにするような
作品を生み出すことになるんじゃないかなあ。
例えば十字架降下みたいなもの。
ロココが好きじゃない私だってあの作品の良さは認めざるを
得ないもの。
あなたが良い作品を書くことに努めることが
存在の証明への過程になるような気がする。

267 :空耳:2001/01/30(火) 02:04
・映画音楽について
必ずっていうのは言い過ぎでした。
中には稀に良いのはあると思います。
でも、映画音楽が純粋音楽よりクオリテイーがおちることが
多々あるということは確かだと思います。
反対に言えば、クオリテイが少々低くても
認められてしまうことが多いと言うことです。
(別段ダンサーのことを特別言っているのではありません)

その理由は、画面を見ながら聴いているから
登場人物の感情の起伏(つまりストーリー)にあわせて
効果的に音が鳴っていれば皆満足するわけです。
でもストーリー無しで純粋に聴いた場合は
そのクオリテイの低さに気付いてしまうということです。
ちなみに純粋音楽の持つ構成としてのストーリーと
映画のストーリーとは別ですよ。
大体風と共に去りぬだって、ありゃあいいのはサビだけでしょう。

映画のサントラを買っていつも思うことは
サビはいいけど、後は適当に作ってるなあということです。
でも最近は普通のポップスを集めただけのサントラ増えてきてますよね。
ザ・ビーチみたいに。
ああいうのだったらあまり退屈しないで済むと思う。
バッファローもそういうのなのかな。

つまり私が言いたいのは
マイケル・ナイマンは結局は一流じゃないって事。
(マイケル・ナイマンはピアノレッスンなどのサントラを手がけている)
作中人物が純粋音楽を作曲したという設定の為につくられた
ピアノ小曲は良かったけど。
見てないとこれは言ってることわかんないよね。
チャイコフスキーなんかに映画のサントラ作らせたら
すごいのできると思う。

問題は映画の為に音楽がつくられることじゃなくて、
作ってる人の力量がたいしたことないのに認められるということ。
今日DEEP FORESTのつくったサントラ聴いた。
結局彼らの土俵で作ってるから良かった。
映画音楽の手法じゃなくて、ポップミュージックの手法だったから。
あんまりうまくつたわってないだろーな。
実際にサントラを聞かせてあげて説明できたらいいんだけど。



268 :空耳:2001/01/30(火) 02:11
つけたし。
すごい簡単に言えば映画音楽はごまかしが効くって事です。

>>260さん
今その芸術の定義を行っているんですよ。
内容がどうかはいざ知らず。
広辞苑的なことって芸術のほんの一部しか定義していないでしょ?
しかもそれそのものに反対している人がいるわけだし。
何で芸術があるのかってとこまで進んでないんです。
宗教の定義はこの場合あまり必要ないと思うんですけど。

269 :>265:2001/01/30(火) 04:40
悪くない、特に人物画は楽しませてもらったよ、AAでもタッチみたいのはあるんだな。
(駄レスで申し訳ない)

270 :土人き:2001/01/30(火) 20:13
空耳さん
そうだね。絶対的価値をあると想定するのは、
別にいいと思う。
土人きが言っていたのは
それを「判った」と言ってはいけないという話でした。

271 :春をひさぐ:2001/02/01(木) 00:31
<絶対的価値の存在は証明できないが、鑑賞者はその存在を信じ、
 創作者はその証明を試みるべきである。>
ということで意見はまとまったのかな。あるいはこうとも言えるかも、
<芸術は絶対的価値を証明するためにある>
スレ本来の趣旨に立ち返ってみれば。どう?>空耳

しかし、本当に証明できないのか、とも思いますよね。
絶対的な基準というものの存在も。
ひさぐ的芸術という考えをこの際おいといて映画を例にあげると、
「タイタニック」は価値ある作品か無価値な作品か。
泣ける映画ランキングでは堂々1位に輝くこの作品ですが、映画板では
惨憺たる酷評を受けています。というか、もはや論じられることすらありません。
私はと言うと、初めて女の子とホテルに泊まったクリスマスの朝に見たせいか
意外にグッときました。泣きはしなかったけど。
隣にはビックリするほどカワイイ子、しかもいいムードだし、
当時(高2)はさほど映画を見る目が肥えていなかったというのも一因です。
このように価値観は、鑑賞時の気分・雰囲気・状況、またその芸術形式に
どれほど馴染んでいるかなどに大きく左右されます。
しかし、映画板のプチ評論家くんたちの否定理由に耳を傾けると、
なるほどろくな作品じゃない。陳腐な筋と下手な演技、拙い監督。
彼らは穿った見方をします。表層だけでなく、ディティールにまで目を光らせます。
逆にあの映画に泣いたというおばさんは、ほとんど筋と、それを盛りたてる音楽と、
そんなレベルでしか受け止めていない。
穿った見方も表層に拘泥するのもどちらも本質を欠いていると言えるが、
プチ評論家がおばさんに「こうこうこういった理由でこのシーンは冗長だ・この役者
の演技はこうすべきだ・こういった配役のほうがよかったでしょ・脚本のここは
あまりに杜撰でしょ」etc.を説明することで、おばさんはなるほどそのとうりだわ
と思い直すかもしれない。そして、その逆はありえない。
ということは?                  ^^^^^^^^^^^^^^^^
でもあれってアカデミー賞かなんか獲ってんだよね。

もっと話をわかりやすくしましょう。
マクドナルドと懐石料理。どちらも良い点と悪い点を持ちあわせていますが、
普通は懐石料理のほうが美味しいとされますよね。
舌が肥えればマクドナルドなんて喰えたもんじゃない。
この場合には絶対的な価値基準があると言えますか?
あるとすれば、芸術との差異はなんなのでしょうか?

>269さん
いえいえ、こちらこそ参加しづらいスレにしてしまって申し訳ないです。
駄レスでもなんでも、とは言いませんが、どんどんカキコして下さい。



272 :名無しさん:2001/02/01(木) 01:00
芸術を一応定義しておかないと「芸術が何のためにあるのか?」という問い
そものもが成り立たないのでは?
「芸術とは何なのか?」なら問題ないけどね。
スレ立てた人はわかってるのかな?????

273 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/01(木) 15:45
マクドナルドと懐石料理の差は何か?
で話し合ったほうが
解かりやすかったりするかも。

274 :たまご@美術科:2001/02/01(木) 20:28
初めてここに書き込みをさせてもらいます。
レスを全て読む時間が無いので、最後の意見(225)に対してだけ
答えさせて頂きます。

>>225
>作家が意図したことを読み取ること、
>それから作家自身も意識していない、無意識的な事実をも指摘して、
>作家本人が反対に気付かされるような評論が正しい評論

それは「正しい」評論ではなく、空耳さんが言うように「理想」の評論である
と私は思います。
「正しい」、「正しくない」というのは社会的な価値に捕らわれすぎていて
ここでは避けるべき言葉であると私は思います。
個人が世界中のあまたの団体に属している限り、「正しい」という言葉は
その団体、社会にとって「正しい」のであって個人にとって「正しい」と言う
ことにはならなくなってしまいます。
また個人的な判断基準も、今日の答えが明日の答えと同じとも限らないし、
おとといの答えと今日の答えが違うときもある限り、
「絶対的」であるとは誰も言えないのではないのでしょうか???
社会や団体、世界に関しても「絶対」という言葉は今という一瞬にしか
適用されない言葉であると思います。それは歴史を見れば明らかです。
絶対的で正しいものさしなど、何処にも存在しないのが現実的で、
存在を信じるのは希望的でしかないと思います。
ですから、空耳さんがそういう現実に空虚感を感じるというのがリアルで、
絶対的存在を信じることは、現実逃避的安心感を得るだけに過ぎないと
わたしは感じます。

275 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/01(木) 20:51
なんなんだこの人は。なにを怒っているんだ。


276 :名無しさん:2001/02/02(金) 00:20
260の人は宗教の定義うんぬんじゃなくって
あなたがたの議論が宗教でいう所の教義論争に終始していると言いたかったのでは?
芸術という宗教の教義論争にね。

277 :名無しさん:2001/02/02(金) 00:26
260の人は宗教の定義うんぬんじゃなくって
あなたがたの議論が宗教でいう所の教義論争に終始していると言いたかったのでは?
芸術という宗教の教義論争にね。
だから不毛だと言いたかったんでしょうよ。

278 :名無しさん:2001/02/02(金) 00:32
260の人は宗教の定義うんぬんじゃなくって
あなたがたの議論が宗教でいう所の教義論争に終始していると言いたかったのでは?
芸術という宗教の教義論争にね。
だから不毛だと言いたかったんでしょうよ。

279 :名無しさん(新規):2001/02/02(金) 00:34
260の人は宗教の定義うんぬんじゃなくって
あなたがたの議論が宗教でいう所の教義論争に終始していると言いたかったのでは?
芸術という宗教の教義論争にね。
だから不毛だと言いたかったんでしょうよ。

280 :名無しさん(新規):2001/02/02(金) 00:38
260の人は宗教の定義うんぬんじゃなくって
あなたがたの議論が宗教でいう所の教義論争に終始していると言いたかったのでは?
芸術という宗教の教義論争にね。
だから不毛だと言いたかったんでしょうよ。

281 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/02(金) 00:58
>>225 >>260

282 :空耳:2001/02/02(金) 01:23
>>280
うーん、確かに教義論争に非常に似ていると思うよ。
でも私は教義論争が不毛だとは思わない。
勿論その宗教を信じていない人にとっては不毛だと思うが。
私にとってはキリスト教の三位一体論争や
イスラム教の宗教論争は非常に興味深いけどね。
仏教の数々の分派もしかり。
とても哲学的だ。
結果が出ないから?
でも結果がでないから不毛とも言い切れない。
それとも神なんて存在しなから?

