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国松孝次警察長官を撃ったのは誰か?

1 :名無番長:2001/07/09(月) 02:00
國松孝次狙撃事件への警察捜査の失敗は、オウム真理教事件の公的もみ消しを明らかにし始めている。
日本のマスメディアは警察庁長官に対する暗殺の試みをオウムによるものとするが、事件の事実は、50年以上に渡って日本をコントロールして来た「地下世界の紳士」についての別のストーリーを語っているのである。

2 :名無番長:2001/07/09(月) 02:02
地下鉄サリン事件のちょうど11日後に、ヒットマンが警察庁長官國松孝次に銃弾を4発撃って逃走し、ターゲットを死ぬに任せた。
しかし、警察庁長官は何とか手術に耐えた。
國松は、日本のエリオット・ネスという評判を持つタフな警官であり、警視庁から辞任を求める巨大なプレッシャーがあったにも関わらず、職に復帰した。
國松を追い出そうとして警視庁が繰り返し試みていることは、不快な疑問を呼び起こす。
日本の警察官が警察官を殺すだろうか?
その答えは、単純に言えば我々が普通ではない時代に生きているということである。

3 :名無番長:2001/07/09(月) 02:05
國松は、隅田川の東の土手にある分譲マンションの外で、1995年3月30日に撃たれた。
共同通信の拡声器が川を渡るピンク色の金属の船の中から最初のレポートを伝えたとき、週刊ジャパン・タイムスにいた編集者たちは、ちょうど五日前に我々が出版しようとしていたことを――そして、東京地下鉄毒ガス事件の謎を吹き飛ばす核心部にいたことを理解した。
地下鉄攻撃が正面で矢面に立っていて、我々は國松狙撃計画をカバーするために時間に追われて働かなければならなかった。
編集者たばたまさのりは電話をとり、それからトレンチコートをつかんで、元暴力団員で警視庁とコンタクトのある暴力団の組長にインタビューするために、視界から消えた。
本文の筆者はオウム関連と、名古屋の暗黒街という、囲いのもう一方の側で働いていたのである。

4 :名無番長:2001/07/09(月) 02:08
徹夜と締め切りのプレッシャーにも関わらず、4月8日号(印刷はその前の火曜日)では全段見出しで伝えた。
「荒川の暗殺者」。
記事は、入り口と出口の傷についての分析の特集、名古屋で起こった住友銀行の改革派重役の殺人事件と結び付けての特集記事、警察庁長官のプロフィール、殺し屋の半虚構のプロフィールであった。
九ヶ月後、日本版プレイボーイのインタビューのなかで、公安調査庁の元幹部役員が、我々の4月8日号の仮説――國松事件は、「高い地位の会社重役の殺人」と関係がある――を裏付けたのである。

5 :名無番長:2001/07/09(月) 02:10
「荒川の暗殺者」の発行からおよそ二年後、連続した事件が、我々の最初のシナリオと、公式見解に対する初期の疑惑を充分に補強し、オウムが周辺的だが重要な役割を果たした日本の政治的階級の力に対する激しい苦闘を投げかけたのである。

6 :名無番長:2001/07/09(月) 02:12
公式声明。
警視庁はそのレポートを数回改訂し、彼ら自身の法廷での証拠さえも否定することがあった。
彼らの筋書きは、1995年3月30日木曜日の早朝から始まっている。
警察庁長官國松孝次は、未確認の補佐官に付き添われ、この隅田川の土手に近い荒川区の分譲マンション(住所は明記されていない)を離れた。
彼らが、警察官の運転手と護衛が乗っているリムジンに向かったとき、ガンマンは長官の27メートル後方から大口径の拳銃で四発発射したのである。

7 :名無番長:2001/07/09(月) 02:15
警視庁の声明によると、三発の銃弾が長官に命中したが、初期には四発撃たれたと報告されていた。
分譲マンションの中の目撃者は、ガンマンは約5フィート11インチ(180センチ)で、四十代半ば、ガーゼのマスクと暗いオーバーコートを着ており、自転車で来て去ったと述べている。
目撃者は、銃の発射音は大きく鳴り響き、マンション中に響き渡ったという。
警察の報告書では、彼らは二つの銃弾と三つ目の破片を回収し、十ヶ月後、第四の銃弾を発見したと述べた。
警察は、ガンマンが立っていた場所にタバコの吸い殻の山を発見し、長官の家を数日間張り込んでいたと述べている。
数日後、警察は、北朝鮮軍のボタンとコインが、ガンマンの立っていた場所にあったと報告した。
未確認の人物が、早朝にゴム製のボートの上で目撃されていた。

8 :名無番長:2001/07/09(月) 02:17
一人の警察官が九ヶ月前に國松を狙撃していた事実をオウム捜査を率いていた警視庁がもみ消していた、という告白があり、警視総監井上幸夫は辞任した。
他の8人の警視庁上層部は懲罰を受け、警察庁は庁とオウム捜査を率いる新しい総監を任命した。

