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ゲームの行く先を議論する

1 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 04:27
漫画板、「夏目房之助さんについて」のスレッドからの派生です。
ちょいとそのスレッドからずれてきたんでこっちに移ります。

元スレ「夏目房之助さんについて」↓
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=comic&key=964631820


2 :313 :2000/09/02(土) 04:28
おお、たっている。


3 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 04:30
お、本物?

4 :316 :2000/09/02(土) 04:31
たてたのは俺だ。

5 :313 :2000/09/02(土) 04:37
さっきの話の続きだけど。
ゲームってのは表現方法も考えないと行けないと思うのよ。
話が面白い、ってのは別にほかでもできるわけだし。
ゲームらしさってなんだろうって事だよね。
俺はその一つに、表現方法ってのも考えるわけ。
確かにインタラクティブ性だとか、ほかの要素もある。
きっとまだ可能性はあるんだと思うよ。ほかのことに関しても。
ただ、今は全くそちらのことを考えていない。
確かにネットという可能性がでてきたから、また活性化するとは思うけど、
現実問題として、今のインフラじゃやはり厳しいのは事実。
ゲーム単品として完結したときに、最も差別化ができるのが表現方法だと思う。
ただ、今のままではまだ全然ダメだと思うが。
ある意味ムービーに逝ったのもその模索の結果何だろうけど、(作っている人間がやりたいことを垂れ流しにした)
それはゲームらしさとは違うわけだし。
ゲームってのは可能性はあるけれど、制約も同時に発生する所なんだろうね。


6 :316 :2000/09/02(土) 04:38
立てたのはいいけど話が続かないじゃねえか(笑)
今書いてる途中なの?<313
313氏の主張は、
ドット絵からポリゴンに変わったような変革が望めない現状では
一部の人間の嗜好品になってしまう、
というのでいいのかな?

7 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 04:41
ゲームはもう完成している。
今は質量との戦いになってるの。

ゲームだけならファミコンでも充分時間つぶせるでしょう?

8 :313 :2000/09/02(土) 04:44
現在のような袋小路に入っている状況では、売れる安全パイだけを生産することになり、
面白いと言われているのがえろゲーじゃ一見さんには厳しい状況になると思う。
エロゲーを否定する気はないが、俺はやったことないし何とも言えないが、
一般の人にもの凄く抵抗あると思う。
安全パイの大量生産が一部の人の嗜好品になってしまうのは否めないと思う。
今のアニメ界を見たらわかるんではないかと。OVAに近いだろうし、体質は。

9 :316 :2000/09/02(土) 04:46
313とは行き違いになった。すまん。
>7
ゲーム性のことを言ってるんだよな?だったら確かにそれは正論。
すまん、考えをまとめるのでいったん書くのやめるわ。

10 :313 :2000/09/02(土) 04:47
>7
何でゲームをそうやって縛り付けようとするかなぁ。
確かにある意味では完成していると思うけど、まだ可能性は残っていると思う。
質量は共倒れ状態だし。
ほんの数作品だけがよいとされている現状じゃ、先はちょっとなぁ。


11 :326=偽みつる :2000/09/02(土) 04:48
今、気が付いただが、いやな番号だったなあ。
でも、俺もやってきたぜ!

いやさ、根本的な問題をヌカしちゃってると思うのよ。
表現手法とか、インタラクティブとか、そういう言葉が全く当てはまらなくても、
ゲームバランスで成り立ってるゲームもあるじゃん。
(人によってはドラクエがこれにあたるんだけど)

んっと、これは意見なんだけど、
ゲーム的表現だげについて語るとゲーム板行きになっちゃうから、
表現と技術とかを交えつつ、ゲーム業界と漫画業界が抱える問題を語っていくのはどうかなと。

いや、しきるつもりじゃないんだ。
ついていけなくなるのがイヤなんだ。俺もついていきたいから助けてくれ。
なので、今回はさげ。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 04:50
ムービー全盛のこのご時世、よく言われるように、
「ストーリーが重要(特に日本RPG)」ったって、
ゲームじゃなきゃ表現できないストーリーなんて少ないしねぇ。
やっぱインタラクティビティーに訴えかけるストーリーってのがないと、
ゲームにする意味無いような気がするんだけど、どうっすかね。
MOTHERとか、moonみたいなやつとかね。
ネタは一緒でも、アプローチの方法はまだまだありそうだと思うんだけど、
出てこないね、この手のゲームのフォロワー。
なんでかな。


13 :326=偽みつる :2000/09/02(土) 04:50
うわー!
ゲーム板ジャン! こんな恥は久々だ!
俺の無様を祝ってあげ。
うー、つーか、まじで火が出るよう。

ってのと、議論が、うまく漫画板とかぶってきたら相互リンクでやらない?
荒れるかもしんないけど、白熱しそうじゃん。

14 :313 :2000/09/02(土) 04:59
ストーリーを作れる人間がいないのも痛いよなぁ。
でもこれは今どこの業界も一緒なんだよな。
映画しかり、アニメしかり、ドラマしかり。・・・漫画はまだましか?
何でそれでやらなきゃ行けないのか?っていうものが無いんだよね。
映画でやる必然性はあるのか、アニメでやる必然性はあるのか、ゲームでやる必然性は。
それを突き詰めていくと、ゲームってなによ?になるんだけどな。
難しい。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 05:17
夏目先生は何時間もゲームにはまれるほど
免疫はあるんだろうか・・

16 :316 :2000/09/02(土) 05:30
ああ、寝てないから頭が回んないや、もう。

一つ言いたいのは、ゲームというものの定義を今一度考え直す必要があるってこと。
ゲームっていうものはここ最近であまりにも変わってしまったからな。
昔のテレビゲームはそれまでのカードゲームやボードゲームの延長で、
「遊ぶ」ものだった。
でも、たとえばサウンドノベルなんてのは、選択肢によって
分岐するストーリーを楽しむものなんであって、これはかつての考えでいう
ゲームではないよね。最近のRPGも、どっちかっていうとサウンドノベルに
近い感じがする。


17 :夏目房之介 :2000/09/02(土) 09:04
面白いですね。ゲームやらない僕としてはわからないことばかりですが。
質問していいですか?
韓国、台湾のネットカフェで、若者が外国のゲームに夢中になってました。
世界の人と対戦したりするらしくて、あるゲームの優勝者(カナダの少年)が人気者になって韓国にきたとかいってました。
そういう状況は日本でもあるんですか?
インフラが遅れてるので、そうはいかないんでしょうか?

18 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 09:31
そもそも日本の家庭用ゲームではまだぜんぜんネットゲーが
始まってないというのが実情です。

現在、おそらく一番売れているのがドリームキャストの対戦格闘
「マーヴルvs.カプコン2」が20万本そこそこという売上ですから。

PS2のFF10や任天堂ゲームキューブが発売される来年以降じゃないんでしょうか。
ネットゲーが本格的に日本で普及するのは。

19 :にゃー :2000/09/02(土) 11:49
まず先生にレスです。

1部のPCゲームはある程度流行っています
(夜数100人ー1000人集まる程度だが)。
まだマイナーな存在ですが、スタープレーヤーも出てきています。
流行らない原因は、通信インフラではなく日本のゲーム市場が
圧倒的にコンシューマー機中心だからでしょう。

ネット対戦は、
シングルでプレイするとつまらないゲームであっても
ネットで対戦するとある程度面白くなってしまう
魔法の粉のようなものだと思っています。
理由は、プレイヤーの敵としてのコンピュータの思考ルーチンが必要なく
ゲームのバランスがとりやすいためです。

最後に、対戦ゲームができるネットカフェを経営するためには
ゲームソフトの違法コピーをする必要があるかと思います。
でなければ全然儲からないかと。韓国や台湾で流行っているのは、
もしかしたらそういう事情もあるかもしれません。


20 :にゃー :2000/09/02(土) 12:04
ネットゲームが一般的になった後に問題になるであろう事柄:

大抵の人はしばし現実を忘れようとしてゲームをするものだが、
ネットゲームの世界ではしばしば現実よりハードな弱肉強食が
まかりとおっている。オンラインRPGでは新参プレーヤーが
入り浸りの上級プレーヤーに搾取される状況も存在する
(辻斬りにあったり、アイテムを本当のお金で買わされたり、とか)。
実際1人でプレイするときより不愉快な状況に遭遇する可能性
はずっと高い(あたりまえだが)。
対戦格闘ゲームにみられたようなゲーマーの縮小再生産は
いつ起きてもおかしくはない。


21 :名無しさん@雀 :2000/09/02(土) 12:17
ゲームの視覚表現で言えば
昔のFFは小さいキャラ絵に表情を付ける為に漫符を使っていたが
今ではポリゴンの動き、ボディーランゲージで表現されてます。
ただ、3D表現への流れが強すぎて、2Dのよさが
忘れられそうになっているのが勿体無いですね。
最近のゲーム機の描画能力なら、線の味を表現できるから
天野喜孝の絵がそのまま出てくると期待したユザーも多かった
はずなんですが・・・。
そういう意味では、ペーパーマリオは興味深いです。


22 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 12:45
>3D表現への流れが強すぎて、2Dのよさが
忘れられそうになっているのが勿体無いですね

アニオタとキャラ萌えしてるヤツラ以外でこの意見を聞いた事がない。
まじでない。

23 :ネットゲームやっとけ :2000/09/02(土) 12:56
日本でもPC普及率は結構なもんだろ?
ぐだぐだ言わずにPCネットゲームやっとけ。
そしたら家庭用機の一人用ゲームを語るのが虚しくなるから。
一人でちまちまやるゲームの時代はもう永遠に過去のものになったよ。
まともなゲーム制作者ならネットゲームを作らずにはいられない。
先進的なプレイヤーはネットゲームに手を出さずにはいられない。


24 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 12:57
>22
そうかな?レゲー好きにはよくある意見だよ。
特にアクションやシューティング好きには

25 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 12:59
>23
それはジャンルによるよ。
対戦や協力プレイがメインのジャンルはそうだと思うけど。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 13:03
俺はスクウェアのゲームが好きだ。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 13:32
萌えに依存するゲーオタが多いのは嘆くべきなのか・・・

28 ::2000/09/02(土) 13:49
よく、自分も、「ストーリーと文学は根本的には関係がない」って思います。
言語を使って、小説や詩じゃなくちゃ出来ないこと、
それを考えないなら、他のジャンルの方がいいんじゃないか?とね。
ただ、マンガ、アニメ、映画、小説、なんでもそうですが、
よく言われるように時間の流れはひとつ。前から後ろへ。それのみですよね。
ところがゲームは、基本的には確率統計の世界で、
選択肢が用意、もしくは無数のアナログな行動が行えます。
これは、インタラクティブというのとはまた違うような気がします。
「大航海時代」で地図を作成する時、どこからどういう風にやってもいいけど、
とにかく世界中を旅して、世界地図ができあがったら、嬉しいじゃないですか?
ストーリーではなく、「こうするとこうなる」という普通のインタラクティブではなく、
(まあ広い意味ではこれもインタラクティブな訳だけど)
これって、任天堂の山内社長が言ってた4つのキーワード
(うーん、正確に思い出せない。誰かフォローお願い)
の内の「蒐集」の楽しみだと思うけど。


29 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 13:59
>>21
その進化した姿がPCのイース2エターナルだと思う。
3Dもいいけど次世代機でこういった進化も期待していたのに。
挙げ句の果てにはソニーは一部の例外を除いて2Dは出させない方針らしいし。


30 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 15:10
ゲームとストーリーの関係についてだけど
メガテンの合体システムのように
ストーリーとシステムをリンクさせてこそゲームとしての意味があると思う。
戦闘でなんの説明も無く魔法が使えたらイヤでしょ?

31 :名無しさん@雀 :2000/09/02(土) 15:25
マンガ、アニメ、映画、小説、これらは表現手段になるが。
ケームシステムは表現手段ではないからね。
勿論ゲーム内の表現にマンガ、アニメ、映画、小説の手法が
大きく関わってくるが、ゲームではシステムによる
疑似体験がポイントになる。

風来のシレンで「遠投の腕輪を付けたまま合成の壷を投げる」
というエピソードは、システム上から生まれる。

マザー3が発売中止になったのもゲーム独特の
失敗例になるんじゃないかな。


32 :にゃー :2000/09/02(土) 16:58
> 23
現状のままでは、ネットゲームは先進的なプレイヤー以外の人々に
受け入れられるとは思えません。テーブルゲームや格闘ゲームを除くと、
非常に長い時間を犠牲にしないと楽しめないゲームが多い。
これではライトユーザーがついてこないし、市場としても大きくなりようがない。


33 :にゃー :2000/09/02(土) 17:02
また、先進的なPCゲーム市場は先進的であるゆえに
縮小を余儀なくされたといってもよい。
コンシューマ機においしい市場を奪われてしまったわけ。
X−BOXはこの現状に対するPC側の巻き返しといえる。
(数年前までコンシューマ機はPCにとって代わられると
言われていたが現状は逆になってしまっている。)


34 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 17:12
ネットゲームは…苦手だ。
例えば自分が弱いと対戦相手がつまらないのではないか…
だとかをいろいろと考えると一人で誰にも迷惑をかけずに遊んでいた方が気楽だ。
ただこの文章をよんでこのヒッキーが!と思わないで欲しい。
よく知った友人とならたとえ自分の方が弱かったとしても気兼ね無しに対戦できるからだ。
あと23は本気で23を書いたとすれば馬鹿だと思う。

35 :にゃー :2000/09/02(土) 17:25
本気でUOやEQを楽しもうとすると、1日のうちのかなりの時間を
つぎこまなければならない。時間をかけないと、キャラクターの成長で
遅れをとることになるからだ。
発売直後に行われる競争の結果、
先に成長したキャラクターがおいしいところを独り占めしてしまい
(一等地の所有、レアアイテムの占有、他のプレイヤーの殺害)、
発売後数ヶ月経った後にゲームを購入したプレイヤーは全くと
いっていいほど楽しめない(現実世界が素晴らしいと思える程)のである。


36 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 17:26
先進的なプレイヤーってよく忌みわかんないんだけど。
「新しもん好きのオタク」って意味じゃないんだよね?

37 :にゃー :2000/09/02(土) 17:38
Age of Kingsなどのリアルタイム戦略ゲームはネットワークRPGよりもかなりマシかもしれない。
しかし、才能のないプレイヤー(一定以上に強くはなれない)が新参者の弱いプレイヤーを
やっつけて日頃のうさをはらす(「狩り」と呼ばれる)、ということが横行している。
このことに、弱いプレイヤーが抗議することもあるが、多くの場合
このような抗議は無視されることになる。


38 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 17:40
>35
ある意味メールゲームはそれで潰れたね

39 :夏目房之介 :2000/09/02(土) 17:41
なるほど、なるほど。
みなさんの会話は、正直半分以上唐人の寝言で言葉がわかりませんが、残りの何となくわかる部分は面白いし、刺激されますね。
僕は深入りする気はないので、理論的にのみ、うかがいたいのですが。

28 マンガ、アニメ、映画、小説、なんでもそうですが、
よく言われるように時間の流れはひとつ。前から後ろへ。それのみですよね。
ところがゲームは、基本的には確率統計の世界で、
選択肢が用意、もしくは無数のアナログな行動が行えます。
これは、インタラクティブというのとはまた違うような気がします。

これはよくわかりました。で、

「大航海時代」で地図を作成する時、どこからどういう風にやってもいいけど、
とにかく世界中を旅して、世界地図ができあがったら、嬉しいじゃないですか?

つまり「世界観」ができあがっていく面白さってことですか。
この場合、表現として考えられなければ批評は成り立ちにくいってことなんでしょうか。
個人や集団ではなく「時代」や「不特定多数」そのものを「作者」とみなすような批評はありえないのかなぁ。


40 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 17:44
UOは昔少し遊んだけど、初プレイのとき
フィールドに現れて3分でPKされてやめた。
ネットゲーはコアなゲーマーしか遊べないよ。

セガのスパイクアウトやスラッシュアウトとかの
タイプの協力メインでひとりでもオッケー、な
方がライトユーザーには嬉しい。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 17:56
>40
uoはだいぶかわった。ルールの違う世界が出来た。
簡単にいうとPK不可の世界。
初心者はこの世界にある初心者用の町からスタート。ガイドの人もいる。
刺激が欲しければPK可の世界に行く事も出来る。両方の世界の行き来は自由。
他にも昔と比べるとだいぶ易しくなったよ。昔からのプレイヤーには評判あんまよくないけど。
ちなみにソフトの値段も2980円と格安になった。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 17:58
>40
>ネットゲーはコアなゲーマーしか遊べないよ。

ネットゲーというか洋ゲーじゃないの?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 19:21
ネットゲーより2ちゃんねるのほうが楽しい

44 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 19:22
新しいものがあっても、注目されなければそこから発展しないだろう?
マニアとかコアゲーマーとか言われる人々がその役目を果たしてることは
否定しないで欲しいね。
この板でも見かけるけど、国産ゲームソフトは行き詰まってるという意見がある。
だからこうやって先端分野の裾野を広げようと布教活動をするんだが、芳しくないね。
偉そうな事書くと、家庭用機ユーザーは楽しみを自分で探す能力に欠けるよ。
ゲームを攻略本と一緒に買ってくる、読みながらクリアする、こういうのが
最近は普通なのかい?何かにゲームの楽しみ方や面白さを教えてもらわないと
駄目なのか?上でにゃー氏が有名どころのネットゲームの欠点を挙げてるが、
かなり正しい。ただし、実際にやった人間の言葉じゃなく、どこかの誰かが
書いたのの受け売りだけどね。
氏が書いてるのは要するに、型どおりの手順を踏めない>楽しめない
と言うことを表しているだけに思える。
発売から時間が経って、プレイに一通りの型が出来てからそれをなぞろうとして、
出来ないから楽しくない。なんか違わないか?
発売直後に始めた連中は型なんか知らない。何も分からずに手探りで遊ぶうちに
型が編み出されていくもんだ。その過程がゲームの中で最も重要な事だと思わないか?
これは事前に情報を詰め込まなければ後発の参加者でも同じ事が出来るはず。
なのに彼らはそうしない。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 19:29
↑に書いたことで、先進的かそうでないかの違いにならないか?

46 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 19:38
ネットゲーの一番面白い時って、本当に発売されて半年だと思う。
よーいどんで始めてるから、本当に他の人は知らないことを、
自分が見つけてしまえた時なんかは最高に楽しい。
ただそれもあっという間に伝播して、普通のことになっていき、
見慣れた、聞きなれた刺激になると、「引退」してしまいます。
チャットソフトでいいっていうなら良いけど。
やっぱ、ゲームでいてほしいと思っちゃうのよね

47 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 19:44
>39
あら、夏目先生こっちにも顔出してくれたのね〜
みんな答えてやれよ。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 19:54
なんかのゲーム誌に書いてあったけど、日本でネットゲーが
いまいち盛り上がらないのは設備・環境とかで
「めんどくさい」らしい。

49 :>48 :2000/09/02(土) 20:04
ゲーム誌のいうこと真に受けてるね。
設備・環境で「めんどくさい」のはメーカー側だよ。
プレイヤー側は「金がかかる」ってとこが問題かな

50 :40 :2000/09/02(土) 20:20
ソフトにもよるけど洋ゲーを遊ぶと日本の
ゲームにはない良さを感じる。日本だったら
作ってる最中で修正しちゃうような場所を
突き詰めていったりした感じかな。

GTAとダンジョンキーパーは手首が痛くなる
程遊んだよ。DK2は最近買ったけど、ビデオ
カードとの相性なのか動かなくて押入の中。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 20:28
FF11でネットゲーも結構一般的になりそうな気がする。
9で攻略本出さなかったおかげでFFのサイトなんかみると
ネット初心者がわらわらいてネットの楽しさに感激したりしてる人が
結構いるから。
ゲームの出来や通信費がどうなってるかにも寄るけどね。

52 :にゃー :2000/09/02(土) 20:39
>44
> 上でにゃー氏が有名どころのネットゲームの欠点を挙げてるが、
> かなり正しい。ただし、実際にやった人間の言葉じゃなく、どこかの誰かが
> 書いたのの受け売りだけどね。
ここらへんの失礼さがやっぱネットゲーマーらしいとこなんだろうか。
私はここ数年はネットゲームオンリーなのだが。
結局みんな同じような感想を持っていると解釈すればいいのかな?

> 発売直後に始めた連中は型なんか知らない。何も分からずに手探りで遊ぶうちに
> 型が編み出されていくもんだ。その過程がゲームの中で最も重要な事だと思わないか?
> これは事前に情報を詰め込まなければ後発の参加者でも同じ事が出来るはず。
> なのに彼らはそうしない。
手探りでプレイしようとするプレーヤーがいると、まず確実に型を覚えろと言われるだろうし
実際に私もいいます(AOK)。実際に型を強制してしまうのは
先にゲーム始めてる連中だよ。文句言った覚えも言われた覚えもあるもん。


53 :にゃー :2000/09/02(土) 20:56
> 44追加
> ただし、実際にやった人間の言葉じゃなく、どこかの誰かが
> 書いたのの受け売りだけどね。
この手の話題を本格的に論じているサイトを私は知らないのだが
もしあなたが知っていたらURLを教えてください。


54 :にゃー :2000/09/02(土) 21:09
> 氏が書いてるのは要するに、型どおりの手順を踏めない>楽しめない
> と言うことを表しているだけに思える。
ちょっと気になった。どこを読んだらこういう要約になりますか?
「受け売りだけどね」も「要するに」もそう判断する根拠が
全く書かれていないから読むほうとしては気になっちゃうんだよね。
時間があったらレスよろしく。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 21:27
ネットゲーは「どうでもいい」。
一人遊びゲーの今後の進化について論じてくれ。
論じれるなら、な。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 21:36
つーかネットゲーは「一つの」ゲームの可能性なわけよ、素人にも分かりやすい、な。

57 :にゃー :2000/09/02(土) 21:38
独り遊びゲーとは直接関係ないかもしれんが、
もっと色々な入力インターフェースが出てきて欲しいな。
モーションキャプチャーみたいなのが、そのままインターフェース
になって欲しいものだが。今のところ安く作れそうにないから無理か。

「ぴかちゅう元気でちゅう」は音声入力がないとどうにもならんし、
「コロコロカービィ」なんかは普通のゲームパッドでやっても
面白くもなんともないからね。1回やっただけだけど。
入力機器に関しては任天堂が一番がんばってるのかな?
でも、セガもサンバのゲームとか出してたな。
店頭でやっただけだけど(笑)。


58 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 21:49
>55
賛成。
成熟もしていない市場の話は後回し。
可能性はわかるし、楽しいやつは楽しいんだろうけど・・・(俺はUO5日でヤメタ)
インフラ&いろんなジャンル&PCでゲームやる面倒さ・・・etcetc・・・
語るにはまだ、問題が多すぎる。
やってるやつは(手出した俺も含め)マニアックすぎです。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 21:53
おい58、もう一度55を読み返してみたら?
それで何も思わなかったらあなたは間抜けな阿呆です。

60 :にゃー :2000/09/02(土) 21:57
うーむ、名無しさんばかりで訳がわかりませんな。
このスレッドの書きこみ2回目以上の方は適当に自分
の名前をつくって語ってもらえないだろうか。

61 :名無しさん@雀 :2000/09/02(土) 21:59
ゲーム批評の難しいのは、各々のゲームの性質に開きがありすぎる事ですよね。
テトリスとファイナルファンタジーを同列に語るのはかなり無理が大きい。
つまり、他のメディアに比べて個々の作品を批評する時に導入すべき視点が
千差万別に成ってしまう。
漫画論において夏目先生が導入した線やコマよる分析と言うような
一本通った視点をゲーム論に見つけるのはかなり困難でしょう。

もちろん個々のゲームに対する批評は成立するが
その批評の受け取り手が居るかどうかは謎ですね。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 22:00
>60
え〜やだよ〜〜。
突っ込まれたら恥ずかしいじゃん。俺語学力ないし〜〜。

63 :名無しさん@雀 :2000/09/02(土) 22:04
そう言えばインターフェイスの豊富さもゲームの特徴ですよねぇ
しかしPSのアナログスティックを生かしたゲームって
心当たりが無いんですが、何かありましたっけ?
特にスティック両方使うようなゲームって無いよねぇ
「クレージークライマー」「リブル&ラブル」
とあと何個かあるだけじゃないの?

64 :名無しさん@お腹いっぱい :2000/09/02(土) 22:07
「俺の料理」は?

65 :にゃー :2000/09/02(土) 22:11
> 61
そもそも「ゲーム」という概念が外延的、内包的どちらの方法でも
定義不能ですからね。「ゲーム」「ゲームでないもの」の境界すら
全くはっきりしない。
これを最初に言ったの確かウィトゲンシュタインだったと思いますが。
詳しくはそちらを参照してください。私の及ぶところではございません。

ところで、「漫画」と「漫画でないもの」の境界は
ゲームより少しははっきりしてるんでしょうか?


66 :>60 :2000/09/02(土) 22:11
>>60
>うーむ、名無しさんばかりで訳がわかりませんな。
>このスレッドの書きこみ2回目以上の方は適当に自分
>の名前をつくって語ってもらえないだろうか。

ワラタ

67 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 22:30
>63
さるげっちゅっっっ!!!!

68 :元326 :2000/09/02(土) 22:56
ゲームが論じにくいってのは、多人数で作るからってのもあるよね。
漫画は多人数で作っていても、漫画家の名前が前面にでるでしょ。作品の責任として。
でも、ゲームの場合だと会社が前面にでるじゃない。曖昧だやね。
だから、論じにくくなると思うんだけど。
出来の問題はともかくとして、焦点を絞りにくいんだよね。

それと、スポーツ漫画と、恋愛漫画って、ジャンルは違いますよね。
額面通り見れば(ホントに額面だけ)、テトリスとFFと見れなくもない。
うーん、言っていて無理があるように思えるが、
なんとかそういう共通点は見つけられないかなあ。



69 :RYU :2000/09/02(土) 23:37
あら、僕が寝てからスレッド分岐したんですね。夏目先生も来られてるし。
せっかく夏目氏が来てもらえているんですから、こちらではできるだけ夏目氏の
質問にも答えていけるようにしましょうよ、もったいない。
それに我々も、はたして文章のプロから見てほとんど知らないジャンルに対して
どのぐらい説得力を持たせる文章を書けるか試す、って貴重な機会だと思うんだけど。

と、して振り返ると・・・やっぱり一般人には意味不明な言語が多い。難しいねぇ。
良い話してるんだけど。

>個人や集団ではなく「時代」や「不特定多数」そのものを「作者」とみなすような批評はありえないのかなぁ。
(引用した文章には行頭に「>」を付けると引用と理解しやすくなります。是非)
実は個人の作家性で批評する方が「ゲーム評論」としてはかなり特殊です。現在までの評論は
基本的にはゲームのシステムの発生と発達について論じているのがほとんどで
(例えば上の話ではネットワークゲームというシステムが作るゲーム性の是非なんかを語ってますし)
だからこそ個人の作家性を論じてみたいという話になるのでしょう。こういうことが語れるのは
ストーリー重視のAVG、エロゲーといわれるジャンルでしょうし、あるいは宮本茂、堀井雄二のような
大物がしっかりとコンセプトを持って作品を作ったりする一部の作品だと思います。
前者ではストーリーの担当者やグラフィックの担当者などの顔がゲームを通してわかりやすいですし
(大抵は少数精鋭で作っているため)、後者も別に独りよがりでなく(そういうこともありますが)、
プロジェクト全体がリーダーの思想を理解している上で「らしさ」を作り上げていると思います。
こうしてみると、個人を追いかけるのはまるで映画の製作者あたりを楽しむのと同じ感じがしてきましたね。

何か質問があるならどんどんどうぞ。向こうでは答えられてばっかりなので、こちらではこっちが答えられる
限り答えていこうと思います。みんなゲームに対して一言あるのだからこんな所にいるのだし

70 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 23:38
>68=326
どう論じにくいの?具体的にどの辺?