私達の話していることが不毛かどうかは知らないが
果ては哲学的とは口が裂けても言えないが、
私にとっては他人の考えていることを知る機会、
特に同い年とこういうことを話せる機会が無かったから
とても興味深いけどね。

>>262
それについては既に何度も話したのですけど、
スレッド名と中身が少しでもずれていると駄目なんですか?
ここを読んで頂ければどういう展開でこういう話になったのか
分かって頂けると思うのですが。

私はかなり安易にこのスレッドをたててしまった。
実際には芸術が何故必要かということ以前に
芸術の定義を行うことが必要だということが
逆なでさんの登場でわかったわけです。
自分の考えている芸術が
必ずしも万人の考えている芸術とは限らないこと。
その点は反省しています。

しかもその芸術の定義がこれまたたいへんなこと!

283 :空耳:2001/02/02(金) 01:49
>>274 たまご@美術科さん
>>ひさぐさん
明日書くので待っててください。



284 :空耳:2001/02/02(金) 01:49
明日書くので待ってください。
>たまごさん ひさぐさん

285 :土人き:2001/02/02(金) 10:56
「芸術は絶対的価値を証明するためにある」
イヤだねえ。それは(笑)
そう思う人がいてもいいけどさ。理想は高くて構わない。
だけど、人間なんぞには「絶対」へなんて「絶対」辿り着けないと、
どこかで認識しておかないと、暴力的な権威的に落ちてしまう可能性がある。

定義=意味付け・価値付けなんだから、
「芸術が何故必要か」と「芸術の定義」は
同じことやんか?
それにお互いの相違点がハッキリしただけでも
成果はあるよ。有意義だった。
唯一の正解に辿り着かないといけないのかい?
全人類は同一の意志を持たねばならないの?

これは教義論争ではないから理性に開かれているよ。
パトス(情念分野)とロゴス(理性分野)は別れていて、
神を感じたことのない人間は何も言うな
言葉では説明できないものだ。とか言うこともあるけど。
実際、味とか感覚とか恋愛感情とかは、
少なくとも同じことを経験していない相手に対しては。
言葉で説明しがたいものだしね。

でもここで「議論」している以上、
言葉で説明できることを話し合っているんですよねえ?
ひさぐさん?空耳さん?

286 :名無しの笛の踊り:2001/02/02(金) 12:47
ヴィトゲンシュタイン以降の努力を無にしないようにしましょう。
語り得ないものについては沈黙しなければいけない のか、そうでないのか。
自己と他人の相互作用はすべからく「言語ゲーム」なのかそうでないのか
美術、音楽を言語で語ることは、ヴィト先生から免罪されるのかされないのか

2chには珍しい長文の応酬は時間によって風化しそうなのかしないのか

287 :空耳:2001/02/03(土) 01:45
>たまごさん
そうですね・・・「正しい」という言葉は
普通に考えればそういう意味になるのでしょうね。
しかし私がそういう意味で使ったのでは無いということは
たまごさんにも解っていただけてると思っています。
私がこの言葉を使ったのは素人なりに
文学的表現(うっ恥ずかしい・・・
つまり辞書的な使い方からはずれるということです。
決して美文という意味ではありません)
を試みてみたわけです。無論無意識ですが。

何でかというと自分の漠然とした印象を言語化するには
そういうことが時々必要になるからなんです。
しかしどうやらそれは失敗に終わったようです。
よく人にその言葉の使い方間違ってるよ〜と言われます。
これからはもっと厳密に言葉を選ぶ必要がありますね。

さて、絶対的価値観の問題ですけど、これは私と全く反対ですね。
絶対的価値観は存在するか。
これが芸術に関するとなると問題は複雑化しますが、
歴史を例に取り上げても良いのなら割合簡単に私は納得できます。

歴史家や歴史学が何故存在する必要があるのか。
それは歴史自体にまるで何か意志があるかのような歴史の流れというものに
(つまり絶対的なものなどないということ)
正面から反抗する学問だからだと思う。
歴史家達は原因と結果をさぐるけど、それっていつの世界でも共通する
ある法則のようなものを探り出して、その後に役立てる為でしょう?
まあ歴史学にも様々な学派があって、これは一面にすぎないかもしれないけど。
何か昔のことなんか役に立つわけないっていう学派あった気がするなあ。

でも時代と地域が全く違う二つの国の崩壊した理由が非常に似通ってるなんて
とても有り得る事でしょう?
適当な例が今思い浮かばないけど。
まあ清廉政治から汚職政治に移り変わる過程なんてどこにでもあることだし、
(理由も類似点が多かったりする)
権力が崩壊する過程も似た例などいくらでもあるだろうし。
社会とは人間によって構成されるものであるとすれば、
当然それは人間の価値観の問題にも勿論関係してくる。

それから、
人間はどうしたってニヒリズム(一般的な)に徹することができるはずないよ。
あなたは相対主義者であるか、またはそうあるべきだと思っているようだけど、
それは不可能だと思う。
あなたが真にニヒリストであったら足を踏み出すことすら出来ないはず。

それから、これはちょっと複雑になるけど、
誰もが自分のある部分は絶対に正しいと思ってて、
(そうじゃなきゃ議論はできない)
例えそれがまちまちであったとしても、
議論を始めることができるということ自体が既に絶対的なものを
予感させるよ。
でもとうてい手に掴んで証明できるものではないから
私は「信仰する」と表現するけれども。

私は世の中を全て相対的に捉えるということを空虚だと感じるのは、
それが私の希望にそぐわないからではなくて、
あまりにも現実を無視していると思うから。
これも下手糞な文学的表現をしてしまったようです。
だから現実逃避的安心感というのは全く違うわけです。


288 :空耳:2001/02/03(土) 02:28
<絶対的価値の存在は証明できないが、鑑賞者はその存在を信じ、
 創作者はその証明を試みるべきである。>
 
<芸術は絶対的価値を証明するためにある>
 
ここの部分。
私の今の考えを整理すれば、こうかな。

「芸術とは人が人とコミュニケーションせずにはいられないという
 原衝動から生まれるものである。

 コミュニケーションとは人が人に自分の考えを伝えるということである。
 自分の考えとは自分の価値判断なくしては生まれてこない。
 また、相手にその価値判断が受け入れられるという可能性を信じなければ
 コミュニケーションは不可能になる。
 ということは人々の中に絶対的価値という実体を持たない概念が
 存在することが推測できる。

 芸術を生み出し、理解する為には、
 絶対的価値観の信仰なくしては成立できないことが分かる。

 結果、芸術を生み出そうとする過程は、
 絶対的価値観の存在の信仰を証明するものになる。
 そして芸術そのものも絶対的価値の信仰を証明するものになる。」

なるべく小論文を書いている気分で書いてみました。
何か論理の飛躍があったら指摘してください。

違いがわかって頂けたでしょうか。
芸術はコミュニケーションの為に存在するべきであって、
絶対的価値観を証明することはその結果だということです。
そのこと自体が目的になってしまうことが危険であるということは
逆なでさんとの対話でちゃんと学びました。>土人きさん

ところでこれは提案です。
ここらで一つ簡単にもう一度自分の意見を整理してみたらどうでしょうか。
そしたら他の人も入りやすいし。
話してるうちに変わってきた事もあると思うし。
私はそう。
人に自分の考えを話しているうちに少しは練られてきた気がする。