9 :名無番長:2001/07/09(月) 02:19
しかしながら、警官の陳述には重大な矛盾があり、彼の自白が実質的に捜査を止める試みであった可能性が起きてきた。
単にKとのみ名指しされる31歳の警官は、オウム真理教の信徒だった。
彼は、東京地下鉄毒ガス事件の本部となった警視庁築地署に配転される前は、警備部(皇居警備)であった(営団地下鉄線の一つは、日産本部と朝日新聞の勤務者が使う築地駅を通っている)。
警官の名前が強制捜査で押収されたオウムの信徒リストに発見され、電極のついたオウムのヘッドギアが文京区の警視庁の寮の彼の部屋で見つかった。
彼がオウム信徒であることが発覚した後、彼は江東区の運転免許課の事務ポストに配転された。
尋問した者は、彼の証言がしばしば一貫せず矛盾していると報告した。

10 :名無番長:2001/07/09(月) 02:22
K警官は、20メートル先の1フィートの的を撃つ中級の狙撃手としてランク付けされていた。
しかし別の記事では、狙撃訓練の範囲では、動く対照に命中させるには不十分だと示唆していた。
ある警察官のリークでは、彼は隅田川の岸で狙撃訓練をしていたと示唆する――この地域の人口と、銃撃音がすぐに報告されることを考えれば、それは馬鹿げた考え方だ。
K警官は、アクロシティーマンションの國松の部屋を近くのバルコニーから前日に見張っていたと述べた。
彼は、銃は教団の諜報大臣井上嘉浩から提供され、井上は携帯用無線機で警察長官を撃ち続けるように命じ、麻原のマントラを流したという(もしそうなら、それは数秒間の間に起こったことになる)。
しかし、目撃者はラジオを見ても聴いてもいない。
K警官は、井上が彼に38ミリ拳銃を提供し、狙撃地点の往復を同乗していき、車を運転したのは往復とも教団の建設大臣にして武器輸入者の早川紀代秀であった。
二人のオウム幹部はその自白を否定している。
後に、K警官はストーリーを変え、27才の麻原官房員富永昌弘が現場から連れていったと述べている。

11 :名無番長:2001/07/09(月) 02:25
長官を狙撃してオウムの車で逃げたあと、隅田川に差し掛かり、K警官は銃を鞄に隠して築地警察署のロッカーの中に置いていくといった。
数日後、彼は銃を飯田橋と水道橋の駅の間で神田川に投げ捨てた。
警察の潜水夫とクレーン操作の海難救助チームは神田川の底を50日以上捜索し、数百台の廃棄自転車を回収した。
彼らは拳銃が川の中にないことが明らかになるまで捜索を行った。

K警官の年齢と身長は、ふつうよりも背の高い40代の日本人男性の狙撃手という目撃証言よりは明らかに数センチ低く、目撃証言と一致していない。
彼は後に自白の中で、彼を「補助」した謎の狙撃手について訂正したが、その人物は11月に逮捕された林泰男と思われる。
彼の物語の筋は、グル麻原彰晃を暗殺計画の首謀者とするものだった。

12 :名無番長:2001/07/09(月) 02:27
しかし、調査者とジャーナリストは、ガチガチの反オウムであっても、K警官の物語が明らかに間違いであったと認識し始めた。
彼の物語の支離滅裂さが分かる調査結果がいくつか徐々に登場し、彼の誤った記憶は、K警官が催眠術とソビエト式の精神医によって強烈な洗脳を施され、これらの記憶を植え付けられたがそれを結び付けて統合することに失敗したとしなければ説明のつかないものであった。
このようにオズワルド式の濡れ衣を着せるような極端な方法をとる動機は、もちろん、事件の背後からオウムを操ろうという以外にはオウムとほとんど関係のない真実の犯人を、警察が発見出来ないようにすることである。

13 :名無番長:2001/07/09(月) 02:33
ここで我々は、慎重な分析を行い、知っている全てを充分に詳細に、細部に至るまで提供することにしよう。
9月14日、住友銀行の重役会のメンバーだった畑中和文の銃撃死について述べる。
彼はそのとき、暴力団と銀行の名古屋支店との関係を取り除こうとしていた。
畑中は、高度に守られたマンションの自室アパートで、早朝狙撃された。
彼は新品のレイディ・スミス38口径リボルバーで近接距離から額を一撃で打ち抜かれて殺された。
殺人者の武器は、後で巨額の借金を抱えていた前科者によって警察に引き渡された。
なぜ銃は殺害を指示した者から返されたのだろうか?
事件に接近し、捜査を終結させるためだ。