71 :名無しさん@雀 :2000/09/02(土) 23:44
>64
それが、あったか(^^)
やってみたいとは、思ってるんだけどね>料理

72 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 00:07
ネットゲーをとりあえず体験したいという方
子供の方はマンションで「ドロケイ(ケイドロ)」「ゾンビ」を5@`6人でやる
大人の方は森で「サバイバルゲーム」を5@`6人でやる

73 :名無しさん@雀 :2000/09/03(日) 00:20
多人数というのは、ゲームそのものを論じる事で
まかなえる気はするけど、誰が何をやったのか解りにくいと
やり辛くはあるよね。
マザー3の座談会読んでても、1ユザーでは理解しずらい部分は多からなぁ

まぁ、「こうすれば、もっと良くなる」というような部分は置いといて
「ここが良い、これが面白い」という部分で俯瞰していけば良いのかな?

>スポーツ漫画と、恋愛漫画って、ジャンルは違いますよね。

でも表現は漫画だから、コマがあって台詞があってというのは
共通してますからねぇ。
アクション性の高いものは、ユザーインターフェイスに注目するのは
アリかもしれませんね、スーパーマリオ評で「ボタンを押す時間の
長さとマリオがジャンプする高さがシンクロする」事の重要性を
語ってたのがありましたが、なるほどと頷きました。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 00:59
>3D表現への流れが強すぎて、2Dのよさが
忘れられそうになっているのが勿体無いですね

アニオタとキャラ萌えしてるヤツラ以外でこの意見を聞いた事がない。
まじでない。

あー、俺も聞いたことないな、そういえば。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 01:02
ゲームはあくまで商品。
作品でなないので論じることって意味ないと思う。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 01:11
「ドロケイ(ケイドロ)」「ゾンビ」
???何にこれ???
サバイバルゲームみたいな物なの?

77 :にゃー :2000/09/03(日) 01:11
> 75
それは何故でしょうか?
自動車は商品ですが、それについて論じることが
無意味であるとは思いませんが?

78 :RYU :2000/09/03(日) 01:15
ではそんなあなたに夏目氏のことばを
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=comic&key=964631820&st=200&to=300
>287
>僕の立場は批評は表現に影響を与える有効性で計るものじゃなくて、マンガと同様に自立した表現なんだってことです。


79 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 02:00
批評家ウゼー

80 :大月隆寛 :2000/09/03(日) 02:44
夏目房の介?
親だか祖父さんの名前で食ってるやつか?
マンガ夜話で浮いてんぞ(笑い)。

批評の為の論理構成なんて無意味、おまけにつまらん。
大学生も助教授さんも閑だね〜。zzz

81 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 02:47
>80
それあっちで書いた方がいいと思うぞ。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 02:49
あげ

83 :大月隆寛U :2000/09/03(日) 02:51
ついでにもひとつ。
キミらのやってる事は「表現」じゃねーな。
「表出」。
つまり、自己満足って事。チャンチャン!

84 :にゃー :2000/09/03(日) 02:55
> 80@`83
煽り担当の方ご苦労さまです。このまま下がっていくのかと思ってた(笑)。


85 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 03:05
>80、83さらしあげ

86 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 03:06
とりあえずテーマをはっきりと決めないか?
でないと何を書いていいのやら分からんのだが。

87 :四番:ヒッキー :2000/09/03(日) 03:09
>85
くそチン

88 :にゃー :2000/09/03(日) 03:10
とりあえず、
1) 入力インターフェイスの今後
2) ネットゲーを一般に普及させるために超えなければいけない障害
差し迫ってる課題はこの2つかな。

89 :ヒッキー時代 :2000/09/03(日) 03:11
>にゃー
にゃーが煽り。
早くきずけよ、真実に。

90 :にゃー :2000/09/03(日) 03:17
80@`83@`87@`89のどれかが44の人だったりして(w。
もしそうだったら、からかってごめんね。
根拠なしにモノ言われると突っ込みたくなっちゃうんだ。


91 :>88 :2000/09/03(日) 03:18
2)についてはとりあえずNTTにDSL、フレッツ・アイの対象地域
を広げてもらう&通話(通信)料値下げ
が一番手っ取り早いんじゃない?

92 :にゃー :2000/09/03(日) 03:24
>91
私はその後のことが心配に思えるのです。
UOみたく1ヶ月以内で脱落する人が続出するゲームばかりだと、
ネットゲー市場がニッチのままで終わってしまうのでは
なかろーかと....。


93 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 03:24
>88
2)は第一に通信料金。というかNTTをどうにかしてくれ。


94 :86 :2000/09/03(日) 03:25
光ファイバーとかケーブルとかいうのはどうなんだ?
あと少し前に日本は5年でアメリカを抜くといっていたが
それもどうなんだ?

95 :91 :2000/09/03(日) 03:33
光ファイバー(B−ISDN)は多分幹線とか(一部の)交換機間とかは施設済だろうけど
殆どの一般家庭までは引いてないしね。
NTTはN−ISDN普及させるためにDSLを渋ってたようだけどついに郵政省からDSL引けって
勧告されたようだし、期待できるかな?

SMAPや風間杜夫のCMはいいから値段さげろと言いたい。
あとiモードがトラブったらパケット基本料返せ>NTTグループ

96 :86 :2000/09/03(日) 03:39
むぅぅ。結局NTTにぶちあたるのか。
なんとかならんかなぁNTTそのものを。

97 :元326 :2000/09/03(日) 03:48
えっと、論じにくいと言ったのは、うーんと、
文学評論だと複数の作品を関連ずけて論じたりするけど、ゲームの場合はそれがやりにくく、
作品そのものに焦点がいきやすいだろうと。
で、ゲームシステム、インターフェイスについて論じられたりしてるのを見ると、
結局、書いた人の嗜好を感じるばかりで、
作品理解への深みが増すかっていうと、そうでもない気がしませんか?



98 :元326 :2000/09/03(日) 03:49
ああ…、稚拙ですいません…。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 04:44
>ゲームはあくまで商品。
>作品でなないので論じることって意味ないと思う。

それは会社や製作者側が決めること。
客はそこまで強制する権利はない。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 04:59
不景気だからこそ儲けようとメディアミックスが流行るのですか?

101 ::2000/09/03(日) 12:08
>つまり「世界観」ができあがっていく面白さってことですか。
>この場合、表現として考えられなければ批評は成り立ちにくいってことなんでしょうか。
>個人や集団ではなく「時代」や「不特定多数」そのものを「作者」とみなすような批評はありえないのかなぁ。

もちろん例に出したのは「世界観ができあがっていく面白さ」なんですが、
別にこれがゲームの1典型って訳ではなくって、
こういう、敵を倒すとかお金を稼ぐとかの分かりやすいゲームでなくても、
楽しめてしまうのがまたゲームだということを言いたかったまで。
で、どうして批評行為がゲームに対してしにくいのか、といえば、

>ゲーム批評の難しいのは、各々のゲームの性質に開きがありすぎる事ですよね。
>テトリスとファイナルファンタジーを同列に語るのはかなり無理が大きい。

これもありますが、もっと端的に言えば、
「内容ではなくルール」である、という特徴からです。
このルールの複合体が、システムであって、
しかもこのシステムは、政治だとか、経済と異なり、指向性がはなはだ希薄。
希薄なために、最近のゲームは「ご褒美ムービー」なんてバカなものを導入したりする。
もちろん批評できないことはないけれど、
従来の文芸批評の流れでは太刀打ちできないと思うんです。

102 ::2000/09/03(日) 12:12
どうでもいいことですが。
>これを最初に言ったの確かウィトゲンシュタインだったと思いますが。
>詳しくはそちらを参照してください。
これは、「言語ゲームに関しては語ることができない」(これも要約だが)
について言ってるのかと思われますが、多分ここで出すべき話ではありません。
言語世界の1つのコマにすぎない自分が言語世界を語ることは、
自己言及に陥ってしまって矛盾が発生してしまう、といった意味です。

103 ::2000/09/03(日) 12:16
で、現状でゲーム批評がないか、といえば、もちろんあります。
(いや、あの某雑誌のことを言ってるのではなくて(笑))
ただし、ゲームをゲームたらしめている要因を見定めて、
(夏目氏のマンガ批評のように)その上から批評するのではなく、
まだ分類、点数ずけ、プレイヤーへの攻略ガイド的なもの、
という地点にとどまっていると思われます。
ファミ通という雑誌のライター「風のように永田」氏は、
かなりこのゲームをゲームたらしめているものに挑戦してると思うけど、
それでも一番大事なところは「僕はゼルダが好きだ」
ですませてしまう。(名文だけど批評じゃない)
じゃあどう論じればいいのか、ってことなんですけど。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 13:12
将棋や囲碁や人生ゲームや野球やサッカーや鬼ごっこや・・・・etc
を批評してみてくれ。正直、俺にはこんなテーマは理解出来ない。
コンピュータを媒体にしたゲームの誕生によって、絵や文章や音楽に
よってゲーム製作者がストーリーや演出を盛り込めるようになって
何か誤解が蔓延しているような気がしてならない。
ゲームと、コンピュータという新しいメディアをわけて考えてみたら
どうだ?上述のような議論は後者のものではないかー?

105 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 13:28
ゲームが批評しにくい理由は
楽しむところが多いからだと思う
例えばグラフィックが凄いから買うのかもしれないし
ストーリーが良いから買うのかもしれない。

それに野球ゲームだから買うというのもあるだろう
漫画でスポーツ漫画だから買うケースは少ないと思う
そこらへんが批評のしにくさにつながっているのかも

106 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 13:33
じゃまず『ゲームの批評の仕方』から考えるんだね?

107 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 13:43
>漫画でスポーツ漫画だから買うケースは少ないと思う
そりゃおまえだけだろ。
結構多いぞ。


108 :にゃー :2000/09/03(日) 17:04
>102
単に「論考」のどしょっぱちに出てくるゲーム(言語ゲームではない)に関する
考察を指していってます。


109 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 19:19
age

110 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 19:38
俺はロープレなんかやるときは一人で引きこもりプレイしたい(というか、してる)。

111 :RYU :2000/09/03(日) 21:21
>>101 >>104
>これもありますが、もっと端的に言えば、
>「内容ではなくルール」である、という特徴からです。
>このルールの複合体が、システムであって、
>しかもこのシステムは、政治だとか、経済と異なり、指向性がはなはだ希薄。
>希薄なために、最近のゲームは「ご褒美ムービー」なんてバカなものを導入したりする。

ちょっと複雑なので端的に。

ゲームとなりうるには「目的あるいは目標」が必要。「ルール」によって行動が制限される。
ゲームは適度にプレイヤーにストレスを与え(障害を設定し)、その克服(クリア)によって
ストレスの解放を行い、それがプレイヤーへの快感となる。
その障害の設定が一般化によって(FF等のPSソフトで)低くなることを求められるが、
その結果、克服によるプレイヤーへの快感が低くなり、より別の強度の高い恩賞が必要になる
(ムービー等)。こうしてゲーム自体による快感原則が弱くなり、ゲームの枠組みが弱くなる。
良いゲームのためには克服した障害に対して適切な恩賞を用意すること。障害を低くすることではない

112 ::2000/09/03(日) 22:54
>良いゲームのためには克服した障害に対して適切な恩賞を用意すること。
>障害を低くすることではない

さらに言えば、恩賞、という考え自体が、反ゲーム的なのではないでしょうか?
つまり、スーマリの旗超えは、やっても全然意味がないけど、
ついついチャレンジしたくなりますよね?

でも、オレもムービー見たさにFFやるんですよ(笑)。
ここら辺、
>ゲームが批評しにくい理由は楽しむところが多いからだと思う
という言い方は、実は的確なのかもしれず。
実際、どこが一体ゲームの核なのか、ということが、
かなり見えにくい、拡散してしまっているとは思います。

しかし、面白いゲームって、ダメな一面が見えちゃっても、
やっぱり面白かったりする訳ですよね。
でも、たったひとつが許せないために全部が台無しになることもある。
その重要度の高い部分というのは、
やはり「ルールの複合体」の部分だと思うんですが。


113 :にゃー :2000/09/03(日) 23:43
対戦格闘、SLG,リアルタイムSLGのような対戦ゲームの場合、
ゲーム自体について語るよりも、むしろ戦法の進化について語ったほうが面白いかもしれない。
新しい戦法が古い戦法を駆逐し、新しい戦法が人々に共有されていく様子は、
その対戦ゲームそのものよりも私にとっては面白かった。
そのゲームそのものよりも、関わる人々を描いた方が普遍的な表現が可能かもしれん。
個々のゲーム自体は非常に流行り廃りがはやいですから
(20年たつとプレイするのも一苦労といった事態になる。漫画は20年たった作品でも簡単に読めるが)。

要するに、将棋とかではとっくの昔から採られている手法ですな。書いて損した(笑)。
こういうのを、批評と言うのかどうかは、私は知りませんが。


114 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/04(月) 00:05
ついて行けなくなった。何について話しているかがわかんない。
ゲームというジャンル?RPGなどのカテゴリー?ソフト単品?
みんなどうしたいんだ?も〜だめだ。

115 ::2000/09/04(月) 00:08
>>114
すいません!多分、オレの責任です。
自分、文学板出なもんで、言葉にいろいろ詰め込みすぎるんです。
でもオレを無視してくれてかまわないので、
反応した事例に対して、
もしくは新しい観点でもいいからカキコしてくれると嬉しいです。
すんまそん。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/04(月) 00:24
大雑把にまとめると
ネットゲーの未来
ゲームと他のメディアの違い
ハードの進化
ってところかな?

117 :114 :2000/09/04(月) 00:40
>Y
いえいえ、仰られていることは解るんですよぅ。
ただ、どこに向かっているかが解んないんですよぅ。
でもそれは俺だけかも知れないし、ほっといて話を進めて
いって下さい。結論が出て初めて解ったりしてなっ。

118 :閑話休題 :2000/09/04(月) 00:51
さっき彼女が電の中で
「ポケモンのRPGがやりたい」と言っていた…。

どうでも良い話だけど。

119 :にゃー :2000/09/04(月) 00:55
>117
コンピューターゲームはどこに向かっていっているのか、
及びどこに向かうべきなのか、ということについて法螺話でもなんでも
ぶち上げてくれると私個人としては嬉しいのですが。


120 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/04(月) 02:29
>115
文学板出だとそうなるんですか・・・(行ったことない)
でも、俺の兄貴東大文学部の院生で、論文とかたまに見せてくれるけど、
そんな言葉遣いしないよ?

121 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/04(月) 16:13
age

122 :あっきー :2000/09/04(月) 16:30
>Yさん
かなり失礼なことを聞いてしまいますが、
文学研究(特に近現代)とかって、
どこに向かっているかわからない、もしくはどこへも向かっていなくないですか。
自分、その辺がダメだったので、大学つらかったです。

ゲームを論じるってのもどこへ行けば良いのでしょうかねえ…。うーん。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/04(月) 16:36
娯楽であり続けるためには、芸術や学問になっちゃいかんよな
公式や定説が生まれ、それに沿って作られるようになると
「誰がなんと言おうと面白い」って部分は
未熟、とか稚拙とか軽佻浮薄とか呼ばれて消えてしまう気がする



124 :RYU :2000/09/04(月) 22:00
>娯楽であり続けるためには、芸術や学問になっちゃいかんよな
同感です。自分でもゲームに関して分析をして体系化すればするほど
その輪から抜けたゲームの連想が出来なくなりますね。最近で言えばBMとか。

>公式や定説が生まれ、それに沿って作られるようになると
>「誰がなんと言おうと面白い」って部分は
>未熟、とか稚拙とか軽佻浮薄とか呼ばれて消えてしまう気がする
どちらかといえば公式や定式によって生まれる何らかの権威によってでしょうけど。

けっこう混乱してきましたが、型通りになるとすぐ既出で終わってしまうので
こういう方向性も良いかと。Y氏の発言も少々判りにくいですが別の視点があって
面白いです。『ゲームの批評の仕方』とかかなり面白い視点なので突っ込んでいきたいですね

俺的にはゲームを文学に例えて批評するより映画と捉えた方が捉えやすそうだと思いますね。
個人の作品と言うより、集団の作品なので(ただ映画よりも撮り方や上映方法の独創性も含むけど)。
だから漫画と言うよりアニメに近そうな気がしますがアニメを分析する方から見てどうでしょう?

125 :名無しさん@雀 :2000/09/05(火) 07:50
ゲームを文学や漫画やアニメと例えるのって面白くないな。
ゲームはゲームなんだから。

「ポケモン」の属性が「じゃんけん」から着想されたらしいけど
じゃんけん、一つにしても、分析してみれば
色々な事が見えてくる気がします、漫画「カイジ」を読んで
考えさせられましたは。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/05(火) 17:33
age

127 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/05(火) 17:58
結局何のスレッドだったか不明。
評論家が出てくるとどんな話題も迷宮入りだな。

128 :名無しさま :2000/09/05(火) 18:43
ネットゲーの未来
 あとくされなくプレーを中断できるゲームがいいなあ。
ゲームと他のメディアの違い
 その気にさせて、アクションを起こさせるのがゲームだと思う。
ハードの進化
 ゲームと呼ばれる形式を維持するなら現状くらいがちょうどいいかな。
 これ以上進むと本物のスポーツとかシミュレータと変わらなくなってしまう気がする。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/05(火) 22:14
age

130 :名無しさん@雀 :2000/09/05(火) 22:24
「ゲームはあくまで商品。」「評論家が出てくるとどんな話題も迷宮入りだな。」
あ〜多分夏目房之介さんの漫画論を読んだ事無いんじゃないかと思いますが。

批評とか評論という言葉は出てきますけど、なんて言うかですね
ゲームを楽しむだけではなくて、語ろうと言う時にね
ちょっとばかり汎用性の高いガイドラインを補助線を引けないだろうかって
話なんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。


131 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/05(火) 23:22
>>130
なんでここで夏目が出てくるの?
彼はこのスレッドに2回書き込んだだけだよ。
あなたはこのスレッドが夏目を中心に回っていると思ってたくちだね?
その基本了承からして違うんだから話がかみ合わないのも当前だね。

132 :>131 :2000/09/05(火) 23:36
そういうあからさまな煽りはやめろって。
それともホントに130の意図するところがわからんとか?
子供ばっかりやな。

133 :130 :2000/09/05(火) 23:55
>>132
何を言ってるのか全然わかんない。
よかったら教えてくれませんか。
(大人になったらわかるんでちゅかねバブバブ)

134 :這い寄る混沌 :2000/09/05(火) 23:56
コンピュータゲームと他のメディアとの絶対的な差異ってなんだろう?

135 :131 :2000/09/05(火) 23:58
ごめん133=131だよ。
まちがえちった。

136 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/05(火) 23:59
物語に介入出来ること。
たとえ用意された物だとしても、
プレイヤーに選択の機会があるのは大きいと思う。

137 :名無しさん@雀 :2000/09/06(水) 00:13
映画とか漫画は完成形でユザーに手渡されるけど
ゲームはある意味【手段その物】であって
プレイヤーはゲームで表現出来る部分があるからなぁ
つまり、漫画にとっての紙とペンの役割も兼ねてるんだゲームは。

138 :>134 :2000/09/06(水) 00:23
面倒な遊びに人手がいらないこと。

139 :這い寄る混沌 :2000/09/06(水) 01:29
>136、137
それはコンピュータゲームじゃなくてもできるんじゃない?
TRPGなんかはその典型だし、
>138
多分この「一人」というのがコンピュータゲームの本懐だと思う。
でもテクノロジーの進化によって逆に古典的な「対人間」の遊びに戻ったのは不思議。
ネットゲーム然り対戦ゲーム然り。
ポケモンやその他の亜種だってそうだ。
自分もそれを楽しんでいるけど、
一人で楽しめないコンピュータゲームはどこかさびしい。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/06(水) 02:24
「コンピュータ」ゲームの特徴は、膨大な情報量の計算を向こうがやってくれる、
ということやね。そこら辺を自分でやるってのなら自分でコンピュータの計算を
シミュレートして遊ぶ、という手もありでしょ。昔のウォーゲームなんかそんな感じ。
これは非リアルタイム系に限る話になるけど。

141 :RYU :2000/09/06(水) 02:43
>ゲーム自体について語るよりも、むしろ戦法の進化について語ったほうが面白いかもしれない。
>新しい戦法が古い戦法を駆逐し、新しい戦法が人々に共有されていく様子は、
>その対戦ゲームそのものよりも私にとっては面白かった。
これって面白いことを示唆してますよね。ゲームの楽しみ方というのがその完成されたシステムを
すべて理解してからでないと楽しくないわけでなく、システムを理解していくその過程、あるいは
競争の部分も面白かった、という事だから。ゲームを理解する流れが楽しいってのは任天堂とかが
うまく演出している部分でもあるし。

142 :名無しさん@雀 :2000/09/06(水) 03:54
137>139
「プレイヤーはゲームで表現出来る部分があるからなぁ 」
と言うのは、格闘ゲームやシューティングゲームで
観客に見せるプレイと言うのも含んでいます。

>140
逆に人間の思考をコンピューターにシミューレートさせる事で
一人遊びを実現させる事が出来るって見方もあるな。

143 :>139 :2000/09/06(水) 04:23
>テクノロジーの進化によって逆に古典的な「対人間」の遊びに戻ったのは不思議。
それは歴史的にコンピューターが「人手の代わり」を目指してきたに過ぎなかったということだろう。
他のコンピューターを要する分野にも言えることだが、
コンピューターは基本的に「人に較べてものすごく計算が速いだけ」のものだから。
でゲームの場合、コンピューターは主に「ゲームシステム」と、
シナリオやNPCの行動を含めた狭義の「ソフト」を代替していた訳だ。
ところが近年、通信環境の整備により「人間関係を必要としない他人の介入」が容易になった結果、
より優秀な「ソフト」である「他人」が参加するほうが面白いとなったわけだ。
つまりコンピューターのAI、もしくはシナリオの情報量は
未だ遠く人に及ばないってだけのことじゃないでしょうか。
要するに過渡期にすぎないと見ることも出来る。

144 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/06(水) 04:38
すげぇな、ここ。
俺、頭悪いからよくわかんないや。

ってゆーか、基本的に評論って、何か普遍的なモノを求めて、
そこから割り出されるモノなんでしょ?違う?
だとしたら俺には興味がない。
俺は個人が語る、感想文のほうが好き。永田さんのゼルダ感想文とかね。
本質とか、行く末とか気にしてたら自分自身が純粋に楽しめないから(笑)

ごめん。水差すような発言ですが、
ココに書き込んでる人たちって、ほんとにゲームが好きなのかなぁと、
ちょっと心配になっちゃったもんで。

さて、ジェットセットラジオでもやるかな〜。
みんなもっとゲームやろうぜ〜〜!
(レス不要)

145 :使者 :2000/09/06(水) 04:43
この御方達は今すぐハード板に移籍するべきです。
私達は貴方のような逸材を求めております。
是非ハード板への定住をお願いします。


146 :名無しさん@雀 :2000/09/06(水) 09:17
>144
すっごく正解だと思う。
わしも好きだよ永田さんのゼルダ感想文

ま、一種のパズルゲームみたいなもんなんだは、これは
ハマると解けるまでやめられなくなるんだね(^^;

147 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/06(水) 18:13
このスレ浮いてる

148 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/06(水) 21:37
age

149 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/06(水) 21:42
マジでハード業界板来てくれ…
最近(GCあたりから)レベルが低すぎて…

150 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/06(水) 21:50
>>149
低くなったんでこっちにいるんですが・・・(^^;

151 :149 :2000/09/06(水) 21:51
>>150
了解。

152 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/06(水) 23:58
業界板て真っ当なユーザーあんまりいないしなあ

153 :nd :2000/09/07(木) 00:01
 テレビゲームの評論の難しさのひとつは、プレイヤー一人一人がモニタ画面に映る
何かとインタラクティブにやりあう一回一回の「体験」そのものこそがゲームなので
あって、ゲームソフトそれ自体は結局のところその「体験」の契機に過ぎない、って
点にありそうな気がします。だから144氏みたいな感想は、本質を突いてると思う。
 風永さんがあれだけ広範にゲーマーの共感を呼ぶのはそれゆえなんじゃないかな。

 けれども見かけ上、ソフトひとつひとつは小説や漫画や映画のように大量生産され
たパッケージメディアだから、従来のような「表現作品」としての評論ができるはず
だ、しなきゃならない、みたいな観念が一部で起こってしまったんだと思うんですが、
本来こっちのが短絡なんでしょう(まあ、そうできる部分も皆無じゃないんでしょう
が)。
 なので、39で夏目さんが試みに仰られた「個人や集団ではなく「時代」や「不特定
多数」そのものを「作者」とみなすような批評はありえないのか」みたいに、ムリヤ
リ「表現」としての体裁でもって解そうとする必要はないんだと思いますよ。

 ただ、受け手の「体験」こそが本質だという言い方は、なにもゲームだけじゃなく
読書や映画鑑賞という行為についてだって成り立つわけで、むしろ現状の他ジャンル
においてもっぱら「作家」とか「作品」みたいな「他人事」を云々する「批評」や「
評論」が中心となっていることを、ほかならぬ自分の一回コッキリの「体験」なしに
はありえないゲームを語ることによって逆照射するみたいな立場の方が、批評一般の
課題としては面白いんじゃないでしょうか。

 放談失礼。
 帰ってドリラーでもやろっと。

154 :名無しさん@雀 :2000/09/07(木) 00:45
夏目さんが「マンガの読み方」で竹熊健太郎さんとかと共同でやったのは
漫画を読むときにキャラや漫符やコマからどういうふうに情報を受け取って
いるのかという研究なんだは。

【体験】というのは確かに根幹にあると思います
そもそも、ここで何かを書こうかという動機は個々人が身の内に
強いゲーム体験を持っているからであるはずだから。

それで、もし【体験】語ることに有効性があるのなら
それは【体験】が個々人固有のものではなく、ある程度共感を得る
【共有できる体験】があるという事だと思う。

ここまでスレッドを読んでいて考えたのは。
よく言われる【インタラクティブ】ってことを
もうちょっと具体的に細かく分解できないのかなぁって事です。
なんでゲームが楽しいのかって部分を
個々のゲームを分解する事で共通部分を引き出して
ゲーム全体を俯瞰するような、幾つかの視点を
設定できないのかなぁって事ですは。

155 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 01:16
関係ないんだけど、
それだけの仕事を期待できるライターとかって
ゲーム業界に今いるかなあ
別にWEB上の素人でもいいんだけど。
ようするにまともな批評家っている?