>土人きさん
言葉で話し合えることを話し合っているかどうか。

それは分からないですが、
言葉で表現できるということは、対象を確実に掴み取ったということだと思う。
このスレッドは、
芸術という存在を完璧に掴み取るという作業をしているのではなくて、
芸術という存在を掴みとりたいという意志の現れだと思う。
もし完全に有無を言わさぬ芸術の言語化を行える人間が現れたとしたら
その人はずばり天才でしょう。

ここで私達がやっていることは掴みえぬ芸術を掴み取りたいという
努力の現れであって、それは別に間違ったことでも、傲慢なことでもないと思う。


289 :空耳:2001/02/03(土) 02:42
・マックと懐石料理
マックとはハンバーガーのことを指すのですか?
それともあのマックのハンバーガー自体のこと?
懐石料理とは料理法のことを指すの?
それとも素材の吟味?
私はフレッシュネスとか好きだよ。
多分懐石とかより。
素材の質が全く同じならどっちが上とか無いと思う。
どちらも重要だよ。

マック自体のことを指すのなら手軽さとか、安さとかの要素が入ってくるから、
味覚という点で芸術の一つとして仲間入りしているのなら、
ちょっと社会学?とかとの関連の方が大きいと思うよ。
芸術との関連とは薄くなってくると思う。

タイタニックの問題だと、私見てないからなあ。
(決して映画に興味無いというわけじゃないよ、映画館でバイトしてるし)
ただ、まあ内容は想像がつくけれども。
やはり物事の真の価値に気付く人は限られているって事じゃない?
アカデミー賞はどう考えても芸術的価値以外の問題も絡んでそうじゃない?
レコ大みたいにさ。

290 :空耳:2001/02/03(土) 02:55
>>286
ヴィトゲンシュタインは無意味だと思うでしょうね(苦笑)
論理学だって結局は失敗してしまった学問のような気もするけど、
それは気のせいか。
沈黙しなければいけないことと知っていても
人はくっちゃべってしまうものです。
ところであなたは昔モーツアルトについてお話していた人ですか?
笛の踊りさん?

291 :空耳:2001/02/03(土) 02:58
>>289
ここの物事の真の価値云々のところは
勿論私は真の価値を知っているということではありません。
つけたし。

292 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/03(土) 16:58
>ここで私達がやっていることは掴みえぬ芸術を掴み取りたいという
>努力の現れであって、
空耳さんの言い回しって良いですよね。

293 :土人き:2001/02/03(土) 17:51
「自分の価値判断なくしては生まれてこない云々」から、
「絶対的価値」への理論の飛躍が土人きの理解を超えている。
むしろ絶対に正しいと思っていたら他人の議論なんてしないと感じるが。
語るのは、判りたいからだろう?
「絶対的価値」を「共通の価値基盤」に置換えたものが、土人きの意見です。
今自分のやっていることが、社会的に意味のあることだとの確信、
つまり「戦略」に対する自信というのはありえると思うし、
それに今現在においてお互いにとって最も都合良くて、
幸せな現状把握の仕方といったものありえるだろう。
だけど、ベストはありえてもパーフェクトはありえない。
という感覚は変わらないや。
「絶対的価値」を信じるに足る材料はありません。
なんか意志するだけで、「絶対」はあるみたい。
何を信じてもいいんだね?

それより今、気になっているのは、
「美」を感じるというのが
味覚や恋や快感のような感覚の一つであって、
未だに感じえていない未体験の
感覚なのではないか?ということ。
テレパシーのごとく、そういうのが実体的、普遍的に
ホントは何処かに存在しているんじゃ・・・。

294 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/03(土) 23:10
生存・生産のために使役している脳みそのバランスをとるために
必要なものでは。
やっぱり本能のひとつだと思う。


295 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/04(日) 00:06
>「美」を感じるというのが味覚や恋や快感のような感覚の一つ

これはそうかもしれない。でもその感知機関は普遍的に存在しているわけじゃなさそう。
だって俺には無いもん。

296 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/04(日) 00:10
>「美」を感じるというのが味覚や恋や快感のような感覚の一つ

これはそうかもしれない。でもその感知機関は普遍的に存在しているわけじゃなさそう。
だって俺には無いもん。

297 :笛箪笥:2001/02/04(日) 08:42
>>290
いいえ、私は最近になってこちらにお邪魔しています。
クラシック板でクッキーくらちゃった別の人ですね。
私もくらっちゃいました。

298 :ククク:2001/02/04(日) 12:49
芸術とは、社会的成功の見込みがなくなった
人間の逃げ道としてあるんだよ。
プック。

299 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/04(日) 13:15
       ∧ ∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ´∀`)<    オマエダナー >>298
 UU ̄ ̄ U U   \_____________

300 :295>298:2001/02/04(日) 13:27
んじゃ俺のよーな人間は社会的成功の見込みがなくなったらどーしたらいいんだよー

301 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/04(日) 18:07
芸術とは人間存在の脆さ、儚さ、もどかしさを認識し、自嘲し慈しむ
ものでしょう。精神の迷走には他人の関心を惹きつけるものがあるか
らです。どんな精神活動も未だに不死でいられない哺乳類としての人
間に対する複雑な感情に根ざしています。生は死のみる悪夢だと、誰
が言ったのか忘れましたが、動は静の過ちであるとも考えられますね。

しかし青少年にとって過ちこそは希望であり欲望です。そこに求める
ものは悪夢であっても会いたい魔性の女であり、禁断の果実とはでき
そこないの生そのもののことなんです。
私たちは生きて悩むことでしかこの悪夢を楽しめないのです。根っか
らこの生を明るく幸福なものとして愛せる人はまぶしくてかわいがっ
てあげたいけれど、共感を覚える真の同士ではありません。
孤独であることに負けて悪夢を善き物として転換して考えようとする
浅はかな行為には同情はすれど巻き添えにはなりたくないですね。

こんな基本的な悩みにすら普遍的な回答を何千年も持てないというこ
と自体が、人間ができそこないであることの証左です。
芸術、哲学とは儚くも多くを得たものから始まった自覚の道標です。
昔はそれは王侯貴族のものでしかありえませんでした。しかし現代に
至る過程の中で、芸術哲学専門家はかならずしも財力権力の富裕層だ
けでは無くなりました。

けれども現世の持てるもの全てを得たといえるくらいの心境を想像
できない人の芸術はどこかものたりなく感じてしまいます。絶望の
度合いが中途半端なままで紡がれる表現がぬるく思えます。
芸術とは精神の王族のものであってもいいというわけではありません。
そうでなければならないのです。
というか、そもそもそういうものなのです。青臭い初期衝動から生
まれるものにもまぐれで交尾できるものもありますが、例外です。

302 :春をひさぐ:2001/02/05(月) 03:08
なんだか急に活気づきましたね。よかったよかった。
先の<芸術は絶対的価値を証明するためにある>
という発言は話の流れを受けてああ書いたのだけど、
土人きさん(>>285)空耳さん(>>288)の意見にほぼ同意します。
「言語で話し合えること〜」は空耳さん(288)に同じです。>土人き

ちょっと路線を変更してみます。
私は客観的判断には「絶対」は存在し得ると思う。
大阪は東京より西に位置する、とか冬の日は短いとか。
南半球から見れば大阪のほうが東なんだけど、そういうことじゃなくてね。
つまり、一つの公理系内では定理は絶対であると。
ここでの議題のような主観的判断は、各個人が別々の公理系だと言える。
だから、基本的には「絶対」なんて存在しない、と私は思います。
主観的判断といえば善悪の判断も難しい。
殺人だって強盗目的、いじめ、仇討ち、正当防衛、事故etc.それぞれ違った
意味を持ち、一概に基準を設けることが出来ない。いわんや戦争に至っては。
それは時代によっても地域によっても左右される。
そして、現在の日本では、強盗目的の殺人は悪とされてる。
ということは? 主観的価値基準は社会通念に規定される?
以前、コテハンつけないぞ!さんと美意識について議論しましたが、
その時私は美意識は社会的禁忌によって抑制されると書きました。(>>159)
つまり私はその奥に、禁忌の向こう側に絶対的な存在を期待しているのです。
美は美として存在するのだが、社会的通念がまるで虫喰いのようなかたちで
それらのあるものを悪しきものとしている。
個々人は多かれ少なかれその社会的通念に判断を惑わされるが、
そういったものへの惑溺を脱却した人は、美を美として評価できるのではないか。
主観は独立した公理系ではあるが、それは人が成長する過程で発展してしまう
もので、皆もとは基本の公理を持ち合わせてるのではないか。
・・・などと思っています。もちろん証明なぞ私にはできません。
だけど。だけど、花は美しい。宇宙はどこまでも神秘的である。
人を殺めることは、いかなる理由があったとしても人に罪悪感をいだかせる。
何か、言葉にはできないが何か、我々の心の奥底に鍵はありはしないか?
歪められた判断基準を矯正するのが批評家の役目であり(>>271)、
正しいな審美眼というものは究極の洗練の末にある。
それは、換言すれば土人きさん(>>293)のいう「美の感覚器官」である
のかもしれない。。。
>>296さんが「俺にはない」と言うのを私は信じません。
あなたは愛されることは不快ですか?主観的判断を下しませんか?
その判断は歪められていて美を美と、愛を愛と感じれないかもしれない。
しかし、それは歪められたものであり、矯正は可能である野ではないでしょうか。

303 :春をひさぐ@ちょっと攻撃的に:2001/02/05(月) 03:09
>>298さんの言は、創作者の視点でならニヒリスティックに
言い得て妙だと思います。300の人は鑑賞者でしょ?
さて。逃げ道としての芸術はなにがしかの意味を持ちますか?
どうして芸術は逃げ道になりえるのでしょうか?