14 :名無番長:2001/07/09(月) 02:38
しかし、國松警察庁長官は事件を終結させたり、その前科者が殺人者であることを認めたりしなかった。
國松は個人的に、住友銀行・畑中和文取締役名古屋支店長射殺事件の捜査を監督していた。
それは、殆ど全ての会社を包含する日本銀行制度を横領するホワイト・カラー犯罪の流行に対する戦いにおいてのターニングポイントとなる鍵であった。
これは、高度な張り込み捜査の頂点であった。
全ての政治階級と殆どの官僚制度をを破壊しかねなかったからである。
國松にとって、それは文字どおり生死を賭けた戦いであった。

15 :名無番長:2001/07/09(月) 02:40
追加
>>13
これは1994年の事件である

16 :名無番長:2001/07/09(月) 02:44
K警官は、國松長官暗殺未遂で使った武器を神田川に捨てたと言った。
東京に馴染みのない人は、神田川が東京で一番狭い川であることを知らないかもしれない。
もしK警官が拳銃を投げたのが、もっと広くて彼も渡り、彼の警察署から一番近いところにある隅田川に投げていたら、拳銃はおそらく二度と発見出来なかったろう。
彼は多摩川、江戸川、荒川に投げても良かった。
どれも充分広くて深い。
或いは、深みにはまれば二度と銃を発見できない東京湾か相模湾の埠頭の端まで車か徒歩で行っても良かった。
それなのに、彼は15メートル以下の幅で浅い川に投げたというのである。
それだけでなく、水道橋と飯田橋駅のあいだの区間は、東京でも非常に交通量が激しい所で、職場、道路、両側の歩道、車と徒歩のための橋があり、鉄道と高速道路の高架が架かっている所なのである。
正気であれば、そんな所で凶器を川に投げ込んだりしない。

17 :名無番長:2001/07/09(月) 02:49
設定

警視庁は、オウムを前面に出すことによって、國松長官狙撃事件捜査が本当の所には行かないようにしようとした。
暗殺未遂事件における彼ら自身の役割を隠そうとしただけではなく、もっと重大なのは、法務省、議会、金融部門における彼らのボスたちを守ろうとしていたのである。

18 :名無番長:2001/07/09(月) 02:50
>>17
訂正
狙撃事件捜査=狙撃事件に対する捜査

19 :名無番長:2001/07/09(月) 02:59
現場に二人の警視庁の護衛がいなかったので、ヒットマンは國松の背後から余裕を持って銃撃することができた。
広く見渡せる角のバルコニーの下にあったタバコの吸い殻の山は、日本の警察の張り込みの特徴である(著者は一度、近所の韓国人コミュニティの近く、オウム活動の主要センターを見張っていた公安の人間が戸口に残していった吸い殻の山を掃除する羽目になったことがある。丁度地下鉄サリン事件の捜査の初期であった。そこのオウム信者の少なくとも3分の1が韓国人であった)。
ボディーガードの二人は、1995年3月30日の早朝に足止めされて、警視庁の荒川警察本部に留められていたのである!
國松の背後は、まさにヒットマンが到着する数分前までに、無防備にされたのだ!
國松の住所はリストに載らず、トップシークレットにされていた――オウム施設強制捜査のためだけではなく、彼は多くの強力な敵を持っていたのだ。
上層部の職員のみが彼の住所と毎日の日程を知っているのであり、これこそK警官が住所を見つけたという物語を警視庁がでっち上げた理由であった。

20 :名無番長:2001/07/09(月) 03:07
アクロシティの目撃者は、ヒットマンが長身の黒いリボルバーを使うのを見ており、マンション中に響き渡る4発の音を聴いている。
通常の0.38弾薬の発射音は破裂音であり、轟いたりしない。
それは火薬発火で起こった物ではない。
住人が聴いたのは、弾丸が音速を超えた音だった。
つまり、銃身を離れてから秒速1100フィート(330m)以上のスピードがあったということである。
これが意味するのは、ガンマンが特別な弾薬を手に入れたか、高爆発粉末でカートリッジを埋めていたかである。
超音速スピードは、ケブラー布を貫通するか、衝撃板を貫通するために必要である。
また、弾丸のテフロン加工も、KTWアンモにあるように必要だ(KTWアンモの名称は、オハイオ州ローラインの発明者ポール・コプシュ、ダン・ターカス、ドン・ワードにちなんだものである。これは北米銃器協会から、公営の警察か軍隊にだけ売られるものである)。
このタイプの弾薬と馴染んでいることから、暗殺者はアメリカ軍特殊部隊か警察のそれにコネがあることが分かる。
そうでなければ、彼はテフロンを周りに塗っただけだということになる。
KTWと旧ソ連のスペツナズの弾丸は、衝撃を分散し、高速で飛んでいる時にケブラー布を通って弾丸を包むように、平らな円錐型の銅の覆いのついた構造になっている。
中空の点と違って、外側が鋭い縁に分かれてしまうことはない。
そのかわり、パテの断片のように広がるのである。