156 :這い寄る混沌 :2000/09/07(木) 02:47
>>142
「格闘ゲームやシューティングゲームで観客に見せるプレイと言うのも含んでいます」
ボーリングやビリヤードもコンピュータゲーム以上に外部アピールが大切な要素だと思う。
>>140 >>143
「それは歴史的にコンピューターが「人手の代わり」を目指してきたに過ぎなかったということだろう」
まさにそのとおりで、突き詰めて考えればほとんどのコンピュータゲームは、
なにがしかの遊びのデフォルメ(悪く言えば紛い物)に過ぎないと思う。
そして、それを感じさせないように進化し続けてきたのだけれど結局現実にはかなわない。
ネットゲームの隆盛はそれが歪んだ形で表出したのだと、そんな風に感じます。
>>153 >>154
体験を語るということは、>>104
にあるようにコンピュータゲーム云々とは本質的にずれてしまうと思う。

うーん、なんだかわけがわからなくなってしまった。

157 :夏目房之介 :2000/09/07(木) 04:44
どなたかに、こちらが煮詰まってるのできてくれとわれたんですが、そうは思えないけどな。
すれ違いや、つまらない当てこすりはともかく、けっこう面白く展開してるように見えますけど。
もしそうじゃないとすれば、これほど少ない文字数で、即座に多様な問題を論じ、感想をいい、しかも結論をださねばならないと焦るからかもしれないですよ。
ここで出されていることのほとんどは、わかりません。が、理屈でいえば、相当重要ないろんな課題がでていて、あとはこれを整理して時間をかけて考えればいいってことじゃないんでしょうか。
したくなければ、そう表明すればいいでしょうし。

>153 39で夏目さんが試みに仰られた「個人や集団ではなく「時代」や「不特定
多数」そのものを「作者」とみなすような批評はありえないのか」みたいに、ムリヤ
リ「表現」としての体裁でもって解そうとする必要はないんだと思いますよ。

おっしゃる通りで、そういう反論、見方は当然ありうると思って書きました。
何だか、僕自身大学生の頃、マンガっていう分野を、他の何者でもないマンガとして、どう批評したらいいのか必死に考えた頃を思い出したりしました。

>154 「マンガの読み方」で 漫画を読むときにキャラや漫符やコマからどういうふうに情報を受け取って いるのかという研究なんだは。

ここの主題じゃないですが、正確に読んでくださってうれしいです。
表現論という言葉を使ったために背後に隠れちゃったんですが、じつは受容論、コミュニケーション論にも開けるようにと思ってたんです。

では、ゲーム音痴はこれにて失礼。 

158 :夏目房之介 :2000/09/07(木) 04:46
あ。ついでですが、みなさんの使っている「煽る」ってことの意味が、やっとわかりました。

159 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 04:49
握手してクレー

160 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 04:49
がんばってくださいねー
夏目さーん

161 :RYU :2000/09/07(木) 04:50
お、またいらっしゃったのはありがたいです。ぼちぼち話も進むでしょうし、またお寄り下さい。

162 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 04:53
さすがに偽者とはいえない知性が文字から漂ってくるので見分けやすくて良い

163 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 05:10
ゲームが「体験の契機」だって言うんなら、そのゲームがいかにして体験を引き出せるか、
プラスその個々人の体験がどのようにどのくらい普遍的で尚かつ魅力的であるのかってことに
焦点を当てればいいのでは?
評論文って読んだこと無いからよくわかんないけどさ、夏目さんのも読んだことないし。



164 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 05:12
て言うかゲーム止めて表で遊べや!

165 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 05:14
ゲーセン逝っていいですか?>>164

166 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 05:19
ぎゃふん!

167 :>163 :2000/09/07(木) 05:36
要するにどれだけ優れた「体験装置」なのかってことかね。

168 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 07:35
あげるか

169 :赤いひつじ :2000/09/07(木) 11:05
なんかむつかしく話す人が多いな〜。
自分みたいなバカには理解しきれんよぅ。でも書いちゃう(藁)

いちゲーマーとしての勝手を言うなら、
ゲームはゲームのまま何処へも行かないと思う。
どんなに形が変わったとしても。

ゲームの何が面白いかなんてのは人それぞれですよね。
ストーリーの希薄なRPGを攻略本をなぞるように遊ぶ人もいれば
対戦格闘でのチキンプレイが楽しい人だって中にはいる。
でも何故こんなに多くの人達がゲームをするのか?

それは攻略本をなぞったり、チキンプレイをしたりするのが
気持ちイイから。マスターベーションだから。
もちろんどんな遊び方をしていても、です。性癖とも似てるかも。
 (人によって楽しい部分は違う)
言い方を変えれば、どんな風に遊んでもその人の勝手にできるから。
PKしようが人助けしようが、選択権を握っているのは自分だから。


「体験する」ってコトバがありましたけど、ゲームは映画や本
などの他メディアよりも、お手軽にある種の刺激を体験するモノ
だと思っています。それが簡単に手に入るからやる。
それだけの理由です。

「娯楽として人に刺激を与えるモノ」=「ゲーム」なら、その形や
しくみ(ジャンル、システム)の違いはあっても定義(?)は同じ
なんじゃないかな。楽しませるモノってことで。

どんなにいいゲーム、優れたシステムでも、人間はすぐに飽きて
しまうでしょう。メーカーがより飽きにくい魅力的なゲームを
作っても、「飽きないゲーム」はそうは出てこない。
飽きがくる人間と、飽きない娯楽を考える人間とのイタチごっこ。
この構図が変わらない限り、ゲームはどこまで行っても今と大差は
ないと思う。

なんか的ハズレっぽくてスマソ。
論じるのは無理なんで、一個人の価値観として見てもらえると
ありがたい。



170 :nd :2000/09/07(木) 14:29
 せっかくだからとことんムツカシク考えよう。

>154
個々のゲームを分解する事で共通部分を引き出して
ゲーム全体を俯瞰するような、幾つかの視点を
設定できないのかなぁって事ですは。

 できない、もしくはしない方がいいのではないかという可能性を本気で検討した
方がいいかもしれないと思ってます。
 やったところで、ゲームの場合「幾つかの視点」があまりに数多くなりすぎて、
それをさらに抽象して普遍的にモデル化したりなんかすると、「インタラクティブ
とは操作者がデバイスを通じて入力した信号に対してモニタの表示キャラクタに何
らかの変化が起こることである」みたいな何も言ってないスカスカの共通形式しか
残らないおそれもありはしないかって。
 だから、ゲームの場合はいきなり普遍的なモデルを構想するよりも、古生物学み
たいに系統樹を描いてみた方がまだ順当かもと。これは1989年の時点で枡山寛ひき
いるテレビゲームミュージアムプロジェクトって連中が『電子遊戯大全』という本
である程度やってるんですけど。
 その際、各タイトル間にどういう関連を見出してどういう線を引くかという議論
を、図を見ながらやるうちに、時代時代によって何が保存され、何が棄却されてき
たかてきたみたいなことくらいは見えてくると思います。
(つづく)

171 :nd :2000/09/07(木) 14:34

(つづき)
 漫画評論の場合、まずはイデオロギーの反映論から脱却し、故石子順造氏や呉夫
子らが落ちついた作家論・作品論の土台を整備し、夏目さんとかオタキングが見出
したマクラウドとかが表現手法論を拓き、本格的な受容論・コミュニケーション論
はこれからの課題、という流れがあるわけですが、ゲームはこれと逆に、受け手の
ライフスタイルにおいてゲームをするという行為は何なのかというところからスター
トした方が近道という気がします。
 なぜかというと、多くのゲーム制作者の発想の順番は、「何を表現したいか」と
いうより、まずは受け手の身になって「どう遊びたいか」から始まるからだと思う
のと、それにゲームを遊んだり論じたりすることそれ自体に、ジャンル外の人々が
自明に認めうる「社会的意義」が何にもないからです。
 映画や漫画の場合はまだ、旧来の芸術からの流れだったり、あるいは主流の価値
へのカウンターとしての意味づけを、少なくともジャンル内の人間は信じることが
でき、それを外に訴えかけていくことができたと思うんですけど、ゲームにはそう
いう自意識をもてる余地が、気持ちいいくらいないじゃないですか(笑)。
(さらにつづく)

172 :nd :2000/09/07(木) 14:39
(さらなるつづき)

 なので、そういう「意義」を捏造するのは論外として、まずはゲームをする自分
らを相対化して「なぜゲームを考えなければならないか」を言語化する過程なしに
は、ゲームを評論しようとする行為は結局、いかに精緻で客観的な分析を立てよう
と、謎本だとか柳田理科男だとかみたいな「ごシュミ」としての意味しか持ちえな
いんじゃないかしら。そのあたりの足場問いができないのであれば、永田さんのよ
うな体験語りに徹する方が、きっとゲームに対しても批評に対しても誠実なのでしょ
う。でないと169の赤いひつじさんみたいな直観的な違和感を、いつまで経っても
拭えないハズ。

 けれどそういう困難を乗り越えて、ゲームの言葉を鍛えられたとしたら、ある意
味で122氏が呈していた「文学研究(批評一般に置き換え可能ですね)はどこに行こ
うそしているのか」という疑問への手がかりを含むものになると思うし、そこに至っ
てはじめてゲームの評論は開かれた意義を獲得できるのではないか。

 このへんは映画や漫画の評論もまだ至ってない地平だと思うんで、せっかく後発
ジャンルなんだからそのくらいのユメをもって臨みたいねという話し。

 ながくて御免。

173 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 15:10
映画との決定的な違いはメディア媒体を特定してないこと。
PSとかDCとかいったハードの違いだけでなく、
携帯性のあるもの、ないもの、
コントローラー、センサー、マイクという、入力装置の多様さ。
表現技術だけではなく、
プレイヤーにゲームをどうやってアクセスさせるかということが、
ひとつの手法であるってことは今までの娯楽になかったことだと思う。

174 :173 :2000/09/07(木) 15:23
つまり、「ミッションインッポシブル」をやるとき、
映画ならただ座って見るだけだけど、
ゲームならガンコントローラを渡され、撃って参加する場合もあれば
バイク型の筐体で、レースをするかもしれないし、
キーボードがでてきて暗号の解読をしなければいけないかもしれない。
もちろん、映画のように見てすすめ、選択肢を選ぶものもあるだろう。
どうやって介入させるかってことがゲームにとってすごく重要なことで、
表現方法というより、これこそがゲームそのものな気がする。




175 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 15:27
>>174
それがインタラクティブな環境に提供され、
場合によっては製作者も意図していない領域まで広がる場合があるのがゲーム。
やはりプログラムの介在というのが大きいです。
データ再生を主体とするものはちょっと外して考えたほうがいいかも。
いわゆるデジタルコミックとか、プレイヤーによる差異の出にくいものはね。

176 ::2000/09/07(木) 15:48
む、なかなか興味深いところに及んでますなぁ。

私自身は、結局のところ、
>よく言われる【インタラクティブ】ってことを
>もうちょっと具体的に細かく分解できないのかなぁって事です。
これにつきるんじゃないかな、と思います。

>「娯楽として人に刺激を与えるモノ」=「ゲーム」なら、その形や
>しくみ(ジャンル、システム)の違いはあっても定義(?)は同じ
>なんじゃないかな。楽しませるモノってことで。
問題は、何を持って人は楽しいと思うのか、
そしてなぜゲームは楽しいのか、ということなんじゃないでしょうか?



177 ::2000/09/07(木) 16:01
一般論です。

>>144>>153さんのように、
個人的な体験を率直に語ることが有効なのではないか、
という考えも理解できなくはありません。

「野球」がいかに面白いか、「サッカー」がいかに面白いか、
という批評は可能だけど、
「野球とサッカーどっちが面白い」という視点は、
よくネットで無意味な煽り合戦が見られるように、不可能だからです。
ところが、ゲームというのは、つまり、
このゲーム(のルール、システム)は一体どうだろうか?
という視点でしか語ることが出来ません。
しかしそうなると、結局個人がそのルールに浸った結果、
その個人が得た体験、というものを語ることになってしまうのでしょう。
これは有効だとは思うけれど、「好きかどうか」しか語れず、
「優れているかどうか」ということを語ることは、永遠にムリなのではないでしょうか。

いや、別に批評ってのは、物事の善し悪しを決める定規って訳ではないけれど、
少なくとも、ある一定のスタンスに立ったときに、
批評されるものごとの中にベクトルを見いだすことだと思うんですよね。
つまりそれが、ゲームというものの包括的な見解になりうる訳だと思います。


178 ::2000/09/07(木) 16:20
ndさんの言葉を引用します。
>けれどそういう困難を乗り越えて、ゲームの言葉を鍛えられたとしたら、
>ある意味で122氏が呈していた「文学研究(批評一般に置き換え可能ですね)は
>どこに行こうそしているのか」という疑問への手がかりを含むものになると思うし、
>そこに至ってはじめてゲームの評論は開かれた意義を獲得できるのではないか。
これを強くきぼーんします(笑)。



179 ::2000/09/07(木) 16:21
で、きぼーんばっかりで、クレクレくんになってもしょうがないので、
一つだけ視点を考えるとすれば、
「質感をどう表すか」ということがあげられると思います。
つまり、ゲームの中で剣をふったとき、
ただボタンを押したから剣がふられた、というのではなく、
その剣がものを切るときの反動、衝撃、切られたものの変化、
ふりぬいた後の急に力が解放される勢い余った感覚、
こういう細かな表現についてのルールの集合を解きほぐした時、
そこにゲームならではの「体験」の喜びというものが、
立ち現れてくるように思えます。
(必ずしもリアルである必要はなく、そのゲーム世界においての
物理法則を矛盾なく作り出せれば、それでいい訳です)
自分が剣をふることで、ゲーム世界にもたらした変化。
それが、実はネットゲーにおける「リアクション」の楽しみとも、
関係してくるような気もします。

180 ::2000/09/07(木) 16:22
しかし、こういうことを書くと、
「シェンムー」の話になりそうで怖いですね。
荒れること必定、だからなぁ。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/07(木) 16:36
FFなんてクソだって話にもなりかねんね

182 :妄想くん :2000/09/07(木) 17:55
私はゲームの主軸、骨子、命、は「ルール」だと思います。
というか「ゲーム=ルール」ではないでしょうか。
シナリオなんかはどうでもいいと思います(よい出来に越した事はないですが)。
みっともないものでさえなければ。というかいらないというか。

一番面白いゲームというのは今の所コンピュータゲームではなくて囲碁と将棋だと
思います。個人的には。実はコンピュータゲームというのはどんどん新作が出る割には
新しい「ルール」を持つ作品を作ってないですね。RPGやSRPGだってそれぞれの作品が
他の同ジャンルの商品と何が違うかというと、シナリオが違うだけで、システムは
代わり映えしない。職業決めてパーティ組んでとか、強いユニットで敵を死ぬ寸前
まで破壊してから弱いユニットでトドメを刺させて全軍のレベルアップを計るとか、
やる事同じ。
ルールそのものを考え出したゲームというと、山ほどあるゲームの中でも、スト2と
テトリスとグラディウスとビーマニくらい。あとWIZと信長と大戦略とローグでしょうか。
他の作品はおしなべて既存のジャンルで新シナリオ。
エポック産業なのに、実はエポックメイキングをしていない。

好きなゲームって何かという話題になると結構その辺の、最初にルールを考え出した
ゲームが上げられる事が多い気がします。で、それをやって何が面白かったかという
話になって「自分がプレイしたらこうなってこうなった」という自分だけのエピソードを
嬉しそうに語るような感じで。
ゲームがルールだけで存在していると、プレイした人によって展開が違うから
自分の話という事になるけど、シナリオがあると展開が誰も彼も一緒なので
シナリオの感想を論じ合うといった辺りに収束してしまう気がします。
そういうゲームも悪くないけどそんなのばっかりになってる感がありますね。

183 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 18:14
バルダーズ・ゲートというネットゲームの時感じたことですが、
ネットゲームでシナリオが存在すると、
シナリオを理解していない人(この場合の理解は展開を知っていることではない)、
あるいは一度解いて解法や展開を知ってしまっている人がいた途端、
ゲームの、あるいはプレイヤー同士のコミュニケートの、フレキシブルさが失われる。
シナリオはなくても良いのではなくて、この場合、存在自体が害悪になっていると思う



184 :SM7 :2000/09/07(木) 18:56
>>178 >>179
Yさんにレス。

あるゲームの面白さや面白くなさについて語ることにおいて、それを「俺語り」に終始させることなく、さらにはゲーマー向け読み物の大気圏をも突破して、少しなりとも普遍的な意義につなげていくことは可能か、ということですよね?

それならば、あるゲームが現われる直前の時点でゲームにどんな面白さが求められていて(あるいはどんな面白さがまだ発見されていなくて)、そういう顕在・潜在を含めたニーズに対してそのゲームがどれだけ適うものとして世に現われたのか、ということを検証していくのはどうですかね。

主観的に面白いことと客観的に優れていることを有機的に結びつけていけるようなゲーム批評を実現していくうえでの戦略として、これならまあ妥当な線と言えるかなと思うんですよ。むろんこれは、分かったつもりを気取りたがる悪しきマーケティング主義と紙一重のやり方でもありますから、取り扱いには注意が必要です。だからこそ、そこで初めて「操作の質感」といったプレイヤーにもたらされた快・不快に基づく主観を、不特定多数に承認させられるくらいに意義のある話題として成立させていける資質を備えた人材としてのゲーム体験者の証言が、確実に求められてくるのだと思います。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/07(木) 19:01
つまり、普遍的な体験(=共有できる体験)に主眼を置かない方がいいってことなんでしょうか。
ムズカシイですなあ。
>まずはゲームをする自分らを相対化して
>「なぜゲームを考えなければならないか」を言語化する
これなんかホントにできるのかって思うくらい(^^;
でも各々のゲーム間では普遍的な体験を抽出できなくても
個々のゲーム=個々のルール内で普遍的な体験を抽出する事はできるよね。
つまり、複数のゲーム間で比較して論ずるのは容易じゃないけど、
単体でそのゲームが「何故おもしろいのか」について語ることはできる。
んー、でもそれはもうすでにやってることなのか?てーか、これだと意味ねーのかな?
すまん、頭悪くて・・・やっぱ評論読んだことのない人間が口出しても
あんまり有意義なレスにならないね。

186 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 19:21
http://www01.u-page.so-net.ne.jp/da2/babahide/library/design_j.txt
「コスティキアンのゲーム論」

色々探してみましたけど、これが一番まとまってたので。



187 :SM7 :2000/09/07(木) 20:38
戦略的な意志決定モデル全般を指す「ゲーム」といわゆるビデオゲームの「ゲーム」とはしばしば全く無検証に同列に見なされるものですが、私はそれちょっと違うと思うんですよね。

ビデオゲームの「ゲーム」とは、実はコンピュータを使いビデオ装置を媒介して行える「面白いこと」に対して、便宜的に与えられたあだ名に過ぎないと考える方が、おそらく正しいでしょう。そうしないとマルチプレイゲーム以外すべてのビデオゲームはゲームではない、ということになっちゃう。誰もが「ゲーム」と信じて疑わない、思い出深いあの名作もその傑作も、みんなゲーム批評の対象から除外することになりますぜ。


あああと、そろそろコスティキャンのゲーム論を無闇に「こちら」に引き入れてくるのもどうかなーと思っています。だってその論文、実はビデオゲームのことについてなんか、まるで語っていないですもん。

188 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 20:52
>186
考えが古すぎますよ。
たんに自分の狭いゲーム感からはずれたものを
ゲームではないと排除しているだけです。
その文章はゼロです。

189 :nd :2000/09/07(木) 21:40
>185
>でも各々のゲーム間では普遍的な体験を抽出できなくても
>個々のゲーム=個々のルール内で普遍的な体験を抽出する事はできるよね。
>つまり、複数のゲーム間で比較して論ずるのは容易じゃないけど、
>単体でそのゲームが「何故おもしろいのか」について語ることはできる。
>んー、でもそれはもうすでにやってることなのか?てーか、これだと意味ねーのかな?


 ありますあります。そして全然意味なくないと思う。
 たとえば

http://www.bremen.or.jp/takanabe/labgame.html
http://www.vc-net.ne.jp/~kata511/index.html
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/
http://homepage1.nifty.com/dotimpact/

 とか。それぞれ決して主観的な感想に留まっていない一方で、決して
「自分」をスポイルした無味乾燥な超越錯覚に陥らない、他人にとって
意味のある「私語り」のスタイルを持ってると思います。
 こういうのが、もっと前面に出てきてほしいのヨー。
 「ゲームの文法」だのの、わかったような大仰な言葉遣いを振りまき
ながら、結局後には何も残らない平林久和あたりのタワゴトくらいしか
流通しないんじゃ、あまりにもカナシイもの。


190 :nd :2000/09/07(木) 21:46
 つづいてます。

 ですので、上記サイトのような実例を知ってる身としては、Yさんの仰った

>しかしそうなると、結局個人がそのルールに浸った結果、
>その個人が得た体験、というものを語ることになってしまうのでしょう。
>これは有効だとは思うけれど、「好きかどうか」しか語れず、
>「優れているかどうか」ということを語ることは、永遠にムリなのではないでしょうか。

 というお題については、個々人の「体験」から率直に導き出される言葉
にはなにも「好きかどうか」だけでなく、その「体験」がほかのゲームや
人生における別の体験と照らし合わせてどんな意味を持ちうるかってこと
を冷静に測って、多くの人に伝える力もあると思っています。

 むしろ、多くの人にとって「客観的」な言葉であるためにこそ、自分の
「主観的判断」がどのようなものであり、なにゆえにその人格的立場が形
成されたのかをちゃんと自覚し、相手に明示的な言葉や行間で伝えるため
の「自分語り」の努力が必要だという考え方はできないでしょうか。

 で、言葉を受けとめる側もまた相手のパーソナリティと自分との相同と
相違を能動的に見極め、相手の言葉を自分の文脈に置き換えて咀嚼すると
いう作法を当たり前だと心得ればよいだけのことであって。
 てゆーか本来、日常生活において「人の話を聞く」というのは、そうい
うことじゃないですか。そういう心構えを欠いた「知」とか「思索」って
ろくなもんじゃないと僕なんかは思うんですわ、どうしたって。

191 :U-名無しさん :2000/09/07(木) 22:01
あんまりジャーゴン使わないで。わかんねーから

192 :妄想くん :2000/09/07(木) 22:21
>187
>戦略的な意志決定モデル全般を指す「ゲーム」といわゆるビデオゲームの
>「ゲーム」とはしばしば全く無検証に同列に見なされるものですが、私は
>それちょっと違うと思うんですよね。
でもちょっとしか違わなくないですか?

人間が何かを面白いかつまらないかと判断する時、
ビデオゲームであるかないかでその判断条件が変わるって事はないと思います。
ビデオゲームでないものには戦略的な意志決定モデルを求めて、
ビデオゲームには求めない、という事はないでしょう。
(結局これを追求すると最終的には「ヒトが何を面白いと思うか」という事に行き着く気がしますが、評論ってそういう議論に行き着いたらマズいんですかね?)

ただ、娯楽側が、そのジャンルの能力の関係で提供可能な面白さが変わってくる事はありますね。例えば、映画とボードゲームでは生み出せる面白さは違って来るでしょう。
シーマン、どこでもいっしょ、音ゲー、あとアドベンチャーゲームやサウンドノベルとか、これらは戦略的な意志決定モデルを楽しませるものではないですね。
だからビデオゲームには、いわゆる駆け引きや選択の組み合わせの面白さ、のみならず、どちらかと言うと映画や小説の面白さに似た面白さ、更には他にはない、ビデオゲームでしか成立させられない面白さ、というものも提供出来る可能性はありますね。
ただ、割合的には、戦略的な意志決定を楽しませるものがゲームの中には多いと思います。また、これが求められなくなるという事もないんじゃないでしょうか。

193 :妄想くん :2000/09/07(木) 22:22
だから、
>あるゲームが現われる直前の時点でゲームにどんな面白さが求められて
>いて(あるいはどんな面白さがまだ発見されていなくて)、そういう
>顕在・潜在を含めたニーズに対してそのゲームがどれだけ適うものと
>して世に現われたのか、ということを検証していく
時に、ゲームに求められているのは戦略的な意志決定モデルをどうバランスよくまた目新しく持って来るか、あるいはゲームの側がそれをどう提供しようとしているか、が評論の中心になる事は多いんじゃないでしょうか。

評論というのはゲームにどんな可能性が秘められているかだけではなくてゲームがどうして面白いのかという事もある訳でしょう。

で、私は、戦略的な意志決定のシステムを追求しているのであろうと思われるビデオゲームが、別段マルチプレイではないからゲームとして成立し得ないとは言えないと思いますが、実際にはゲームでないとは言えずとも優れてないものばかりの様に思われます。
それは何故かというとルールとして優れてないからだと思う訳です。
というのは戦略的な意志決定のシステムの優秀さを求めているからですかね?

で、僕はゲームの行く先としては、戦略的な意志決定を楽しませるシステムの追求という事がなくなるとは思えないですね。
プレイヤーがそれを求める限りですが。

194 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/07(木) 22:34
ビデオゲームの行く先ってPS2が出てハードの能力的にも差が縮まって
ネットも出てきて優位性のなくなったアーケードビデオゲーム業界の
行く先の話ではないのか?

195 :RYU :2000/09/08(金) 00:54
>>154
>それで、もし【体験】語ることに有効性があるのなら
>それは【体験】が個々人固有のものではなく、ある程度共感を得る
>【共有できる体験】があるという事だと思う。
共有できる体験から共通項を見つけだして語ろう、いやそうでは無い、あたりで話が
混乱してますが、作る側としては演出というか思考の誘導の形として「ある考えへ
到達し易い演出」は常に考えているテーマだと思いますよ。
堀井さんが「左右に分かれる分かれ道に出会ったときまずどちらを選ぶ人が多いか」
とか調べたという話はその最大公約数的な展開を設定しようとしたことですし、
田尻さんの著書の中にも「マリオブラザーズでモンスターをかわすためやブロックを
叩くため、あるいは穴に落ちないようにジャンプするという事をいかに必然的に理解
させるか」ということを書いています。まぁ作り手と批評では少し立場は異なりますが
メジャーな作品にはやはり最大公約的な理解(解釈)への下積みがあるってことで。

>>170
> だから、ゲームの場合はいきなり普遍的なモデルを構想するよりも、古生物学み
>たいに系統樹を描いてみた方がまだ順当かもと。これは1989年の時点で枡山寛ひき
>いるテレビゲームミュージアムプロジェクトって連中が『電子遊戯大全』という本
>である程度やってるんですけど。
あのシリーズ良いですね。確か日経あたりから出てたと思いますがどのぐらい出てましたっけ?
俺的にはオウガバトルの分析が最も優れてたと思いました。あれは新しい地平でしたね。

>>194
アーケードビデオゲーム業界は「スプライツ」で対戦というジャンルの裾野が広がりかけた時に
その正確な方向性(対戦の多様性)が掴みきれなかった時点で俺的に終わりが見えましたね。

196 :這い寄る混沌 :2000/09/08(金) 01:05
>>157
>マンガっていう分野を、他の何者でもないマンガとして、どう批評したらいいのか
これはそのままコンピュータゲームにも言えることで、
「他の何ものでもないコンピュータ(ビデオ)ゲーム」
というものを暫定的にしろ定義しなければ(できなければ)先に進まないと思うんですよ。
http://www01.u-page.so-net.ne.jp/da2/babahide/library/design_j.txt
ここでゲーム論が展開されゲームが定義されていますが、
これはあくまで包括的な「ゲーム」全般のことであって、
「コンピュータ(ビデオ)ゲーム」について論じているわけではない。
>>187さんはそのことを言ってるのだと思うし>>188さんはそこのところを誤解している。
(包括的なゲーム論としてみれば至極まっとうなことしか書いてないはず)
>>189 >>190
ndさんのいう「私語り」というのは作品解体の方法論のひとつとしては間違っていないと思うけれど、
あまりにも一般化しすぎて「ゲーム評論」に使うのは難しいんじゃないでしょうか?
(読書感想文と同じ次元になってしまいオリジナルなスタンスを取れない)
>>179
ネットゲームに関しては古典的な対人間の遊びに退行しているだけなので、
何らみるべきところはないし、上の「包括的なゲーム論」で解体できてしまう。
>「質感をどう表すか」
これが「何ものでもないコンピュータ(ビデオ)ゲーム」を語る上でキーになるのは間違いないと思います。

197 :這い寄る混沌 :2000/09/08(金) 01:16
あああ、RYUさんにもレスしたいんだけど、
混乱してきたので少し頭を冷やしてからにします。
(考えるのとしゃべるのは好きなんだけど文章にするのがへたくそで具合悪くなる…)

198 :赤いひつじ :2000/09/08(金) 03:24
>>176

>問題は、何を持って人は楽しいと思うのか、
>そしてなぜゲームは楽しいのか、ということなんじゃないでしょうか?