>>301
あなたの意見は感覚的すぎるように思います。
断定的な書き込み全てに対して、何故?どこが?と純粋に問えてしまう。
悩むことでしか生を肯定できない?
そしてそれに対する救済を見出せないでいる人間は不完全であると?
懊悩の果てにしか芸術は、美は創造できない?
こんなばかげた話はない。
もしもあなたが私より若い(未成年)であるならば、あなたはもう少し
経験をつみ、考えあぐねる必要があると思います。
あなたの悲観はモラトリアム青年たちの通過儀礼のようなものです。
もしもあなたが私より年配であるならば、どうだろう、私ももっと
精進しますが、僭越ながらあなたも精進の余地があると提言したく思います。
もちろん、あなたがより上を目指すなら。
上とは何か?なんでしょうね。私にはわからないんだけど。

この私の発言も、私的な絶対的価値を想定してのものですね。
私にはこれ以上意見を整理できないよ。>空耳さん

304 :301:2001/02/05(月) 04:21
>>303
あなたはとても幸せそうなので、そっとしておいてあげたいです。
まぶしいですね。だけどモラトリアム青年の悲観とヨーロッパの
貴族の不可避な退廃を同列にとらえてはいけませんよ・・・
いずれあなたにも理解できる時がくるでしょう。
こないことを祈らずにはいられませんが。皮肉ではなく心からです。

305 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 11:28
なるほど、長文ばかりで何百もののレスがついたスレってのは書き込みづらいものだな。
俺が参加していた某板の某スレも一見さんは入りづらかったのかな…。
まあそれはいいとして…。

>>288
>芸術とは人が人とコミュニケーションせずにはいられないという
>原衝動から生まれるものである。

これは、芸術的存在を芸術足らしめる十分条件とはなり得ても、
必要条件とは言えないのではないだろうか?
やはり、ある作品を芸術かそうでないかを規定するのは最終的には
受け手に委ねられるものであって、その作品の動機付け自体は
その作品が芸術であるかどうかとは本来的には別ではないだろうか?

中国の万里の長城が芸術ds区品として成立するかどうかはわからないが、
あの建造物が多くの人に何らかの感動を呼び起こすことは断定してもいいだろう。
だが、万里の長城は異民族の流入を防ぐため、すなわちディスコミュニケーションを
目的として作られたものである。
このような稚拙な例に限らず、その作品の本来の役割から独立したところで
芸術作品として成立しているものは枚挙にいとまがないのではなかろうか?

306 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 11:42
続き。

芸術かどうかを成立させるのは最終的には受け手に委ねられるとして、
そのためには受け手の中に「芸術」という概念が存在していなければならない。
このスレでのやり取りは、各人の「芸術」を掘り下げる作業と同一なのかもしれない。

さて、自分自身の「芸術」を鑑みるに、その基盤となっているのは
やはり明治以降に西洋から流入した価値観だということを強く感じる。
だが、日本ではその価値観を支えるだけの基盤となるものが当然ながら
薄弱だ。だから、「芸術」はひどく曖昧な
「言葉では言いづらいんだけど、なんとなく、ほら、あんな感じ」
として自分の中で成立してしまっている。恥ずかしいことだが、
それが現時点での自分にとっての「芸術」だ。もちろん、後付けで
言葉をあてはめるのは容易なのだが、正直に答えようとすれば上の言葉が
答えとなってしまう。そして、その言葉でも十分に
コミュニケーションが成立してしまうのだ、多くの場合!

蛇足かもしれないが、この曖昧で実体の見えない、「芸術」の成り立ちというのは
日本という場所に起因しているのではないかと思う。

307 :土人き:2001/02/05(月) 18:47
近代化してから100年以上とっくに過ぎといて、
言うのも恥ずかしいんだけど、
やっぱり「芸術」なんてのは借り物の概念なんだよなあ。
地に足が付いてないからこそ、
余計な箔付けも横行すれば、ステータスもあるんだよねえ。
この輸入概念によって、切り捨てられてしまった部分があるとは
よく言われることだし。
まあ最初の頃にもこんな話はあったけど。
それでも自然に感動することはある。
「芸術」といっちゃうと嘘くさいけどね。

308 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 22:18
>>306-307
まったくもって同意できないね
縄文文化にしろ密教にしろ密教美術にしろ
絢爛たる江戸文化まで、むしろ開国以前の
美術・思想こそ国内外からの評価が高い。
大陸文化の流入も含めて、西洋美術や思想と
くらべても優劣をつけられない豊穣なものだ
と思う。
まして「芸術ってなんのために・・・」という
本質論に至っては国家との関係性は無いとは
いわないまでも、どちらかというと希薄だ。
というか自分のとってはそうだ。
少なくとも 306-307 のような西洋の芸術を
借りているという捉え方は今の人達の中では
一般的なのだろうかと不安になる。
国粋主義でもなんでもないつもりだし、もちろん
西洋の美術・思想も好きな上でそう感じる。

309 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 22:28
>308
というか、そういう見方が不可避的に入ってるという話じゃないのかな。
それは我々が縄文土器や宗達や北斎を見る見方の中にまでさ。

310 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/05(月) 22:42
どうだろう。。 そう読めない部分があるな。
もちろん見方に影響はあると思うし、生活様式に影響もあった。
こと思想に関していえば個人的には西洋(の人の)思想に傾倒
してるとも思うけど、それでも「芸術」を思う時に近代西洋の
ものを「基盤」にはしていないし、「借り物」で
「地に足がついてない」とも思わない。

「芸術」が曖昧で実体の見えづらいものなのは世界共通。
「日本に起因している」というのがわからない。

311 :309:2001/02/05(月) 23:08
そうか。それはそうかもね。

312 :空耳:2001/02/06(火) 00:11
>土人きさん
ご指摘その通りですね。
一度これは放り出してもうちょっとみんなと話してよく考えてみます。

「芸術」とは結局西洋の借り物に過ぎないというのは前も話しましたが・・・
あの後レポートを書くために本をよく読んでいたら、
日本における芸の思想は、西洋の19世紀以前の芸術一般の思想より、
今日の19世紀以降の芸術の思想に近いというのが事実だそうです。
かつて西洋において芸術はテクニークの一分野に過ぎなかった。
日本では芸を特別視する風潮ありましたよね?
ただ、大きく違う点は、
西洋においては芸術とは前例を打ち破っていくのが通常であるのに比べ、
(まあアカデミズムは勿論ありますが)
日本においては模倣こそが芸への道と考えられていたこと、ということ。
(勿論こっちにも例外はたくさんある)
後、もう一つなんかあったな。
こういう事実を少し参考にしてみて下さい。

考えてみれば、
世阿弥なんか読んでると、芸術という言葉こそが似合うような気がしませんか?
私は思うほど芸術という思想は西洋の専売特許では無い気がする。
310さんなどの頭の中では、やはり東洋の芸思想と西洋の芸術思想が
交じり合っている。
私もそう。
だから借り物の思想のようにはあまり思えないのです。
そして私にとって西洋であるということと、
東洋であるということはあまり問題ではない。
そのことは前にも言いましたが。


313 :空耳:2001/02/06(火) 01:27
>>305
あーすっかりそういうものの存在を忘れていた。
・・・。
そうか、そういうものの場合は受け取る側の人間の方が重要だ。
うーん、うーん、どうしよう。
そういうものも芸術としてみなすべきだって
自分で前の方で言っていたのに。
>>288では自分から芸術の範囲を狭めてしまった。
乱暴な言い方をすれば、
失われたものとのコミュニケーションと言い切ることもできるけど、
それじゃあ絶対的価値観への渇望の話は飛んでしまうし・・・
これももうちょっと考えてみます。