21 :名無番長:2001/07/09(月) 03:11
國松狙撃の準軍事的スタイルは、ヒットマンが軍事的背景を持っていることを示している。
おそらくは軍特殊部隊である。
彼の銃器における優秀さ――アクロシティと名古屋事件での重装備のレディー・スミスで示された防護服貫通の火力は、高度に熟練した射撃手であることを示す。
私達の考えるプロフィールを簡単に示せば、アジア系アメリカ人でベトナム退役軍人、40代後半、家族は武装仏教宗派に属しており、今多くの金を与えられ第三国にいる。
リボルバーを持つトップの射手であるが、プロの殺し屋ではなく、前科はない。

22 :名無番長:2001/07/09(月) 03:12
ヒットマンが外国人であるというのは、数人の元暴力団員が示唆したものである。
日本には、そのレベルで正確・迅速・冷静に動くターゲットに向けて拳銃を撃てる者はいないというのである。
この外国人という性質は、ウィークリー記者にも注目されていたことだった。
日本人の殺人者は、ターゲットの頭を決して損傷させない――首は狙うが、顔は無傷で残すのである。
日本のガンマンはふつう、胴を狙う。
畑中を撃った人物は明らかに海外の者であり、西洋流暗殺技術を訓練されていた。

23 :名無番長:2001/07/09(月) 03:15
私達は後に、警視庁がウィークリーによって展開されたこの仮説を真剣に検討していることを知った。
私達は、狙撃事件の犯行を自供した警察官について、読者に何らかの結論を残すとしよう。

24 :名無番長:2001/07/09(月) 03:18
狙撃事件の裏にある勢力

國松長官狙撃は、国会と政治的エスタブリッシュメントの操作のための主要な勢力争いの一部であった。
それが近畿地方でのいくつかの法人重役の殺人事件に通じている。
政治抗争は、大阪・名古屋・神戸犯罪トライアングルに集中している。
そしてそのトライアングルの中心は、住友銀行だ。
一人の元暴力団員がウィークリーに語ったように、
「住友は我々にたかってくる銀行であり、(元銀行頭取を)皇帝と呼んだものだ」。

25 :名無番長:2001/07/09(月) 03:23
畑中支店長は、住友と組織犯罪との繋がりを切る改良運動を導いていた。
大阪本社で彼は、Y組との関係をある程度なくすことに成功した。
Y組は日本最大の犯罪組織で、暴力団対策法に協力すると決めていた。
しかし、名古屋は壊せないほど頑丈なナットであると分かった。
それは、組織犯罪の中心地であり、その歴史のなかでホワイトカラー犯罪を開拓していった所だった(それは銀行と主要企業に根差していた)。
名古屋はS会の砦でもある。
これは伝統的に薬物密輸の主要勢力である。

26 :名無番長:2001/07/09(月) 03:27
愛知地域は、日本の金権政治のための違法献金が最も潤沢な地域でもあった。
それは元公明党党首の石田幸四郎と元首相海部俊樹の地盤である。
この二人は、バブル経済の頂点での最大の建設事業である新関西国際空港建設運動を導いた。
愛知出身の二人の政治家は、かつて新進党の主軸であり、その党の議員の数名がオウム事件と関わっていた。
その結果は、日本経済に、九十六年の最悪のニュースであった平和相互銀行の数兆円緊急援助に影響している。
平和銀行頭取の殺害から、企業重役暗殺の波が始まり、それはついに日本の警察官僚トップ暗殺未遂に至ったといえよう。
日本の堕落した報道機関が何でもかんでも麻原に罪を着せようとしているのは、不思議ではないか!

27 :名無番長:2001/07/09(月) 03:31
国松長官狙撃事件は、我が国の腐敗した警察機構の最初の大きな亀裂であり、日本の政治とビジネスのエスタブリッシュメントの大掃除をして暗殺者を法廷に連れて来るには、世論と国際的な応援が必要なのである。

28 :名無番長:2001/07/09(月) 03:45
え、終わり?

29 ::2001/07/09(月) 04:12
>>28
とりあえず終わり

30 :犯人はオウムじゃないの?:2001/07/09(月) 04:31
 オウムが関係無いと考えることは難しいですよね。
 それを否定するコメントをどんなにオウムが取り繕っても、それを信じるほど
日本人は馬鹿じゃないですよね。
 こんなところに本当っぽく言葉を並べても調べてみると嘘が多いので
オウムは人を説得するのにいかにも本当っぽい嘘をつくのはサリン以来
常套手段じゃないですか

31 :オウムの論理のすり替えは:2001/07/09(月) 04:59
じょーゆーでウンザリ。
言葉を摩り替えて情報をすりかえても結局はオウム。

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