みなさんもきっとそうではないかと思っているんですが……
自分がなぜゲームは楽しいと感じるのか? について答えるなら、
「なれる」から。何かに「なりきれる」からゲームは楽しいと
感じます。
でもそれだけじゃなくて、自分がなりきったのと、他人が
なりきったのでは違う(自分が上手い)と優越感を得たいから。

う〜ん語学力なくてゴメン(^^;
つまり人間って、自分の方が優れているということを周囲に対して
証明せずにはいられない生き物なんじゃないかと。
で、それを身の安全が保証された上で適正かつ簡潔に証明する為の
手段がゲームだったってこと。
殴ったり殺したりせずに、相手を打ち負かしたいという欲求を
満たす物。


映画や本、漫画のストーリーには、引き込むチカラはあっても
どこかの誰かのお話し、で終わっちゃう。リアリティが希薄。
でもゲームなら何かに変身しなりきることで、その瞬間だけは
リアルな変身を体験できる。上手くても下手でも。

よく「アイツのファランは手におえない」だとか、
「オレが平八使ったら負けなしだ」なんて言い方をします。
他の誰でもない自分の操るキャラクターが、自分がやった場合に
強い、弱い、という状況を生むわけです。
こういうなりきって上達していくことに楽しさってあると思います。
グラディウスでもゼルダでも同じこと。

ただFFは違うかな。今までのゲームとは一線を画す気がする。
 (DQ、FF論争なんてまったく興味無いですが。)
映画と同じで自分自身に起きた出来事としては体感できないから、
なりきる楽しさは感じられない。その代わりとして質の高い絵が
見られる、という楽しさが用意された別のモノと認識してます。


またズレたこと言ってるな(^^; こんなんでも伝わるでしょうか?
ついでに僕の中で究極のゲームは、カードゲームの
『Magic:The Gathering』です。


199 :赤いひつじ :2000/09/08(金) 04:40
追記
>殴ったり殺したりせずに、相手を打ち負かしたいという欲求を
>満たす物。

これって将棋とかチェスのような、シンプルなゲーム以外にも
いえることだと思うんですよね。
必ずしも誰かと対戦する必要はなくて、越えるべき障害があれば
いいというか。

RPGは一人でやるものが多いですが、この場合はモンスターに
その役目を持たせてますよね。
倒すべき目標のないゲームって希なんじゃないでしょうか?

人間の遺伝子には「他」から「自」を守る為に周囲を攻撃する
ように書き込まれているでしょ?
理屈ぬきにして案外それだけのことなのかも知れないな〜なんて。
それじゃミもフタもないっちゅ〜の(藁)


200 :にっく :2000/09/08(金) 06:15
>>176
>問題は、何を持って人は楽しいと思うのか、
>そしてなぜゲームは楽しいのか、ということなんじゃないでしょうか?

僕は、ゲームの楽しさは本質的には
1)行為→反応
2)探求→発見→成長→その実感
という二つにあるのではないかとと思います。そして、この二つは独立的にも、
また、複合的にも存在するのではないでしょうか。

で、(1)の方はゲームの内側にのみ(この際、体感コントローラーや対戦もの
の他プレイヤーも内側とみなす)含まれるのだけれど、(2)はゲームの内側と
外側にまたがっていると僕は考えます。この、(2)のゲームの外側の部分こそが、
ゲームの面白さに奥行きを与えていて、かつ、批評を難しくしているのではない
でしょうか。

例えば、>>198
>何かに「なりきれる」からゲームは楽しいと感じます。
は(1)の「行為」に含まれると思いますし、
>(自分が上手い)と優越感を得たい
は(2)の「成長→その実感」であると言えるのではないでしょうか。

201 :にっく :2000/09/08(金) 06:20
蛇足ですが、僕自身は「何者かになる」喜びをゲームから得たことはありません。
そもそも、求めてないのでしょう。だから、FFへの批判でよく言われる(た?)
主人公がしゃべることについてとか、全くピンとこなかった記憶があります。
それ以前にFFは(2)の部分での面白さが絶大だったから。けど、6あたりで
(2)の部分も予定調和的になっていったというか、「あらかじめ用意された発見」
や「あらかじめ用意された成長」しか感じ取れなくなっていった気がします。

202 :にっく :2000/09/08(金) 06:29
何度も書き込んでスマンが一つだけ補足。

2)探求→発見→成長→その実感
は厳密に言うと全体で一つではなく、「探求→発見」「成長→その実感」という風に
一つ一つが独立しているものです。ただ、同一ベクトル上にあると考えられるので
ひとまとめにしました。

203 :赤いひつじ :2000/09/08(金) 16:48
>にっく氏
>>200で言われていることで納得できました。

>>201
>「何者かになる」喜びをゲームから得たことはありません。
そうなんですか!?
ゲームの本質って自分には実現不可能なことを、コンピュータの力を
借りて可能にすることだと思ってるんですが。

例えばレースゲー、フライトシミュなんかは自分をプロドライバーや
パイロットにさせます。
一方で現実にない世界設定のゲームでもなりきることはできると思い
ます。例えばマリオ。この場合ヒゲのデブになりきるのではなくて、
2)の「成長→その実感」の過程で「自分の操るマリオ」が生まれる
んじゃないかと。

もちっと考えてから書きますわ。迷惑にならないように。


204 :赤いひつじ :2000/09/08(金) 16:51
>にっく氏
>>200で言われていることで納得できました。

>>201
>「何者かになる」喜びをゲームから得たことはありません。
そうなんですか!?
ゲームの本質って自分には実現不可能なことを、コンピュータの力を
借りて可能にすることだと思ってるんですが。

例えばレースゲー、フライトシミュなんかは自分をプロドライバーや
パイロットにさせます。
一方で現実にない世界設定のゲームでもなりきることはできると思い
ます。例えばマリオ。この場合ヒゲのデブになりきるのではなくて、
2)の「成長→その実感」の過程で「自分の操るマリオ」が生まれる
んじゃないかと。

もちっと考えてから書きますわ。迷惑にならないように。


205 :赤いひつじ :2000/09/08(金) 16:53
ゴメン。やっちまったい。

206 :nd :2000/09/08(金) 17:43
 うーん、やっぱ問題意識が違いすぎるか。そろそろ潮時かな。

這い寄る混沌さん。
>ndさんのいう「私語り」というのは作品解体の方法論のひとつとしては間違っていないと思うけれど、
>あまりにも一般化しすぎて「ゲーム評論」に使うのは難しいんじゃないでしょうか?

 誤解誤解。僕はゲームソフトの分析の「手法」として「私語り」を一般化しようと言ってるのでは
なく、ゲームを語るにあたって一人一人が「なぜ語りたいのか」を自覚すべしという心構えを含めた
流れでの話なんで。
 まあ、なぜ語るかは語るのが楽しいからだろうし、何か「わかった」ときの理屈抜きの喜びがある
から、というのが第一だと思うのだけど、そうして語られた「真実」が「ゲームのことをわかること
が純粋に楽しい人」以外の人にもどのような意義があるか、ある程度アタリをつけておかないと、結
局「ゲームの行く先」もわかんなくなっちゃうんじゃないかって、そういうことなんです。
 漫画評論の場合は、夏目さんがああした表現形式の分析論をやるに至るまでには「なぜ漫画を考え
るのか」の意義づけを先人たちが基盤整備してきた蓄積があったと思うんで、ゲームだって物事の順
序として、そういうしちめんどくさい作業を抜かすわけにはいかないんでは、って。

 「ゲームを他の何物でもないゲームとして考え」なきゃならない理由は何か?
 漫画には、発生時点からによる不当な地位のおとしめや、その反動からくる社会主義イデオロギー
のバイアスとかのため、受け手の一人一人が作品に妙な色眼鏡なしに向き合い、本来の面白さを読み
とるのが困難だった時期があり、それを破るために漫画を漫画以外の何物でもないものとして考える
批評が必要だった。
 けどゲームにそれだけ切実な語りのための事情ってあるか?

 みたいなことも、考えてみましょ、よかったら。この場でではなくてもいいと思うけど。

207 :某T :2000/09/08(金) 18:00
煮詰まってんのかな?
そろそろ技術的な側面を掘り下げてみたらどう?
古くからの遊びとしての「ゲーム」と
コンピューターの介在するものとしての「ビデオゲーム」の境界線とか。
こっちから掘った方が「ゲームって?」に近いかもよ。

208 :SM7 :2000/09/08(金) 19:21
>>192

いや、ですからまさに貴方が指摘したように「戦略的な意志決定モデルを楽しませるものではない」ビデオゲームだって、戦略的なゲームと同様に無視できない数量でもって世に現われているわけです。「ゲームから得た感触」こそに他の何ものでもない、ゲーマーにとってのゲームの姿があるではないかという考え方に頷き、シーマンやどこでもいっしょにもそんな感触を多かれ少なかれ受けることのある私としては、いまさらそれらを「ゲーム」の主軸から外れるものとして切り捨てるわけにはいかないと思っています。

だから、ビデオゲームの「ゲーム」は、戦略的な意志決定モデルとしての「ゲーム」とはちょっとどころか全く別のものを指す言葉でもあり得るし、あるいはそれをも要素の一つとして含むこともある何物かを指す言葉でもあり得る、と前言に補足を入れつつ、念を押して言っておきたいわけです。

もうちょこっと深入りしたことを言っておくと、私たちの言うゲームの面白さとは、「本質から来るものである」というよりは「特に強く見い出せたものとしてある」という風にまずは踏まえておくべきものじゃないですかねー。むやみに本質とか実体とかを求めるから、せせこましいセクト競争が起きるんじゃないかと思うので。いや、これはあくまでよその言い争いについての話ですが。

209 :SM7 :2000/09/08(金) 19:38
>>193

マルチプレイの場合、多人数だとそれなりに面白く遊べてしまうことが多いという実状が、しばしばルールの不備を補ってしまうのです。必然的にこうしたゲームの面白さは、必ずしもルールに拘束されず、むしろルールを越えた了解事項によって生じてくることもあるのだと言えます。

そこにデザインレベルで求められていくものは、ルールより趣向ではないですかね。


210 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/08(金) 20:54
ちょっと外れているかもしれないけど
ゲームの面白さを語るには
1、誰もが認める名作(マリオなど)
2、人を選ぶがはまれば楽しいもの(WIZなど)
どうして面白いと思ったのか
2については面白いと思った人とそうでない人の違いはドコか
などを分析すればゲーム独自の面白さはともかく
ゲームの面白さはわかるのではないかな

211 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/08(金) 21:01
 結局さ、ゲームも多様化して何が面白いかわかんなくなっちゃたんだよね。
 他のジャンルが辿ったのと同じ道。
 10年前なら、面白いって言われてるゲームはだいたいの人が
同意できた。
 でも、今は、みんなが面白いって同意できるゲームがなくなった。
 時代は変わったねぇ・・・

212 :這い寄る混沌 :2000/09/08(金) 23:29
>>206
>「ゲームを他の何物でもないゲームとして考え」なきゃならない理由は何か?
>けどゲームにそれだけ切実な語りのための事情ってあるか?

うう、自分はここのところを勘違いしていたようです。
個人的には極端なくらいの危機意識がコンピュータ(ビデオ)ゲームに対してあるのですが、
どうやらそれを「ほかの人もそうなんじゃないか」と勝手に思っていたのがそもそもの間違いだったようですね。
さらに告白しますが、自分がなぜそれほどまでに危機感があるかというと、
ずいぶん前からコンピュータ(ビデオ)ゲームを面白いと感じられなくなったからで、
「そんなてめえが面白くねえからってややこしく考えるな」
とも思うけど、なぜ面白くないのかを理解できないままにしておくのが耐えられなかったんですよ。
皆さんは「なぜ面白いか」ということを起点にして論を進めているようですが、
自分は「なぜつまらないか」ということを起点にして考えているわけです。
で、延々考えてひとつだけ答えらしきものがおぼろげながらみえてきて、
それが「今のコンピュータ(ビデオ)ゲームの面白さのほとんどは他に代替できてしまう」ということなんです。
本を読んだり映画を観たりして味わえる感動や、
カードゲームやビリヤードをプレイする楽しさ、
そういうものとは別のものが無いと究極的にはコンピュータ(ビデオ)ゲーム全体が廃れてしまうんじゃないかと。
「他のメディアとの絶対的差異」「他の何ものでもないコンピュータ(ビデオ)ゲーム」
それを抜き出すことができればまた新たな道が開けるような気がしたわけです。

結局は超個人的な事情で切迫しているだけなので、空回りして当然でした。
少し距離をおいてここを眺めることにします。
板汚し(お目汚し)すみませんでした。

213 :SM7 :2000/09/09(土) 00:23
>>212

ああ、そういうことなら私もかつて随分と考えたことがありますよ。

でもね。結局そういう当たりをいくらつけてみても、それは一般に「ビデオゲーム」と呼ばれるものだけが匿うことのできるものにはならないってことに、ある時気づきました。

おそらくそれは、特にビデオ画面を持つ電子機器の全てにおいて、比較的簡単に共有しうるものではないかと思うんですよ。その可能性の一例として気に留まるのは携帯電話ですね。あれの操作周りや着メロに投下される技術の発達ぶりなんぞを見てみますと、あたかもゲーム30年の進化の過程を早回し再生で見ているような気分になります。

今後、生活環境を電子機器が埋め尽くしていくことになれば、いまこの瞬間に見えた気がしたゲームの独自性らしきものは、どんどん薄く広がっていって、おそらく最期にはどこにでも観られるものになるか、あるいは観ることすら出来ないものになってしまうと思います。

ちょっと寂しい話だったかも知れません。が、これは逆に言えば、ゲームっぽい、ゲームならではの感触を得られるものがなくなるどころか、形を変えて身の回りのどこからにありつづけるということでもあるわけです。

もしもそういう時代がはっきり到来したならば、私らはそのときこそ新しいゲームを開始することが出来る。周囲のどんなものについても「ゲーム」を発見するゲーム、発見したゲームとの新しい付き合いを考えていくゲームをスタートすればいいんですよ。

それこそは、ゲームがよほど好きだった人じゃなけりゃプレイできない、独自のゲームじゃないですか。


214 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/09(土) 00:32
ボーダーレス、マルチ化は世の必定か…

215 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/09(土) 00:49
ビデオゲームは作り手によって、まったく別物になってしまうので、
きちんと定義付けするのは難しいですね。私のイメージでは・・・

任天堂:暇つぶし(おもちゃ)
セガ :疑似体験
ソニー:テレビ番組

それぞれ根底にある考え方が、まったく別物なんだとだと思います。

216 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/09(土) 00:53
なんか1タイトルを例に挙げて、
このスレの冷静な方々が
共同作業で分析していくのも面白そうだが…

217 :KS :2000/09/09(土) 01:06
>>186でコスティキアンのゲーム論を引き合いに出した者です。

ビデオゲーム独自のものといえば、やはり「画像と音声の操作」でしょうか。
画像と音声を、テレビ番組のように時間の流れにそって一方的に与えられるのではなく、
自分で操作して、表示・発音させることができるという点ではないかと。

画像と音声だけでは駄目で、操作だけでも駄目、
この二つが合体して、今のビデオゲームを作っていると思います。

すなわち、ビデオゲームは、それ自体が複合的であるがゆえに、
独自の本質を持たないのでは?
映像の本質とか、音声の本質とか、操作の本質とかがある一方で…。

218 :某T :2000/09/09(土) 03:06
寝惚けた頭でちょっとだけ戯れ言・・・

>>217
ビデオゲームにしか見られない、
CPU介在によってはじめて得られた大きな要素は、
「時間軸の数値化による取得とその反映の自動処理」だと思います。
(これに関しては某社が特許を申請していますが・・・)
同じ操作をやったつもりでも全く同じ結果は得られない。
しかし、それは偶然性によるものでは無い、というもの。
ここを軸に語ると、「ゲーム」と「ビデオゲーム」の境界線が
見えるかもしれません。
ユーザーインターフェイスの存在は必須ですが、
それは画像や音声だけではないですし、
それらがなにか欠けても問題ないと思います。

219 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/09(土) 06:16
>>214
たぶん、その先は「人」になるんじゃなかろーか。
いや、「マルチ化」ってそーゆー意味じゃないだろーけど(笑

220 :有線ゴリラ :2000/09/09(土) 06:17
見れマセーン
何でデスカー(w
悲しいデース

         

221 :有線ゴリラ :2000/09/09(土) 06:20
任天堂:ゴミ
セガ :糞
ソニー:インドマン



222 :k :2000/09/09(土) 08:48
初めてここの板に来たんですが
皆さん深く考えられてて圧倒されました。

個人的な意見なんですが
ゲームの評論は
快感の取得に対する感想でしか
ありえないような気がします。

乱暴な例えをすると決まった異性と
決まったホテルの部屋で決まったBGMで
SEXしたあとの感想のような・・・
異性に対する好みとか
部屋の設備に対する文句とか
BGMに対する不満とか論じても
結局 気持ち良かったかどうかが
本質だったりするんですが。

どうでしょうか?
話がずれてたらごめんなさい。

223 :SM7 :2000/09/09(土) 20:00
まあ、せっかく夏目氏スレッドから派生したところでこういう話をするのならば、マンガ批評の悪戦苦闘の歴史から学ぶべきことを探していくのが先決ではないかなあとは私も思いますね。

まず別冊宝島の『マンガ論争!』というムック本を読んでみることをお薦めします。一度再販されているとはいえ20年前の発行物なのでありふれた一般書店での入手はまずほぼ無理。取り寄せもできるかどうか分からないので、図書館か教養書の充実している古書店で探してみてください。

224 :@雀 :2000/09/10(日) 17:35
154>170
>「インタラクティブとは操作者がデバイスを通じて入力した信号に対して
>モニタの表示キャラクタに何らかの変化が起こることである」みたいな
>何も言ってないスカスカの共通形式しか残らないおそれもありはしないかって。

「漫画とは背景とキャラクターと台詞をコマに区切って並べたものである」
というのがスカスカの共通形式なぞでは、全然無かった訳で
それに、ここで云うインタラクティブは「ゲームは何故面白いのか?」
「それはインタラクティブだからである」のインタラクティブなんで
分解しただけでは意味が無いのはあたりまえで、それがどう面白さに
結びついて考えてみたいな、と。

例えば、入力について、ボタン一つとっても【押す】のと【連打する】のでは
違ってくるわけで、その中に「ギャラクシアン」と「ギャラガ」のゲーム性の
違いがあったりしますよね。
あと「大航海時代」について
「世界中を旅して、世界地図ができあがったら、嬉しいじゃないですか?」
というのが始めの方に書いてあったけど、【未知の領域を埋めていく】楽しみは
シューティングゲームが画面固定から、スクロールする物へ代わった意味と
関連性があるじゃないですか。

結局【体験】と【インタラクティブ】ってのは同じ意味で
【体験】というのを主軸に置いた時に、ゲームのこのルールで
このシステムで、この表現で【何が体験できたのか】を
スカスカの共通形式から逆に積み上げていく事で
また違った見方が出来ないのかなぁ、とそんな事を考えています。


225 :這い寄る混沌 :2000/09/11(月) 01:59
漫画板「夏目房之助さんについて」のスレッドでゲームに触れられている部分を抜き出してみました。

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/4502/natume.txt

議論の参考になればと。

226 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/11(月) 03:57
で、プログラムとかハードのことは語らんのね…。
コンピュータゲームの限界って確実にこれによって
制限されるんだけど。

つうか、ポリゴンとかの3Dグラフィックは
それをゲーム機に使える環境が最近になって整っただけで、
ゲーム屋が考えて作った訳じゃないんだけど。

227 :RYU :2000/09/12(火) 02:44
沈みつつ更に深い議論 ^^); >>225 参考になります。

ゲームについて言及するときに気を付けなけなきゃいけないのは
「ゲーム」と「遊び」は違うということです。

「ゲーム」というのはルールの複合体によるシステムでしかなく、必ずしもゲームをやっている
人間が遊んでいるわけではありません。野球はスポーツという名のゲームですが、
プロ野球選手は仕事のためにゲームをします。パチプロにしてもパチンコで遊んではいません。

「遊び」というのはその行為自体を指すと言うよりも、その行為をやっているときの精神状態を
指してます。好きに始めることができ、好きに終わることが出来る自由意志による行為あたりを
「遊び」と言うことが出来ます。つまり、「これは遊びだ」と自覚して楽しんでいる内は「遊び」
なんですが、その行為が「義務」になった瞬間、それは「遊び」ではなくなってしまいます。

ちなみに「ゲーム」の存在意義なんかの話もありましたが、「遊び」という例で
「ネジの遊び」とかという言葉にあるように「必要不可欠な自由に動く部分」と言う意味と
しての遊びの意味あたりに答えがありそうな気がします(説得力は相変わらず低そうですが)

この場合の「ゲーム」としての議論は娯楽としてのゲームを指していますので、その内に「遊び」
としての要素が入っているものとしてかまわないと思います。ただこの2つの違いをちゃんと
認識しておかないと議論としては混乱が起こるかと。

「戦略的な意志決定モデル」としての「ゲーム」なんかは純粋な理論としてのゲーム
を指していると思うのですが(囚人のジレンマとかの話?)
www.cla.kobe-u.ac.jp/Jouhou/95/Takahasi/prisoner.html
見事に「遊び」の精神の話の方が抜けているかと。また、ゲームに対して強迫観念を
持ちすぎると「〜しなきゃいけない」になってやはり「遊び」の精神が失われてしまうかと。
また、ゲームが型通りになると途端に面白くなくなるというのはここら辺があると思います。

228 :@雀 :2000/09/12(火) 23:08
>>227
>ゲームが型通りになると途端に面白くなくなる

よく言う【作業】って奴ですね(^^;
漫画板でテトリスについて書きながら考えてたんですが
落ちてくるブロックの速さが段々と早くなるこのゲームで
一番面白いのは、ゲームオーバーになる間際なんじゃないかな
という事。
たぶん、上手くなればなるほど、前半のプレイは作業になり
つまらない、そしてその作業を越えてゲームオーバー近くが
一番面白いため、ついつい繰り返し遊んじゃうんじゃないか
って事です。

これは、詰まるところゲームバランスの話になって
テトリスの場合、そのシステム上プレイヤーのレベルに
関係なく楽しめるようになっている為、広く受け入れたれた
という1面があるんではないでしょうか。

また、これがRPGになるとプレイヤーキャラのレベルと登場する
モンスターのレベルの差でコントロールされているんですが
シナリオで行き詰まったりすると、そのバランスが崩れるため
純粋に戦闘のみを楽しみたい場合、攻略本は非常に有効になります
裏を返せばRPGのシナリオを進める事の難易度は変化しないため
広く受け入れられるためのプレイヤーのシナリオを解くレベル調整を
攻略本が果たしているとも言えるかもしれません。

しかし、RPGにおけるアイテム集めや、レベルMAXなどは
【作業】以外の何者でもないのに、熱中してしまったりするので
【作業】だからといって、遊びとしてつまらないわけでも
無いんですよね(^^;


229 :k :2000/09/13(水) 05:12
>>227
パチプロにしてもパチンコで遊んではいません
から思い立ったのですがパチンコはゲームなのでしょうか?
プレイヤーはほとんどプログラムにまかされた結果の確率的選択のトリガーを引く
役割に徹しているのに(多少の語弊はありますが)多くの人が夢中になる要因は
どこにあるのでしょう?
個人的にはプレイヤーに対して何か生理的に訴える信号があるように思います。

以前 高城剛氏がNHKの番組で(5〜6年前なのでうろ覚えですが)
<みんなボタンを押したがってる。その欲求に答えているからゲームが流行る。>
というような発言をしていました。
ボタンを押した結果が画面に反映されることに快感を覚えるらしいというような
内容の発言だったと記憶しています。

>>228の【作業】以外の何者でもないのに、熱中してしまったりする
というのもこういった側面に起因するのではないかと推測できないでしょうか。

今まで生理的な感覚にあまり触れられていないと感じたので書き込みました。

230 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/13(水) 06:29
人はボタンを押したがっている……か。
名言だ。

231 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/13(水) 06:41
人がギャンブルに熱中するのと、ゲームをするのとではまた違うと思うが。
ギャンブル性の無いパチンコで遊べる方は少ないだろう。

232 :SM7 :2000/09/13(水) 08:17
>>231

お話の主旨から外れるかもしれませんが、ちょっとだけマメ知識を。

>ギャンブル性の無いパチンコで遊べる方は少ないだろう。

それは後年に換金がシステム化されてからのことです。昭和二十年代に全国を席巻した最初のパチンコブームの時点では、取得した玉はもっぱらタバコなどのチープな景品と交換されるほかありませんでした。その景品取得についても、プレイヤーにとってはそれほど重要なことではなかったようです。恐らくは残りダマ処理の納得いく手段くらいの意味合いしか持っていなかったんじゃないですかね。

233 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/13(水) 09:07
例えが吹っ飛びすぎ。昭和20年台まで行かなくとも現代にも
ほぼ無報酬なゲーセンのパチンコがあるだろうよ。

234 :@雀 :2000/09/13(水) 13:48
>>229
>今まで生理的な感覚にあまり触れられていないと感じたので書き込みました。

あちゃぁ、かなり意識して書いているつもりだったんですが
う〜ん難しい(^^;

ボタンを押して変化が帰ってくるのが楽しいってのは
0歳児からの玩具にも有るように、かなり根源的な快楽なんでしょう。
228でなんとなく思ってたのは、苦労(作業)が大きいほど
結果が出た時の喜びが大きいのかもしれないのかな、だったんですが
作業自体にも若干の気持良さがあるから続けられるというのも
確かに有るような気がします。

まえまから考えてたんですが。
ゲームの快感って、結局【世界を知る】【世界をコントロールする】快感に
集約されるんじゃないのか?って事がありまして。
まぁ、自分の行動にどんなリアクションが帰ってくるのかを試すとか
自分の思い通りの結果を引き出すとかそう云った事なんですが。

それでゲーム世界というのは人工世界だから製作者によってチューニング
されているので、難易度の高低は有れど一応結果がでるようには成ってる。
アタックを繰り返してもクラスメートのあの娘は応えてくれないかもしれないけれど
藤崎詩織は告白してくれる。
問題を100問解いても成績は上がらないかもしれないけれど
モンスターを倒しつづければレベルは上がる。
これ言い出しちゃうと現実逃避とかって話になりかねないんで嫌なんですが(^^;
そんな、小さな幸せもゲームにハマっちゃう一因じゃないでしょうか。

235 :@雀 :2000/09/13(水) 13:51
ゲームの楽しさってのはホントに色々あって
「バカゲー」とか「やり込み」とか一風変わったものでも
やはり、ゲームの楽しさにはなりますよね。
あと、何と云ってもこのスレッドも含めて【語る楽しさ】は大きいです。
アーケード格闘ゲームにハマったとき、ゲーム自体はもちろん
閉店後にだらだらファミレスで話するのがすっごく楽しかったし
「FFVII」に熱くなったのも語れる部分が多かったからと
云う気がしますから。

236 :@雀 :2000/09/13(水) 13:52
>パチンコ
え〜、パチンコってもともと一球一球手でレバーを弾いて打ち出すもの
だったんですけどね(^^;
いずれにせよ、ゴルフ、ビリヤードからバスケットやサッカーのゴールまで
ボールをなにかに入れるというのは、ボタンを押すのと同じように
プリミティブな快感の一つだと思います。

あ、テトリスの形を合わせて嵌め込むのも同じかもしれない。

237 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/13(水) 14:34
age

238 :びっくり :2000/09/13(水) 15:15
家庭用ゲーム板で、コスティキアンのデザイン論が
引き合いに出されるようになったんだね。ちょっと信じられないな
正直、94年の文献のくせに、あれだけまとまってるのは凄いと思った
今だから色々と「えぇ?違うんじゃないか」と言えるんだよね
文献の最後に、コンピュータネットワークで市場がどうこう、と
書いてあったけど、これはUOなどのネットゲームでその通りになった

SCOOPSは、最近のゲームレビューが色々参考になったね

239 :k :2000/09/14(木) 00:49
>>234
>それでゲーム世界というのは人工世界だから製作者によってチューニング
>されているので、難易度の高低は有れど一応結果がでるようには成ってる。

ゲームの難易度からいうと 最近の家庭用ゲームってかなり以前より易しくなってきていますよね。
ライトユーザーの獲得という目的も大きいのでしょうが。

>ゲームの快感って、結局【世界を知る】【世界をコントロールする】快感に
集約されるんじゃないのか?