>クククさん
あなたのことは興味深く思っています。
もうちょっとレスできるだけのつけいるすきを与える長文を
書いて欲しいなあ。
今のところあなたのあの文からでは反対することしかできません。
だって社会的成功を求めて芸術を目指す人なんて星の数程いるよ!
だって芸術は金を生むし、芸術家であることは何故かこの世界では
銀行マンであることよりステイタスなんだから!
整形までしたアンディ・ウオーホルがいい例。

314 :空耳:2001/02/06(火) 01:31
>>305
あーすっかりそういうものの存在を忘れていた。
・・・。
そうか、そういうものの場合は受け取る側の人間の方が重要だ。
うーん、うーん、どうしよう。
そういうものも芸術としてみなすべきだって
自分で前の方で言っていたのに。
>>288では自分から芸術の範囲を狭めてしまった。
乱暴な言い方をすれば、
失われたものとのコミュニケーションと言い切ることもできるけど、
それじゃあ絶対的価値観への渇望の話は飛んでしまうし・・・
これももうちょっと考えてみます。

>クククさん
あなたのことは興味深く思っています。
もうちょっとレスできるだけのつけいるすきを与える長文を
書いて欲しいなあ。
今のところあなたのあの文からでは反対することしかできません。
だって社会的成功を求めて芸術を目指す人なんて星の数程いるよ!
だって芸術は金を生むし、芸術家であることは何故かこの世界では
銀行マンであることよりステイタスなんだから!
整形までしたアンディ・ウオーホルがいい例です。

315 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/06(火) 02:02
空耳二重かきこ多いよ

316 :空耳:2001/02/06(火) 02:16
多重かきこみごめんなさい。
なんか調子悪いなあ、最近。

あと、つけたし。土人きさん。
美を感じることのできる独立した存在とした知覚の話、
おもしろいけど、やっぱり美は知覚を総合するものな気がするなあ。
だって美を感じることができる為には五感が必要だもの。
三重苦だったら体験できる美はぐっと狭められちゃうでしょう?
美は鰹だしと昆布だしが出会ったときに初めて体験できる
美味の世界に似ているなあ。
美とは頭の中で組み立てられた立体的なもの。
の気がする。

>>301
あなたは天才の存在を忘れているよ。
みんながみんなベートーヴェンなわけじゃない。
モーツアルトは人生に悩んだことなんてあるの?
それでも彼の音楽は芸術でしょう?
(レクイエムだけはちょっと毛色が違うけど。)
彼は生活に苦労しただろうけど、
それが彼の作曲活動にはほとんど影響を与えなかったことは
おそらく事実だと思う。

それとは別に、一つ。
実生活ではこんなことみっともないので絶対に言わないが、
ネットだから言ってしまうことにする。
時々見かけるあなたの様な人に一つ言いたいことあるのです。
このスレッドとは全く関係無いので、他の人にはとばして欲しい。

私の育ちは、どちらかと言えば、幸せでなかったろうと思う。
その上で言うけど、あなたの考えには共感しかねる。
それから、ひさぐさんにあなたは幸せそうだね、なんて
目を細めて言っているがそれについても賛成しかねる。
確かにこの人は素直で育ちが良さそうに見えるけど、
人なんて実際のところどうかなんてわからないこと。
私は人前で自分の家庭の事情を悟られるのは大嫌いなので
何も無いように振舞うことにしている。
大体、〇〇は幸せそうでいいわね〜などと言われる。
人に不幸自慢されることもある。
そういう時は複雑な気持ちだ。
また、
この人は素直なかわいらしい人だからきっといい御家庭なのだろうと思えば、
壮絶だったりする。
だから人に安易に幸せなんでしょうねなんて決して言うものではない。
貴族的退廃?
くそくらえ。
あほくさい。
なんの内容も無いよ。
本当に目の前が真っ暗になったことないだろ?
私は不幸せであることに優越感なんて感じることは出来ない。
何も考えずに幸せな家庭生活を送れたらいいなと常に思ってるよ。
はっきり言ってあなたの物言いは不幸な人間に対して失礼だ。
哲学的苦悩なんて現実の生身の人間の苦悩に比べればカスだよ。カス。
何故そんなに偉そうなのですか?
時々不幸せ自慢をしている人間を見かけるけど、
見当違いもいいところだ。


317 :305:2001/02/06(火) 02:17
ちょっと言葉足らずで誤解を招いた部分もあるようなので補足などを。

>>306で言っているのは>>309氏の言っているようなこと。

>>310氏は
>それでも「芸術」を思う時に近代西洋のものを「基盤」にはしていないし

と言うが、では明治以前に果たしてこの国に「芸術という概念」は
存在していたのだろうか?
そして、もし「芸術という概念」が存在していたとして、
それは現代とつながっているのだろうか?
大いに疑問だ。

ただ、「美」という概念は確かに古き日本に存在していた。
そして、その「美」は>>60で示されているような西洋のそれとは異なっていたと思う。
だが、明治以降に「美」の形が大きく変化してしまったのは
例を出すまでもなく明らかであろう。
もしかして、対象を「芸術」ではなく「美」にすればもう少し
話も噛み合うのかもしれない。

318 :305:2001/02/06(火) 02:37
>>306
>蛇足かもしれないが、この曖昧で実体の見えない、「芸術」の成り立ちというのは
>日本という場所に起因しているのではないかと思う。

と書いたのは、まあ、あくまでも自分の印象論の域を出ないのだけど、
日本の文化というのは芯が不定形でアメーバのようで、その代わりに
外から取り入れたものを自分達なりに加工することに優れている、と感じるところから。
この文字だって、中国から入ってきた漢字を加工して出来上がったものだしね。

文化がそのように成り立つ理由は、おそらく地理的条件によるもので、
プライドの高い韓国人を育んだのが、朝鮮半島という危機にさらされやすい
場所だということと比較してみると説得力を持ち得るのではないかと思うのだが
ちょっと蛇足が過ぎるね。

で、そのようにして文化が成立する国ではあらゆる概念が流動的で
(いや、そうでない概念もあるのかもしれないのだが、ちょっと思い当たらない)
しかも外的条件によって断続的な変化をしやすいのではないか、
そういった考えから上のような印象論を述べたわけです。

#全然関係ないけどコテハン使って書いた方がいいですかね?
なんとなく名無しで書いてみたんだけど。

319 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/06(火) 05:26
>>316
>>301 のカキコを悲観とか不幸自慢ととるのは世俗的過ぎないですか?
美学芸術学を論じようとするにはあまりに新聞の読者の欄レベルじゃないかなー
「芸術とはなんのためにあるのか」という1の問い に対してはひとつの考え方だし
それほど珍しい意見ではないと感じるけど?
それにまったく違う世界観を持つ人の存在が受け入れられないのにもかかわらず、
1のような提案をしたのでしょうか。
そんなレベルで捉えるからアドレナリンが漏れてくるんじゃない?

実生活の不幸と精神の苦悩を比して後者をカスと言い切る粗暴な人には
芸術を語る資格はないって思うよ。それこそ精進が必要って感じ。
目の前が真っ暗になった不幸がないかぎり理解できないというのでは
そんな言説には普遍的な説得力はありえないと思います。
他人の痛みを本当にわかることなんか実際にはできないんだから
あなたの不幸はどうでもいいって思う。ていうか私にはどうでもいい。
あなたが自分が不幸なのが理由でおかしいと感じた、と自覚してるんなら、
その反応過程は多数で共有できないんだと思わないのかな。
とにかく不幸云々とは違う次元で展開したほうがいいと思います。
読むなと書いてるところを読んだ私も悪いかもしれないけど
なんか見当違いっていうの、あなたにも感じてしまいました。

320 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/06(火) 07:32
哲学的なことはよくわかんないけれど、
貧しい農家のばあさんの話よりは
王様や天皇や大統領や大金持ちの人、
あるいは過去にそうだった人の話の方が
芸術的な観点でいえば興味あるとはいえる

321 :春をひさぐ:2001/02/06(火) 11:10
どうも議論が噛み合っていない気がする。
それは、多くの人が「芸術とは何であったか」を語り、
一部の人が「芸術とは何か」を語っているからじゃないかな。
過去形での定義は比較的簡単にできるけど、
進行形の定義は概して消極的(「〜は芸術ではない」)にしかできない。
空耳さんが呈したのはどちらの疑問なのか、
一度はっきりさせたほうがいいんじゃないかな。
あるいは同時進行するにしても、自分が/相手がどちらの視点なのかを
確認しないと議論にならないのではないでしょうか。
私は断然、今/これからの芸術についてのほうが興味ありますね。