かつては自分の技量を上げて【世界に挑戦する】要素が大きかったと思われるのですが
近年は【世界を知る】【世界をコントロールする】快感に重きを置くゲームが
増えているのかもしれません。
その快感がマンネリ気味になっていることが現在のゲームをとりまく閉塞感の
一因になっていると個人的には考えています。

<ゲームの行く先を議論する>というスレッドなので
すでに議論の途中でところどころ議論されているとは思いますが
【世界を知る】>>234
【世界をコントロールする】>>234
【世界に挑戦する】
【世界を語る】>>235【語る楽しさ】より
(この場合の世界というのはゲーム内のルールや世界観や物語などのこと)
以外にゲームの楽しさ・快感を得るかかわり方は無いのか?
または それらをより発展させる手段はあるのか?
というようなことを議論してみるのはどうでしょうか。

240 :SM7 :2000/09/14(木) 07:02
たとえばゲームのことを「それは一種の世界である」とまで言い表わせるのならば、私たちは頭の中で考えられる「世界」とのつき合い方の全てをゲームとして捉えることがすでに可能なのであり、時にはそれを実物の「ビデオゲーム」のなかで実践する機会も技術の後ろ盾によって得られていくのだと思います。

少なくともその可能性の一端はすでに開かれはじめているようで、奇しくも先ごろndさんにご紹介いただけたサイトの一節でも、そのことが言及されていました。これ、ディグダグとの比較なんかも説得力があっていいな。

http://homepage1.nifty.com/dotimpact/think_17.html

ここでは話の端緒で、ドリラーは【慣れる】ゲームだといってますね。文意全体をkさんのように言い表すならドリラーは【世界のなかでよろしくやっていけるようにする】ゲームだということでしょうか。

まあともかくも、そういう時代認識を踏まえておくといいんではないでしょうか。私たちがどんな「世界」を発見したり教えられたりし、それをどのように遊んだり、あるいは遊ばななかったりするのか。ゲームの行く先なるものも、きっとそうした私たちの折々の働き方によって形作られていくのだろうと思います。

241 :nd :2000/09/14(木) 16:28
 とりあえず制作者でもない身としては、これからのゲームタイトルがどんな面白さを開発してくか
を考えるより、ゲームに受け手としてかかずらった自分らがしてきたことにはどういう意味があり、
それゆえにどうしていけばいいか、という話にならんと「ゲームの行く先」に実質的に繋がらない気
がしますんで、その目的意識から離れすぎない範囲でまとめてみると(毎度ウザウザのクドクドでご
めんにょう)。

 「世界」てのは、ひとが「こうしたらオモシロカロウ、遊びになるだろう」とコンピュータを使っ
て表象しうる一切合切の「規則」とか「約束事」とか「律」とかいいうるものの謂ですね。↑のリン
ク先の作者が「ゲーム」をその一部に含む「シミュレータ」という言葉で言い表そうとしていることって。で、その「規則」とか「約束事」とか「律」とかいう抽象的なものをいかにして人間が認識する
かというと、「入力」と「出力」を比べてのことですね。この関係が明確であればあるほど、そのイ
ンタラクションの系(=「シミュレータ」)は「ゲーム」と呼ばれうる性質を濃厚にする。
 ここから逆に定義すると、プレイヤーがその「規則」を(インタラクションを通じてなんとなく「
そんなもんか」と理解してくんでなしに)あらかじめ明文化できるかたちで共有し、それにもとづい
てプレイ行為の結果を「勝ち」と「負け」みたいに明白に意味づけられるのが「ゲーム」の核なのか
な。


242 :nd :2000/09/14(木) 16:29
 テレビジョンを出力装置としてもつ計算機を使うことの本質的な意味というのは、視聴覚情報を自
在に用いて実際に表象できる「規則」とか「約束事」とか「律」とかの幅が、それまでには思いも寄
らなかったくらいに拡がったということと、それを商業流通にのせて誰でもが均一に得られるように
なったってことですかね。

 コンピュータ以前には、そういう汎用性のある「シミュレータ」なんてものはないもんだから、プ
レイヤー同士の信頼関係にもとづいて明文化できる「規則」を運営するしかなくて、だからコスチカ
ンさんみたいな「プレーヤーが目標達成を目指してゲームトークンを介して資源管理のため意志決定
するもの」だけが「ゲーム」と呼ばれえたわけだ。
 結局、とりわけ日本におけるコンピュータゲームの変遷を結果論的に意味づければ、西洋的な「意
志」偏重の「ゲーム」と、それ以外のより広範な「遊び」との間に広大な(無限ではないだろう)中
間領域をつくりだし、「知る」とか「コントロールする」とか「挑戦する」とか「よろしくやる」と
か、個々のタイトルについていかようにでも表現可能な「世界」とのつき合い方が可能になった。田
尻智なんかが常にゲームデザインを動詞ふたつで表現しようとしたという逸話は象徴的ですね。
 あまりにも便利に「わかった気」になれてしまうんであまり使いたくはないのだけれど、カイヨワ
の有名な「遊び」四分類を使ってキャッチフレーズっぽく言えば、「アゴン・アレア中心の文化から
ミミクリ・イリンクスも同じだけの比重を占める文化へ」って話でしょうか。総体としての時代認識
をかっさばいてみれば。
(このあたりのセンモン語はサーチエンジンで検索かければわかりやすい解説がいくつもありますん
で、コトバに振り回されず自分の目的意識を見失わない自信のある方は、お調べになってみてくださ
い。)

 いちおう、自分なんかはこんくらいの原理論整理で手打ちにしております。

243 :SM7 :2000/09/14(木) 18:24
ちょっと我田引水したい発言が出てきたので、ここらでゲームの姿を把握するために用いられようとされる「ジャンル区分」「ゲーム・非ゲーム区分」という考え方について、自分の考え方を整理させていただきます。

ゲームの中間領域を押し広げてきたものこそがビデオゲームであるという判断が正しければ、ビデオゲームの発展史とはすなわち、ビデオゲームの拡大解釈の歴史ということになりますね。

私はその通りだと思います。これまでゲームの需給を巡って行われてきたことは、作り手が勝手にゲームだと思いながら作って送りつけてきたものを、プレイヤーがこれまた勝手にゲームだと思って遊ぶということだったのです。そして時代が下るごとに、作り手がこれもゲームだと思って送りつけたものを、プレイヤーがこれぞ新しいゲームだと褒め称えたり、クソゲーと断じたりしていく。こうした取捨選択の繰り返しによって、私たちはつねにゲームとゲーム以外の境界線を勝手にどんどんと引き直していったはずなのです。

となると、ビデオゲームとそうでないものの区別、あるいはゲームのジャンル区分といった説を正当づける時代普遍的な論拠とかその実体なんてものは、どこにもないということになりはしませんか。

それでも正当性を見つけだすとすれば、それは個々のゲームのかつてあった姿に肉迫できる同時代的な視点と、個々のゲームのかつてあった時代を見下ろせる現代の視点の二つを組み合わせるという手段のなかにしかあり得ないものになるでしょう。やっぱり。

こんなところです。


244 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/14(木) 18:30
新しい長文コピペ荒らし文が生まれる瞬間を見た。

245 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/14(木) 23:47
真剣に論議している当人がたには申し訳ないが、もはや批評のための批評と
なっている感がある。この論議で出た結論は果たして何かをもたらすのであろうか?

もっとシンプルに考えて欲しい。何のための批評なのか?
少なくとも、ゲームの発展に貢献しない批評に価値はないだろう。
俺が考える理想的な批評とは、まず、そのゲームの面白さの「本質」を伝えるものだ。
そして、本質とはシンプルなものだ。それがゲーム「のみ」で得られるものかどうかは
別にして。

ゲーム全体を批評する<ゲームを支配する>ことよりも、例えばインベーダーとか
ブロック崩しのようなシンプルなゲームを解体する事から始めたらいいんじゃないのか?

246 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/15(金) 01:53
>>245
Magic;the Gatheringの面白さを批評してみる
まず多彩な展開は当然として、背景世界に関連した新ルールと新カードの追加
ミラージュあたりが、良い例
ある魔術師のせいで空間がゆがんで云々という設定と、
フェードイン/アウトの効果が追加され、これを駆使することで有利に展開する
新ルール、新エディションの追加に伴って、今まで有効だった戦術が有効でなくなる
強さを求める者は、状況に応じて試行錯誤し、常に進歩しなくてはならない

・・・こんな感じ?UOもパッチのたびに、こうなるなぁ

247 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/15(金) 02:01
それっぽくなってきた話をアホが混ぜ返す
ガッカリ

248 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/15(金) 02:02
それが2ちゃんねる

249 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/15(金) 02:05
真剣に議論している者に対してそんな言い方はどーたらこーたら・・・
というレスが付くのに50円

250 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/15(金) 02:05
>>245
「ゲームの発展に貢献しない批評に価値はない」かどうかはともかく
「この論議で出た結論は果たして何かをもたらすのであろうか?」という疑問は同感。

251 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 02:06
>245
尻馬に乗るけど、僕もnd氏は批評のための批評っていう感じがする。

あるいは、言い方がまわりくどくて一見意味ありげに見えるけど、
その実意味のあることを言ってるのかどうかわからない。
(意味がないというより、言わんとしてるところがわからん)

nd氏は結局何がしたいのかな。どういう結末を望んでるのかな。
「ゲームの発展に貢献したい」ってのならわかりやすいけど、そうじゃないみたいだし。

252 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/15(金) 02:09
上のいくつかの長文を見て

>真剣に議論している者に対してそんな言い方はどーたらこーたら・・・
>というレスが付くのに50円

おれ、100円

253 :SM7 :2000/09/15(金) 03:30
>>242

補足しようと来てみたらアララ。

> コンピュータ以前には、そういう汎用性のある「シミュレータ」なんてものはないもんだから、プレイヤー同士の信頼関係にもとづいて明文化できる「規則」を運営するしかなくて、だからコスチカンさんみたいな「プレーヤーが目標達成を目指してゲームトークンを介して資源管理のため意志決定するもの」だけが「ゲーム」と呼ばれえたわけだ。


ある程度自律的に動く「からくり仕掛け」はコンピュータ以前にもあったわけですから(自販機なんて古代ギリシアから)、それは断定できないと思いますけど。

それと、もし仮に資源管理のための意志決定のみが「ゲーム」と呼ばれ、そうでないものが「ゲーム」と呼ばれていなかったとしても、その代わりに両者がともに「遊び」とか「マツリ」とか、別の名でひと括りにされていた可能性もあるでしょう。だとすればその場合は確かに「ゲーム」の語の用法は限定されていたかもしれない、しかし両者が「ゲーム」とは別の、それもかなり近い意味の言葉で括られていた可能性も否定できないわけです。

空論めいてきたのでここまで。

254 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/15(金) 03:43
コスティキアン、偉いね
6年前の話で、今の日本(の一部)を熱くしてるよ
参考資料のうちの1つでいいじゃんか、もう

255 :這い寄る混沌 :2000/09/15(金) 05:09
>>245>>250>>251
このことについて本気で語ろうとするとすさまじいエネルギーが必要になるので、
ここのスレッドに対する感想と印象を簡潔に。

「ここのスレッドによってゲームの新たな面白さを発見することができた」
「視野狭窄に陥ってゲームを素直に楽しめなくなっていた自分を自覚することできた」
「ドリラーというのをやってみようかと思わせてくれた」

これだけでも「自分」には十分「価値」がありましたが、
そんなセコいプラグマティズムを冥王星のかなたに追いやって単純明快に言えば、

「ここのスレッドは面白い」

これに尽きるわけです。


自分は格闘技の試合(プロレスかな?)を観戦するように滅茶苦茶楽しんでいます。
荒らし、当てこすり、論理の飛躍、見当違いな意見、
それらも「場外乱闘、セコンド参戦、観客乱入」のように、
一種のスパイスとして、場を盛り上げていると思う。
格闘技でもいい試合を見た後はなんだか自分も強くなったような気がしますが、
似たような昂揚感があります。

「今のオレならFF9だって楽しめるぜ!!!!!!」

256 :這い寄る混沌 :2000/09/15(金) 05:12
追記

>>212以降、議論自体には参加していなかったけれども、
それは今の自分の能力では話を中途半端にかき回すだけでつまらない、
それならば一度俯瞰し、
「分類・整理・比較・検討」してからまた参戦しよう、
そう思ったからです。

結局それは肉体的にも精神的にもきつい作業で、
遅々として進まないわけですが(己の無能さに何度も気づかされる)。

257 :245 :2000/09/15(金) 07:48
>>255
や、このスレの議論の「過程」は素晴らしいと思う。おそらく、見ている人たちは
ゲームに何らかの愛情を持っているだろうし、このスレは価値あるものでしょう。
でも、どうも議論が変な方に向かってる気がしたんだ。
ndさんは一つの普遍的な「ゲーム論」を完成させたいんだろうけど、けど、
完成させたその「ゲーム論」は誰に向けられるんだろう?
申し訳ないが、俺には一人よがりなものとしか映らない。ポストモダンの難解な
文章を読まされてるみたいだ。

もし、批評の原点が「これ、面白い!」→「他の人にも伝えたい」→「けど、どうやって伝える?
やってみればわかるよ、じゃ通用しないし」→「知らない人にもこの面白さを伝える方法を
見つけたい」
という流れによって生まれるものならば(そうとは限らないのでしょうが)、
今の議論の方向では、他者に伝えられる批評を生み出せるとは到底思えない。

俺は、今のゲームの現状に強い危機感を持っている。だからこそ、ここで出る結論が
ゲームをやらない人にもゲームの面白さを伝え、また、製作者への良きアドバイスとも
なるものになって欲しいと思う。
だから、もう一度シンプルに考えていかないか?だってこのスレ、少なくとも
「ゲーム批評」よりは可能性があると思うぞ(笑)

258 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/15(金) 07:49
機種別ソフト販売数
ランキング 順位 機種 売上本数 シェア(%)
1 Play Station 1276.6 49.5
2 Play Station2 401.8 15.6
3 Game Boy 384.9 14.9
4 Nintendo64 283.2 11.0
5 Dreamcast 187.6 7.3
6 Wonder Swan 41.1 1.6
7 ネオジオポケット 3.8 0.1
8 スーパーファミコン 1.1 0.0

259 :RYU :2000/09/15(金) 13:59
nd氏の表現が文化系っぽい(言葉のための言葉を使ってる)気はしますが、
俺は面白いですね。もう少しかみ砕いてくれると確かに分かりやすいですが、
>>172 >そこに至ってはじめてゲームの評論は開かれた意義を獲得できるのではないか。
開かれた評論、というのを求めていられるようなのでゲーマーの専門用語で語ってしまうと
開かれていないという意味で面白いと思います

僕はこの目的には賛同できます。同じゲームをやっている人達でもゲームの面白さを言葉で
表して意志共有ができない事がままあって、(特に自分は古いゲーマーですから)このゲームが
今までのゲームに比べていかにここが凄いという意識が共有できない(そのようなゲーマーと
しての言語がなく、時代の共通認識もない)現在の状況って作り手ややり手にとって
結構不幸では?とよく思います。昔に比べてゲーマーも多様化したし、またその時期
(時代より狭い。99’の夏とか)の代表作とかとして記憶に残らなくなった所も大きいでしょう。
音楽とかのように多様化したニーズ毎に(マーケティングや雑誌などが)ゲーマー層を再構成
してもらえたらまた語ることも容易になると思うのですが。

うーん。(ロジェ)カイヨワが出てきましたね。僕も喉元まで出そうになってましたが、とにかく
この人の分類はかなり凄いので今までの自分の分析観を圧倒されてしまいました。ここの議論も
格好簡単に類型化されてしまうのでここの議論では使わない方が吉かと(読まれる方は講談社
学術文庫「遊びと人間」をどうぞ。自分の分析観をまとめておいてからの方が良いです)

260 :RYU :2000/09/15(金) 14:06
あら、少し話がつながってないですね。「開かれた」と言いつつゲーマーの中の
話をしてしまっている。まぁゲーマー同士にさえ共通言語がないということで、
その言語が開かれてることには大賛成です。はい

261 :@雀 :2000/09/15(金) 18:44
>>250
カイヨワとか持ち出しちゃったら、むちゃくちゃ閉じちゃいませんか?
私は自分がここで書いてること自体、あまり面白く思ってくれる人が
少ないじゃないかと思ってるんで、その閉じてる部分を
まず、ゲーマー板に開いた言葉である事を意識して書こうとしてるんだけど。


262 ::2000/09/15(金) 19:48
久しぶりです。
ここで「ゲームを語ることの基本姿勢」みたいなものを論じることは、
人がなぜあるゲームを面白いと思い、何をクソだと思うのか?ということに始まり、
では自分が遊びたいゲームというのはなんなのか?という目標設定ができることで、
少なくとも中古ソフトで(自分にとっての)クソをつかまされることが減るかな、と(笑)。
っていうか、自分の嗜好に自覚的になることは、いいことだと思うし、
それを自覚的にしていこう、という訴えかけだけでも無駄じゃないと思う。
自覚的にならなくても自分の嗜好を絶対的に感覚的に信頼できる、
という脅威の嗅覚を持っている人だらけなら、別なんですけどね。

263 ::2000/09/15(金) 20:01
で、別のスレッドで
「お前らゲーム好きなやつらにはっきりと言うがテトリスは糞だ。
ぷよぷよと比較してみるとまず分かるのがストーリー性のなさ。
なぜ四角い物体が落下し続けてくるのかなんの説明もない。」
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=famicom&key=968999185&ls=50
という議論があったんです。
自分としては、テトリスにこんなことを感じたことがなかったので、
非常に新鮮な視点でした。
つまり、自分が以前から言っている「ルール(の複合体)」は、
簡単に、「ストーリー」で包み込むことができて、
なおかつその「ルール」の存在を正当化できる、ということですよね。
もちろん、私はテトリスがクソだなんてこれっぽっちも思いませんが、
つまり、テトリスにこういったことを要求できる、
これが今の「ゲーム」なのではないかと思うんです。

264 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/16(土) 18:17
あげ

265 :名無しさん :2000/09/16(土) 23:34
ようするに、とりあえず共通言語を考えようってことでいいの?
皆さんまだ前口上の段階って感じだよね。

266 :妄想くん :2000/09/17(日) 08:54
ここはビデオゲーム全体の可能性という事を多く論じているのに
前に私は特定ジャンルのゲームの話でそれに対抗しようとしていた感じがありましたね。
ところで、一部のゲームの行く末の話をしてもいいですか?

いわゆる戦略的な意志決定のシステムのいい感じを追求したゲームの将来について
なんですけど。
戦略的な意志決定とは、たとえば自分のパーティやら会社やら軍団を何に強い組織に
するのか、そしてそれを敵、あるいは社会の状況に対していかなるルート(正攻法か
二面作戦か囮をつかって側面をさらけださせるのかとか)で攻略して行くのか、という事で、
こういう事を試行錯誤させるというのは割とゲームに見られるスタイルだと思います。
具体的には例えばウィザードリーならパーティ構成をどうするのか、大戦略なら何を多く
生産してどういう布陣で、とかいった感じで。つまりそれが戦略的な意志決定をして
いるんだという訳です。
人間の行動というのは、ゲームに限らずおしなべてこういう思考をすることは多いと
思います。そんな訳で、私は戦略的な思考モデル系のゲームというのは今後も
大きいシェアを占めて行くんじゃないかと思います。

267 :妄想くん :2000/09/17(日) 08:55

こういったゲームの面白さというものを考えるに、以下は自分の考えですが、
「初めは難しそうだったハードルが簡単になって行く」
「自分だけの個性をもったチームが出来あがる」
「相手の裏をかく」
この三つがあるように思います。
最初のはパーティの組み合わせを考え直す事によって越せない壁が越せるようになるのが
楽しいんじゃないかって事です。
二番目のは最終的にみんなが同じ軍を持つのではつまらないんじゃないか、
自分のチームの長所は他と違う、その方がいいんじゃないか、また色々な強さが
あれば何度かプレイしてみるという事にも繋がると思いますし。
スクエアなんかも「自分だけの攻略法が成立する」という事を「パーソナライズ」
と名付けて目指していると前に雑誌で載ってました。働いてる友人は知らないっつ
ってましたが。
三番目は一人プレイより対戦プレイの方が面白いんじゃないかと思うんですが
その辺はきっとこれだと。あと格ゲーとか。

で将来的には、まあ個人的な希望ですけど、人によってバッキーと明らかに質の違う
強さをもったキャラクターが作れるゲームで、ネットワークマルチプレイで戦ったり
共闘したり、そんでもって互いに読み合いでだましあいでみたいな感じで、みたいなのが
あるといいなと思う訳です。

しかし、それは戦争シミュや、もしくは企業とか、RPGとか、に限りません。
たとえば桃鉄やカルドなんかはボードですけど勝ち方がいくつもあったりして
プレイスタイル百様な訳です。一目見て直感的に大まかにわかるけど実は裏に
色々あってもの凄い深いんだよ、みたいなのが出来たらいいなー。おわり。

268 :妄想くん :2000/09/17(日) 08:58
追記。でも、戦争を各軍の総大将から一兵卒まで全員プレイヤーの
ウォーゲームとか企業ゲームとかも面白そうだと思います。以上。


269 :魁!名無しさん :2000/09/17(日) 10:12
>268
それはPCネットゲーのUltimaOnlineで実現されたぞ。
200VS200で大将の首を獲った方が勝ちってルールで
IRCで逐一指示しながら戦った。

270 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/17(日) 11:15
MTGが最高のゲームって話あったけどどうかなー。
気に入らないのがカード購入。金有るやつが勝つんじゃないの?
それを倒すのが楽しいってのもあるんだろうけど・・・
なんか対戦ゲームなのに不公平な感じがするのよ。

あと最初にシャッフルだっけ?なんだそりゃって思う。運ゲーか?
カード購入の件も含めて運勝負の対戦ゲームなんて面白いのかなー?

271 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/17(日) 12:14
>あと最初にシャッフルだっけ?なんだそりゃって思う。運ゲーか?
おいおい運の要素の入ったゲームは、全部運ゲーか?
MTGの優れた部分って、デッキ構築をする事によってランダム性を自分で決定できるとこなんだよな。
ゲーム中自分の引くカードの確率は、全部自分で思考して決めたものなんだぜ。

カード購入に関しては、最初に初期投資しなくちゃならないのはどうしょうも無いな。
でも金のある奴が勝つって程、カードのバランス悪くないぞ。
仲間内で純粋にゲームを楽しみたければ、いらないカードに好きなカードを書きこんで使えばいいんだし。
コンピューターゲームとあんま関係ない話で悪いな。

272 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/17(日) 14:08
>271
すみません。MTG好きな人に不快な思いさせましたね。
人それぞれですもんね。ごめんなさい。

273 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/18(月) 02:35
>>270@`272
MTGの「ゲームとしての良さ」を理解していない(理解したくない?)
デッキ構築は、カードを引く確率も計算して組む
金かけて手に入れたレアカードがめちゃくちゃ強いかというと、それもない
遊戯王程度と一緒にすると、見方を誤る
俺、MTGはPCでしかやってないけど、カード買わなくても
面白さは理解できた


274 :a :2000/09/18(月) 07:43
最近このスレッドを知ったので遅れ馳せながら参加させてもらいます。
もう片がついた話かもしれないですが、本線の話は停滞しているようだし、蒸し返させていただく。
もうだいたい話には出てる(特にSM7さんあたりが繰り返してる)んですが、
前口上の整理として読んでいただければ幸い。

>>153
>一回一回の「体験」そのものこそがゲームなのであって、ゲームソフトそれ自体は結局のところその「体験」の契機に過ぎない

その後でも自己フォローされてますが、それは解釈のひとつでしょう。
ゲームソフトの開発(ゲームデザインとかシナリオとか)には何らかの開発者の意図が入っているわけで、ゲームをプレイすることによってそれをある程度推定することは可能だと思います。

作品は鑑賞者がいないことには意味をなしませんが、自分以外の鑑賞者のことを常に念頭におかないとその作品が語れないわけではない。

一番わかりやすい例が「マルチエンディング」ですが、ビデオゲームがなにかしら毎回異なった展開をするからといって、そのビデオゲームソフト自体が毎回変わるわけではありません。
(自己増殖するプログラムとかになってくるとまた別かもしれませんが)
それは映画や絵画などでも同じことで、同じ鑑賞者でも鑑賞するたびにその体験は大なり小なり異なるものとなる。
「昔は嫌いだったけど、いまは好き」なんていうのは当たり前です。
ゲームはその辺、毎回違う体験というのがわかりやすいので、別と考えてしまいがちですが。

ただし、ゲームの批評家はマルチエンディングならマルチエンディングのあらゆるパターンを試す義務を課せられがちで大変、ってのはあるでしょうね。


275 :a :2000/09/18(月) 07:44
夏目房之介氏は、『マンガの力』の「“言葉”の反乱 表現論的梶原一騎試論」で『空手バカ一代』や『巨人の星』を例に出し、マンガ批評における原作の意味のとらえかたの困難を挙げています。
これはゲームを語ることの困難さと共通しているかもしれないと思ったので、ちょっと引用します。

「梶原劇画が語りにくいのは、より本質的には、それが原作という位相でマンガにあらわれているからなのだ。これはけっこう面倒な問題なのである。」
「これらの“言葉”の組み込みは梶原の作家性によるものなのか、それともマンガ家の作家性によるものなのだろうか。
 解説や独白、セリフの長口舌じたいは梶原のものだろうが、それを画面に構成するのはマンガ家の作業であったと思われる。すると、マンガ家が蓄積した手法、開発した手法によって梶原世界はマンガ表現として実現したことになる。では、このことをマンガ表現論のレベルではどう扱うべきなのか?」
「ただし、ここで推論している原作とマンガ表現の事情が当たっていれば、だが」「結局、こうした推論を確定できないというのも、原作物の表現論を困難にする。」

つまり、マンガの「原作」を語る際、「マンガ」という二次資料を通しての推論でしか語れない。われわれは、原作者からマンガ家に渡された「原作」という一次資料を見る機会をまず得られないからです。
この困難さはゲーム評論の難しさと共通するものがあるのではないでしょうか。


276 :a :2000/09/18(月) 07:46
(275のつづき)
この関係(二次資料を通してしか一次資料を推定できない)はゲームに関しては2パターン当てはめることができて、
原作→ゲームソフト
マンガ→プレイヤーによって操作されたもの
という場合があります。これはおおむねndさんがおっしゃる「体験」による困難さではないかと思います。

もうひとつは、マンガの場合とほとんど同じ意味で、ゲーム制作者の意図といったものです。
原作→ゲーム制作者の意図
マンガ→ゲームソフト
ゲームは長らく作者の匿名性が主流でしたし、いまでもゲーム作家として表に出てくる人はほんの一握りです。

どんな意図があったのかという以前に、誰の意図が働いていたのか、それとも共同作業による偶然の産物なのか、ゲームをプレイするだけでは判然としないことが多い。
これもゲーム語りの困難さのひとつでしょう。

しかしながら、ビデオゲームの多様性こそが、現時点での「ビデオゲームとは何か」を語るうえでの最大の困難さであると私は思います。

277 :a :2000/09/18(月) 07:47
>>187
>ビデオゲームの「ゲーム」とは、実はコンピュータを使いビデオ装置を媒介して行える「面白いこと」に対して、便宜的に与えられたあだ名に過ぎないと考える方が、おそらく正しいでしょう。

そう思います。ちょっと長々と勝手にフォローさせてもらいますが、
これがビデオゲームを誤解されている理由のひとつですね。
この場合、「ゲーム」って呼び方が悪いんです。
ビデオゲームが生まれてからしばらくは、ビデオゲームの内容は意志決定とか競技でしかなかった。
しかも、当時のゲームは、たとえば文章で物語を語るとかいうことが、容量等の関係上無理だった。

そこで、多くの人々にビデオゲームとはそういうものである、という共通認識ができあがった。また、このメディアは「ビデオゲーム」「テレビゲーム」「ゲーム」などと呼ばれることになった。
この辺が最近よく言われてる「FFはゲームじゃねえ」とかいう論拠です。

ところがビデオゲームの可能性はそれだけじゃなかった。
ハードウェアの進化にあわせて、だんだんとやれることが増えていき、
物語を見せる(サウンドノベル等)とか、何かの複雑なシミュレーションをしてみせる(シムシティ等)とか、コミュニケーションの相手になる(どこでもいっしょ、シーマン等)とかいうようなことが可能になった。
別に意志決定とか競技なんていうことにこだわる必要はすでにないんです。


278 :a :2000/09/18(月) 07:48
(277のつづき)
コンピュータというインフラは、紙のようなもの。
そこには絵もかけるし、文字もかけるし、折り紙だってできる。
でも、最初は絵をかくことしか知らなかったから、まだそれは絵をかくものだという固定観念を人々が持っている、そのような状況なのではないでしょうか。

もしかすると、PS2なんかが「デジタル・エンターテインメント」とか言ってるのは、そういうことかもしれません。(恣意的な解釈ですが)
まあ、ゲームと呼ぶよりは、いまの状況には沿ってるといえるでしょう。
私は呼び方にこだわろうとはいまは思ってないし、ゲームで定着しているのでゲームと呼びますけどね。
それにエンターテインメントである必要すらないですし。

で、問題はこうしてゲームが多様化して、なんでもアリな状況になっているので、「ビデオゲームとは何か」というのを定義することがひじょうに困難になっていること。
あるいは定義する意味がほとんどなくなっていることです。
だからビデオゲーム全体の話をするのは難しい。

>>182
>私はゲームの主軸、骨子、命、は「ルール」だと思います。

というわけで、競技性を重視したゲームは、たぶんそうだと思いますが、
競技性に重きを置いていないゲームはそうではないといえるのです。
コスティキアンとかいうのは私は面倒なので読んでませんが、たぶん一部のゲームを考えるうえでは役立つと思いますが、ビデオゲーム全体には有効ではないでしょうね。


279 :a :2000/09/18(月) 07:52
前に出た話と似たような話を長々と書いてごめん。

>>210
>1、誰もが認める名作(マリオなど)
>2、人を選ぶがはまれば楽しいもの(WIZなど)

これは単に1が最大公約数的ゲームだったということでしかないのでは。
ディズニーとかタイタニックみたいな。
マリオはつまらんという人ももちろんいますし。

ところで、「ゲームを語ることの社会的意義」に関しては
私は持論があるんですが、ndさんからは「捏造」と言われかねんなあ。
さんざん長く書いたので今回はこれにて。

280 :RYU :2000/09/18(月) 12:15
社会的な意義を「捏造」するはともかくとして、個人的にはこれだけ語りたい人達が
いるというのはその個人個人には内的な衝動(動機)はあるでしょう。

 僕的には糞真面目に考える時なんかは「遊び」と「ゲーム」の概念の違いに対して
一般人があまりに無理解で、「ゲーム=遊び=ふざけている」と解釈する人があまりに
多い事に憤慨することはありますね(親の言う「ゲームばっかりして」は「遊んでばかり
いて」とほぼ同意。例えばスポーツの練習に対して同じ事を言うだろうか?)
 ガキの時には「ゲームをしている」事と「ふざけている」事は全く異なることだ、
という事を周りが理解してなかった事に憤慨してましたが、「ゲーム=ふざけてやる
ものではない」等とストイックにゲームを定義してしまって、自分自身が非常に狭義な
ゲームの定義に縛られてしまうことなんかもありました。

 子供の頃って自分を認めてくれる何らかのものを欲しがっていたような気がするし、
自分の行為を認めてくれる相手って必要だと思うけど、基本的に今の教育では自分自身の
意見を主張する事って自殺行為だし、そういう意味で自分へリアクションを返してくれる
ゲームってのは開かれたコミュニケーションに繋げることができる、と思う(そのコミュニ
ケーションが言語以外でされたりするので、普通に言語を使ってる人には奇異に映るんだけど)
#とはいえ、「ゲーム」を使ってコミュニケーションを取ろうにも昔に比べてゲームの達人が
#多くてはぬるい人では会話ができないかも。あ、だから「萌え〜」という人がいるのか。
#あれなら世界に浸かってるだけで言語の共有ができるから

でもゲームってのは制作者の内的世界を体験しているだけだから、その制作者が「外に
開かれた」事を意識してない自己満足(自己主張)なだけの世界ではより内に閉じて
しまうだけのような気がする。ところが最近のRPGって自己中なシナリオばっかり。
ヒッキー予備軍と言われるのは仕方がないのか?

281 :>a :2000/09/18(月) 12:27
あんたの文章と、94年のコスティーの文章を読み比べるに、
コスティーのほうが読んでて数倍面白かったよ。
確かにあんたのは正論に見えるが、読んでくれる人間を増やすかどうかは別だ。
常に「あぁ、そうね。だから?」という反応しか出てこない。
「ゲームの行く先」を考えるときに、あんたの文章とコスティーーのを並べられたら、
「たたき台」として役に立つのはコスティーのほう。

282 :RYU :2000/09/18(月) 12:33
おっと、上はギリギリ全文入ってますよ。ちょっと長かったかなぁ

>一番わかりやすい例が「マルチエンディング」ですが、ビデオゲームがなにかしら毎回異なった展開をするからといって、
>そのビデオゲームソフト自体が毎回変わるわけではありません。
>(自己増殖するプログラムとかになってくるとまた別かもしれませんが)
>それは映画や絵画などでも同じことで、同じ鑑賞者でも鑑賞するたびにその体験は大なり小なり異なるものとなる。
>「昔は嫌いだったけど、いまは好き」なんていうのは当たり前です。
>ゲームはその辺、毎回違う体験というのがわかりやすいので、別と考えてしまいがちですが。
うわぁ、いい話してますねぇ。誰かfjのPCゲームのバックナンバー持ってきてもらえないですか?(俺拾えない)
ここら辺に新しい試みをかけたのが初期のビジュアルノベルシリーズと「YUNO」なんですよね。
ある程度の選択肢を持たせながらもストーリーの外堀からしか選択肢が選べないようになっていて、
何回もプレイすることでストーリーの核心まで届くようになっているのがLeaf系で、
マルチストーリー自体を前提の世界にして一本の巨大なシナリオを構築してるのが「YUNO」です
あの3本とあの評論のおかげで僕の中のエロゲーの地位はかなり上がりました(でもその後には
何もなかったんだけど)

あぁ、いらん呼び水引いちゃったかなぁ。「痕」スレッドにならないでね。

283 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/18(月) 12:35
>280
最後の部分はあれだな、作ったから買って下さい遊んで下さい、つーゲームだな
ドレとはあえて言わねぇが途中で飽きて中古屋にいっぱい並ぶ大作だろ?

284 :ジェスター :2000/09/18(月) 13:27
FF8のこと?

285 :nd :2000/09/18(月) 14:40
 そら見たことか。
 「一つの普遍的な『ゲーム論』」(245氏の257)なんて何が面白いものか。
 カイヨワなんか持ち出して、イヤなカンジと思ったでしょうにが。
 そういうのって、僕がこのスレッドから感じた方向性のうち、もっとも興味のないものです。

 241・242で、僕がそれまでの発言からすると著しく節を曲げているのは判りますか?最初に書き込んで以来、僕は一貫して「ゲームで得た体験を自分の言葉で語り伝えること」の大事さをだけ、言い続けてきたと思うんですケド。189ではその実例と信ずる人々のサイトまでリンクしたりしてさ。
 それでもなかなか、何か便利なリロン的整理によって「普遍」を抽出しようとする流れって根強かったと思うんですよね。僕なんかにはその動機がなぜなのか、どうにも理解できない「変な方向の議論」(257)だと思ったから、この場でそういう発言をすることがどういう経路で「ゲームの発展」に繋がるのか示してくれと控え目に問うてきたじゃないですか。

 で、僕の物言いが何を目指してるのかワカランという問い合わせが何件かきてしまったので、改めて言い方を変えましょうか。
 要は、「ゲームに受け手として関わった自分たち自身が、人間として成長すること」ですよ、身も蓋もなくかっさばいちゃえば。とりあえず、ここに書き込んでいる人の大半はゲームの作り手ではなくユーザーの人たちだと勝手に前提してるんですが、皆さんの現実の社会生活との兼ね合いのなかで「ゲームの発展」に貢献するための具体的な手だてを妥協なしに考えると、結局それが一番先決だとは思いませんか?
 この場であのゲームは面白い、あれは面白くないという選別をし、それが何故なのかをソフトや制作者の性質に帰してアレコレ言ったします。で、その議論が制作の現場にフィードバックされ、より面白いゲームが出てくるような可能性って、はたしてどれだけあるんでしょうか。仮にそういうことが起きたとして、我々はその「成果」をどうやって実感できるのでしょうか。それって結局、結果を具体的に出すところへの想像の及ばない「無償の奉仕」に酔ってるだけの、それこそ「批評のための批評」に他ならなかったりはしないかって。


286 :nd :2000/09/18(月) 14:42
 僕なんかは、それよりむしろ、どんなゲームに対しても面白さを見出したり、一次的な面白い/面白くないの二分にとらわれず、そのゲームがなにゆえにそのようであるのかの歴史性とかをメタな視点で汲み取り、そのゲームに費やした時間にキッチリ意義を見つけてしまえるような自分自身を鍛え上げることの方が、はるかに近道だし、やってて成果の実感できる楽しい作業だと思うんですよ。それってゲームに限らず、尊敬される「趣味人」がすべからく持っている精神態度ではないですかね。
 だからこそ、分析科学ではない、受け手のための批評や評論においては、論者の立場や人間性までをも含めたエッセイ的態度こそが主流であってしかるべきだと僕ははじめから言ってるんです。なにせ評論は、それ自体で自立した表現なんだから。
 時代を越えた客観性だの実作に対する有効な提言なんて、それこそ夏目さんくらいの実績を重ねてからゆっくり考えればいいよ。

 てゆーか皆、他人事としての「ゲームの行く先」と自分の人生、どっちが大事かな。ここが「ゲームの行く先」即「自分の人生」であるゲーム制作者のブレインストーミングフォーラムか何かであるなら別だけど、そうでないならまず自分が人生で出会うすべての人やモノとの付き合い方を豊かにする過程を積み重ねるなかで、よりよい「ゲームの行く先」を支えられる人間になる、という手順が本当なんじゃないでしょうか。ここが匿名掲示板だからとかって関係ないよね。
 ゲームの送り手たちにしても、無責任なシロウトのアドバイスなんかより、自分たちのゲームをやった人々がどのように人生を豊かにしてったかを知る方がよほど喜ばれると思うけどな。少なくとも『moon』を創ったラブデリックとか、『巨人のドシン』の飯田和敏とか『スペースチャンネル5』の水口さんとかは確実にそうでしょうね。


 というわけで、這い寄る混沌さんの255番はメチャクチャ嬉しかったです。
 FF9は、文句なしに楽しかったですって。あのええかっこしいのFFが、ああいう地点にたどりついたこと、素直に喜んでやればいいのにね。

287 :赤いひつじ :2000/09/18(月) 16:10
>>246
同意します。一定の間隔で新ルールの追加をすることにより、
あんなにも生まれ変わる遊びって無いよね。

>>270
『MTGのゲームとしての面白さ』には、お金うんぬんは関係無い
と思いますよ。
確かに資金面では差がつきやすいけど、それはゲーム以前の話し
だし。
冬頃にDCでネット対応版が出るのですすめておきます。
 (ネット対戦時には全カードを自由に使える)

>>286
這い寄る混沌さんは、あんなにツマラナそうなFF9でも
いまならやれそうだ。と言ってるように思える。
これ自分だけか? だったらスマソ。


お目汚しついでに、
MTGや、囲碁、将棋、チェス、モノポリー etc…のような、
コンピュータの恩恵を受けなくとも成立するゲームと、そうでは
ないゲームとの差を明確に見出すことで、いまある様々なゲーム
の楽しさの本質とは何なのかが解りはしませんかね?


288 :SM7 :2000/09/18(月) 16:12
>>280

親をはじめとした教育者からの圧力を、ゲームを語ることのありかたを問う上での立脚点とする必要ってあるんでしょうか?そうした場合の私などはむしろ、親や教師あるいはそれに隣接した立場としてどうしようか、という風に考えるのですが。なにせもうそろそろ若くもないから。

>一般人があまりに無理解で、「ゲーム=遊び=ふざけている」と解釈する人があまりに多い事に憤慨することはありますね(親の言う「ゲームばっかりして」は「遊んでばかりいて」とほぼ同意。例えばスポーツの練習に対して同じ事を言うだろうか?)

これは当たり前のことです。なぜならゲームをすることそれ自体には、外に開かれた価値がどこにも見当たらないから。そのことに不満を洩らすことは、「一般人」(この呼びかた止しません?)に対する言いがかりにしかならないと思います。

で、「ふざけている」と思われる程度のことなんて、見逃していいことでしょ。

289 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/18(月) 16:38
SM7は『サドマゾセブン』の略ですか?

290 ::2000/09/18(月) 18:04
反論ちゃん。

ndさんの、普遍性の抽出を極端に嫌い体験を尊ぶ、という姿勢は、
確かに一種の「突破口」ではありますが、果たしてその突破の先に何があるのか?
一種密教的エリート思想に陥る可能性があるのではないだろうか?
突破できた者が偉く、突破できないものは救われない、という。

>そのゲームがなにゆえにそのようであるのかの歴史性とかをメタな視点で汲み取り、
>そのゲームに費やした時間にキッチリ意義を見つけてしまえるような
>自分自身を鍛え上げること

この立場には、個人的なゲームへの姿勢はうかがえるものの、
ならばなぜ、ndさんがこのスレッドで発言を続けるのか、
という根本的疑問が残ってしまうのです。
(そもそも「ゲームの行く先を議論する」必要が、ndさんにあるのでしょうか?)



291 ::2000/09/18(月) 18:16
ゲームの定義についてしつこく考えます。SM7さん。
>>187
>ビデオゲームの「ゲーム」とは、実はコンピュータを使いビデオ装置を媒介して行える「面白いこと」に対して、
>便宜的に与えられたあだ名に過ぎないと考える方が、おそらく正しいでしょう。
これは非常に広く、またある意味正確なのですが、
「ではなぜコンピューターを使う意味があるのか」という説明が抜けています。
つまり、DVDの映画をパソコンで上映したとしても、
それはゲームではない、と言い切れる部分がある訳ですよね。
もっといえば、「スクリーンセーバー」はゲームではない。
むしろやはり、「プレイヤーの介在」の度合いが、キーになるのではないかと。
そして介在とは、あるルールにより築かれた世界への介在になると思うんです。
この場合の「世界」というのは、別に神話的世界観の意味ではなく、
近い意味で使われているのは「ユークリッド的宇宙」「非ユークリッド的宇宙」
という場合の「宇宙」だと思う。
つまり、ある定理のもと、可能性の集合である「世界」の、
その可能性(の一部)を体験することが、ゲームではなかろうか、と。

292 ::2000/09/18(月) 18:24
だから、「テトリス」も、立派な「世界」の一つ。
ところが、「世界」には、微妙に異なる意味の
「神話的世界観」というものもある。
テトリスが、定理だけで成り立つ数学的「世界」ならば、
ぷよぷよの、ぷよが落ちてくる、または敵と戦う意味づけ、ストーリーは
「神話的世界観」といえるでしょう。
この神話的世界観、もっと簡単にいえば「物語」というものが、
ゲームを考える中で、大きな意味を持ってくるのが、現在だと思う。

この「物語」の要素を抜きにしてしまうと、結局、
広すぎる、またはスカスカの何も言っていない定義にしかならない。
個人的には、「ルール」と「物語」は、
実は非常に相反する、矛盾する性質のものであって、
この両者の融合は、非常に難しいし、永久に不可能とすら思える。
そんな中での努力が、マルチエンディングであり、マルチシナリオであり、
あるいはキャラ(ユニット)のカスタマイズ、ノーグ系自己変形ダンジョン、
さらには自己増殖するプログラム
(ドシンってやってないけどそうなんですか?)
だったりすると思うのです。



293 :@雀 :2000/09/18(月) 19:51
>>285
>241・242で、僕がそれまでの発言からすると著しく節を曲げているのは判りますか?

「自作自演」と言う言葉が頭を過ぎるんですが(^^;

> 僕なんかは、それよりむしろ、どんなゲームに対しても面白さを見出したり、一次的な面白い/面白くないの二分にとらわれず、そのゲームがなにゆえにそのようであるのかの歴史性とかをメタな視点で汲み取り、そのゲームに費やした時間にキッチリ意義を見つけてしまえるような

うん、その調子で、
どんなスレッドに対しても面白さを見出したり、一次的な面白い/面白くないの
二分にとらわれず、そのスレッドがなにゆえにそのようであるのかの歴史性とかを
メタな視点で汲み取り、そのスレッドに費やした時間にキッチリ意義を
見つけてしまえるように成ってもらえるともっと有り難い。


294 :SM7 :2000/09/18(月) 21:19
オウム返しは幼稚だし何も言ったことにならないよ。やめましょ。

295 :a :2000/09/19(火) 00:27
>>282 RYUさん
>ここら辺に新しい試みをかけたのが初期のビジュアルノベルシリーズと「YUNO」なんですよね。

というような話は割と耳にするのですが、まだそれらはやったことがないです。

>ある程度の選択肢を持たせながらもストーリーの外堀からしか選択肢が選べないようになっていて、
>何回もプレイすることでストーリーの核心まで届くようになっているのがLeaf系で、
>マルチストーリー自体を前提の世界にして一本の巨大なシナリオを構築してるのが「YUNO」です

これ、「同じ世界観、同じ登場人物で、毎回異なった話になる。ただし、話が提示される順番は指定されている」ということだと思うのですが、
それというのはたとえば小説という媒体では不可能なことなのでしょうか?
それぞれのストーリーがオムニバス形式で順番に載ってるような小説ならできそうな気がするんですが。

「街」なんかだと、ハイパーリンクを用いたパズル要素によって「運命を変える」ってことを表現していて、これは他のメディアじゃちょっとできないかなあ、と思ったのですが。

「YUNO」は選択肢が増えることによって話が別の方向に展開して行く感じがする、のかな。


296 :a :2000/09/19(火) 01:18
>>286 ndさん
>僕なんかは、それよりむしろ、どんなゲームに対しても面白さを見出したり、一次的な面白い/面白くないの二分にとらわれず、

細かいことですけど、
「どんなゲームに対しても面白さを見出したり」はしたいんですか、したくないんですか?
「にとらわれず」までかかるつもりで書いてるのかどうかよくわかりませんでした。


297 :KS :2000/09/19(火) 01:27
>285
ですが、ここが2chである以上、
受け手にふさわしい態度を議論したいがために、
作り手に必要(かもしれない)議論を排除するような動きはどうかと思います。
少なくとも、スレッドがひとつであるうちは。
(意見の内容には諸手を挙げて大賛成です)

どうも皆さん、
受け手(ゲーム評論・ゲームと社会の関係など)に必要な議論と、
作り手(ゲームの本質・解体・流通など)に必要な議論を、
同じ場所でしているせいで、混乱しているのでは?

このスレッド全体で、話がかなり行き詰まっているようです。
ここでひとつ、受け手側の議論のスレッドと、作り手側の議論のスレッドを
分けるべきではないかと思うのですが…。


298 :RYU :2000/09/19(火) 01:42
>> 288 ( >>280 )
「糞真面目に考える」時には(言い換えればテンパってる時)って事なんで常々
そう考えている訳ではないですよ。真っ当な反論だと思います。少なくともゲームを
やり込む身ならこのぐらいの批判程度は糧にできなければ何もできませんし。

>>295
>それぞれのストーリーがオムニバス形式で順番に載ってるような小説ならできそうな気がするんですが。
おそらくできるでしょうし(読んでないけどブギーポップとかはそうって聞いてますが)、
過去にもそういう試みはあったと思います。ゲームでは新しい試みだったのですが。

>「YUNO」は選択肢が増えることによって話が別の方向に展開して行く感じがする、のかな。
多重(平行)世界が前提の世界観なのでマルチストーリー自体が当然の世界になってます。

しかし、nd氏の話を受け入れてしまうのも、ここまで来て「じゃ、みんな自分を鍛えて自らの体験として
評論を豊かにできるようにがんばりましょう」、ちゃんちゃん。は少し寂しい気がするなぁ。
確かに無理に全体をまとめようとする事に無理や歪みはできてしまうとは思うんだけど、いまやもう全体像が
見えなくなりつつある中で、これだけ考えている人達がそれを示せないのはもったいない。作ってる人でさえ
向かってる方向をとらえきれてない中でおおざっぱでもその方向って示す意義ってあると思うんだけど。

>>297
うーん、そうかも。自分は作り手に近い話をしてると思いますし、nd氏のような姿勢を否定する訳でもないですし

299 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/19(火) 01:49
>286
>そのゲームに費やした時間にキッチリ意義を見つけてしまえるような自分自身を鍛え上げること

夏目スレでちょっと話に出た、
>「・・・つまりファンやマニアとオタクとの差は対象と自分との関係を振り返れるか
>どうかなんです。(中略)銀河旋風ブライガーが好きなら、ただブライガーがいい!
>と叫んだりアイテムをコレクションしたりするだけでなく、なぜ銀河旋風ブライガー
>という作品が自分にとって素晴らしいのか、特殊なのかを自分の言葉で語らねばなら
>ないのです。当然、これには好きなだけ、集めるだけとは一線を画した、高度な知性
>が要求されるでしょう」
(190)

>ところが、「オタク」に関していえば、
>この「オレの関心の訳」を、「オレの関心の努力量」に変換するという、
>非常に不思議なあり方をしているわけですね。
>岡田氏が一見、批評のように見える文章を書いたとしても、
>それは「オレの関心の訳」を掘り下げるのではなく、
>「オレは自分の関心のためにこんなに頑張ってる」ことをアピールしている。
(201)

というオタクの自己正当化のための言い訳的動機による行動とは違うんかなー。


300 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/19(火) 01:55
286
> てゆーか皆、他人事としての「ゲームの行く先」と自分の人生、どっちが大事かな。

自分の人生だけが大事なら、別にゲームについて語ろうという努力なんてしなくていいんじゃないですか。
自分の人生、「人間として成長」と関係があるくらいだったら、ゲームは他人事とはいってられないんじゃないかなあ。


301 ::2000/09/19(火) 02:15
>>299
その後半の「ところが」以降の文章、
オレなんですけど。まあいいか。

302 :a :2000/09/19(火) 02:30
>>285
>「ゲームに受け手として関わった自分たち自身が、人間として成長すること」

おおっ、そうきましたか。志が高いですね。
それはそれでもちろんアリだと思うんですが、ゲームを分析する行為が無駄だとは私にはどうしても思えないんです。

>>277 〜278あたりに書いたんだけど、ビデオゲームの範疇は拡大の一途をたどっています。
だからもう手遅れの感はあるんだけど、やはり古典的なビデオゲームの解釈からはじめて、ビデオゲームがどうその範疇を広げていったかを論じる価値はあると思います。
>>170 で書かれていたこととかぶるんですけど)
やはりそれにはゲームを分析する必要があるのではないかと。

で、それがすでに巨大な産業を形成していて、たぶん我々が大好きなビデオゲームというメディアの位置を把握して、その価値を解釈する足がかりとなっていくのではないか。

古典的なゲームの分析とかは田尻智あたりがやってたけど、ポケモン以降はゲーム制作に専念しちゃったようで、田尻の後を継ぐ人は出てないという感じですね。

303 :299 :2000/09/19(火) 02:32
>その後半の「ところが」以降の文章、
>オレなんですけど。まあいいか。

我田引水すまん


304 ::2000/09/19(火) 02:43
>>303
え!ちょっと、それじゃオレの自作自演ってことになるじゃん。
「我田引水」というよりは、「江戸の仇を長崎で」って感じ(意味不明ですな)。
寝よう。明日は6時起きだ。3時間は眠れるな。

305 :ろーま :2000/09/19(火) 02:55
お初です。
おもしろそうなんで参加させてもらいます。皆さん、よろしく。

さて、なにやら難しい話になっているようですが・・。
とりあえずゲームというモノを、ある程度きちんと
定義(限定)する事から始めたほうが良いように思います。
評論するにしても、今後を考えるにしても。
なんだか分からない事について論議しても得られるのは主観的な共感のみ
かと思います。もっと客観的な(共有可能な)下地があれば
個々の感覚、共感の相違などがより深く掘り下げられると思います。

まず社会的な位置づけとしては「娯楽」という事で問題無いかと思います。
楽しむために存在する物の一つという事ですね。
もちろん例外もあるかと思いますがそれは極めて希(一般的ではない)と思います。

さて、「娯楽」ならばどういう娯楽として分類されるか考えてみます。
ndさんもおっしゃってますが人間の身体的構造から考えれば
あらゆる娯楽は入力と出力のバリエーションであると言えます。
これは人間が快感を感じる手順そのものですが。
(続く)

306 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/19(火) 03:09
>>189 をたどったら、
http://www.geocities.co.jp/Playtown/3849/nyuumon/index.html
ってページがあったよ。
認知科学(?)的なアプローチで、普遍的にゲームとは何かということをいってるんじゃないだろうか。

「要説」ってのはまだ公開してないみたいなので、こっちも見れるようになるといいな。


307 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/19(火) 03:16
斬新なシステムやアイディアのGAMEが出ないと、
このまま廃れていくね。
いまのゲーム業界って黎明期じゃないか?

308 :ろーま :2000/09/19(火) 03:50
>>306
うわお、こんな素晴らしいページがあったとは・・。
自説とカブりまくってる、とゆーかチンケな文章のっける必要ナーイジャーン。
鬱だ氏のう・・

309 :306 :2000/09/19(火) 03:59
>>308
いや、ろーまさんの言葉でも聞きたいすよ

310 :這い寄る混沌 :2000/09/19(火) 06:23
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=comic&key=968418423&st=249&to=251

とりあえず一読を。

311 :にっく :2000/09/19(火) 06:23
議論、錯綜してるっすね。でも、これはこれで健全な気がするなぁ。
マンガ評論にしたって、夏目先生は一つのスタンダードを確立したけど、
他の人は他の人で試行錯誤しつつ一つの形を示そうとしてるわけだし。

俺は、ビデオゲームと非ビデオゲームを区別する必要は無いと思う。少なくとも、
個々のゲームの面白さを伝えるためには。例えば、バッティングセンターで
会心の当たりを飛ばすことと、パワプロでホームランを打つこと、その二つの間に、
快楽の差は感じられないんだよね。皆さんどうですか、この二つ、違います?

>>203
>>「何者かになる」喜びをゲームから得たことはありません。
>そうなんですか!?
超遅レスだけど、よく考えたら一つだけありました。
バーチャロン友達とやりながら、「見える!私にも敵が見えるぞ!」
とか叫んだりしてた(笑)
けど、僕はこういう楽しみはゲームの本質の外側にあると考えていた。だって、
ロボットアニメ知らなくたってバーチャロンの面白さ(はしょりまくって言えば、
ロボットを操作して敵を倒すこと) は味わえるだろうから。
「MAGIC」にしたって、少なくとも俺は魔法使い気分になったことはなかった。
ライトニングボルトを打つとき、俺が認識してたのは「こいつは敵クリーチャーか
本体に3ダメージ与える攻撃だ」くらい。
でも、最近のゲームってやたらと世界観を大事にしたがるよね。俺が古いのか?