不幸云々で少しくもめていますね。
確かに私の301に対する反論は、一つの価値観を頭から否定している。
ちょっと反省。
でもまあ議論なんだから、「あなたの意見、それも一つの見解ですね」で
終わるのではなく、火花を散らし、ジンテーゼを求めるのはいいと思う。
あと、匿名掲示板において実生活に対する言及はちょっとカコワルイ。
もちろん、時には有効なこともあるけれど。




322 :ククク:2001/02/06(火) 23:37
僕も議論に加わっていいかな?
ククク。
まあ、いやだといっても加わるけどね。
クククク。

323 :わたしはダリ名無しさん?:2001/02/07(水) 00:16
あげ荒らし厳禁 削除依頼

324 :ククク:2001/02/07(水) 01:45
この板は排他的でいけないね。
ププ。

325 :↑↑↑:2001/02/07(水) 02:54
じゃあ他へ行ってください
つまんないです。てか、ウザい

326 :よっちゃん:2001/02/07(水) 03:19
>ククク
 ∩ ∩
 |  〜 
 | ∧ ∧ 
 | i

327 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/07(水) 03:20
ヒヒヒ

328 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/07(水) 03:58
排他的じゃないのよ。
参入障壁があるわけじゃないのよ。

新規参入がないだけ。

329 :土人き:2001/02/07(水) 21:03
301
文化は繁栄の元に生まれるわけで、
「精神」のエリート主義には一理あると思う。
文化とは無縁の田舎者が感動するのは、
目が眩むような派手なものだろう?。
ただし上には上がある以上、序列付けには意味がないけど。
価値相対。
(うー。風邪ひいた。頭まわらん。)

330 :ククク:2001/02/07(水) 21:27
さて、議論に加わろうかな。
ククク。
ちなみに、めんどくさいから過去ログは読まないよ。
クク。

芸術が何のためにあるかって?
フロイトは芸術の起源を性の欲動にもとめたよね。
つまり、芸術の目的はセクスと同じと言うわけだ。
ククク。
認めざるをえまい?


331 ::2001/02/07(水) 23:30
    ・・・チョット ガッカリ

332 :>330:2001/02/07(水) 23:58
だーかーらー
最初からわかってたよ
こいつの文章から。
この程度のヤツだって。
 日本語ダメー
 浅はかー、
 面白みゼロー
ゴミ以下。
荒らし以下。

隔離スレッド作って引篭もってもらえませんか
それ以外書きこみ禁止
アゲ荒らし厳禁
消えてね。さようなら。

333 :666z666:2001/02/08(木) 00:10
このスレッド全部読んだぜ。
........ふう。

334 :ククク:2001/02/08(木) 00:48
>332

ククク。
議論もなく意味のない批判のみ。
低脳君はわかりやすいなあ。
プック。ハーッハッハッハ。

335 :666z666:2001/02/08(木) 01:12
>>334

               
 ? 淋 ホ 君    
   し ン      
   い ト      
   ん は      
   だ        
   ろ 

336 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/08(木) 03:56
>クククさんへ
あなたの低俗な人間性が露呈されてて痛々しい。大人になろうね。

あと精神異常、気違いみたいな感触もあるから病院にいったほうがいい。

俺はやさしいから言うけど、この感じで変わらないなら
あなたの人生は悲惨なものになるよ。

少しまともなとこも残ってるみたいだから、
可哀想に思い助言しました。

337 :かまってほしいだけでしょ:2001/02/08(木) 04:47
あーあ、どっかヨソにいってくれないかなあ。。
やっぱり2chってダメなのかな。
ここは違うと思ってたのに。
やっぱりほかみたいにオコサマ荒らしでさびれちゃうのか…
本当に、どこかに逝ってくれないかなー
でもこうやってかまえばかまうほど喜んで叫びだすんだよね
クソガキめ。
みんなせーので1週間くらい書きこみやめますか。
ガキなんでたぶん飽きて他の板にでも去ると思うけど。
あーあ、どっかヨソにいってくれないかなあ。。

338 :ククク:2001/02/08(木) 23:00
どうもつまらない奴が多いね。
ぷぷ。
これからもよろしくね。
ククク。

339 :腐肉:2001/02/08(木) 23:26
フロイトにかかると全ての行為は性衝動になっちゃうからなあ。

340 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/09(金) 00:18
http://mailcheck.plaza.gaiax.com/cgi/sindan.cgi

でクククのレスを診断したら65%の確率で女とでたぞ。

341 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/09(金) 00:23
セクスかなぁ、オナニだと思うよ。自己満足でさ。
くだらないね、だらだらとさ。芸術って言ってるとこで、終わってると
思わない?
物を創ったら誰かが「芸術」って言っただけだよ。
芸術なんて、頭で考える前に何か創ったら?そしたら分かるよ。
考える時間と脳味噌の容量がもったいない。

342 :腐肉:2001/02/09(金) 00:56
考えることが楽しいのです。快楽なんです。

343 :ククク:2001/02/09(金) 02:08
>339

>フロイトにかかると全ての行為は性衝動になっちゃうからなあ。

美術を高尚なものと信じたい人たちは
認めないだろうけどね。。
ククク。

>340

ククク。

>341

クク。フロイトの言うように
自由な性活動が不可能な人間社会において、
性衝動を昇華するために芸術が生まれたとしたら。。。
芸術とはセクスの代償であり、たしかにオナニと言えるね。
ククク。
この板の美術オタクは認めたくないだろうけどね。。
ぷぷ。

344 :666z:2001/02/09(金) 02:22
意外とナイーブな奴だな。
君にとって、性の禁忌というのはそんなに強力なのか?

345 ::2001/02/09(金) 03:10
いいじゃん芸術が性に根ざしていても。
本能的欲望は理性を超越するもん。生命欲とかもね。
でもそれゆえ卑小なもとなるわけじゃない。
巷間に溢れている安売りのセクースは蔑められるかもしれないけれど、
お互い本能剥き出しになってドロドロになるのって、
逆にすごい崇高なもんだよ。崇高って言うと語弊があるけど。
そういうときって「愛」なんてないよ、感情レベルを遥かに超えて本能行動だから。
だから別に芸術がセクースだろうがオナーニだろうが全然OK。
おやすみ。


346 :ククク:2001/02/09(金) 03:35
>344、345

ククク。
まったく議論になってないね。
クク。
「性衝動=芸術」を認めないのは僕じゃなく、
芸術を崇高だと考えるオタクだと書いてあるよね。

>君にとって、性の禁忌というのはそんなに強力なのか?

ぷぷ。日本語理解力が足りないね。

>だから別に芸術がセクースだろうがオナーニだろうが全然OK

僕もそう思うよ。ただ、1が芸術が何の為にあるか?って
聞いているから、セクスやオナニと同じ、って答えたまでだよ。
ククク。


347 :名無しさん@通りすがり:2001/02/09(金) 03:55
>337
君の方が痛いと思う。

348 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/09(金) 05:22
>>346
稚拙だね〜 プププ

349 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/09(金) 05:24
せめて哲学板のフロイト関連のスレくらい読んでからこいよ。
煽りの中でも幼稚すぎて恥かしくなるよ。
今どきリビドーでなにかを説明しようなんて、よく照れずにできるな

350 :ククク:2001/02/09(金) 07:09
>349

ぷぷ。
行間を読めない低脳君には説明が必要なのかな。
ククク。
芸術とは何か、という1の問いにたいして言葉をこねくり回す
君たちへの皮肉として、「芸術とはセクスやオナニといっしょ」
という皮肉なんだよ。
ククク。
フロイトなんてどうでもいいんだよ。
ぷぷ。

351 :305:2001/02/09(金) 07:33
でもフロイトって臨床心理学の側からだとオカルトでしかないけどね。

>>350
>芸術とは何か、という1の問いにたいして言葉をこねくり回す
>君たちへの皮肉として

だとしたら「議論とはセクスやオナニといっしょ」じゃないの?
まあなんにせよ、自分で解説しなきゃいけない皮肉ほど哀れなもんはないな。

352 :腐肉:2001/02/09(金) 09:23
誰も『「性衝動=芸術」を認めない』なんて言ってないよ…。
表現行為って突き詰めて行けば全てそこに集約されるし。
だから「芸術とはセクスやオナニといっしょ」 というのは当たり前の事。
ただ当たり前過ぎてつまんないんだよ、そういうの。
もう飽きちゃったんだよ。

353 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/09(金) 09:38
じゃあ あなたは何を気持ちいいと感じますか。と進んでいきますか。


354 :ただの荒らしなので終了:2001/02/09(金) 16:32
おまえら・・・
初心者かヴァカ者どもめ!
こういうのはただネチネチ絡みたいだけの厨房なのは
ちょっとみりゃわかるだろうが!ゴルァァ!
こんなヤツ相手にしても誰も得しないのがわかるだろう?
このクソガキがまた調子に乗ってくだらんゴミレスを
書きこんではしゃぐだけだ。 見苦しいので sageでもレス付け禁止。
わかったな? レスしてる側も同程度と見られるんだ。
いいかげんそれぐらい分かれよ。まったく。

これ以後完全無視。レス付け厳禁。
これだけ言ってもわからんヤツは同罪。
そいつも完全無視。

わかったな?