312 :にっく :2000/09/19(火) 06:44
>>286
>てゆーか皆、他人事としての「ゲームの行く先」と自分の人生、どっちが大事かな。
この二者択一はちょっと変でない?自分の人生にゲームをやっている時間が含まれていて、
これからも含まれるであろう人間ならば、「自分の人生」から「ゲーム」を分離できるとは
思えない。だって、面白いゲームを遊びたいと思うのは当然だもん。

>ゲームの送り手たちにしても、無責任なシロウトのアドバイスなんかより、
>自分たちのゲームをやった人々がどのように人生を豊かにしてったかを知る方が
>よほど喜ばれると思うけどな。
その送り手たちに対してフラストレーションがあるからこっちもいろいろ口を出すんじゃない?
少なくとも俺はそうだぞ。「おい、どうしちゃったんだよ、ゲーム!」
無責任なシロウトって言うけど、こっちも金と時間を費やしてるんだから、無責任じゃ
ないぞ。
無責任というなら、今おそらく潜在的にかなり高まってるであろう、ユーザーの
フラストレーションに対して真摯に向き合おうとしない送り手側の方だ。
蛇足だけど、中央競馬って凄く健全だ。つまらないと思ったらみんな金を使わない。
そうしたらJRAは何とか打開しようと改善策を取る。ちゃんと、ユーザー?の
ことを気にしている。これが本来当然なんだろうけど、ほとんどの業界は
それが出来てない気がする。

>>298
>>それぞれのストーリーがオムニバス形式で順番に載ってるような小説ならできそうな気がするんですが。
>おそらくできるでしょうし(読んでないけどブギーポップとかはそうって聞いてますが)、
>過去にもそういう試みはあったと思います。ゲームでは新しい試みだったのですが。
「ラン・ローラ・ラン」はモロ、そういう映画でしたよ。よかったらレンタルで
観てはいかがかと。

313 :SM7 :2000/09/19(火) 08:33
>>291

ゲームの境界を問う論は常に時代的・イデオロギー的なものであるという、思いくそ客観的な説を取る私としては、以下のように話を進めるほかありません。

パソコンで上映するDVD映画やスクリーンセーバーがゲームでないと言うことは、もちろん可能です。充分に。ただし、そうと言える状況には限界もあります。

あるユーザーがそれらを前にして「ゲームじゃない」と思うには、それらがかもし出すゲームらしい印象なりその要素なり形式なりが、あるユーザーの受ける印象において支配的に振る舞うことが必要だと思うんですね。ですからDVDの上映、あるいはスクリーンセーバの起動に伴うなんかのアクシデントに、事前にインプリントされた例えば「プレイヤーの介在」の感触を覚えることが出来れば、それはその人にとって間違い無くゲームなのです。

何を変なことをと思われるかもしれません。しかしこれ、まんざらデタラメとも言い切れない話なんですよ。なにしろ小耳に挟んだ話によれば、近ごろの世間ではゲームを意識させる支配的イメージとして、CGムービーがかなり幅を利かせられるらしい、とのことなので。いやあすごい時代です。

(続く)

314 :SM7 :2000/09/19(火) 08:34
(続いた)

とここまで話した上で、次の問いにお答えします。

>「ではなぜコンピューターを使う意味があるのか」

>つまり、ある定理のもと、可能性の集合である「世界」の、その可能性(の一部)を体験することが、ゲームではなかろうか、と。

で、そこにコンピュータが本質的に絡むということですか。うーん、でもそういう遊びをつきつめていくと、それは旧来のスポーツ競技における練習用機器とか、お客さんを巻きこむ即興演劇とかと、ほとんど変わり映えのしないものになりますよきっと。もちろん私はそれでまったく構わないわけですが。

これまた変なことを言うようですが、恐らくビデオゲームを成立させるうえで、コンピュータを使う実際的な必要は切実にありました。しかし、本質的な意味はたぶんなかったと思います。映像を使った面白いことを実現できるのなら、その制御部分はなんとでも代替が利いたのかも知れません。たとえばスクリーンの裏で黒子がプレイヤーキャラの影絵を動かしていたとしても。もちろんそんなこと実際には無理でしょうが、本質を見るなら許可できる発想でしょう。そうした考え方の参照例になりそうなものとして、ここではパチンコ・新幹線ゲーム・エレメカ・ピンボール・電子卓上ゲーム・そして無人くんを挙げておきます。いずれも『「ビデオ」「ゲーム」』からすれば境界例と見てもいい存在です。

結局何が言いたいのかというと、消費物たるビデオゲームを見直すときに、コンピュータ、すなわちブラックボックス内部のことは必ずしも考えなくていいという事です。

(続く)

315 :SM7 :2000/09/19(火) 08:34
(続いた)

>>292

>だから、「テトリス」も、立派な「世界」の一つ。ところが、「世界」には、微妙に異なる意味の「神話的世界観」というものもある。

「世界」に物語の律動をもたらすものがここで言われる「神話」であり、その神話とはすなわち「キャラ」だと考えます。本当のところ、そこにはテープのようなテキストは必ずしも必要ありません。なぜならキャラとは、そのデザインの持ち方だけで物語素としての機能を帯びるものだからです。つまり、世界に神話の動きを手っ取り早くつけたければ、主役キャラらしい主役キャラと、敵キャラらしい敵キャラを見える形にしておけばまずはそれでOK。

キャラとそれによってもたらされる世界観が持つ意味は、そのままでは何をもってプレイとしても自由過ぎるくらいに自由であるルール・システムの塊のなかに、「あなたはこう遊ぶべきです」という指針や義務を、プレイヤーから不審がられないようにうまく持ちこむための手段としてあります。これはスコアラーのような特権意識の高いゲーマーに、自らがゲームにコミットするための強い動機付けを与えるものでもありましたし、かたやゲームをいわゆる「ライトユーザー」の手に広く蔓延させるアイキャッチとしても機能しました。つまり、どんなユーザーも皆、大量消費物としての手管を携えたゲームのもとに等しく大衆なのです。そこにコア・ライトなんていう序列はありませんし、テトリス好きのほうが変とかそういうこともないです。すべては差異の戯れです。


>「ルール」と「物語」は

対等の概念として考えればそのとおりですが、例えばそれが主従関係にあったりとか入れ子状になっているとか、とにかく層を違えていれば折衷はぜんぜんできます。
これを私はママレモン理論と名づけています。


316 :ろーま :2000/09/19(火) 11:44
>>309
>いや、ろーまさんの言葉でも聞きたいすよ
うう、どうもです。
でもあそこまで丁寧かつ科学的に掘り下げられちゃうともう言うことないんで(^^;
古典的な意味でのゲームというジャンルの定義はコスティキアンと上のHPに譲りますです。
で、現在あるゲームソフトってヤツを自分なりに掘り下げてみます。(後述)

>>310
>>http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=comic&key=968418423&st=249&to=251
>>とりあえず一読を。
うーん、詰まるところ言葉(道具)に惑わされるなという事ですかね。
本質を見抜けと。耳が痛いです。

317 :ろーま :2000/09/19(火) 11:45
>>286
>てゆーか皆、他人事としての「ゲームの行く先」と自分の人生、どっちが大事かな。
>>311
>俺は、ビデオゲームと非ビデオゲームを区別する必要は無いと思う。少なくとも、
>個々のゲームの面白さを伝えるためには。例えば、バッティングセンターで
>会心の当たりを飛ばすことと、パワプロでホームランを打つこと、その二つの間に、
>快楽の差は感じられないんだよね。皆さんどうですか、この二つ、違います?
これって根は同じ問題だと思うんですよ。
ゲームソフトって娯楽である以上、他の客商売と同じで、
お客はお金と時間を投資するのだからそれ相応の価値を求め、
自発的に価値を得る努力をするっていうのは自然な事だと思うし、
制作者もそれで食っていくって事は、お客の期待に応えて行かなきゃいけないし
ゲームを作る時間で人生を費やしてしかも決して楽ではないから
最終的には意味(目的)が無いとやってられないです。
結局は制作者とお客のキャッチボールな訳で。
(これが出来てない会社たくさんありますし、なるべくしてなっている現状も後述します)

例えばパワプロを売るにしても
バッティングセンターと同じ快感があると言っても
バッティングセンターに行ったことない人には分からないし
同じならたまにしか行かないからコストパフォーマンス(快感/金)を考えると
バッティングセンターのほうがいいと思うかも知れません。
バッティングセンターという例えが出来るという事は幸運ですけど
その物の一面しか表せないなら本質を感じ取れないですし
それが全てならば代わりなんて要らないと思われてしまうかもしれません。
やっぱり枠組みというか言葉って必要だと思うのですよ。
「キャッチボール」を円滑にする為にも。
で、評論ってそういう役割を持ってても良いんじゃないかと思うんですね、個人的には。
制作者と消費者の中間的立場に立っている立場上っていいますか、適任というか。
(続く)

318 :ろーま :2000/09/19(火) 11:49
んで、問題のゲームソフトのゲームソフトたる領域(境界じゃ無いです)の定義なんですけど
一番シンプルなのは「コンピュータを使うか使わないか」だと考えてます。
コンピュータっていうのは入力情報を処理して結果情報を出力する物なんだけど
それってナニがモデルかというと人間の脳なんですよね。
最新のコンピュータほど人間に近づきつつあって(正確には人間の脳の優れたところを真似しつつある)
分岐予測とか並列処理とか論理レジスタとかデジタルなのに段々カオスな要素が増えてきた。
(実際、人間の脳もデジタルなパルスで機能しているらしいですけど)

で、相手が人間に似て非なる物と考えると話は簡単で
いろんな感覚器や出力機を内蔵させればほとんどなんでも出来ちゃうって点が最大の特徴になりますね。
これをイメージ的に表現すると最も近そうなものが「世界」であったり「カオス」なんじゃないかと
思います。
じゃあ後先も含めると予測しようが無いじゃないか、と思うかもしれないですけど
人間なんて分からないもんですけど良く知っているヤツの事って結構予測できますよね。
ゲームソフトの場合、コンピュータを娯楽に使っているっていう前提がありますから
人間モドキが出してくるのは結構使い古された娯楽の組み合わせに過ぎないって事が
見えてくるんですよ。
主な物を取り出してみれば
・絵
・文字
・音楽
・オモチャ
・パズル
・ゲーム(試合)
こんな所でしょうか。
オモチャから下はコンピュータの汎用性の賜ですね。
映画で絵と音楽を制作者の意図を間接的に伝える道具として
効果的に組み合わせるように、
ゲームでもこれら多くの娯楽要素を組み合わせて作る訳です。
例えば2D格ゲーで、殴られたときに「痛い絵」を出しますけど
アレ、殴られたら痛い(ダメ)よ、っていうルールを直感的に
理解させるための演出に使われる訳です。
という事はそれぞれの要素が何の為に使われているか、さえ
見間違わなければ、既にある分野の技術や批評の蓄積が生かせると
思う訳です。
(続く)

319 :SM7 :2000/09/19(火) 12:36
313を訂正

あるユーザーがそれらを前にして「ゲームじゃない」と思うには、それらがかもし出すゲームらしい

ここ、「ゲームらしい」じゃなくて「ゲームらしくない」でした。




320 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/19(火) 14:23
素朴な疑問
このスレッドの書き込みが、クリエイター達に影響与えるかね?
リンク張った先の参考文献とかは別だけどな
「このスレッド読んでる人は頭悪いから、私が啓蒙してあげましょう」
そんなのばっかりだ

321 :SM7 :2000/09/19(火) 16:53
>>320

Qクリエイター達に影響与えるかね?
A与えない。

仮にここで出てきた本質とか普遍性とかの考察の断片のうち、クリエイターから見ても正しく思えるようなことがあったとしましょう。しかしたぶんそのどれも作り手の実用に足りるようなもんにはならないと思います。だってねえそりゃ、しょせん現場を知らぬ外野の発想ですから。仮に実用に足りるものが奇跡的に出てきたとしても、とっくに承知されている凡案がせいぜいのとこでしょう。啓蒙なんてそんな。

もっとも良質な知は、それが最も必要とされるべきところで生み出されるもんだと思います。と考えると、批評ってそもそも何だろうという話の原点に立ちかえることができますが、
私もそれ、ゲームという実作とは別の実作であるべきだと思いますよ。同様に、私たちが何を以ってゲームと為すかという問いに対する結論をだすならば、それは別に実作における結論と同じである必要は全くないともね。

乱暴に言えば自分がゲームだと思うものを無前提に信じて、その考えをもとに個別のタイトル批評でも感想でもやらかせばいいのだと思うんです。無理に周囲と共通語を作る必要はない、というか、共通語はコモンセンスだけで充分だ。門外漢にいきなり「〜ゲー」などという方言を使わなければそれで結構。



322 :SM7 :2000/09/19(火) 17:31
追記。

そういう身勝手なゲームテキストが、果たして何らかの開かれた価値を持つのか?という疑問もあるかもしれませんが。

それを何とかしちゃえる筆力・実力・能力こそが結局は必要なんですよ。そしてそれはいきなり得られるものではない。文芸批評の世界にはそういう手法に果敢に打って出た小林秀雄という稀有な才人がいましたが、これってなかなか真似できるもんじゃないですね。まあでも本気で批評家やりたいなら、そういう高みを目指すっきゃないってこと。そこまではちょっと、というならそれはそれで、まずは自分なりに言える面白いことを言えばいいんじゃないですか?いずれにせよ、口裏を合わせる手間も時間も要りません。

ん〜ここでもどこでも個別の実作をアップし合うようにすると面白いかも。

323 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/19(火) 17:34
↑こいつブラクラ張ってる腐れ

324 :nd :2000/09/19(火) 18:16
>>322
 あはーその通りだね。ここらでホントに打ち止めかな。本来の仕事に戻るとするかい。

 さて、その前に。
 310番でリンクしてくれた漫画版の抜粋、まずはごもっとも。
 各自が自分のなかに必然を感じていないレベルでの整理を、僕は訴えちゃってたんでしょうね。その辺の拙速さは、率直に反省いたしますとも。

 ただなー。だからといって、僕が自分と同じレベルの処に問題意識を置いていない議論に対して「意味がないからヤメロ」と排除していると受け取ったひとの方も、ちょっと足腰弱くねい?
 KSさんには「受け手側の議論のスレッドと、作り手側の議論のスレッドを 分けるべきではないかと思うのですが…」とまで言われてしまったけれど、両者はカンタンに分けられる話でもないでしょう。たとえばあるゲームに対してフラストレーションが沸いたとして、その責任がクリエイターが受け手に真摯に向き合ってないことにあるだなんてどうして言えるのか。
 ひょっとしたらそれは、受け手のこっちがトシを取りすぎてしまったとか、インタラクションで発生する快楽にいい加減慣れすぎてしまったからじゃないかとか、人間という生き物の生理的な限界ゆえだって可能性もあるわけじゃないですか。実際ゲームやりながら、そういう可能性がつい頭にのぼってしまったことってありません?

 まあもちろんすべての要因を押さえながら議論なんか出来ないだろうから、暫定的にある側面は切り捨てて、焦点を絞るのは方法として当然だけども、大抵の場合なぜか真っ先に切り捨てられてしまうのが、分析対象として一番身近で手の届きやすそうな「受け手たる自分自身」であるという優先順位の感覚に常々疑問がありましてさ。
 その辺の感覚がどこまで共有できるのか、ムリだとしたら何故なのか、語ることへの強い衝動をもっていそうな人々が一堂に会したこの場でなら、何か掘り下げた答えが得られるんじゃないかと思って当方の問題意識を投げ込んでみたわけです。こんなんでいいかな、スレッド参加の根本動機。>>Yさん

325 :nd :2000/09/19(火) 18:18
 でですね。僕がなぜ「受け手としての身をただす」なんつう、人によっては「密教的エリート主義」みたいなリアリティしか感じられない(ってのは情けネーと思うけど…)ようなことに高い優先順位を感じているかというと、20〜30年前のテレビゲームの黎明期からありとあらゆるゲームを楽しみ続けてきた我々自身の快楽を基準に、この先もず〜っと同じように楽しみ続けることを目標に据える限り、「ゲームの行く先」なんかどうやったって見出せないと思うからですよ。そりゃないものねだりもいいとこなんじゃないかって。
 だからせめて穏当だと思うのは、「ゲームの行く先」とはもはや自分たちのものではなく、たとえばうちらの子供の世代のものだという割り切りをそろそろこの辺でつけて、一歩引いたところからその成りゆきを見届けてやることに力点を移すこととかではないかな。もう、さんざん楽しんだじゃんか。
 それよりも、僕らの中のかけがえのないゲーム体験を意味あるものにしようとするんだったら、やっぱりゲームで育ったうちら自身が、ゲーム外の生活の現場に通じる知恵とか立ち居振る舞いを身につけ、発信することしかないんじゃないの。

 aさんが「志が高いですね」と仰ってたけど、とんでもない。容赦なく世間とか社会ってやつが年齢相応の振る舞いを要求してくるところでの、後手後手の撤退戦だよ、これ。
なんで最低限、そういうシビアな生活をなるべく前向きの楽しい気分で、それこそ拡大解釈された「ゲーム」としてやっちまえる自分だけはつくんなきゃ、どうしようもないでしょ。

326 :名無しのゴンベ :2000/09/19(火) 23:06
自称ゲーム好きなのでふらっと夏目さんスレから来てみたんですが
す、すごいっすね.....アツいです、ここ(笑)。
つーかめちゃんこレベル高い。

タイトル通りみなさんで『議論』されてますが、意見が違うからこそ『議論』が成り立つ。
全員が納得する道を探すのではなく、いろいろ意見を言い合ううちに
また新しい考えがうかんだりすることに意味があると思うので頑張ってください。
(あぁこんなの言われるまでもないことですよね。出しゃばってすみません。)
とにかくとにかく、一ゲーム好きとしてこれからもロムさせていただきま〜す。ではっ。

327 :そしてY再び :2000/09/19(火) 23:46
自分からふっかけた喧嘩、のようなものなので。

一応、私に言っているのではないとは思いますが、
>>324 意味がないからヤメロ、というようなつもりは毛頭ありません。
で、もちろん、ndさんが、そういう、ゲームを自律的に考えること
(つまり、<オレルール>を自分に課する、というような意味ですが)
ということを含んでいることも理解しているつもりです。
ただ、自分は、ゲーム以外にもいろいろ楽しいことは知っているので、
「ならばなぜゲームでなければいけない?」という問いかけをしたつもりです。
「ならばなぜゲームでなければいけない?」自分にも跳ね返る、厳しい問いつめですが。

>ないものねだりもいいとこなんじゃないかって。
「ならばなぜ、ゲームでなければいけない?」
これが私の問いかけです。私自身に対しても。



328 ::2000/09/19(火) 23:55
前の書き込みへの補足。
なぜ、コンピューターが必要なのか?

それは、シンプルな「ルール(の複合体)」を、
ただそれだけとして、確立することが出来るからです。
>>317ろーまさん
バッティングセンターという例えが出来るという事
私は、根本的には、シミュレータという考えを否定しています。
現実というのはあまりに複雑で、
あらゆる物理法則に則ったうえで、(ゲームの)ルールを作らなければいけない。
ものすごく乱暴にいえば、テニスも野球もサッカーも「同じ」なんです。
だって、ボールは重力に従って落ちるんだから。
ところが、スーパーマリオは、落下の途中でも十字キーを入れれば動かせる。
これは、全く異なる物理法則の元につくられた「世界」な訳です。
私は残念ながらコンピューターにあまり詳しくないので、素人の生兵法ですが、
おそらく、このような、完全に独立した純粋な系、という世界は、
コンピューター以外では作りにくい気がします。
もちろん、将棋チェスや囲碁のような対人のゲームにはあるのですが。

329 ::2000/09/20(水) 00:01
なんか、読み返すと、「厳しい問いつめ」とか、
オレは修道僧か(笑)。
いや、面白さの底にある狂気に迫るのは、そこまでいかないとね。
「私はこれを面白いと思う」という一言が、
なんとその人の奥深い所まで表現してしまうことやら。
その怖さを知っていればこそ、面白いと思うことへの追求がある。

330 ::2000/09/20(水) 00:13
>>298
ちなみに私は、7つのサイコロのそれぞれの面に小説が書いてあって、
サイコロを振った6面から、他の6個のサイコロにつながる、
という小説(?)を書いたことがあります。
サイコロを振って、出た面が他の6個のサイコロの内の一つを指定し、
さらにそのサイコロを振る・・・という小説(?)です。
(これで正体ばれる人にはばれちゃうなぁ)

>>314 >>315  SM7さん。
やはり、「現実の世界の物理法則」から完全にシャットアウトするためには、
コンピューターの出現が不可欠だった、と考えます。
そりゃ頭いい人は、非ユークリッド世界を想像して
楽しむことができるかもしれませんがね。

ママレモン理論。魅惑的な名前だと思うけど、
「物語」を甘く見過ぎじゃないかな。
層を違えているつもりでもうっかりしてると、ルールまで浸食するよ、
「物語」ってやつは。怖いっすよ。

331 :ろーま :2000/09/20(水) 00:40
すみません、なにやら場の空気が読めず、不快感を与えたのならば謝ります。
ここはゲームの行く末を論議する場だと
ただ単純に考えていました。
制作者サイドから見たゲームの流れから先を予測するアプローチは
多分、ユーザにとって要らない物なのだという事が分かっただけでも収穫でした。

では去ります。

332 :這い寄る混沌 :2000/09/20(水) 02:52
マターリいきましょうマターリ。

>>322
>ん〜ここでもどこでも個別の実作をアップし合うようにすると面白いかも。

それ面白いと思う。というかそういう場を密かに準備してたんだけど、ここにリンク貼るの怖くてねえ。
あ、ndさんの「実作」は探せば見つかりますよん。

>>324
>ただなー。だからといって、僕が自分と同じレベルの処に問題意識を置いていない議論に対して「意味がないからヤメロ」と排除していると受け取ったひとの方も、ちょっと足腰弱くねい?

皆ナイーブ過ぎだと思うんですよねえ。凹む必要ないのに。
あ、ちなみに>>310で夏目さんのレスを引っ張ってきたのは「混乱を意識するべー」くらいの軽いノリで他意はないっす。

>>327
>「ならばなぜゲームでなければいけない?」
自分的にはそれは「愛」ですな(卑怯?)。
面白くねー、とかいいながら相変わらず離れられないわけで。
タチの悪い愛人みたいなもんですわ。

>>331
>ここはゲームの行く末を論議する場だとただ単純に考えていました。
そのとおりですよ。好き勝手いろいろ書き込んでいいはず。
ここは2ちゃんねるにしては珍しく「ウゼェ、二度と来るなゴルァ!!」的な書き込みもないのに皆去ってしまうのはなぜ?

333 :RYU :2000/09/20(水) 04:59
>332
議論の中心が「ゲームの面白さ」の原体験に近づいているからじゃないでしょうか?
客観的に総体を見いだす冷静な方向でない、自分の核にある楽しさを言葉にしようとして
自分の心の中のナイーブな部分が現れてそこで衝突しているから、凹みやすいんでは?

それにしても結局ネットゲームじゃないゲームって基本的にソリティア(一人遊び)
なんだよなぁ、とドラクエなんかやってて思う。他人と言葉が共有できないゲームでは
面白さは半減する。だから今ドラクエよりこのスレッドに参加できてる方が凄く楽しい。

334 :にっく :2000/09/20(水) 07:11
なんで、俺の書き込みは毎回ほとんど黙殺されるんだろう、と自分の心の
ナイーブな部分が衝突すらしないことに凹んでみる(笑)
戯れ事はさておき。

>>317
ろーまさんの言う、評論の役割については異論無いです。ただ、一つ誤解しているかも
しれないので補足すると、「パワプロとバッティングセンター」の喩えを僕が出した真意は、
僕は「ゲームの面白さの本質は快楽にあり、そして、その快楽は決してビデオゲームのみに
存在するものではない」と思い込んでいるので、「ゲーム/非ゲーム」の区分がゲームの
面白さを伝えるために必要なものとは到底感じられない、ということを問いたくて
書いたのです。(そして、反応がほとんど無いことを哀しんでいる)

無意味かもしれないことを承知しつつ、別の喩えを出すと、僕はデバッガー(という言い方が
プログラマーの不快感を呼び起こすならテストプレイヤー)をやってたことがあるんだけど、
バグ探しは僕にとって一つのゲームでした。一種のアイテム探し。止まりなんて見つけた日には
(しかも、条件が複雑だったならば)それはかなりのレアアイテムを見つけたような
高揚感でしたよ。プログラマーにとっちゃいい迷惑だな・・・・)

335 :にっく :2000/09/20(水) 07:33
>>327
「ならばなぜ、ゲームでなければいけない?」

これに対する僕の答えは「けれど、近所の塀を渡り歩いたあの頃には戻れない」。
これは、あくまで今現在の答えでしかないですが。

子供の頃、下に落ちたらダメというルールを作って、近所の塀を伝って歩いた経験は
皆さんありませんか?これも一種の「ゲーム」です。スタート・ゴールを勝手に
決めて、目標の達成を目指す。僕はでかい図体をした今でもこの「ゲーム」をやりたい
誘惑に駆られます。しかし、いい年をした(最近、25になった)僕がこんなことをやったら
どうなるでしょう?言わずもがな、良くて嘲笑を浴びるにとどまり、最悪なら
社会から隔絶されてしまいます。
しかし、それでも僕は快楽を求めます。なるほど確かにセックスは気持ちいい。
セックスをせずとも、恋人とじゃれあったりからかいあったりするのもまた楽しい。
クラブで踊るのも楽しいし、家のショボいCDラジカセでCD聴きながら体を揺らしたり
歌ったりするのもまた楽しい。
けれども、僕は「ゲーム」で快楽を味わいたい。それが何故なのか、正しい答えは
わかるわけもありません。単なる本能なのか、幼少からの刷り込みなのか、
エセ小説家風に言えば「人間として生まれた限り、避けることのできない真理」なのか。
駄文を垂れ流していますが、端的には「だって、ゲームが好きなんだもん」としか
言えないところです。

#この書き込み、スレの主旨である「批評」や「評論」とは正反対の方向に向かって
いるかもしれないですね・・・。

336 :にっく :2000/09/20(水) 08:00
長々書いて申し訳ないが、あとひとつ。

>>328
Yさんは、物理世界と「ゲーム」界の法則の違いについて触れているけど、その差異を
どのように「実感」(「理解」ではなく)してますか?ちょっと抽象的な問いだけど。

僕は、物理法則の違いなんて関係無く、あくまでもレスポンスの快楽が重要なので、
物理法則の違いに興味が行かない。相変わらず拙い例だけど、自分の足で走ること、
自転車で走ること、水の上を泳ぐこと、アイススケートで泳ぐこと、そして、
モニターの中でマリオを動かすことについての根本的な違いを僕は実感できない。
「快楽の質」は物理法則に左右されるのだろうか?突き詰めようもないのだけれど。

>>333
>それにしても結局ネットゲームじゃないゲームって基本的にソリティア(一人遊び)
なんだよなぁ

僕は、MSX→PC98とひたすらマイノリティ街道を歩んでたこともあって、
子供の頃に味わった一人遊びの快楽をついつい追求したくなります。
もちろん、コミュニケーションがあれば、より楽しさが増幅されるのはわかるのだけど。
(自分自身、数々の対戦ものにハマリまくっているし)
でも、今やってるロマサガ2の楽しさと、このスレ(に限らず掲示板)に書き込んで
やりとりをする楽しさは質が違うように感じるんだよなぁ。うーん・・・。

337 :まげマン :2000/09/20(水) 09:45
 ちょっと遅いけど、初参戦。
とりあえず俺の立場は、
1、ビデオゲームと非ビデオゲームは本質的に変わらない。理由は
にっく氏(2ちゃんでこの字使うとアレだね)と同じ。さらにいえ
ば、現在のゲームシーンの中心がたまたまコンピュータなだけで、
時の流れや、流行りによってそうじゃなくなる可能性は充分ある、
という見方。ビデオゲームには余り固執してない。