┌──────────────────────―─―┐
│                                       |
│  16:32                                 |
│                                      |
│                ∧_∧                      |
│               ( ・∀・)                |
│               (    )                 |
│               | | |                     |
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355 :土人き:2001/02/09(金) 17:41
セクースだって1人オOニーにすぎない
すぎないけど、お互いが共感し会っているように感じる瞬間もある。
初めから、それを諦めないということ。
ということ自体に価値を見出そうとするのが、
この議論です。

あと、「芸術」はなんで素晴らしいか
それを説明するのに「言葉」に頼ってきたのは事実。
そのくせ言葉では捉え切れない程、
かくも素晴らしいものなのだと主張する嘘くささ。

訳の判らないオブジェがあって、
自分には何の価値もないのに、
「ホントは」素晴らしいものなのだと力説する
うさんくささ加減。
クククの言を「言葉」への訝りと捉えてみるに
やぶさではない。
だが、では「くだらなくない」ものって
何なのか?あるんか?そんなもん。

356 : :2001/02/09(金) 18:36
>>355
はいそこー! ダメですよー
>>354 を読みましたか?
反応禁止です。迷惑なのでやるのならククク隔離スレッドで
続けてください。以後書きこみ禁止です。

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357 :土人き:2001/02/09(金) 20:24
えーと、「芸術」概念の輸入について。
芸術とか美術とかっつー、日本語を使ってる時点で
もうART=芸術ではないのだ、と。
取入れつつ影響受けつつも、
それは日本独自の概念なのだと、と言うこともできよう。

しかし問題は、近代化の過程でその他多くの植民地国がそうしたように、
美術という制度も、民主主義とか憲法とかと同感覚で
近代要素の一つとして、導入したということではなからうか。
「美術のための美術」とかさ。
この時、その他の社会的要素と同じく日本の造形文化も変質したことは、
良く言われることである。
というか、この時に「芸術」になったわけで。
それまでの造形表現は、また別の価値観のもとにあったものではないの?
それに、試行錯誤はありつつも、西洋のマネをしてきたのも事実。


358 :土人き:2001/02/09(金) 20:27
果ては精神論に至る崇高な芸術論がうさんくさいのと同様、
「〜に過ぎない」と言い切ってしまう論も寒いものだ。
戦略としてはアリだけど。

「芸術」は何の為にあるんだろう?
存在しえないものは、存在してない筈なので、
もちろん意味はあるのだ。文化から造形表現が消えたことはない。
何より値段がついて消費される。価値があるということだ。
認められないものには、価値がない。
後世で評価されるなら、その時点で価値が発生したということだ。
ではどうやって価値付けるのだ?ここで重要なのは、価値観である。
芸術に対する言説は、価値観生み出すためにこそあるのだ。
それはあくまで宣伝であるからして、目的のためには
西洋コンプレックスもフル動員されようさ。

自分が信じるところの価値観を、効果的に使え広めるのには
分かり易い説明が要る。
日々、美について考えている人間には、
それは軽薄に映ろうが、しかし難解であれば良いというものでもない。
そして誰もいなくいなっては困るのだ。
なぜなら作品は、鑑賞者がいなければ完成しないから。
どんどん深くなっていく表現に付いて行けるだけの消費者、
それを支え価値付ける文化が、幸福に噛み合わなければ、
よりの高みも目指せないし、作品は成立しえない。

良い商品であるというだけではダメで、
優れたキャッチフレーズが不可欠だ。
だから議論をこねくり回すことにも意義がある。
つまりこれは戦略会議。
…って、暴走させるなよ。

359 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/09(金) 21:11
悟ったかい?

360 :666z666:2001/02/09(金) 22:19
>>354

すまそ。

非常に真面目な書き込みが多いスレッドなので
「ちょっと悪いかな」とは思ってたんだけど。

361 :わたしはダリ?名無しさん? :2001/02/10(土) 00:19
>354

また、あんたか。
あんたが一番うざいんだけど。。

362 :名無しさん23:2001/02/10(土) 00:27
芸術は知の為にあると思います。

363 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/10(土) 01:03
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364 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/10(土) 04:03
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365 :土人き:2001/02/10(土) 10:00
<絶対と相対のまとめ>
どうせ分かり合えないさ、という相対主義も
一度得た「唯一究極の」答えに、安住してしまう絶対主義も避け、
常にベストを目指して考え続ける「最高主義」を、基本的にはとる。
たとえ人類が、人のクローンを造れても、
まだまだ神の域へは遠く、果てしない。
上には無限に広がっており、
絶対に達したと言って、それを小さく限定してしまうことなど、
傲慢なことであるから。

もっとも、人間の時間とエネルギーは限られており、
世のすべての事柄について考えることは不可能なので、
通説レベルで十分なことが殆どである。
各人がそれぞれ違うことについて考えればよい、
分業のお陰による文明の恩恵にあずからう。

366 :ククク:2001/02/10(土) 18:32

>ただ当たり前過ぎてつまんないんだよ、そういうの。

そのつっこみはありだね。ククク。
それを待っていたんだよ。
ククク。

>358

土人き君は自ら創作活動をしたことがあるかな?
作品と鑑賞者に価値をおいている議論から推察するに
今まで創作活動を行ったことがなく、構造主義をかじっただけの
書生ではないかな。

芸術の価値を、観察者の存在や値段によって判断するのは
あまりに浅はか過ぎるよ。ククク。
芸術の本質は出来上がった作品ではなく、産み出す活動にあると
僕は思うんだよね。ククク。

芸術がセクスと同じだとすれば、芸術は欲動の昇華活動、つまり、
本能的欲求の充足こそ芸術の本質だよね。
とすれば、芸術には価値判断など無用なんだよ。ククク。
価値だの、鑑賞だのは、芸術の経済的な側面を拡大しているだけだね。
ぷぷ。


367 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/10(土) 19:13
春をひさぐ氏の比較芸術論はどうなったんだ。
なんだかんだいってこのスレのなかでは一番おもしろかった。


368 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/10(土) 23:24
粘着厨房が上陸したようなのでみんな避難してます。

369 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/11(日) 00:09
「苦苦苦」の煽りで無意味にもりあがってるスレ。
ここ板に来るKNIーVEな人たちを好くってやれよ →→→「ブプ」やろう

370 :368:2001/02/11(日) 00:45


371 :368 :2001/02/11(日) 00:56
俺か?

372 :名無しさん@通りすがり:2001/02/11(日) 01:23
999の逝ってる事のほーがマトモに聞こえるぞ。

373 :>372 そんなあなたも:2001/02/11(日) 02:02
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374 :{´∀`}:2001/02/11(日) 03:18
チュウボウつまんねー >>999
マジで13〜17歳くらいって感じじゃない?
まあヒマな大人がテキトーに相手してやっときば喜んでるだろうから
それはそれでもいいけど、sage でやってくれんかね?
ここはもっと興味深いスレもわりと多い板なんで、目障りなんだわ。
美術鑑賞板なんだから、板の美観も大事。sageておくれ。な?

375 :土人き:2001/02/11(日) 11:54
なんか・・・分かり易いものには、威勢がいいものだな(含自分)。
クククがドレほど理解して、言葉を綴っているかは、
別にそれほど重要ではないのでわ?

さてと。ようやく本音を言ってもらえて嬉しいよ。
そりゃ、パズルを組み立てるのも、塗り絵をするのも楽しいさ。
ある種の単純作業には、治療効果がある。
でもそれは単なる作業だろう。
創作活動を、自分のためにするというのは、
まあ、そのとうりなんだよ。
しかし芸術によって、「本能的欲求が充足される」というなら、
それは効果効率によって、金銭での価値秩序付けが可能なものだろう。
「本質」と言い換えてみたところで、
価値判断をしていることに変わりはない。
意図的に極論を言ってるのだとは思うけど。
「出来上がった作品ではなく、産み出す活動にあると」
と言ってしまえば、あらゆる鑑賞行為を否定することになる。
じゃあ、創ったはいいが、誰が見てくれるんだ?

他人に閉ざされた行為で、
しかもその結果の価値も他人に閉ざされているなら、お山の大将さ。
いやそれはいい、そもそもなんで「表現」するのかを思ってみれば、
それは他人を意識しているということだ。
「所詮、人間ってヤツは孤独なのさ。」とニヒルに吐くとして、
では、そのセリフは誰に向かって言ってるんだ?

なんで表現行為によって、「欲求の充足」が成されるんだろうねえ。
そこに、単純作業の反復による恍惚がもたらす充足を
加味して考察してみるのはよかろうがさ。

376 :春をひさぐ:2001/02/12(月) 01:48
ああ、荒れてしまった。すごく悲しい。
このスレって、とても面白いこと話し合ってると思うんですよね。
結論なんてでなくても、有意義だと思う。
クククはむかつく書き込みするけど、煽って議論を活性化させるのはありだと思う。
一体彼がどれほどの位置に立っているのか、私にはわからない。
真性厨房かもしれないし、この手の議論に倦んだ識者かもしれない。
どうでもいい。煽り部分は無視すりゃいいじゃん。

・クククと土人きさんの議論について。
私は一応作る側の人間ですが(アマチュア)、作品の価値は2種類あると思ってます。
一つは土人きさんの言う客観的な鑑賞者側からの価値。
「作品」ではなく「テクスト」の価値ね。
もう一つはクククの言う主観的な創作者側からの価値。これが「作品」の価値です。
「本質」と言う言葉の定義が曖昧ですが、どちらかの視点でしか創造物の本質に
到達できないというものではないと思います。
「作品」の本質、「テクスト」の本質、それは別のものでしょう。もちろん優劣など。
創作者にとっては、昇華だとか自己治療だとか、そんな単純なものは問題では
ありません。それはおまけであって、まさに本能的欲求の充足のみを求めている。
私は、だけど。どうして書きたいのか、自分のことながら全くわからない。
以前の議論(>>190あたり)で、私は「テクスト」側から接近では「作品」の本質には
到達できない、そういう接近方法は間違っている と主張しました。
今でもそう思ってますが、それとはべつに、「テクスト」としての価値基準は
あってもいいと思ってる。評論化が理屈をこね、値段がきめられる。相対的。
もちろんこれには創作者とは別に鑑賞者がいなければならない。
だけど、「作品」の価値は主観的であり、創作者にのみ意味を為すから優劣など
きめられない。ましてや値段など。お山の大将で結構。
ただ、「テクスト」の価値が相対的であるとして、そこに絶対的な価値基準が
あるのかないのか、このスレでは結論が今だでていない。

表現行為、皆が皆おしなべて他人への開示を意識していると、私は思わない。
生活レベルの欲望(お金・地位・名誉)が絡んでくるので一概には判断を下せない。
表現行為そのものの目的が、べつに閉ざされていてもいいじゃん。
そりゃ誰だって認められたいよ。買って欲しいよ。当然だよ。
しかし、創作への欲望は、そんな生活レベルに拘泥するものではない。

これは別次元の話。独我論者が議論する。
彼は一体何のために議論するのか。彼にとっては他我など存在しないのに。
多くの人間は自己矛盾を抱えてる。また、形而上下で思想と行動は一致しない。
が、そんな単純なことか? 「人間は孤独なのさ」という発言は、
その主張とは裏腹に他者からの肯定を求めている必要があるのか?
これは哲学板の話題だね。べつにどうでもいい。

>>367
泣かせるこというねぇ。これは>>302 >>271あたりの話のことかな。
その議論すごくしたいんだけど、だれもレスしてくれなかった(涙)

※あいかわらずの長文 失礼しました。 

377 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/12(月) 15:46
長文もたいがいにしろよ・・・
クククは呼び捨てで土人きにはさん付けかよ。ったく。

ついでに土人も単語登録されてないことに気付いた>IME
 いいかげんにしろよ MSKK、JUSTSYSTEM。
 気狂いも片輪も入れとけよ。PC中毒もはなはだしい

378 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/12(月) 15:53
>>376
999のレベルが看破できないようでは君もかなりのヴァカだね
君の言いたいことを、せめて5行でまとめたまえ。余談多すぎ。
999は逆。「芸術はなんのためにあるのか」について引用無しで
3行くらい自分の考えを書いてみろ。かけないくせに荒らしだけ
しやがって。チュウボウの中でももっとも鬱陶しい。氏ね

379 : :2001/02/12(月) 22:50
春をひさぐ=土人き 分裂キティでした。

380 :春の土人:2001/02/13(火) 01:01
>>377
>>378
>>379

もっと汚い話をしようぜと爆発しそうな眼で空耳は言った。
なるほど離れて視ると肛門から手足が生えているのが判る。
おれたちは本当は狂っているのかもしれない。
しかしそれは誰にも判らないことだ。
何かが向こうからやってくる。アホとキチガイの間の子が燃え盛る肛門のなか
で撃鉄を引く死んだおれたちが自分自身の中へ帰る。

381 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/13(火) 02:58
なんというか、、言葉がのっぺりしてるよ?
>ALL
なかにはおもしろい人もいるけど、だいたい長文で右端が
そろってない人はダメって感じ。そろえればいいというわけ
ではないけど。売春夫の人がちょっとひどいな。。
よーーーく読むとなにを感じているのかわかる部分も
あるけれど、要約してよ。

どっかのレスにもあったけど、そんなにつっこまれるのが
イヤか? いきなり自説を聞いてもらおうとしてどうする。
言語しか使えないから、説明的にならざるを得ないのは
わかるけど、工夫してみて。

382 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/13(火) 03:58
要約すれば、レスも100ぐらいですんだと思うが。


383 :土人き:2001/02/13(火) 19:05
ああー。ククク氏に間違われるわ、
ひさぐ氏に間違われるわ。(藁)
2ちゃん歴が確実に成長したような、トホホな気分だ。

土人きの説も十分一面的だと思うが・?
言説だってドグマに落ちることはあり、
それは感覚に流されるぞ、との警告と変わらない。
いくらでも突っ込める筈だ、理知的に。

創造作業とは、つまり自分の分身を作ることで、
本能的に「快」なのである。とか言うもよし。
それは小作りと同じだから、本能的充足ができるのだよ。
だけど芸術なんてそんなもの。それ以上でもそれ以下でもないね。
と、それでいいのか?作品に向けられる眼差し抜きで、成立するのか?
ってゆうのはどう?穴はあるよね。
あるいわ。
何故美を感じるか、何をもって美と見なしてきたか。
ただ生存に都合の良い存在、すなわち利=美であるわけでもなかろうよ。
いわゆる真・善・美系のハナシ・・・。
実は、音楽にも絵画にも、美しいものには、
まだ未発見の物質「Bi」が発生し、
それを美と感じるメカニズムなのである。
実はそれは一種のウイルスで、
脳内にすくい、文明を食らい
人類を滅亡へと導くパラサイトなのであった。
DNAの欠損によって生じたそれは
そもそも古代宇宙人の陰謀で・・・
いや、・・・いいんだ。土人きが悪かった。

384 :春をひさぐ@キティ:2001/02/16(金) 00:32
いろいろすみませんでした。
最後まで付き合ってくだすった土人きさん、どうもです。
空耳さんをはじめ多くの方々、面白かったです。
見苦しい、ということなので去ります。では。

……と、この書き込みがまたむかつかせちゃうんでしょうね。
でもホント、もうここには書きこまないっス。さいなら。

385 :土人き:2001/02/16(金) 18:42
なんでそうなるの(泣)ヨヨヨ
まあ、息切れしてきたから
潮時だとは思うが。
きっとひさぐ氏の論は
完成する以前のモヤモヤの段階にあったからこそ
立ち上がってくる瞬間に立ち会えたからこそ
面白かったのであろう。

じゃ、またどこかで。

386 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/18(日) 00:59
でもageる

他人を罵るときにキティだのいうやつってまず自分自信の正常さを疑った
方がいいよ。むしろ異常な人間ほど、そういう言葉をよく使いたがる。
長文やペダンチックないいまわしがウザイっていうのも単にそういってる
やつの脳が生まれつきうまく機能しないだけなのかもしれないし。
こんな無内容な煽りに殺されるなんて、少しひ弱すぎるんじゃないのか?

387 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/18(日) 02:15
どうみても単に疲れたんだろ。

388 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/18(日) 02:24
どう見ればそう見れるんだ。このあほ


389 :age:2001/07/15(日) 01:54
内容はともかく、タイトルが良いので。。。

390 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 02:00
タイトルはともかく、スレ立てたHNは現在「荒らし連れ」という問題を
をかかえているので駄目。よろしくございません。

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