2、おそらく狭義でのゲームの定義は不可能である。それは、こ
こでもそうだけどプレイヤー各々のゲームをする動機がバラバラ
だから。それぞれの思い描くゲーム像がかけ離れている以上そこ
から客観的な何かを導くのは無理だと思う。「俺的定義」ならあ
るけど。

3、ちなみに、俺がゲームをする動機はほぼ100%遊びのため。
RYU氏の意見とはぶつかっていると観られるかも知れん(実は
そうではない)が、俺の場合、そう。遊びでゲームをやった結果、
何かを得たり、nd氏のように自分を鍛えられたとしても、おれ
は、そのためにゲームをすることは決してない。

 以上、基本的にはこんな感じ。可能な限り参加しようと思って
ます。コンゴトモヨロシク。

338 :妄想くん :2000/09/20(水) 13:40
現在、ゲームの方向性として、考えられそうなものはいくつあるんでしょう。
あるいは何が。

ここはゲームの行く先を議論(=洞察)するスレッドだと思っていたのですが、
ゲーム評論の方法論の構築という感じになってますね。
それはいいのですが、しかしそれではこのタイトルが勿体ないですね。
評論というのはどちらかというと過去を整理する作業で、議論というのは
未来を構築する作業だと思います。
折角のスレッドタイトルなのに、未来の話に言及が及ばないのは
個人的にはちょっと残念です。

今のゲーム、ハード上の制約がなくなって、可能事が多くなり、ゲームの
売り(客に提供する楽しさのジャンル)も多彩になって来「これからどんどん
新しい楽しさが出るだろう」「これまでの概念は通用しない」という事が
明らかに、また期待される様になって来た訳ですが、折角なので更に一歩
進んで「未来はこうだろう」という話が聞きたいものです。そこで、少し
でも垣間見んと、既にあるものを分類してみる事で今後を類推する
足がかりにしてみましょう。なんつって。

「戦略的な意志決定モデル」過去のゲーム(静的なもの)はおしなべてこの類
だと思います。このスタイルの今後はルールの複雑化あるいは単純化、
勝ち方及び阻止の方法の多様化、パラメータの重層化、敵のロジック、
インターフェイスの改良、まあそんな所ではないでしょうか。
一方、動的なゲームというのは感覚に訴えるゲーム(静的なゲームは
思考に訴える)なのでそちらは感覚的な気持ちよさの追求に終始する事で
しょう。

339 :妄想くん :2000/09/20(水) 13:41
で、今までになかった、新しいジャンルとしては、「やらされゲー」「作品
ゲー」「ネットゲー」の3つが認められると思います。

やらされゲーとは音ゲー、ダンレボ、何とかでGOや何とかになろうなど、
単純な支持に従うだけの、攻略に幅のないゲームです。
音ゲーなどはゲームクリアの方法に様々なやり方があったらつまらない
のではないでしょうか。攻略に幅がない事が面白さになっていると思います。
そういう意味では今までの大体のゲームの方向性とは逆行している様に
思われますが、それでも面白いのは音楽が助けているからでしょうか。
となると将来的に音楽から離れた、たとえばベルトコンベアーで流れてくる
製品を処理するアルバイトのゲームなんかは出ないんでしょうかね。
何とかでGOの方は世の中の職業を全てモチーフにする他にも、肉食獣に
なって草食動物を狩るゲーム、あるいはその逆とかでも良さそうですね。
でも架空のもの、たとえばスペースシャトルを運転するようなものに比べ、
ガンダムに乗ったりリング型コロニーで暮らしたりするみたいなものは
面白そうに思われないのではないでしょうか。かのゲームはそもそも
現代人の変身願望に訴えるゲームなのかもしれませんね。という事なら
現実のシミュレーションを行う事が限界かもしれませんね。

作品ゲーというのは、ゲーム性を切り捨ててでも物語として楽しませる
事を目的としている、ゲームが最近割とある様に見受けられるのですが、
ビジュアルノベルは言うに及ばす、EVEなどのアドベンチャーゲームや
やるドラ、果てはサガフロ2などもこういった流れなのではないかと
思われます。昔のアドベンチャーゲームは素っ頓狂なシナリオ
が多かったのですが、最近は小説や映画を視聴する事と同じレベルで
楽しんで貰おうと思っていそうなものが多いように感じられます。
この方向は廃れるという事はないでしょう。

ネットゲームは割愛。大体どんなものでも人がいれば面白いものでしょう。
ネットワークゲームなのにつまらないゲームというのがあればそのゲーム
こそがネットゲームの限界を教えてくれるんじゃないでしょうか。そういう
ものが頻出するようになればゲーム界?は次の段階に行くのでしょうか。

340 :妄想くん(ここであげ) :2000/09/20(水) 13:42
以上のうち、現代の科学技術によって初めて成立するゲームはネットワーク
ゲームだけじゃないでしょうか。他のジャンルがなんで最近成立したかという
と、そういうクリエイターが現れたからではないでしょうか。
私はこのスレッドの目的が「従来のジャンルの将来とこの先出るだろう新しい
ジャンルの洞察にある」と勝手に思ってる訳ですが、従来のジャンルについては
前述の通り、でこの先出るだろう新しいジャンルというのは、しばらくは
ゲームをやった事のないような制作者による今までの常識にはない新ゲーム
みたいなものが出て、売れれば新ジャンル、が続いて、それでインフラも整って
更にしばらくはネットワーク黄金時代、なのでしょうが、

個人的に不満なのが、「戦略的な意志決定モデルの構築」という従来の命題に
従っている新ジャンルがここ数年出ていない、んじゃないかという事です。
新しく出来たゲームといえば、この命題に沿わない、奴隷ゲーと高い小説
(悪口ではなくて)とばかりで、要するに、ゲームっぽくないゲームばかりが
増えた。では、ゲームっぽいゲームは?
将来を見据えて戦略を立てて行く、古めかしい概念に適合するものの中で、
新ジャンルというと、今やコンシューマ作品数的に一番多くなったSRPGと、
ポケモンに代表される収集RPG。なんかこう、
新しくて重層なルールを持つ感じのジャンルというものがないですね。

行く末の議論になってないか。

341 :素朴な感想。 :2000/09/20(水) 14:01

長々続いてるわりには実のないスレッドだなぁ。
つまらんわけではないが。テーマが曖昧だからかな。

342 :nd :2000/09/20(水) 18:13
 はいはい、ワガママなお客さんが飽きてきちゃったね。
 とりあえず自分がとっちらかした分だけ整理つけるから、一区切りとなってくれたら幸い。
 
>>327>>329
 Yのアニィ、いいこと仰います。
 「ならばなぜ、ゲームでなければならないか」
 ここまで自分を問いつめて初めて、「他の何物でもないゲーム」を普遍的な言葉で言い表そうとする動機に血が通うと思うんですよ。言い方を変えればこれ、「ゲームにここまで執着する自分とは何者なのか」という問いかけですから。その必要のかぎりにおいて、ホイジンガでもカイヨワでも使えばいい。

 僕とかSM7氏とかの書き込みで語る動機のくじけてしまった人向けにフォローすると、皆がここでしようとしているようなゲームの本質とかを分析する意義って、ちゃんとあると思ってますって。
 ただしそれが何に繋がる意義かといえば、ゲームの実作のためではなく、意識するしないに関わらず「自分のことを知るため」にしか事実上繋がりえないのだから、その道筋の整理だけ頭の片隅にできていれば、いろいろ混乱せずにすっきりしますよというだけの話。もちろん、「自分を知る」ことと「ゲームがなぜ面白いかの客観分析」との間にはたくさんの段階があり、そこを詰めていく作業は一筋縄ではいかないので、その必要をより強烈に感じている人間がやればいい。ただし「自分を知る」というゴールの存在だけは意識されていないと、役割分担もできないわけで。
 出来ればこれ、aさんあたりの口から聞きたかったが(^-^)

 以上、あくまで「批評」「評論」を追求する場合の話ってことで。
 「ゲームの行く先」そのものについての楽しいオシャベリとは確かに別の話で、そんな面倒な「別の実作」に興味ない人は既によろしくやってるわけだから、それはそれでいいし。批評需要者は彼らが純然快楽のために行う語りから、役に立ちそうなものをイタダケばよし、彼らが何かにつまづいて快楽のためにだけ生きていけなくなったときには、先達として助言をすればよし。
 ただし「ゲームの行く先」そのものの実践的な構築を批評の直接の課題としたり、ゲーム語りというゲームをそれ自体で何か崇高なことだと思うのはお門違いって線は、いいかげん後戻りしないでくれると嬉しいな。

343 :nd :2000/09/20(水) 18:14
 最後に当方の「ならばなぜ、ゲームでなければならないか」ですが。
 アレコレ言ってきて拍子抜けかもしれませんけど、結局は偶然の巡り合わせだと思いますよ。たまたまうちらの世代の生物学的成長に合わせて、ゲームが登場し「発展」してきたもんだから、「これはオレたちのものだ」という一体感が湧いちゃったんでしょうね。ですので、うちらの親の世代が政治運動に参加しなければ人でないと思ったり、第一世代オタクたちが特撮やSFやアニメこそ自分たちの拠り所だと思いこんだのと同程度には、必然性のない現象なんでしょう。
 もちろん、一次的なインタラクションの快楽だとか、日常の物理世界とはまったく違う独自の律をもつ「神話」世界へ往還することだとかの普遍的・超歴史的な要因もさらに基層にはありそうだとは思うし、そういうアプローチ本当は大好きなんですが(笑)、今のところそれを直接的に解明できる道具立ても揃ってなさそうだし、禁じ手にちかい取り扱いを自分に課しております。

 マ、これ以上の突っ込んだことは、いずれまた別の機会に。332番で這い寄る混沌さんに見つけられちゃったことでもあるし、仮面舞踏会の興もここまでってことで。
 あんまり場にそぐってた風でもない、しんきくさい話題にお付き合いくださった方々には、心よりの感謝と敬意を申しあげます。
 では!

344 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/20(水) 19:01
ビデオゲーム?

345 :344 :2000/09/20(水) 19:23
転送ミスっす。
「ゲーム」ってのはインタラクティブ性そのもので、
「ゲーム」としての面白さは「入力・出力・その関係」で、
「ビデオゲーム」には絵・音・話・演出等の面白さもあって、
「その関係」が「絵・音・話・演出等」って視点なんかな?

音ゲーは「音」、サウンドノベルは「話」で革新したみたいな。
(「ドラクエ3」のあぶない水着で「絵」が変わったのは楽しかった)

346 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/20(水) 22:05
このスレッドだけはageないとまずい。
あ、それだけじゃ失礼か。
ゲームって、マンガとか小説とかよりもはるかに
日常と違った世界に参入できる感じがあります。
・・・難しいことは分からないけど、ROMって勉強してますんで、
ndさん、にっくさんの今後の発言、期待してます。

347 :SM7 :2000/09/20(水) 22:27
>>330

>やはり、「現実の世界の物理法則」から完全にシャットアウトするためには、コンピューターの出現が不可欠だった、と考えます。

うん。もちろんそうでしょうね。

不遜にもここで挙げられた諸説の洗い出しを目的としつつブッ飛んだ発言ばかりしていた身としては、そういう常識的なご意見によって着地点を得られることは、もとより望むべきところでした。キチガイっぽいのを相手してくれる人は少ないでしょうから、これは大変にありがたいことです。

あとご注進どうも。ママレモンの乳化作用の信頼性についてはもう少し考え直してみたいと思いますってああ〜また浮き上がりだした!

ではまたどこかで〜。

348 :RYU :2000/09/21(木) 23:17
>「ならばなぜ、ゲームでなければならないか」
インタラクティブに参加できるゲームの楽しさ、そしてそれを分析できる、新しい流れに
参加できるより大きな流れへのインタラクティブへの参加ができた。新しい物を分析し、
理論を構成する部分で、本質的な部分で滅びつつあった「科学の本質」に最も近かったような
気がしますね。そういう意味で我々の世代って科学の最後の申し子かなぁとか考えたりも
します。なんてのはより深くゲームを考えるようになった昨今考えたことですが。

349 :RYU :2000/09/21(木) 23:30
てな訳で、黙々と。感覚的な話や本質的な話が多かったので今度は歴史的な流れから。

>ここはゲームの行く先を議論(=洞察)するスレッドだと思っていたのですが、
>ゲーム評論の方法論の構築という感じになってますね。

現状の認識というか未来の指標のために、というかまず過去のことから言えば黎明期
(ファミコン)の頃には全体の認識で今の話題のゲームはこれ、というのはアクション主体
だったりしたから分かりやすかったんだけど、一般化のために難易度を落として長くプレイ
できるゲームの需要が生まれ、アクション主体からRPG、SLG主体になり、
商戦毎の特徴も任天堂主張の「1強多弱」の100万本1本あればいいという流れから、
SCE主張の「多様な価値観」の名による10万本10本狙う流れによって急激にゲームの
全体像はつかめなくなり、二流のソフト10本からその新しい価値を見いださなければ
ならなくなって非常に大変になった感じがします。

>やらされゲーとは音ゲー、ダンレボ、何とかでGOや何とかになろうなど、
>単純な支持に従うだけの、攻略に幅のないゲームです。
これはこういう流れの中で生まれたライトユーザー向けの流れの一つでしょうね。
技術を追求する「修行僧」じみた流れでなく、ただやってるだけでその世界に浸ることが
できるゲーム。前言ってた「萌え〜」なプレイヤーに近い話かな。ただ、攻略に幅がない、
は言い過ぎですね。ゲームとしてあらかじめ示された目標が無いだけで、自分の中で目標を
設定して世界に浸ることができるため、より自由になったゲームと言えると思います。

とはいえ、今、任天堂主張のGCによって「1強他弱」の価値観に戻ることができるか?
というのは少し怪しいけど、まずゲームが一人で遊ぶものであると同時に複数人の話題の
ためのものでもあるから、どれが現在の主流であるか(どれが傍流か)というのを明確に
できるのは非常に大事だと思うしその羅針盤は戻ってくるのではと甘い期待を持ってます。

しかしこのようなゲームの価値観の統一、という命題自体に対しても実は「多様な価値観」の
容認の流れの中では本流となり得ないのではという一抹の不安が。
(「面白けりゃ良いじゃん」の一言で積み重ねた物を無にされる虚しさ・・・)

350 :にっく :2000/09/22(金) 08:18
各々が自分の考えを述べ、交わることなくそして誰もいなくなった・・・
というのは嫌なので、今回はndさんに集中レス。
(時間かかり過ぎて、他の人にはできない。スマソ。)

>>171
>ゲームを遊んだり論じたりすることそれ自体に、ジャンル外の人々が
>自明に認めうる「社会的意義」が何にもないからです。

なるほど、一見正論です。では、その正論にあえて異議を唱えてみよう。

「純粋な快楽」に「社会的意義」を見出すことはできませんか?
(ゲームをすることが「純粋な快楽」なのかどうか、という問いは抜きにして)
もちろん、現時点の社会通念ではそんなもん「意義」でも何でもない、
というのとは別問題です。

351 :にっく :2000/09/22(金) 08:19
>>285
>この場であのゲームは面白い、あれは面白くないという選別をし、
>それが何故なのかをソフトや制作者の性質に帰してアレコレ言ったします。
>で、その議論が制作の現場にフィードバックされ、より面白いゲームが出て
>くるような可能性って、はたしてどれだけあるんでしょうか。

あるでしょう、当然。ただし、そのフィードバックが大きいか、具体的か
どうかは別ですが。
まず、このスレッドが不特定多数の人間に何らかのインスピレーションを
与えている、これは事実だと断言していいでしょう。
(もちろん、インスピレーションの質は別問題)
そして、その不特定多数の中に現在/将来のゲーム制作者がいる
可能性は否定できない。どうやっても。
ならば、この議論が制作の現場にフィードバックされ、面白いゲームが
生まれる可能性を否定することは不可能ということになります。
とはいえ、「よりつまらないゲーム」が生まれる可能性も否定できないのだけれど。

352 :にっく :2000/09/22(金) 08:20
>仮にそういうことが起きたとして、我々はその「成果」をどうやって実感できるのでしょうか。

実感、できなくてもいいじゃないですか。そんなことで絶望していたら、
な〜んもできやしませんって。もちろん実感できた方が嬉しいけど。

例えば、電車で老人に席を譲るという行為。これを僕がするのは(しないときも
あるけど)単に「したいから」です。相手の相手の喜びや感謝を実感したい、
という感情はそこにもちろん含まれているけれど、それが主ではありません。
ま、一言で言えばただのエゴです。
だって、僕の「よかれと思う事」と相手の「よかれと思う事」は必ずしも
一致してはいないんだから。なので当然、無理強いもしません。
けれども、ただのエゴが「結果的に」(これ重要!)他者に貢献することも
ありうる。だから、試しにやってみるんですよ。

僕の結論。この場であーだこーだとゲームについて議論することで面白いゲームが
生まれる可能性は否定できない。−たとえささやかで実感できないものだとしても。
だったら、試しにやってみようじゃないの。ネガティブに考えていたら
何も始まらないし、そこまでナイーヴでもないし。ってな感じですな。

353 :にっく :2000/09/22(金) 08:21
>>241
>ゲームに受け手としてかかずらった自分らがしてきたことにはどういう意味があり

意味ってそんなに大事ですか?ndさんは自分の行為に何らかの意味(おそらく
それは「自分を知り、人間として成長すること」など)が伴わないと
嫌なのでしょうか。
けれど、そんなことのためにゲームをするのって哀しくないですか?
「意味」なんてものは、はっきり言って、後付けでいくらでもくっつけることが
できます。だって、それが偽りか真かなんてことは誰にも言えないし、
確かめることもできないのだから。

敢えて言い切ってみます。

「ゲームとは快楽であり、そして快楽とは無意味なものである」

ぜひ、ndさんからこの言葉の否定をして欲しい。きっと、この言葉はndさんに
とって相容れないものだろうから。
(価値観・イデオロギーの違い、などという言葉で片づけるのだけは避けて
欲しいところ。そんな事は百も承知で、それでも僕は敢えてあなたの価値観に
踏み込んでいるのですから。不快感を与える可能性も覚悟の上で。)

354 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/22(金) 08:35
オウ、このスレも元気だな。
俺は最初の方で脱落したけどみんなすごいね〜。

355 ::2000/09/24(日) 14:33
にっくさん。
>僕は、物理法則の違いなんて関係無く、あくまでもレスポンスの快楽が重要なので、
>物理法則の違いに興味が行かない。相変わらず拙い例だけど、自分の足で走ること、
>自転車で走ること、水の上を泳ぐこと、アイススケートで泳ぐこと、そして、
>モニターの中でマリオを動かすことについての根本的な違いを僕は実感できない。
>「快楽の質」は物理法則に左右されるのだろうか?突き詰めようもないのだけれど

レスポンスの快楽(インタラクション)という次元の話なら、関係はありません。
しかし快楽レベルではなく、レスポンスレベルで考えてみてはどうでしょう?
スーパーマリオで落下中でもキーを入れることでコントロール出来る、
つまり現実の「重力」とは異なるレスポンスを得られることで、
快楽に到達する、ということです。

話は飛ぶけど、私が最初の方で「テトリスの批評はしづらい」と言っていたのは、
まさに「重力の場とは無関係の場を批評すること」の困難が、
重力に晒されてきた我々の言語の限界によるものである、
ということに今気がつきました。

356 :SM7 :2000/09/24(日) 15:02
♪いらないモノが多過ぎるゥ〜
       Λ_Λ ♪いらないモノが多過ぎるゥ〜
      ( ´∀`) ♪いらないモノが多過ぎるゥ〜
      ( つΘ∩  ♪いらないモノが多過ぎるゥ〜
       〉 〉|\ \
      (__)| (__)
         ┴

|オマエがいらない
 ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧_∧           .Λ_Λ ♪いらな・・
 ( ´∀`)          ( ´∀`)‥∵
 (つ===つ==∽∽∽∽⊂( つΘ|二二二二
 | | |            .〉 〉|\ \"∵‥
 (__)_)           (__)| (__) ビシュ
                   ┴




357 :RYU :2000/09/24(日) 15:07
|     ===================./  /   \=====================
  \\   /// ============= ∧== /  / _   .\∧=================
   \  オ  /   =========./ λ/ \l/   丶 / .λ================
   \  マ  / ===========. /  λ   l      /   λ===============
   \  エ  /  ========/    .⌒\l/ ̄ ̄       =============
   \  モ       =====/              ⌒       ============
       ナ  \    ===.|   <◎\       /◎ >      ============
  /    l  \    ==== |    ⌒  l____ l  ⌒       ===========
  // !! \    ===|       lV    V|          ===========
     /   \   =======λ      \ ⌒⌒/ 丿丿      .============
      |    .____入       \/                ======
    +    /⌒                   ______      ====
       < ○                  /⌒丶             ===
       < ○    l            <                  ===
         <○   ノ____      <                 ====
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358 :にっく :2000/09/24(日) 15:10
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359 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/24(日) 15:16
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  ノ \   _|____|_   /〜 彡
 彡/\\  | ノ    ヽ)   /./ ̄   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      \\ .(|∧ .∧.|) ././     < 逝ってよし!!
      . \ ノ人  ワ 人し/        \______
        ヽ ヽ ==/| ./
         ∨ ヽ _/ ∨
          (  |メメ| .丿
          ヽ |メメ| ./
           ノ_/メメヽ\
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       ̄┌ \.  \|     ̄
        |  ヽ \. \
        |  / \ \ \
        ゝノ  |\/  .丿
            | ̄| ̄
            |  |
            |  |
            |  \___
            |_   )

360 ::2000/09/24(日) 15:20
lヽ  ○○○ここにもいたか   殺されるよ〜
l 」 ∧_∧          ∧_∧
‖( ´∀`)         〔 ・∀・〕
⊂     つ       ( つ  つ
 人  Y          人  Y
 し(_)         し (_)
________________

           ∧│∧
          〔 ・∀・〕 <サヨナラ…
            │       lヽ +
            │ ∧_∧ l 」 キラッ
            ∩ ( ´∀`)‖ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 (     )      \_     つ<  ○○○13匹目
 | | |        | | |   \_____
 (__)_)        (__)_)


361 ::2000/09/24(日) 15:24
________
        ∧ ∧          /
   シコ  ( ゚Д゚)     @`-@`  < 上の口は嫌がってても下の口は欲しがってるぜ
      /    \  //    \________
 シコ  ||  ゚ ゚   /⊂//
      \\_  /⊂//
        \_⊃/
      (  // |
       | |○○\\
       | |     \\
       | /       | |
      //        | |
     //         U
     U



362 ::2000/09/24(日) 15:26
 _          ___
 |  \       / 〉 ヽ
  \ \_   _| _ ^ _ .|_    _
    \ \  ̄|| {(__) (__)} || ̄ ̄/
   / /.\ \ ||  Y、_^_ @`Y  ||  /\
   || |   \\゙=||_____||=" / \ \
  | ̄|     \\` - ´  _/     \;Y|
  ( つ{      | \\   |      | ||
   ~       [二((\\_]      / ⌒)
         /    ̄ \\ @` =/二;l|
        <_          \//LLL||)
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        \\       \\
          l二l        / /
       <__>     / /
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                /  /_
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                  ̄ ̄



363 :にっく :2000/09/24(日) 15:33
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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               |  | ● )    ̄ |  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               | | ̄     | |_/ < 思う存分ぬってよし!
               \/ /   _/  |     \__________
                 |_● ̄  |  ∧
              _−´  |/ ̄|イ  ̄~ ヽ、
             /      \_Λ  ~    }
             (   〃          〈   l
             |  Y            l   l
             l  |           。 )   l
              |  ハ  。    ヽ、  イ   l
              l   ヽ、   ノ      |   .l
              |  l           /   j
              |  |l         /   /
              l  l l        /  /
              l  j_ |      /  /、
  ――― ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l  l/     /  /  \ー――――――___
             /_ノ  、  /   Y     \
  ー―─── ̄ ̄ ̄       /    l  /  ~ ̄ ̄――__
                   \|     V             ー‐_
                     l ∧ 、@`J                 ー‐
                     l l;〉/J
                      し (/

364 :にゃー :2000/09/24(日) 15:36
☆ピピピッ
         /)__/)  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         (o`ー’) <  反ピカチュー派のスパイを処刑するでちゅ☆
       巛( ⊃ ⊃  \___________________
   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
   |  (\_(\       │
   |  (o`ー’) ピカ漬石 │
   |        20t   │
   |              │
   \_________/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       ≪| ∩ ∩   <  ピッカア(重い〜ゴメンなさぁい・・・)
   ____ U ̄U___  \_______________


   ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   (   @`@`) < 持ち上げるのに必死だな…
  (___.ノ   \____________

365 :市井沙耶香 :2000/09/24(日) 15:39
∧⌒∧
(ノ^^^\)
ヽ^D^ノ    ピカチュウ大好き!
(   )
|||
(_)__)


366 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/24(日) 15:49

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367 :344 :2000/09/25(月) 18:14
マリベルの後だけど、これ上げていいんかなあ?(と言いつつ上げるけど)
>テトリスってゲームが単純なしくみのどこで人間を引き寄せつづけるのか、
>何をもって人間はあれを続け、楽しむのか、ってことがわかる批評もありうるんでは?
とかから派生して、
>ゲーム評論の方法論の構築という感じ
なんかな?
じゃあ>>344に基づいてちょっと書いてみる。

368 :344 :2000/09/25(月) 18:15
>>345だったや。

「テトリス」みたいな「表現」の面白さがほとんどないゲームの場合でも、
「ゲーム」としての面白さがある。(より引き立つとも言える)
これは、ホーム踏んだら1点入る、穴を埋めたら消える、とかの、
「インタラクティブ性(入力・出力・その関係)」が面白いんで、
文化人類学とかの従来からある論評方法を使う事ができると思う。
例えば、「穴(あるべき物がない欲求不満)を埋めて消えて爽快」とか、
「踏んで入力おもしろムい」とか。
(俺自身は批評能力ありませんすいません)

369 :344 :2000/09/25(月) 18:17
で、絵・音・話・演出等の「表現媒体」としての面白さ。
これは絵画・音楽・演劇・その他、方法あり過ぎだし、
ビデオゲームでもそういう論評はやってるんで省略するが、
派生元が「表現媒体」の論評だったからそれに目がいって、
「ゲーム」もこれでやろうとか思ったんかな?
ちなみに、ムービーはこれだけなんで「ゲーム」としてクソなんだろな。

370 :344 :2000/09/25(月) 18:18
で、これらを融合した「ビデオゲーム」としての面白さ。
これは「その関係」が「表現できる」って事だと思うんで、
これも、>>345の「ドラクエ3の絵」みたいに、
「ゲーム」としてできる。(あれじゃ批評になってないって?)
でも、「表現」が面白いゲームにこれ使ってる人はあんまいないんで、
今からゲーム評論家になりたい人は狙い目かもね。
俺は絶対無理だけど。

371 :344 :2000/09/25(月) 18:20
ありゃ、一文字化けてる?
まあ、いいや。

372 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/25(月) 23:30
あげ

373 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/26(火) 01:50
平安京エイリアン面白かったなぁ

374 :スーパー名無しブラザーズ :2000/09/28(木) 23:49
ボルヘス的困惑。

375 :名無しさん :2000/10/03(火) 06:52
記号に戻してみよう。
想像力をたくましくしよう。
目に見えているものに頼ってはダメだ。

376 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/03(火) 06:58
想像力をフルに使ったゲーム=ウィザードリィ

377 :名波さん@お腹いっぱい。 :2000/10/04(水) 01:01
age

378 :カ! :2000/10/12(木) 01:52
>>368
「穴(あるべき物がない欲求不満)を埋めて消えて爽快」

それは単純すぎるんじゃないかな?
ぼこぼこのフィールドを穴埋めするバイトがあったとして、
別に楽しくはないと思う。

379 :カ! :2000/10/12(木) 01:52
あれ?これってあがらないの?

380 :夏目房之介:2000/11/19(日) 02:51
上がらないんですか?

381 :岡田斗司夫:2000/11/19(日) 07:31
あがりません。

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